●EO氏の悟りの体験とその背景●
EO氏は、大悟の後に起きたいくつかの神秘体験については、
「その描写の記録を原稿からは削り落とした」と言っていました。
その第一の理由は、
「神秘体験というものが記憶に留まらない」という事。
第二の理由は、
「それを書くことは、それに憧れるという欲求とイメージによって、
人は、逆にそこからどんどんと遠ざかってしまう」という事。
そして第三の理由は、
「悟りの体験の神秘体験的側面についてページを割くよりも、
その背景をなす人間の苦の本質についてページを割きたかった」、
という事をEO氏はよく言っていました。
この悟りについて述べるときに、必ず「人間の苦の問題」をセットにするというのが、
EO氏の個性的な味でもあると同時に、
そこが一般的な感情的な人たちや、ポジティブ志向の人達からは、
嫌悪の対象となる点でもあるだろう。
ただ、EO氏の悟りのプロセスと、その結果について言えば、
自己嫌悪、自我嫌悪といったプロセスでは、自我が落ちて、
それがよく言われる悟り、または悟りの一瞥に繋がるのだとしたら、
EO氏の場合には「宇宙、万物、生命に対する嫌悪と絶望」によって、
氏の中からは、「宇宙そのものが落ちた」のかもしれません。
そのあたりが、やはり禅の世界の悟りとは異なり、
より釈迦に近い悟りであると評価されている理由なのかもしれません。
それでは、以下に、書籍に紹介されているEO氏のいくつかの
悟りや、神秘体験を転載しますが、
一部、書籍になる前の氏の草稿から直接に抜粋した部分もありますので、
お読みください。 【方山 記】
●以下、EO著『廃墟のブッダたち』より抜粋●
・・・・・・・・・
私は部分的な観念や思考どころか、私の存在そのものを全面否定された。
何もかもだ。一体そこで何が生き残れる?。
思考の何が生き残る?。何ひとつも生き残れなかった。
ただ、その苦痛は凄まじかった。
私の全存在、思考のすべてが、反論しようとした。
「いや、一点の真理、たったひとつの何の価値があるはずだ」。
そう思考は言い続けた。絶対に宇宙には意味があるはずだ。
なければ自分はなんなのだ?。と。それは膨大な苦痛を生んだ。
なぜならば、それは、
生き残れるはずのない『的外れな推測の答え』だったからだ。
もともと無意味なのに意味という回答があるはずない。
まず、宇宙は絶対的な無意味であるというのが避けられない絶対的な回答だった。
そこで「存在には意味がある」という私の観念は死んだ。
抵抗は全くの無駄だった。私は完全に敗北した。
むろん、それに抵抗しているときはとても苦しかった。
そして次に、無意味な世界でどうすればいいのか考えた。
私は瞳を閉じた。
無意味なこの宇宙で残されたその『永久の時間』を、
一体どうやってやり過ごせばいいのかを考えた。
すべては犯罪から戦争にいたるまで、
何もひとつも間違っていない、宇宙の正確なプログラムなのだから、
好き勝手に奮闘してエネルギーを出せばいいのだし、適当に楽しめばいいわけだ。
だが、もう私には決してそれを楽しめない。
トリックの分かった手品など見る気もしないのと同じだ。
私は何週間も、自分が生きていて、息をしていることさえ嫌悪した。
そして自殺だけを決意した。
・・・・・・・・・
最低最悪にして、最大の変容の日
翌日には睡眠薬を買いに行こうと決意していた私だが、
そこには、まだ私の中に「変なもの」が生き残っていた。
それは『生きなければならない』という思考だった。
人生や魂を何億年もひきずって生きるという、この変な義務感だった。
だが、もうそんな意味すらもないのだから、死ぬしかなかった。
宇宙に向かって『早く殺せ』と何度も何度も言った。
もう私は死を受け入れた。それも肉体は無論、魂の死だ。
二度と生まれ変わるのも諦めたし、そんなことは嫌悪していた。
長い宇宙の旅はこれで終わりと決めた。
それでもあと数年生きるだけでも、私にとっては充分な苦痛だった。
最後の苦痛はなんと『生きる苦痛』だった。
これはまるであの凍結したエーリアンそのそのだ。
私は彼らを死ぬのも生きるのも恐れていると言ってしまったが、
表現をやや間違えたので訂正する。
彼らは『死にたいのに死ねないのだった』。殺してくれと叫び続けている。
が、宇宙は彼らを処分しない。なま殺しだ。
これは宇宙的な規模のアウシュビッツだ。
死ねるならまだしも、彼らは『永久の生き地獄』にいるのだ。
そして、この『生き地獄』こそが本当の地獄のなんたるかだ。
だから最後の私の観念、苦痛の原因は、
今度は死にたくないための苦痛ではなく、
『死ねない苦痛』だった。
『もう死ぬしかない』『死ぬべきだ』という思考が、
このまだ生きているという現実の前に
『死ねない』という形で対抗している。
ここで苦しんでいるの、なんと『死にたいという思考』なのだ。
なのに,まだ死ねないがための苦痛だ。
これまた、あなたたちはとても理解すべきだ。
世の中には2種類の恐怖と苦痛がある。
死を恐怖するのがひとつ。
もうひとつは生を恐怖するというものだ。
生きるのが怖い。生きたくないのに生きなければならない。
そして、私が見たところ、現代において、圧倒的に後者が増え始めている。
よく見てごらん。死ぬのを怖がるのと、一方では生きるのを怖がる人々がいる。
彼らは例えば倒産したとか、恋愛に失敗したとか、修行に失敗したとか、
私のように宇宙の現実の前に途方にくれて、生きる意志をなくしたかだ。
つまり彼らには生きる意志なんかもうない。
彼らの、本当のその苦痛は死ねないことなのだ。
こういった人々が溢れている。
たいていの人々は生きていたいと言う。
だが、ほんとうは内心生きていたくないとも思っている。
そして、全面的に『もう生きていたくない』と考えている人達が最も悲惨だ。
そして、私に言わせれば、彼らこそブッダへ、私へ、
バクワンのように飛躍する可能性がある。
彼らはもう死にたい。彼らは、とっくに死ぬことを受け入れた。
だが、観念、思考、欲望の最後の最後の障壁にぶちあたっている。
こうした人々は意外に多い。
彼らは自殺願望をしょっちゅうもっている。
彼らは自分を殺してくれる人がいたら感謝さえするだろう。
なぜならば、他社が自分を終わらせてくれるのだから。
殺されれば彼らは苦痛から解放されるからだ。
だが、そうはいくまい。自殺してもまた生まれる。
また、自殺する勇気も踏ん切りもつけられない自分を責めてもいる。
だが、本当にこういう人々は結構いるのだ。
もう家族にも子供にもうんざりしている。または親にも社会にもうんざりしている。
学校にもうんざりだ。本当は内心とっとと死にたいと切望しているのだ。
だが、『あんたに死なれたらどうすんのさ』と言われ続けて生きている。
生きているのではなく、生をただ引きずっている。
そして、とうとう人々は自分で自由に生きる事どころか、
「自由に死ぬこと」すらも出来なくなった。
自殺は悪い、迷惑だ、地獄へゆく、と言われることも原因のひとつだ。
だが、この社会的な教育状況が、さらなる生き地獄を生み出す。
それは『死ねない地獄』だ。
旦那の顔も見たくないし子供もほっぽらかしたい。
楽しみも趣味も無い。人生はとにかくつまらない。退屈だ。
多くのこうした妻たちは、まぎらわせるためにカルチャーセンターなどへ行く。
あるいは浮気でもする。
だが、感受性の豊かで、本当に知恵のある人々は、決してそうしない。
本当に知性があったら男であれ、女であれ、絶対にこの世界の矛盾に気づく。
だから絶望するにはとても才能と知恵が必要だと言える。
本当に物事を直視して思索すれば、人は必ず絶望するはずだ。
また、本当の探求者は決して満足しない。
だから彼らはみんな同じ所へ行く。
とうとう『駄目になる』のだ。
八方がふさがる。
そして、それ以後は、生のすべてが地獄となる。
だが、これこそが最後の手段となる。
実際、私が一番必要とするのはこの人達なのだ。
心理的に世間を完全に捨てた人だ。
だが、まだ生きることを恐れている人達だ。
この人達はあと一歩だ。
まず、毎日毎日、本心から『死にたい死にたい』と言っている人だけが、
私のところへ来るべきだ。
私はバクワンのように何でもかんでも受け入れたりしない。
そんな力量も知識もない。私が出来るのは、
『たったひと押しで悟るまぎわまで来ている』最も悲惨な人達だ。
そうした人々を私は更に殺すだろう。むろん物理的になんかじゃない。
もしもまだ本当に死にたくなっていないなら、私は帰らせる。
そしてもしも必要なら、本当に死にたくなるまで彼らの存在の無意味さを
彼らの思考に刻みこむ。そして、なおかつ決して死なせはしない。
生きたままで死ねない苦痛に苦しめる。これでいい。
最後に私が彼らの内部の破壊をする。
それは最後の観念、最後の欲望だ。
すなわち『死にたいという欲望』を諦めさせる。
これが最後の一匹の思考が放つうるさい声であるからだ。
死にたいと言っている最後の思考の一声。これを私は黙らせるだろう。
人生を捨てた彼らが最後に捨てるべきものは『死を切望する考』だ。
死にたいと思っている自分の思考すらも諦めて、解き放つことだ。
そして、それはまさに私に起きたことだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの時私は、もう生きる意志はなかった。
だが死ぬ意志があった。
しかし死ねないまま、まだ生きていた。
この苦しみがあまりに苦しいので私は狂う寸前にいた。
何週間も、毎日毎日、死ぬか生きるかの、
たった二つしか思考することがないのだった。
この苦しみがあまりに苦しく、また毎日休みなく長期間続いたので、
思わず、私は心の中でこう叫んだ。
『ならば、それほど苦しめるなら、もっと苦しめろ、勝手にやってくれ!
