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「自分を好きになりなさい」という言葉の弊害
by:
ほ う ざん
2004/06/10(Thu)08:58:30
71.150.192.61.east.flets.alpha-net.ne.jp:61.192.150.71:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
>自分を好きですか?嫌いですか?
という質問をされたら、私の答えは、
「好き」には、なりません。
また「嫌い」にもなりません。
自分の何かを「好き」になれば、
かならず「嫌いな自分」が現れますから。
また、こーいうのが自分が好きな自分とかやってしまうと、
それ以外の自分の可能性を閉じてしまうことになるので、
それもしません。
「自分を」好きとか嫌いとは別問題で、
自分を「こうしよう、ああしよう」と変化させることは
ありますが、好き嫌いによってではなく、
必要性によってですね。
また、えらい他人から見ていて苦労に見えるらしきことを
やっているときなどは、
我ながら、「んまー、よくやるねー」と
ほとんど他人事のように、傍観しています。
自分で自分を誉めることもしません。しかることもしません。
自分ということは、意識せず、
この一人の人間という現象が、どう育ったり、死んだりするのかを
楽しんで、別のところからいつみ見ている感じです。
だから、好き、嫌いは、感じません。
好奇心を感じるというのと、
あとは、自己管理に忙しいので好き嫌い言っている暇ない。
とまー、そんな感じかなー。
*********
>この一人の人間という現象が、どう育ったり、死んだりするのかを
>楽しんで、別のところから、いつも見ている感じです。
というのは、「自分なるもの?」をあえて見ようとした場合ですが、
それとは別に、この身体や心が「体験する現象」の中には
好き嫌いはありますよ。
つまり好きな自分とかいう、漠然とした「総体」ではなくて、
今経験してるこの気分は好きとか嫌いとか。
たとえば、やかましい騒音は嫌い、
寂静とも言える夜の静けさや、
秋の虫の声が好きとか。
その経験そのものが好きなのであって、
それを感じている自分が好きというのとは違いますね。
時間で変化するので、
どの地点を自分といったらいいのやらです。
強いて言えば、その人の思考や行動のいろいろな「癖」とか
その人に「出来ることと出来ないこと」の総体が
その人の個性と、一般世間では
平たくのばして、言われているような気もしなくありません。
*********
>「あるがまま」という言葉も、かなり手垢がついてしまって
>実態がよくわからない。
思わず、苦笑しました。
この20年で、垢がつきましたね。日本語圏ではですが。
20年前だと、人は、常に前進して自分を改善すべきだ
という強迫観念が、社会通念でもあったので、
最初は、なかなか、逆説的で斬新な言葉だったのですが、
今や、ボロボロの雑巾状態ですね。
とくに、セラピーの現場とか、精神世界で使われすぎたため。
そもそも、「あるがまま」と言った瞬間に、
あるがままでない、のは、「よくない」、となってしまい、
またまた「言葉の罠」にハマってしまって、
そこから抜けられなくなるので
こういう言葉の氾濫には、つくづく困ったものです。
してみると、一昔前までは、あるいは今もなお、
「自分の事を愛せないやつは、他人も愛せない」とか
全く中身の伴わない陳腐な文言が、今でも、まかり通っていますが、
自分を好きになりなさい、って、
ちょっと、私は何か違うと思います。
大切にしなさい、なら分かるのですが、、
何も、そんなに好きにならなくたってねー。
自分の事は、「自分の家」「落ちつく場所」みたいな感じだとしたら、
特別好きである必要はなくて、
「自分でいるときが、1番落ちつく」=それが自分かもしれません。
ちょうど、日常生活を一緒にするなら、
あまりラブラブよりも、「落ちつく人」を選ぶ傾向がありますよね。
だとしたら、自分を好きになるとかいうのでなくて、
自分という自分がいつも帰れる「心の家」を大切にする
といったような感じなら、私も理解したり馴染めます。
それを「自分を好きになりなさい」とか言われるとねー。
「自分に落ちついていなさい」とか、
「自分を管理しなさい」、なら分かるんだけど。
管理や掃除や改築が必要なのは、
部屋や家と全く同じだからね・・・。
*********
「私見」
自分を好き嫌いの振れの中で、
生きている実感を維持するうちは、
自分の小さな限界のボーダーラインを往復するに留まる、
というのが私の私見ですね。
ただし、初歩的には、なんでも肯定してみたり、
なんでも否定してみたりも、おおいに結構。
ただし、いつまでもやっていると、
いずれは、それに矛盾を感じて、ついには疲れてしまうか、
飽きるでしょうね。(私見)
とにかく、良いとか悪いとか、好きとか嫌いという
2元的なものを往復することは
まずは必要な初歩的な経験ですが、
どうも、それによって維持されている生きているような気がする、
というものが、一種の悪い意味での緊張、または中毒であると感じる人達は、
それとは違うか、それを超えた楽しみを摸索しはじめる、
というのが、わりとパターンとして定着しているようですね。
好き嫌いを排してもなお、というより、それに曇らない目だからこそ、
人生を常にみずみずしくイキイキと感じることが出来るのも
確かなことのようです。
人間には自分から何かを見るという視点以外に、
どうやら、自分の個性や経験以上のピュアな地点から
ものを見るという才能が宿っているのは、確実なようですから。
*********
>会社から家へ帰る時に車の中などで「ホッ」とするのが
>「心の家へ帰った」って事なんでしょうか。
感じとしてかなり近いと思いますよ。
楽しいとかいう自分ではなくて「ほっとする」部分ですから。
逆説的に言うならば、わざわざ自分らしくある必要もないので
「自分からも緩んでいるところ」ですかね。
>「心の家」は自分のどこらあるのか探してみなくては。
探さないでも、「ほっと」すればいいだけだと思いますが。
あとは、ほんとうのことを言えば、
誰かと居て、「100%ほっとする」というのは嘘でしょうね。
ただそう思い込んでいるか、そう思い込みたいかのいずれかで。
むしろ、一人でいるときにほっとする人が
圧倒的に多いとは思いますよ。
ほっとするというのが、どういうことか知っているならですが。
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