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[277]
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★分割自我復元★その277■ 「選別の区切り」
by:
鈴木崩残
2013/10/29(Tue)05:19:43
自我復元をやめた方がいい人
■仰々しいタイトルで、不安になったり自分のことかと思った人もいるでしょうが、
自分のことかどうかは、ご自分で判断してください。
これよりもさらに詳しい中身を本文中に追記して書くかどうかは、未定です。
「自分の問題」に関心のない者
・生活安定の為には、自我復元をやっておかないと、
結局は、いろいろと不利になるようだから、
自我復元が、将来の生活不安の解消法になるかもしれないと思っている者。
・自分の何かの願望や能力を実現する方法になる、と思っている者。
「極端に」言うと、この人たちは、
「自分はパチンコで負けが多い。自我復元をすればパチンコに勝てるのか」
という程度が本音の動機である。
これは極端なたとえ、ではあるが、ある意味で的確だ。
というのも、この人たちの目的は、自我復元ではなくて、
「その先に待っているであろう、安定するであろう」、
と邪推しているものに、この人のすべての関心があるからである。
「自分の問題とは何か」を知ろうとしない者
・「自分の問題」に関心がありますか?と問えば、誰だって、口先では、
「はい、自分の問題に、あります」と言うものである。
しかし、そもそも「自分の問題とは何であるのか?」と聞くと、
多くの人は、経済面の生活不安、
かかわりたくない人たちとの生活による心理苦、
その他、いろいろな具体的なものを、あれやこれや出してきて「自分の問題」と言うが、
「自分にとって問題になっているのは、そもそも根本では何であるのか?」
これを自問する気のない者がいる。
前例のたとえでは「パチンコが出るにはどうしたらいいか?」にしか関心がなく、
「どうしてパチンコなどという、くだらないことを自分がしているのか」を
問う事をしようとしない者。
・また、それを「問いかけています」という場合も、
「私は、根本的に、自分の中にある問題を解決しないと、
この先、何をやってもダメだろう、と思いますので、
自我復元はやりとげたいです」
と言ってくることが多い。
どうも、この手の人は、
あくまでも、「ダメになりたくない」らしい。
そして、自分のダメさが分かれば、
その先に不安のない世界が待っていると勝手に思い込んでいる。
しかも「桜の間や、復元ブログを見るとそのようだから」という程度で、
まるで自己危機感がない。
残念ながら、自我復元におけるトラウマ掘りとは、
まず、どこが、どれだけダメだったのか、に直面することから始まり、
ダメだと分かったふりをしても通用せず、・・・・以下省略・
省略したのは、いちいち、どういうものがダメかを羅列して記述すると、
そう見えないように、偽装したり、言い訳を始める人がいるからである。
また、復元ブログの人の言葉や、桜の間の言葉を、さも自分の言葉であるかのように、
無意識に、流用してしまう人がいるからである。
トラウマを「掘りたくない者」
・トラウマが掘れない場合、ほとんどの原因は、
「本人が掘りたがらないことのみ」である。
この場合、「掘れない」とは、過去の出来事を思い出せないのは重症として、
過去の事象を、あれこれと、思い出すことはできたものの、
ただ思い出しただけで、そこにあるものを全く何も「理解」できない者。
自分への危機感や問題意識を持った目で見れば、記憶が出てきたその段階で、
すぐさま理解ができるものであるが、それが出来ないのは、
自分の問題について理解したいとは、そもそも思っていないのである。
逆に、自問したり、自分の問題を見ようとする行為が、
「それまでのACトラウマ人格がしたがっている事」を邪魔すると
内心恐れている者。
トラウマ人格がしがみついているものが、
自我復元の妨げとなるほどに大きな人は、復元が出来ません。
しかし、相当に、自分のトラウマ人格の言動に悩まされている人でも、
自我復元が、なんとかそれを振り切っている場合もあります。
・最後になって、「わからないで、苦しいです」と言い出す者。
そもそも、自分のことを、分かろうとしていないことがほとんどであるので、
分からないのは当たり前。
人は、本気で望んだことしか、自分に起きないであるからだ。
そして、どうも、この人たちは、
「自分のことを知ろう」とすることよりも、
「もっと重要」で「気にかかっていること」があるようだ。
「しかし、自我復元をしないと、その問題が解決できそうにないから」
と「漠然と思っている」だけの者。
しかし前述したように、
あくまでも「パチンコで元を取り戻したい」「生活安定したい」に、
「関心」と「心配の大半」があるのであれば、
そういう人が、
あらゆる物事の「そもそもの原因である自分」を掘ることは不可能である。
つまりこのタイプの人は、「自分がおかしい」とは思っていない。
「自分がおかしい」と思っているフリをしないと、
自我判定や、トラウマAC分析をしてもらえないので、そうしているとか、
もしくは、
「なんとなく自分がおかしいと思う」という程度で、常に、ぼんやりしたままである。
すなわち、自分がおかしいと、断定ができず、断定する気もないので、
「パチンコのやり方のどこかが悪いのだろう」と考え出す始末である。
この人たちは、その酔いがブチ覚めて、顔が真っ青になるほどの、
自分が狂っていると自覚できる「事件」「事故」でも起きないかぎりは、
無駄であろうから、このタイプの人は、自我復元は、やめたほうがいい。
「自我復元をしないと、結局何をやっても駄目だろうから」、
だから、
「やらねば!」という、
いわば、間違った意味での「自我復元教」をきっぱりとやめて、
他へ行ってください。
パチンコをやっている自分の馬鹿さも理解しようとせず、
とりあえず、パチンコを続けたい、
しかしそれに勝つには、自我復元をしないとダメらしいと、