このまま一生狂ってやるから、もっと悲惨で苦しいのも結構だ。
ほら、出て来い『生きる恐怖』よ。この生き地獄で狂ってやる!』と、
そう思って私は苦しみ自体に開き直った。
しかし、実は、人には死ぬことよりも恐れることがある。
それは自分が狂ったまま、周りに迷惑をかけながら、
醜態をさらして生きて行くことだ。
だが、とうとう、あまりの無力さに、抵抗力もなくなった私には、
狂う覚悟も完全にできあがっていた。
そして、その瞬間だった。
それはたった3秒の出来事だった。
いや、実際には、その引き金を引くのに要した時間は、
一瞬だったのだろう。
完全な手放し、
完全な絶望、
完全な狂気、
発狂へのあきらめ、
自殺の決意、
そして、その直後の、もはや、
何も思うことすら残っていない『完全なる思考の沈黙』の中で、
・・・気がついた・・・
私が誰だったのか。
何が私の実体だったのか。
私は何か。
生きる意志もなく、
死を恐怖していない私が、なおも苦しんでいる。
それは生きる恐怖によってだ。
そして誰が、死ぬ苦しみと生きる苦しみの両方の苦しみを、
生み出しているのかを。
それは私の観念だった。思考だった。
ところが苦しみを逆に『待つ』ように開き直ったところが何も出て来ない。
いくら待てども出て来ない。
最後の思考であった、『死にたい』という思考が私から分離した。
私の中の生存欲の思考と、死への切望が本当に全滅した。
その時、、
どんな思考もないままで
全く何も苦しんでいない何かがそこにいた。
それが『これ』だった。
それが『・』だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
過去に悟った人々はそれを『永遠の魂』という。
だが、私にはそうは見えない。
確かにそれは思考によって死んだり、傷付いたりしない。
それはどんな思考も無効になる。
たとえ精神がすべて死んだとしても、それは残ることは確実だ。
だが、それが永遠かどうかなど誰も分からない。我々の知ったことじゃない。
たぶん、永遠生命とでも吹き込めば、人々が必死に求めるだろうと配慮した
過去のどこかの老師たちの仕業に違いない。
だが、これには永遠の保証などない。
それには実体がない。
これは、ただ在る。
ただ、今ここに『いるだけ』だ。
ただの実存そのものだ。
そこには個性もないし情報もない。
価値もない。観念もない。
それは、全く何もなくても『ただ存在できる』ものだった。
私は一生、食べるものとトイレ以外に窓もなにもない部屋に、
永久に閉じ込められても、死ぬまでニコニコしていることだろう。
私は全宇宙の外へ出た。
そしてその絶対の闇の中で思考を一度すべて、残らず殺された。
残るものは意識だけだった。
自分が途方もない馬鹿で、世界で最も何も知らないものに思えた。
事実、私は今でも何もしらない。ただいる。
たまにこうして物を書くときに思考はするし記憶も引き出す。
だが、終われば聞こえるのはカラスの声だけ・・・。
そして私は「くつろぐ」。
私は何もなくてもいい。何かあってもいい。どちらでもいい。
そういえば、私が悟りを開いたとき、私は横たわっていた。
カラスの鳴き声がしてた。ただ、それだけだった。
私は山に入って瞑想したわけでもなく、姿勢を正して瞑想していたわけでもない。
まるで精神病患者のように、自宅で毎日毎日うずくまっていただけだ。
そして、あるとき、『それ』が起きた。
そこにあったのは、あたりまえの日常だった。当たり前のことだった。
あまりにも当たり前すぎて、にっこりと笑った。
外はカラスの声。日だまりのあたたかさ。
生まれて初めて、私は緩んだ。くつろいだ。
そうしたら、そこが自分だった。
いや、自分というものは、もう存在しなかった。
それは意識そのものだった。
それはただ『存在だけしていた』。
それから何日も何十日も、全くなんの思考も出て来ない日々が続いた。
空腹を感じたり、立ってトイレにいく事に必要となる思考以外には、
自己意識はおろか、何時間も殆ど全く何も思考そのものがなかった。
こんなことは、それまでにはあり得なかった。
そしてただ横たわり、座れば何も考えず、何も見ず、読まず、
寝て起きて、呼吸をして『いる』だけで満足だった。
そして『それ』は今も『在り』続けている。
私は社会で働いて生活もしている。だから思考は生じる。
だが、それは用が済めば終わりだ。また、私はただそこに『いる』。
自分がどういう人間だとか、もう分からないし説明も出来ない。
ときどき自分が分からなくなる。そんなときは私は分からないままでいい。
だいたい『もともと何者でもない』のに、自分が何だかが分かる方がおかしい。
それは夢だ。あらゆる自己同一化はただの夢だ。
私はこういう人間だなどというあなた達の自己主張は全部ただの思考だ。
もしもあなたが私に会う事があったら、
この文書を書いた私はもういないということを留意してほしい。
その時、あなたの前にいる私にこの文書を決してだぶらせたりしないことだ。
『あー、この人があれを書いた人か』などと思わないように。
これを書くのに使われた経験と情報は確かに私の個性的な環境が要素ではある。
だが、これを『書いた者』などはどこにもいない。
私というコンピューターの機種はいるだろう。だが、プログラマーはもう死んだ。
今、私のキーを打つのは『あなたの質問』だ。あなたの疑問だ。
私にはもう疑問などない。何にも興味はない。
私は自分の過去でもあるこのコンピューターが、
どう作動するのかぐらいは見守っているが、
それが弾き出す回答に口を出す気はない。あとはこの機械が勝手にやるだろう。
私自身、つい最近のことだが、
これらを書いたのが自分だという思い込みの責任から、
これを書いた責任上、これから出会い、この問題について質問のある人達に対して、
『これらについてのコメントをしなければならない』という観念を、
勝手に思考してみたことがあった。
だが、それはこの文書が『自分によって書かれた』という思い込みに過ぎない。
そう、確かに私が書いたのかもしれない。
だが、これは『私のもの』ではない。私は何も持っていない。
もっているのかもしれないが、それをとっておく気はない。
別にこのメモが雨に流されてもかまわない。
もしかすると、どこかで将来これらが『誰か』に必要になる『かも』しれない、
という一点の予感のようなものが、かろうじてこれらを捨てないで保存している
唯一の動機なのかもしれない。
だが、とてもこれらを「私」が書いた、「私のもの」とは思えない。
私にとっては、『たいしたものじゃない』のだよ。
私以外の誰かにとっては、たいしたものにはなるかもしれないが・・・。
意識体とはそういうものだ。
人類は、思考が全面的に殺されたり、
自分にとってとても大切な考えや観念や記憶が虐待されたり、
死んだりするのにすっかり慣れてしまうことだ。
強要はするつもりはないが、『死に慣れる』というのが万能の鍵だ。
