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「馬鹿になってゆく人間の最大の原因」
by:
崩残
2006/07/29(Sat)06:08:26
「人間が馬鹿になってゆく最大の原因」
それは、
「レッテル張り」である。
レッテルを貼るということは、その内容についてよく考えることもなく、
単純な言葉で物事を、片付けようとする傾向のある者に特有の癖です。
つまり、「馬鹿の典型的な行動」が「レッテル張り」なのである。
一方で、私がよく皆さんにも言うように、論議をするときには、
具体的内容をきちんと明確に述べて、その上で、
多くの場合には、言葉の「定義」そのものを、まずすることが必要だ
ということです。
こうした、プロセスを何も考えられない頭になってしまった者の多くが
レッテルを貼って、分かったような気になる、あるいは、
物事をそれで終わりにしたいという、「脳の病気」とも言える傾向を
持っています。
「○○は、○○だ」と断定するためには、
「その断定に至る思考内容」を列挙しなければ全く意味がありません。
「死んで行く者は気楽だ」も同じことです。
「人生、楽しめばいい」も同じことです。
洗脳される事が大好きな、脳なしの者たちが最も好むのが、
この、内容のない「断定」つまり「レッテル張り」です。
よく、考えもせず、観察もせずに、「標語に踊らされる」わけです。
短い文言というのは、内容が何もない事に加えて、
丸暗記しか出来ない人間が、好むものです。
こうしたことは、選挙公約や、演説や、宗教勧誘でも、
さかんに行われています。
愚かな意味で、思考停止するのが容易いのが短い文言を
言う者と、聞く者、その両方です。
◆また、いろいろな掲示板などでも、皆さんは、そのワンパターンに
もう「見飽きた」でしょうが、
「最も頭の悪い馬鹿」がやるのが、一行レスや「数行投稿」です。
もはや、人間としての思考が完全に出来なくなっているわけです。
彼らは「自分の意見としての詳細な内容のある文」が、全く書けないのが
大きな特徴のひとつです。
その理由のひとつとしては、長文の詳細な内容を書けば、
彼ら自身の浅はかさ、思考していない事がバレてしまうということへの恐れと、
もうひとつは、彼らは「複雑な物事を理解する能力がない」ということです。
そのために、彼らは誰からも認識できる、
明確に個性的なハンドルを固定させるという、
ごくごく誰でも出来る簡単な自己表現すらも、出来ないほどに、
人間として堕落してしまったわけです。
この傾向、つまり弊害を生み出した原因のひとつが、
どうでもいい内容の短文の携帯メールや、
日頃、そういう者たちが、生活の中で行っている、
「他者との中身のない会話の軽率さ」、浅はかさにあります。
日頃から、まともな会話も出来ず、
他者から相手にもされないその様子が、
そっくりそのまま、掲示板の下品な発言にも如実に現れているわけですね。
◆しかし、実は、そうした馬鹿者が量産される背景には、
「別の大きな原因」もあります。
それは、そうした、いろいろな「物事」や「他者」に対して、
「単純なレッテル張り」しかできない者の多くが、
親や知人からそのようにしか、されてこなかったという
その「内容の薄い人生」を、見事に表しているのである。
つまり彼らの生まれて育った環境の悪さです。
「お前は、○○なやつだ」「○○は、素敵よねー」と、
こういう、その内容を説明してみろと言われると、何も説明できない、だだの心情用語、
「中身の全くない言葉」の中でしか育ってこなかった人間というのは、
他者に対しても、結局は、「同じ程度のこと」しか出来ません。
だから、こういう者たちが、恋愛をしても、
親や周囲から自分がされてきた、レッテル張りと同じ事を自動的に
恋人や、あるいは子供が出来たら、子供にまで、してしまうのですから、
こういう親に育てられるような子供は、悲劇ですね。
そして、そういう者に、かかわってしまった異性は、本当にかわそうですね。
また、一方、こういう者が宗教とか精神世界にかかわると、
きまってやらかすのが、本や他者の言葉の「引用」です。
たまたま印象に残って覚えやすかった短い文言を振り回しては、
それに関する見解の説明は全くできない。
したとしても、ボテボテのもの。
精神世界に限らず、よく高齢者で古い時代の人でもいますね。
下手をすると、ニュースキャスターやコメンテーターにもいます。
やたらに、しらじらしい、ことわざとか、一般通念を、口に出す者たちです。
◆さて、正常な神経をしている親とか人間というのは、
何かの他人や、現象を観察したときに、
「この部分は、こう。しかし、この部分はこう」と、
1人の人間や、ひとつの現象の側面を「分解」して、説明します。
私は、安易なレッテル張りというのは、したことがありません。
何かを駄目だという場合には、「どういう前提」の中では、
「この部分は駄目である」と、「限定的」に言いますし、
良いという場合にも、「無条件に良し」とするのではなく、
「どういう条件下、前提の中」では、この部分は良い、といいます。
私には子供はいませんが、子供がいたとしたら、
「お前は○○だ」ではなく、「この部分は、こう。この部分はこう」
と、常に子供を、その人格や特性の「部品別に」指摘をして育てます。
そういう、まともな教育もされず、まともな家庭生活のない者というのが、
最近では、物凄く多く見受けられます。
もっとも、昔から、そういう思慮とか観察力のない人は、
大勢いたのですが、最近は、より、「増産」されていますね。
彼らは、おそらくは、交友関係の中ですらも、レッテル張りではない、
「細かく、細分化された」、
他者からの評価や、
他者への評価というものを、
経験したことが全くないのでしょう。
そういう人間は、多くの場合に、
まともな恋愛やセックスや、結婚生活や、交友関係すらも出来ていません。
◆私は幸いにも、私自身が、中校生のころから、
自分からの質問を明確にして、目上の相手にも質問をしてきましたし、
具体性のない「中身のない、奇麗事の言葉や、中身のない批判、
根拠の示されない断定口調」というものが、大嫌いでしたので、
目上の相手にも、常に、「詳細説明」を、要求してきました。
つまり、子供騙しのような、言葉や、標語や、
知ったかぶりの格言めいた言葉が大嫌いで、
特に大嫌いだったのは、「投げ捨てるように言葉を吐く愚か者です」
軽薄な「○○は、○○だよねー」「どうせ、みんなそうさ」などの、
軽率で、断定的な言い分を、
子供のころから、一切、自他に対して、許さなかったわけです。
そうして長年生きてきたので、私は、今となっては、
自分に最も合う適職は、下手をしたら、
犯罪捜査とか、弁護士とか、企業間交渉とか、あるいは、
犯人と交渉を進めるネゴシエーターではないかと思うことすらあります。
この最後の部分は、余談ですがね。
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