二つに指向性が分裂しているのですから。
自我復元というものは、そもそもどうしてパチンコなどに
うつつを抜かしているのかを自分の目と頭で分析するわけですから、
それは、パチンコを続けたいという方向とは対立するに決まっています。
その対立のハザマで、
1/「とりあえず、パチンコを続けたい私」と、
2/「パチンコで、いつか勝ってやりたい私」と、
3/「どうしてパチンコをしているのかを分析したい私」がいて、
4/「自己分析したいという事自体が、
そもそもACトラウマ人格かもしれないと迷っている私」がいます、それで、、、、
5「結局、どうしたらいいのか、わからないで、苦しいです」、
とか言い出す人がいたら、
5になってしまう事など、当たり前で、説明する意味すらもありません。
2になりたいならば、1をしていればいいのです。
4を言い出す人間のほとんどが、本音では、パチンコを続けたいので、
自分など掘りたくないのです。
注*
ここでいう「パチンコ」とは、
その人が問題の本質から逃げ回っていられるためならば、
何でも利用するものの「総称」であり、
「お金の心配」「自己顕示欲」「恋愛問題」「就職選択の問題」
「対人関係の苦痛」「仕事の問題」「育児問題」、その他もろもろです。
この他に、「宗教集会に行く」「何かの研究サークルに入りびたる」
特に有害なものでは「マントラやお経を唱える」などです。
各種の瞑想や座禅も、すべて問題の本質からの目を避ける行為になりやすいのですが、
とりわけ声を出す、しかも何分も繰り返し同じことを言うということは、
とかく現実逃避や、依存症や、自己暗示になりやすく、
結果として、マントラを使う瞑想をしてきた人のほぼ全員が、
私から見ると、「無自覚人間」の巣窟のような状態でした。
つまり、
それにひっかき回されて、
「いつも心配を抱えていたほうが、問題の本質を見なくて済む」
「だから、それを続けていたほうが麻痺していられてマシだ」、
という意味で、これは、ごくごく一般的な、
「各種の中毒、依存症」の原理と全く同じです。
この治療法のガイドラインは、
別に自我復元のトラウマ掘りでなくとも、
既に、医療の世界で、おおざっぱには、確立されています。
治療法は、「依存対象」から完全に引き離して、禁断症状を引き出すことです。
そうしないと、自分がそれに依存していたという事実にすら気づけないからです。
その他、当庵的には異例(論外)の者
・自分の価値を他人に認めて欲しかった者が、他では相手にされず、
ここならゲームの仲間に入れそうだと勘違いした者・・・論外
・知りたいだけの情報マニア・・・・・・・・・・・・・・さらに論外
・自我復元に支障をきたすほどの重度の病気や、
精神科にお世話になっている者・・・・・・・・・・・・うちの管轄の仕事ではありません。
「補足」
たとえば、
>>「自宅にいてニート(あるいはバイト)をやりながら、
>>自我復元をした方がいいのでしょうか」
>>「それとも、手に職をつけながら自我復元をした方がいいのでしょうか」
と言う者がいたとしたら、
そんなもの、「どっちも両方ともダメ」に決まっています。
その人は、「どっちの環境の方が効率的ですか?」と尋ねることが、
とてつもない「愚問であること」にすら気づいていないのだから。
自我復元にとって、有利な環境など存在し得ません。
やる環境が有利か不利かではないからです。
どっちの行動を選んだらいいのかが問題なのではなく、
自らの「行動原理の中にあるトラップ」を本気で知り、
それを変えたい、消し去りたいと思うのならば、
どっちの環境にいても「違い」などありません。
ダメな場合にも違いはなく、どっちにいてもダメであり、
自我復元がダメでない場合も、どっちの環境にいても、違いなどないのです。
復元ブログの方たちへ
・おめめさん、
・ちきさん、
・シキさん、
・どんがめさん
・湖月さん
この人たちへの提言は、ひとつのみです。
トラウマ掘りというのは、被害報告だけではありません。
またAC問題も、ただ事実や記憶を掘り出しただけでは不十分です。
まず、親から何をされたか(無視・放棄も「されたこととして」含めて)、
ここまでは、なんとか思い出せているか、今後思い出せるはずです。
さらに、その親から来る嫌なことを、
あなたがどうやって回避しようとして、
そのために、どういう手段で回避したか、ここをきちんと掘ってください。
トラウマとは、受けた傷、痛み、苦しさそのものですが、
AC人格とは、それを回避するため、
それに対抗するために出来てしまった人格です。
これは、皆さんの中で、たった今「加害者」の立場にいるのです。
「自分」と「他人」の両方に対して、同時に、
そのAC人格は、
たった今も、そこで、「加害者」をしているのです。
主に、それは家庭内や、仕事場でです。
その重大性が分からずに、
トラウマACが掘れたなどと思わないでください。
今まさに、昨日も、今日もやってしまっている、
「AC人格の言動パターン」を自覚しつくすこと、
これをしないから、自我率や変化が止まるのです。
________
戦車さんへ
貴女の復元ブログは、すべてのコンテンツごと、消していいです。
無価値です。
もしも、今後、トラウマAC問題を「本当に掘れる時」がきたら、
そのときにこそ、新しく、すっきりとした心の状態でスタートさせてください。
そのほうが、ずっと見る人の為になります。
今のもので終わるのであれば、無理をしてネタを寄せ集めただけの、
ハッタリ復元ブログですので、無意味です。
突破口が見えて、激変するのであれば、どうにかこうにか
現在の内容と、無理をして繋がりますが、
おそらくは、当分は、掘れずに、今のままでしょうから、
何かの成果や、自らの証としても、残しておく意味が全くありません。
>10/30追記
トラウマ、AC人格掘りで、完全に、つまづいたため、
「戦車ブログ」は削除となりました。復帰の有無は未定です。
_______________________________
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