あらゆる苦しさが嫌になったら私のところへ来るといい。
だが、それまでは、思考だけの宇宙で遊んでいるといい。
だが、そんなあなたは決して他の次元や宇宙には出会えない。
自分が誰だかも忘れ去り、自分がただの意識で、
あらゆる考えなどは、別にいつなくなっても平然としていられる
『故郷の家』に落ち着くまでは、
けっしてあなたたちは『いろいろな宇宙人』などには会えない。
もしもそうしたら、そのたびに、
いちいちあなたは「観念死の苦痛」を受けるだろう。
たとえ肉体的でなくても心霊的な実体で宇宙を旅したとしても、
そのたびにあなたの心と思考と常識は生き延びようとして苦痛をともなう。
あなたは、その度にとまどい、怒り、逆らい、戦い、ちっちゃな自分を守り、
宇宙の中でうずくまるだろう。
だが、それが宇宙の残酷さというものなのだ。
だから、体、感情、思考のあらゆる次元で『死に続けるのに慣れた者』だけが、
たぶん生き残るだろうし彼らは宇宙と本当に付き合う術を知っている。
だが、さりとて、私達意識体が生き残るという保証などどこにもない。
我々には保証書は何もいらない。
ただ、我々は自滅だけはたぶん、しないだろう。
もう墓穴にはまることはあるまい。
なぜなら、もう我々はとっくに自分で掘った墓穴に落ちたからだ。
後は後世に落ちる人々のために、その穴を地獄に続くまで掘るくらいだろう。
『何もしないこと』によって・・・。
あなたが、あらゆる遊びに疲れて、命が果てたら、
・・・暗闇のどこかで会えるかもしれない・・・。
■(編集者注/以下は編集の都合上、市販の書籍には掲載されていません)■
最後に小話をば・・・
昔あるとき一人の牧師が旅をした。彼はインドも中国も回った。
でも、どうしても真理が分からなかった。
東洋の神秘なら、自分のキリストの概念に深みを与えると期待していたのだった。
キリストやモーゼだけでは何かがかけている。それが彼の探求の始まりだった。
たぶん、彼はキリストが修行時代に東洋に旅をしたという噂でも聞いていたのだろう。
ということで彼の二番煎じの旅は始まった。そして、こともあろうに、彼は運悪く
日本にたどり着いた。しかもだよ、、
さらに不幸なことに彼が門をたたいた寺にはこう書き記してあった
『禅寺』・・・
牧師が門をたたくと老師がやってきた。開口一番、牧師いわく
『真理を求めて旅をしてます。それを学ばせててただきたく、こうしてまいり・・』
の「ま」で言ったとき、老師は牧師の右ほほを張り飛ばした。
すると牧師は『規定どおり』に左の頬を差し出した。
『とうぜん』老師はその左頬も張り飛ばした。
次は、牧師は、またも右ほほを差し出した。
こんなわけで牧師は10発ほど思いっきり殴られた。
遠巻きに眺めていた弟子たちはただただ笑い出した。
とうとう老師が11発目をやらかそうとした時、うずくまって頭をかかえた。
老師いわく
『正直でよろしい・・また明日おいでなされ』
「とんでもない、誰が行くものか。いきなり殴りやがって」とは思ったものの、
弟子のあざける笑いがなんなのか・・?。
たぶん何か秘密を隠そうとするための門前払いの仕打ちに違いない。
たしか東洋とはそういう「謎めいた所」だと聞いたっけな、と牧師は考えた。
ふんぎりをつけて翌日、牧師は寺に向かった。
昨日の事を思い出した牧師は『正直』に振る舞えばいいのだ、と考え、
今度は老師がやってくると、これ以上殴られたらたまらないので、
うずくまって頭をかかえた。
すると老師は今度は牧師をボカボカと足蹴りにし始めた。
またも弟子たちは大笑いだ。
この牧師の行動は昨日よりもっとウケたのなんなのって。
とうとう怒り極まって牧師はよろよろ立ち上がるなり
『あんた一体何様のつもりだ』とどなって、
思いっきり老師の鼻っ柱を殴り飛ばした。
老師いわく
『ふむ。おかげでここ数日の眠気が覚めよったわい。あんたに感謝じゃ。
どうじゃ、心からのお礼をしたいので、茶でもいかがかね。青い目の神様よ・・』
こうして牧師は老師の弟子になった。
寺に入って見て見れば、弟子たちのほとんどがいろいろな外国から
やってきていたのだった。
そして彼はその晩『茶』を飲み、そして一晩ゆったりと眠った。
翌日の朝。朝っぱらから、またも『東洋の神秘』の始まりだ。
牧師は戸惑った。どうも様子が変だ。
弟子たちは、いるのだが、昨日と着ているものも色も形も違う。
どうも回りの建物も寺の様子も昨日と違う。
あわてて牧師は寺の門まで走った。そして看板を見た。
それにはこう書いてあった。
『シュリ・ラジニーシ・アシュラム』
そして時は朝8:00。
どう見ても昨日の老師とは似ても似つかない、
少々キザなインドのおっさんがスタスタとやってきた。
インドのおっさんは牧師に言った。
『どーした。悪い夢でも見たかね??。青い目の神様・・』
1992 4/4
機種名『EO』・
担当範囲『地獄および虚無』
論理システム構造『TAO/1998型』made in JAPAN
笑うコンクリートたち
質問=出家とはなんでしょうか?。
EO氏の回答=
禅寺、そこは本来修行を積むのではなく、修行を降ろすべき場所だ。
本当の意味では寺に出家した者など一人もいないのだ。
出家とは、『内面的な放棄』のことだ。
だとするならば、あなたはあなたの『精神世間』を出家したらどうなのかな?。
そうなったら、あなたは寺や精神世間の組織などにいられまい。
自然の中では、寺に群がる動物などいないし、寺にばかり咲く花などもない。
そんな事をするのは人間、しかも坊主や瞑想家たちだけだ。
世間の人達の方がむしろ、無欲に近い。全然無欲ではないし、彼らの愚かさは変わらない。
ただし、彼らの中にはただならぬ悟りを開いた者になろうなどという野心がないだけ、
それが救いで彼らはちょっとだけ身軽だ。
ただし、そういう彼らも、酒やギャンブルやセックスや地位だの、
役立たずのただの物知りや、善人づらしたいだのと、実につまらぬ野心で生きている。
つまりあなたはどこへ行こうが、野心的な人々にしか出会わないだろう。
場所、つまり分野が変わっただけで、寺も世間もまったく貪欲の集団だ。
・・・・・・・・・
一級の禅師たちが、たとえば良寛、風外、桃水、一休などが、
常に放浪し、また、さびれた庵や洞窟などに住んでいたのは、
彼らが真に美しいもの、光明がなんであるかを熟知し尽くしていたからだ。
それは世間にはないし、精神世間、つまり寺や僧侶の世界にはない。
そして実は自然でもない。彼らは彼らの中に住んでいるだけだ。
その彼らの中とは、空っぽ、、空、そして無だ。
自然というものは無心だ。
だからそういう環境の方が、こざかしい世間、こざかしい僧侶の群れよりも、
TAOや光明を本当に楽しむ場ではある。
だが、その自然とて、何も山や森や海へ行く必要などない。
都会の中のコンクリートの割れ目に咲く雑草や、
世間がはっきりしない嫌な天気だという曇り空、そして都会の朝のゴミ置き場にすら、
大悟すればあなたは光明を見るだろうから。
********
ある朝、私は勤め先に向かって歩いていた。
月曜日だった。
前日の雨の水溜り、雑草、カラス、電信柱、そしてゴダゴタに捨てられたゴミ、
道路、コンクリート、そして、そこに死んでいるドブネズミ。
その何もかもが、私に『挨拶』をしていたのだ。
それは無言の沈黙の挨拶だ。
別に沈黙したままテレパシーで『おはよう』などと言っているわけではない。
その沈黙そのものが、万物の最高の挨拶なのだ。
自然の中に、いちいち挨拶するような草も生物もいない。
そんな騒々しいのは人間だけだ。自然は挨拶などしない。なぜならば、
その沈黙の中に、絶え間なく、最高の礼節の挨拶がなされ続けているからだ。
私は万物の沈黙の挨拶に耐えられず、目を閉じて歩いたものだ。
ちょっと屈折した言い方をすれば、いちいち、すべてのものが私に挨拶をするので、
私は少々疲れてしまったのだ。だから、あまりちゃんと物を見ないことにした。
会社に着くと、いつものように、私はゆっくりと、小さくうなづくだけで、
小声でしかたなく、「・・・ようございます」とだけ言った。
実は最後の『います』が私の本当の挨拶、メッセージなのだが。
朝っぱら、顔を合わせれば、お互いに『いる』のは分かり切った事だ。
何もいちいち他人の内面の静寂を壊してまでも元気よく愛想を振り撒く必要などなかろう。
こうして通勤するまでに、万物と挨拶を交わして満たされたせいで、
いざ到着して、人間に挨拶などすると、
本当に、、、まったく、、、
色あせて、、まったく、馬鹿みたいだ。・・・沈黙のほうが美しい。
そしてそれがTAOの旅人たちの本当の礼儀だ。
・・・・・・・・・
つまり、あなたたちと人間以外のものは、
たえまなく、いまここに、目覚めて、光明に、なりっぱなしなのだ。
あなたが、寝ぼけているだけなのだ。
虚栄や思考や探求や未来や過去に泥まみれになって見えないだけだ。
だから、あなたの、そのしっくりこない虚無感や退屈や落ち着かない内面のすべては、
実は、あなたと万物の間の意識の次元の誤差が原因でもある。
一度、あなたがくだらない思考を全部捨て、むろんその中には瞑想などという観念も含まれるが、
それらを放下して、ただあなたの意識だけの存在と共に、
ただそうして無能で無害で、最低であることに落ち着いていれば、
あなたの回りのゴミや物質にいたるまで、
全部があなたとともに、存在や死を満喫しているのが解るだろう。
・・・・・・・・
はて、ところ変わり、寺や瞑想センターの事務所、そして酒場、あるいは、
アミューズメントスペース。一体それらのどこに美しさがある??。
一体どこに静寂、沈黙、たえまない光明がある?。どこにもありはしない。
いやいや、実はその事務所の床も天井も壁も光明だらけなのに、
そこをドタバタと動いてしゃべる、人間たちだけが、その存在たちから分離しているのだ。
しかも、あなたの肉体でさえも、それらと一体だ。
結局、あなたの狭い狭いその「オツム」だけが、万物から分離して、
やれ苦悩だの幸福だのと、おしゃべりを続けているのである。
*********
ところで、もしも、あなたが光明に至ると、あるいはそれを目指すとなると、
職種にある程度の選択、制限が加わるという事を知っておくとよい。
一般的な世間に還俗と言っても、野心的な集団というのは、まずい。
いわゆる創造性を絶えず要求されたり、営業成績だのと言われる場所、
あるいはいちいち他人におせっかいをするような人材のいる場所だ。
それにあまり思考ばかりを酷使するのもまずい。またおしゃべりを必要とする職種もまずい。
慣れれば考えずに出来る職人的な職種がいいだろう。
極端な肉体労働もワークと割り切る人はやればよいが、度を越してはまずい。
エコロジーなど人間のたわごとだから、別に原発に勤めようが、製紙業界だろうが、かまわない。
ただ、あまり直に生き物や植物を扱うのはよくない。
これはよくない。花屋もペットショップも肉屋もよくない。ハンバーガーショップなどもってのほか。
しかし、そういうとウエイトレスも出来ないことになってしまうかな。
とにかく、明るい楽しい職場だの、高給だの、
やりがいのあるだののコピーの書いてあるものは論外だ。求人雑誌を見るなら、控え目な広告。
それに、出来ることなら週休2日か隔週土曜休日の、
なるべく6:00で定時で、残業は月に10時間前後。
一体、なんの文章だか解らなくなってきましたね。これでは就職マニュアルですね。
・・・・・・・・
だからこのように、あなたたち僧侶たちが還俗すると言っても、
なかなか道を極めて大悟するための環境は困難だろう。
ただ、あなたそのものが、おしゃべりや野心的でなければ、
自然にあなたはそういう環境の職場を直感的に選択するだろう。
それに、くだらない問題の大半は口が元だ。ほとんど全部そうだ。
全部、いらぬおしゃべりのせいだ。だから、無口でいるといい。しゃべる必要などないのだ。
あなたはあなたの光明に根差した生活をすればいいのであって、
もともと狂った集団の世間などと折り合いを付ける必要はない。
ただし、彼らには無害でいなさい。
勤めるのは、あなたの衣食住の確保のためだけだ。
不必要な人間関係などチョロチョロ作るものじゃない。
ただ、仕事だけやって無口で馬鹿のふりをしてなさい。
そして、ふりではなく、事実、真実馬鹿のままでいなさい。
あなたが他人に無口で無害であるのに、
もしもさらにイビリが入るとしたら何かの因縁だろうから、あきらめなさい。
常に、世間の者たちよりも、さらに最低の者でいようと努めるがいい。
そう「彼ら以下に」なるのだ。
だが、それは犯罪者という意味じゃない。
無為で無学、無口、仕事以外は無能、無趣味のように振る舞い、余計な関係を作り出さないことだ。
あなたはいずれ、そういう彼らよりも最低に『ただ存在』している事が、
あなたにさまざまな、あるがままの洞察をもたらすだろう。
あなたは世界の中にあって、その中心に止まる。
他人の言葉もさまざまな身の周りの事件も、ただただ、通過し、消えて行く。何事も、実は、
『何も起きてなどいない』のだ。
世間は動いて行く。だが、あなたは留まる。そして、あなたは、充分に、
ここが狂った猿の群れだと、いずれ理解するだろう。
だから、あなたの中の知識や過去の瞑想体験や未来の目的と一緒ではなく、
あなたに今、その瞬間に存在してる、ただの「いる」ということ、
ただの無垢な無為な意識、存在性だけと共に在りなさい。
・・・・・・・・・
そしてあなたたちは、実に寺や瞑想者の集団やら、
『大嘘つきの導師』などというものが、
一番始末の悪い騒々しさを、絶えずあなたの内面にもたらすものだと解るだろう。
そこで取り上げられる話の題材、テーマがそもそも全くもってして騒々しいのだ。
なぜTAOや禅や和尚について話すよりも、
あなたが、今、そこで、そうで在ることに重点を置かないのか?
だから、むしろ、普通の世間で、なるべく静かな人達のいる環境へ、移動しなさい。
その中で、あなたも無害でいることだ。
光明、悟りは、そういう中でしか、決して開花しない。
そして、悟った私でさえも、その静かな生活を何よりも尊いと思う。
私にも静寂は必要なのだ。
だから、あなたたちに、それが必要でないわけがない。
その中で、最も素晴らしい静寂をもたらしてくれるものが
完全な、暗闇を、瞑想によって観想し、
また茶碗を頭に乗せて頭頂部に留意することだ。
そうなったら、場所も時間も関係なく、
あなたは「瞑想空間」をどこへでも持ち歩けることになる。
1993 4/28 EO
小さなブッダの誕生日
EO師が開悟したのは、記録によれば1992年の2月17日であった。
その時の、その前後の出来事を師は次のように語っていた。(編集者)
(EO著「小さなブッダの大きなお世話」よりの抜粋)
◆
『あの爆発の日については、昨日の事だったと言えばそうも言えなくもない。
なぜならば、あの日以来、私には時間の経過感覚が全く存在しないからだ。
確かあの日の1日か2日前から、私は自分の記憶が壊れてゆくのを感じていた。
何か2度と取り返しのつかない事が起きていると私は痛烈に実感していた。
数カ月間にも渡って激しさを極めた、私の問いと苦悩が、
まるでそれ自体の力が尽きるかのように、突然に減衰を始めたのを覚えている。
そして宇宙の実体への嫌悪の思考が私の意志に反して急激に失われてゆくのを感じた。
だが、それは完全に私の意に反していたのだ。
というのも私はもう少し考えたかったのだ。
たとえ自殺をする事になっても、私は最後の最後まで自分で考え抜きそれを記録に留めたかった。
だから思考が崩れてゆき、どんどん自分の過去の記憶が消失し始めたときには、
私は大きな焦りさえ感じたものだ。
なぜだか分からないが、もう2度と宇宙の事について哲学すらも出来なくなると私は確信した。
だから私は急いで全てを書き留めた。存在と無について自分が考えたこと、
そして実感した事を、たとえ誰一人として理解しなくても、
そのすべてをまだ私の記憶と思考力が僅かに残っているうちに書き留めようとした。
あれほどに自分が思考に苦められたというのに、とてもおかしな事だが、
いざ本当に思考が全く出来なくなる現象が起き始めた時に、
私はそこに若干の心地の悪ささえ感じたのだ。
というのも突き詰めた思索をする事が私に残っていた「すべて」だったからだ。だが、
その私の「最後のすべて」であった、その思索という行為すらも失われ始めたのだった。
もしもそれ以上そうやって生きていたら、
本当に自分がもう、全くの何者でもなくなってしまうと私は感じた。
それが大悟の「一日前」の事だった。
苦悩の末に完全に自殺を覚悟して、その直後に大悟が起きたというように以前には
「廃墟のブッダたち」のどこかに書いてしまったが、
実際には大悟の前には、「とても奇妙な一日」が存在したのだった。
そこには、もう自殺願望はなかった。
だが、まだ決定的な変容の爆発はその日には起きなかった。
私の苦悩の最後の日と、EOの大悟の最初の日の間には、
奇妙なほど静かな「不思議な一日」が挟まっていたのだった。
そして、不思議な静かな日の夜が過ぎて、その翌朝それは起きた・・・・。
それが起きたのは、たったの1秒の事だった。
いや、そんな時間すらも、そこには存在しなかったのだろう。
それは朝、私が目を開いた直後の事だった。
朝、目が覚めて上半身を半分だけ起こした、
その瞬間に・・・『それ』は起きた。
私は『あ・・・』と小声で言ったのを覚えている。
それは非常に小さな声だった。
それは、決して叫んだのではない。それはまるで「うめき声」のようなものだった。
私がEOとして生まれた、最初の産声は『あ』という、小さな呻き声だった。
そして、何もかものすべてが、その瞬間で終わったのである。
断じて、それは決して始まりではなかった。
それは何かが新しく始まろうとする躍動でもなければサイケデリックな神秘体験でもなかった。
そんなものを、ことごとく一切超越した、完全なる『何か』の終焉だった。
だから、私は、新しい何かが始まったとも、何かが起きたとも思わなかった。
まったく、そうではなく、何かが完璧なまでに終わり、そして私の世界の中に、
何かが起きるということが、それ以後完全に止んだという方が全く正しい。
その日の朝は、とても晴れていた。時間は時計を見なかったので記憶にないが、
たぶん、午前中に起きたのだろう。
EOとして生まれた私が最初に見たのは、天井の近くの白い壁だった。
しかしそれは絶対的に異常な体験だった。
まるで何億光年もの、遥か宇宙の彼方にまで伸びていた私の意識が、
一瞬にして自分の中心に引き戻されたのを感じた。
それは「前にも経験したことがある」というようなものでは全然なかった。
それが実際には何億年もの生命経験の末に起きた事であると私は痛烈に感じた。
しかし同時にそれは、とてつもなく当たり前で、「懐かしい感覚」だった。
しかし懐かしいと言っても、それは幼少時代の感覚だの前世だのと、
そんな次元の懐かしさでは全くなかった。
おそらくは、私が宇宙に最初に誕生した時の感覚を、気の遠くなるような時間と空間の旅の果てに、
たった『今ここで』、やっと思い出したという実感であった。
とても変な、たとえであるが、
ゴム紐を自分の腰につけたまま何億光年も遠くまで探求をしていた自分が、
一瞬でゴム紐に引き戻されて自分の身体の中心軸に音を立てて当たったという感じさえした。
そして「私ではない私」が、自分に向かって、こう言ったのだった。
『・・・お帰りなさい。本当に、長い間・・・・お疲れ様でした』。
さて、その朝に、その事が起きて、それが一種の「異常事態」である事を自覚した原因は、
私の中に思考というものが、全く出てこなかった事だった。
そんな日はそれまでの人生でただの一日、いや、ただの1分すらもなかったからだ。
排尿の為にトイレへゆこうとする思考と、空腹を認識するという思考以外には、
全く雑念のかけらも連想のかけらも私には浮かばなかったのだ。
その当然の結果として、5感を通じて入ってくるすべての感覚には、ただひとつの曇りもなかった。
私の頭の中には、心のおしゃべりなどはどこにもなかったからだ。
そして、EOとして生まれた者が最初に耳にしたのはカラスの鳴き声だった。
すべてはあまりにも当たり前だった。しかしそれは並外れて当たり前だった。
それは、ただの当たり前ではなかった。それは異常なほどの当たり前だった。
全く、いまだかつて経験したことのない当たり前さだった。
だから、それはほとんど至福の中に全存在が溺れていると言ってもよかった。
数日間どんな雑音にも私は、どこからともなくやってくる嬉しさで微笑していたし、
自分の肉体の動きや自分の声がまるで他人のもののように思えた。
実際、その日から、肉体にもう一度慣れるのには何年もの時間がかかった。
大悟の瞬間の朝に『あ・・・』と言った後に、身体をまるでスローモーションのようにゆっくり
起こしたのを覚えている。そして、それ以来約2年ほど、私の動作は極度に遅くなった。
たった一日のその日を境にして私は瞬きも、視線の動きも、動作も歩行も、
何もかもがまるで老人のように、ゆっくりとしてしまった。
その体験が、もしも一時的なものであったら、何かの弾みで以前の状態に戻ったことだろう。
しかし、その至福感と、異常なほどの肉体のくつろいだ「ゆるみ」は、強弱はあるものの、
それ以後も続いた。
さて、生活をする上で最初に起きた不便さは言語障害だった。
前日まで普通にしゃべっていた人間が、その日から、何かを言おうとしても、
途中で思考が絶対の静寂の中に吸い込まれてしまったのだ。
何かを話そうとしても途中で思考も唇も止まってしまうのだった。
そして、その停止した、ただの覚醒状態の静寂と、完璧な無が私の新しい住み家となった。
歩くときには、まるで漂うように歩いていた。
時には、風が吹くと、本当に風に流されて歩いたことさえあった。
意識の焦点は常に頭上付近に浮いてしまったようになっていた。
全く、何も必要とせず、私は完全な満足に満たされていた。いかなる不安もなかった。
かといって、それは決して自信や力ではなかった。何もかもがOKだった。
しかし、それは肯定ではなかった。
肯定でも否定もなかった。
また具体的に何がOKというのではなかった。
そこには、ただ、完全な充足と静寂だけがあった。
正確な表現をするならば、私は悟ったというよりも、
『やれやれ、とうとう本当に狂ったようだ』と本気で思ったものだ。
ただし、それはとてつもなく静かな狂気だった。
その日、以来、実は私は、ただの狂人になったのだと言われても全くそうなのかもしれない。・・・・・・・・・』
屋根裏部屋の独り言
人間は、死ぬのが怖いのか、それとも生きるのが怖いのか。
答え=
両方とも怖い場合もあり、両方とも怖くない場合がある。
なぜ、答えが2つあるのか。
その理由=生への振れも、死への振れも、
その平均的な(許容できる)振幅の限度があるからだ。
その平均的振幅内では、死も生も実は我々には苦にならない。
普通の人も夜になると寝る。
眠ることは明日の朝には何事もなく起きるだろうという予測があるにしても、
とりあえずは、そこでいったん小さな死と似た事がおきるにもかかわらず、
人は別にそれを恐れない。
生もまた、普通の状態の生は恐れない。
だが、普通以上の生を人は怖がる。
たとえば、怪我による苦痛とは、実際には、十全な生の体験ではあるまいか。
というのも、普通より、あなたの全細胞が大騒ぎになっているのだから。
しかし人はそれに恐怖を持つ。
だから、あなたの許容範囲内だと、生も死も、苦にはならない。
いっぽう、それが、許容範囲を逸脱すると、両方とも巨大な苦になる。
たとえば、そこでは、何も死だけが恐怖なのではなくなる。
私は、果たして、見性の直前に、正直言って、
死にたかったのか・・それとも生きたかったのか・・・。
私は、死が怖かったのか??、
それとも生が怖かったのか??
実は、まったく、それは『両方』だった。
というのも、そこで、私にやってきていた2つの選択肢は、
『永久の生命』か、さもなくば『永久の死か』の選択であり、
しかも、私は、実は、その生死の『両方を拒否』していた。
永久に死ねない輪廻を思うだけで、それだけで苦しかったが、
さて、では、死が目前にくると、死ぬのは、とても怖かった。
なぜならば、何かそこでの死は、
「本当に取り返しのつかない、魂の最後の死」に思えたからだ。
これは、今思えば、とても、おかしな矛盾だ。
永久に死ねないと言われても、それで私は苦しみ、
永久に死がくる、と言われて、それでも私は苦しんでいる。
誰かが見ていたら、
『お前、一体どっちなのか、はっきりしろ』と言ったことだろう。
しかし、私のそれは「通常の肉体の生死」の範疇のものではなかったのだ。
闇は完全なまでに闇で、その中に一歩入ったら、絶対に戻れないと思った。
しかし、私は、それを一方では、望んでいたはずなのだ。
消えるのを一方で望んでいるのに、一方では消えたくない。
この自己矛盾は、今にして思えば、
消えたくなかったのは、『私』であり、
消えたかったのも、『私』である。
ここまで、完全なまでの自己矛盾の中にいたために、
私は、自分が、完全に狂っていると思った。
「永久に生まれる事なく死にたい」と言っている自分が確実にいて、
「死ぬのを恐れている自分」も、確実にいた。
まったく、相いれないはずの、まっぷたつの2つの望みの間で自分が引き裂かれたと言える。
著作のどこかに書いたが、『生死の両方の拒否という自己矛盾に陥って、
どっちつかずの幽閉状態が長期化すること』
これが狂気の最たるものであり、苦の最たるものだった。
そして、そこで問題になっているのは、あの有名な、
「死ぬべきか生きるべきか」だけだった。
死ぬ理由も、生きる理由も、明確にならなかったというのではなく、
死ぬ理由は、はっきりしていた。私は宇宙が大嫌いであるからだ。
生きる理由もはっきりしていた。それが宇宙では正しい行為だからだ。
だから、確かにあれは、実に変な『自己矛盾』だった。
死を切望しているが、輪廻がそれを許さない。
だが、もしも輪廻が確実ならば、私は、闇や死などを恐れる必要はなかったはずだ。
なぜならば、魂は死ぬことはなく、またすぐ生まれるのだから。
しかし、その次の生を、私はこよなく嫌悪したのだ。
今にして思えば、何かの宇宙から最後の脅迫をされているような、というか、
最後のトリックの関門というか、最後の『決断の必要』がそこにあったような気がする。
どこから、どうみても、永久の死に思える扉がそこにあった。
そこへ入れば、魂も死ねるとは分かっていた。
しかし何かの、躊躇があったのだ。
もしも、それが輪廻からの脱出口なら、私は何を迷うのだろう???。
ところが、私は迷ったのである。
それほどまでに、絶対無の闇は恐怖そのものだった。
こんなふうにして、どっちにも動けなくなっていたのが、あの時の私だった。
生きるのは、むろん嫌だったが、死ぬのにも、確実に躊躇があった。
どうでもいいなら、闇に入ろうが、狂ってもよかったはずなのだが、
何かが、まだ「それではよくなかった」というのが私の中にあったのだろう。
ある時、私は著作で、それを
「決着がつかない事への自我の敗北感のようなもの」だったと言ったが、
それも何か、やや違うような気がする。
実際には、その苦は『凍結の苦』という言い方が最も正しいだろう。
普通、我々の世界は、生きているか、死んでいるかは、
どちらかはっきりしており、あるいは、その入れ替わりや混合物で認識されているものだ。
ところが、私がいた意識の世界は、「完全な凍結」だった。
ただ、宇宙がそこにあるにはあるが、何ひとつも動きがなかった。
進展もなかった。ただ、在るだけだ。しかも、消えることもできない。
私は「窒息」しそうだった。
しかも、まるで永久に終わりのない窒息のようだった。
それこそが、私のあの時の「苦」だった。
さて、そうすると、これは要するに、
『自分は死ぬものだ』という思考への自己同一化と、
『自分は生きるものだ』という思考への自己同一化の、
なんと「その両方」が、いっぺんに「同時にふたつとも圧迫され窒息状態」にされていたと言える。
だから、思考と自己の同一化が外れるのが大悟、
あるいは苦の消滅の道だ、などといってみても、その同一化している思考そのものに、
あなたの自分の「全部が、そこにかかっている」必要がある。
それがなくなったら、もう終わりだというものがかかっている必要がある。
部分的な、自己同一化だったら、
別の同一化の部品があなたの中で生き延びるからだ。
「死のうか、それとも、家畜として、だらだら、生きようか」、・・・
「死にたい、いや、死にたくない、」・・・
あの最後の日は、この2つ以外に、考えることは私にはなかった。
宇宙がどうのこうのの思考は、最後の数日には、もうそこにはなかった。
毎日、『死か生か、このまま凍結か・・』それだけの思考しかなかった。
その長期の悶えの中で、
その思考の全てが、突然にして沈黙に陥り、消える瞬間が来たのだった。
だから、消えたその後には、
なにひとつも、残ってなどいなかった。
では、こんな極端なことをしないで、同一化や苦は消えないのだろうか。
もっと「ゆるやかな道」はないのだろうか?。
残念ながら、思考とであれ、感覚とであれ、
私のように、生死の混乱の思考との同一化であれ、
とにかく、その自己同一化が完全な同一化である必要がありそうだ。
つまり、大悟には『心中する相手』が必要なのだ。
全思考、観念が、そこに結集するような『核』が必要になる。
『ゴミはまとめて捨てろ』、と私はよく言ってきた
その、苦を一点に凝縮する、何かが必要なのである。
和尚にとって、それは彼の『探求心』だったのだろう。
私にとっては、絶対の哲学基準、そして最後は生死の中間での凍結の苦であった。
そして禅師たちは、公案の中に、何カ月も自己同一化したことだろう。
そんなふうに、エゴであれ、自己であれ、「共倒れ」になるための、
ひとつの『枠』が必要であると私は感じる。
それなしに、見性した者を私は知らないからだ。
それが、結局最後には、巨大化する苦になるのは当然であり、
その自滅的な苦から自分を救い出すために、最後の最後の手段として、
何かをぶった切るという、裏技が残っているのだろう。
ただし、それは『最後の手段』であることは間違いない。
そして、苦の自覚や圧迫なくして、
それを、完璧に、メカニックにやる方法があるのかどうか・・・
それは、私にとっても、ひとつの実験課題なのである。
だから、ここで、その問題への断定は、あえて、避けておきたい。
ただ、私が通ったのは、全面的同一化と、その苦の許容範囲が、
限界にきて『何かが失われた』という道だったということである。
そこでは、何かを「得た」、というのではなく、
「何か」が、『失われた』のである。
それが、何であるかは断定できない。
ただし、それが思考そのものではないのは、確かである。
肉体の感覚はあるので、
「外界と仕切られている、隔てられている自己意識」も私にはある。
ただ、、、
それはもう、私には苦ではなくなった、ということなのである。
6/20 10:30 EO
屋根裏部屋の独り言/その2
■最も純粋な苦■
かつて、こんな事を本で言った。原文とはかなり異なるが、こうである。
『もしもこの全世界に、あなたが、ただ独りだけいて、
他者は誰もいなくて、衣食住もあり、まったく問題が何ひとつない状態。・・・
それでも、なお、そこにある苦を見極めてみれば、苦の実体は明らかになる』
これが、本当の精神探求の『入り口』である。
「悟るだの、悟りたい」とか言う理想などは、
すべて外部からの教育にすぎない。
そういうものは、外部からの『宣伝』につられて発生した苦であって、
私はそれを『発心』とは呼ばない。
もしも苦の対象にかかわらず、なんでもかんでも欲望が拡大すればいいのであれば、
対象は、地球征服だろうが、愛人獲得だろうが、関係なくなってしまうからだ。
悟りなどというものへの渇望は、実は本当の覚者の多くの修行の根底にはなかったのだ。
そうではなく、それ以前の問題として、悟らねばならない別の理由があるのである。
悟りは、彼らの手段にすぎない。
そして、その理由には質の違いというものが存在する。
そしてその苦は実は『具体性がない』ほど、私に言わせれば『純度が極めて高い』。
したがって一般に苦と言われるもの(病・貧・老・争など)を極度に減らしていって、
なおも、その根底に残ってしまう苦にまず直面するのが、本来の瞑想の『始まり』である。
形而上学的な疑問は実は初期的な苦ではないことが、『 反逆の宇宙 』の説法では明確に語られている。
だから、もしも本当の苦を見極めたいのなら禅で言う只管打坐に限る。
実は、それは最初のうちは見性の手段なのではなく「苦の手段」なのである。
ただし、これは一般的には環境的に不可能である。
その理由はこれをやる為には、徹底した本格的な接心が必要になる。
毎日畳半畳の上で座り、食事の世話は誰かにやってもらい、ひたすらに座り続ける事だ。
それ以外に何もやらず、そこで、沸き上がってくる、思考、怠惰、無力感、
存在感覚、錯覚、妄想、沈黙・・・そういうあらゆるものに直面し続けなければならない。
「生存には何も問題がないはずなのに何が問題なのか」と、
自分の精神構造にメスをいれるのである。
死人禅の物理的な闇の瞑想などは、実は、それを短期的に加速するためにある。
人から、「苦を、引きに引いて」さらに残っている苦から始めたのが、釈迦である。
禅もまた、座って悟るのではなく、その最初のプロセスは、
「座ることが引き起こす狂気」から本当の座禅が始まる。
(※もっともこれは寺ですらも普通は経験できないだろう。
一番いいのは、真っ暗な監獄への無期限の投獄であるが)
悟りというものは、知と欲望を減らし続けたところにある。
ところが苦もまた、苦を減らし続けたところで、初めて苦が、
その「本体の核」を現すのである。
私が言う苦諦とは、実は、そのことであり、
そうでなければ、宇宙論が登場する必要もなく何も原始仏教が登場する必要もなく、
ただの『偽善的』な「世直し仏教」で終わってしまうのである。
EOイズムの背景とは、どこまでも厳密な意識実験の結果なのである。
こうした話をすれば、EOが言う「苦の発生」がどこにあるかということと、
それが、少々人間的な世界の中だけの出来事ではない事が理解されるばずである。
『真っ暗な、見るものも何ひとつもない監獄に、ほぼ永久に幽閉された世界』
それこそが、EOイズムの苦の原点だった。
私には、なぜか、その世界の記憶が小さい時からある。
そこは、いわゆる「無間地獄」の一種かもしれない。
そこに比べたら、この地球の世界など天国もいいところである。
少なくとも、これだけ変化のある「世界が在るだけ」でもマシなものだ。
しかし無限無または、単に世界を点として凝視し続けているだけの世界の苦といったら、
いっそ、いいかげんに殺して欲しいと願わざるを得ないのだ。
そこでの唯一の解放の願いは死になる。
その苦の記憶が私のどこかに刻印されていたために、何をどうやろうが、
私の意識の焦点は、常にその原点に戻ってしまっていた。
私には、常に意識が戻ってゆく地獄のようなところがあった。
そこへ決着をつけなければならなかったのが、私の20代〜33歳までの、
探求の根底のすべてだった。
だから、どだい、私が言う苦は、人々が知っている苦に関連づけるのは、
困難か不可能なのだろう。
その苦に最も酷似するのが、荒涼とした世界で生殺しのままで、
いつ終わるともない『ただ在る』という状態に幽閉されっぱなしになる事に、
似ている環境ということになる。それは、地上では、たったひとつ、
『光のない独房に投獄』される事以外に、私は思いつかない。
聞いた話によれば、アメリカの地下室で、心理学の実験としてこの隔離実験がなされた女性は、
数週間で完全に狂い、その後治療を受けたが地上に戻って数カ月後には自殺した。
当時は、確か、捕虜の洗脳技術としてアメリカ軍が人体実験で行ったものだと聞いた覚えがある。
だからこそ私は著作の中で言ったのである。
ある者が、悟ってるか、いないかの唯一の、判定方法は、
その者が、何を説法で言うかでもなく、何を他人や世界にするかでもなく、
どんなオーラを出しているかでもない。たった一つの確実な判定方法は、
『無際限の完全な隔離室で、死ぬまで狂わないかどうかだけだ』、と。
完全な意識体なら、狂わない事になる。
しかしもしも、あなたが思考体だったらば、あなたは、たったの数週間で、
自分の頭が自分で作り出した幻覚の中で狂ってしまう。
7/9 EO
幽閉空間への同調方法
見性当時、私は、もしも悟りたいなどという馬鹿な者がいたら、
「あの空間」にほうり込んでやりたいものだとずっと思っていた。
だが、その「疑似的な方法」は『完全な隔離』という、
たったひとつの方法しかなく、それは物理的に不可能であった。
人間を完全な「無音の暗黒」にほうり込めば、
人の思考は、通常は一週間で幻覚を生み出す。
そこに、ありもしないものを投影しはじめる。
全く何の幻覚薬も使わずに、そこは幻覚の嵐になる。
何もないのに、そこは完全に「現実的な幻覚世界」になる。
すべて、それはあなたの思考が作り出すものだ。
何も刺激がない場所では、思考は、絶対に黙っていられない。
無意識も意識も、「嘔吐」するように、そこでは、すべてばらまかれる。
そこでは、沈黙や静寂が美しいなどと、誰も言えるものではない。
あんなものに耐えて生きて行ける者などは人間にはいない。
さて、この宇宙での恐怖には3つの種類がある。
@生きたいと思う者の、生命を中断することで作られる死の恐怖。
A死にたいと思う者を死なせないで、生きさせることで作られる生の恐怖。
B生きるのもよく、死ぬのも別によいし、
生きたいとも死にたいとも言わないような者には3つ目の恐怖が待っている。
それが『幽閉』である。
幽閉という状態は、死ぬことがまず許されないのである。
しかも、活動して生きることも許されない。
つまり、とても、生きているとは言えないような状態で、「ただ存在だけ」させられる。
『ただある』などというものを意識の理想として思うのは幼稚な精神の産物であり、
そんな事は、「見る対象や変化のあるこの世界」だから、
「ただ在る」ことが、何かの至福をもたらすにすぎない。
だが、もしも、何ひとつもないところで、ただ在るとしたら、
それは、その存在者には苦痛以外の何ものでもないのだ。
ところが、「この既知宇宙」は、そうやって始まったのだ。
少なくとも、『現在のこの宇宙』は。
最初の宇宙のことは、記録がないのでわからない。
ただ、それがある「管理の失敗の結果」だったとしか私は聞いていない。
全宇宙の現在のこの全活動は、その大失敗の後始末の作業にすぎないとも、
どこかで聞いたことがあった。
しかし、「今のこの宇宙」に関しては、発生の記録がある。
それは、「前の世代の宇宙」がいったん滅びて、
彼らの間で『卵』と呼ばれている一点に凝縮していた宇宙が、
無の凝視に耐えられなくなって『殻を割ってしまった』ということだった。
つまり、世界が割れてしまったのだった。
そして、一瞬で、陰陽の2極の連鎖反応が生まれて、
まず、第6次元で、世界の鋳型が作られてしまった。
あとは、それが、凝固するにしたがって、次元が下がるだけである。
そして宇宙は、これを幾度となく、今までも飽きもせずに繰り返している。
だが、どうして、そうなってしまうかの縮図が人間、または知性体の中にある。
もしも、人間が真っ暗な空間に放置されたら、記憶がなければいいが、
記憶があるかぎりは、そこでは、必ず「投影」が開始される。
人がもしも、暗黒の無音部屋に、入れられたならば、必ず起きることがある。
もしも、何もすることがなければ、やることはひとつしかない。
それが『思考』だ。
そして、思考は、やがてそれを比較して「調停する現実の場」がなければ、
思考が、すなわち現実になってゆく。
覚める現実の場がなければ、夢が、そのまま現実になるからである。
そして、創造者としての宇宙意識の最大の苦がここにある。
その苦から、宇宙が失態を演じてしまった。
(失態とは『宇宙創造』のことである)それは、存在意識が、
「無への凝視」に耐えられなかったのだ。
つまり、ただ純粋に存在していることが出来なかったのだ。
もしも世界の最初にあなたがいたら、
「私は何も作らないだろう」などというのは、口先だけの事であり、
それこそ、本当に大悟でもしていなければ、思考は必ず世界を作ってしまう。
なぜならば、その『始まり』では、あなたは決してボケーっとしているのではなく、
今よりも、何百倍もの、100パーセントの覚醒した意識で
ただただ闇を凝視し続けているからだ。
この件に関しては、おもしろい記録がたったひとつ地球にある。
ジョン・C・リリーが意識旅行で出会った異次元の知性体は彼にこう言った。
『我々は、あまりにも長い無に飽き飽きしたのだ。だから、世界を作った』
つまり、この宇宙の性ゆえに、宇宙は、創造と破壊の輪廻を繰り返すのだ。
そして、この循環から出たい者は無の中で幻覚を作り出さない者に限られる。
しかし、それが出来る者はほとんど皆無である。
「生死などには、こだわらない」などという程度の禅の境地では、
その生死すらも停止した幽閉空間には、勝ち目はないのだ。
そして、あれほどの苦痛というものは、宇宙では、あそこしかない。
著作でも言ったが、あれほどの苦は、この宇宙のどこにも存在しない。
死も生も、どちらも、あれほど苦しくはない。
「ただ存在だけさせられる苦」に比較が出来る苦はどこにもない。
だから、この生死のどちらでもない「幽閉苦」が世界を作り出したのである。
生死などは、どっちにしても、それは存在世界の2極の問題である。
しかし、自分たった一人が生きていて、あとは果てのない無の死の世界という中で、
正気で存在できる者などいない。
だから、生死など、どうとも思っていないという者ですら、
その幽閉空間にぶち込むと、一瞬で悲鳴をあげて助けを求めるのである。
だから、これは宇宙最大の『拷問』としても知られている。
そして、幽閉というものは、解脱したいだの、消滅したい、死にたいなどという者にとっても
最大の恐怖となる。なぜならば、そこでは「永久に死ねない」からだ。
また、そこは生きたいという者にとっても恐怖である。
なぜならば、単に生があるだけで、
「生きて動ける現実世界」そのものがないからだ。
実は、解脱志願者のほとんどは、ここにほうり込まれて、
しかも、消えられずに、長期的に待機させられる。
だから、ほとんどの者は、しかたなく、「諦めて」、いやいやながらも、
この存在世界へ妥協して戻るのである。
また、絶対に存在の世界へはもう戻りたくないという者は、
「ならば、ここにずーっと留まれ」と言われ、
しかも、消えられないままになる、という苦を延々と味わうことになる。
これほど、陰湿で残酷な脅迫と拷問もないものだ。
そこでは、殺してくれさえもしないのだ。
そして、私がいたのは、まさにその次元だった。
そして、実に長い前世の中でも、何度もその領域にはかかわってきた。
今度が初めてではなかった。
だから、どこの星やどこの次元に生まれても、かならず、
「最後にはあそこに行ってしまうのだ」ということが私の記憶にあった。
だから私は、哲学などという論理を発展させた苦によって苦悩したのではなかった。
その宇宙論の構築を、どうしても、自分にしなければならなかった背景には、
常に、あの無限と永遠の幽閉空間の苦痛の記憶があったのである。
かなり幼いときから私は、がらんと「無限に何もない闇の中」に放置されているという
意識状態を寝入り鼻に、たびたび体験していた。
それは、実際に、気が遠くなるような「距離感」のある空間だった。
単に、決して平面的な無なのではなく、そこには「無限の奥行き」があったのだ。
しかもそこは静寂すぎて逆に静寂などと呼べるしろものではなかった。
それは、根本的に、我々の生命の根底の何かを脅迫する脅威に満ちていた。
それは、成人してかなり大きくなってからも、回数は減ったが、
たまに、意識の中や、あるいは視覚的にやってくる事があった。
井戸や闇に落ちる夢とか言うなら、
まだしも「動き」があるからいいようなものだが、
そこには、動きすらもなかった。
とてつもない孤立感と、不毛感ばかりだ。
だから、あれさえ体験できれば、どんな馬鹿でも、どんな知能のない者でも、
全く哲学もせず、次元旅行もせずに最大級の苦に遭遇できるだろう。
そうすれば自分の意識をどうにかせざるを得ないのである。
もしも、それをやる方法があるとしたら、
@毎日、少なくとも、1時間を完全な闇の中ですごし、
Aしかも闇から出ても闇の瞑想をするのだが、その場合に、
外側の闇のイメージだけにしなけばならない。
内側の闇をやってしまうと、恐怖にならない。
自分独りだけを世界に残し、残る世界を闇にするのである。
そこに、あなただけは、残っていなければならない。
そして、何も起きない、何も生まれない、何もない、
その世界と向き合ったままで存在しているというシミュレーションを続けるのである。
そうすれば2〜3ケ月の時間はかかっても、必ずあの幽閉空間に同調できる。
ただし、この間は、決して他の瞑想はしてはならない。
物理的な闇に入ることと、外の闇だけの闇の瞑想を続けるのである。
これらのことは、実は『 廃墟のブッダたち 』の341Pにあっさりと、
たったの1ページで書いてあったのだが、読めばわかるように、
私はわざと、濃度を薄めた。たったの1Pに、重要なすべての事を書いたのだが、
私は、わざと「あっさり素早く説明して」、要点をぼかしたのである。
たとえば、あの本では「外部だけを闇にすれば、狂う」と書いたが、
本当は、その狂うことこそが必要なのである。
それが自分をどうにかせねばならないという「必要性」の発端を生み出すからである。
そして、苦諦の本当の根本原因は、
無限の静止状態に、我々や生命が抵抗することにのみ起因していることも、
実にあっさり言われている。
生存欲も、どんな欲望も動きも、神経的な苦も、自我の葛藤も、退屈感も、
そんなものは、すべて、二次的な苦の産物にすぎない。
生命としての第一次的な苦は、
「絶対の静止」に我々が「無意識レベル」では、
実は、いま、この瞬間にも、毎瞬間、常に直面してしまっていることなのである。
常に無意識的に、我々はそれに直面しているからこそ、
そこから逃げようと生命は活動し続けているのである。
絶対の無の空間とは、宇宙の、はるか遠くにあるわけではない。
それは『あなたの中』にある。
だからこそ、あなたは今、そこで、動いているのであるからだ。
そして、この苦は、あくまでも、
存在物の「設計上の『構造的な苦』」であるが、
そんな事を、しっかりと把握しているセラピストや寺や修行体系や導師など、
この地球上には、どこにも存在していないと私は感じている。
7/10 EO
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