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自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[3585]
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私は、「鯨」が食いたい。
by:
崩残
2006/09/18(Mon)06:39:27
これって、食の話題なので、
隣の「梅の間」でやった方がいいネタですかね。
まー、内容からして、ここ「竹の間」で、いいでしょう。
「鯨の肉」が余りまくっているそうです。
軽く、読んでみてください。
↓
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060918&j=0044&k=200609182475
●まだ、高校生のころ、とうぜん小遣いも少なかった私が、
上野の、某「老舗 大衆食堂」で食べた鯨のステーキの、
その美味しかった事といったら、今でも、あれは忘れられません。
油が乗っていて、そして、何よりも「やさしい味」でした。
家に帰って母親に、「鯨が食べたいな」とさえ言えば、当時なら簡単に
食べられたのでしょうが、なぜだか、それを言わなかったために、
以来、何十年も、食べる機会を逃しました。
それ以後、鯨の肉を口にしたのは、あれから、30年近くもたった
数年前でした。
「軽くめまいがして、気絶しそう」になるほど、高い値段でしたが、
「鯨肉のセット」なるものを、通販で手にいれました。
しかし、あまりにも「ありがたく、チマチマと戴いた」ために、
せっかくのその味を、ほとんど覚えていません。
やはり、鯨肉は、豪快に食べたいです。
むろん、あわびも、赤貝も、豪快に食べたいです。
●先日、回転寿司にいったら、季節限定で、赤貝が、回転寿司にしては、
けっこうな大きさのが握られていた。
当然、私は、赤貝を、5皿ほど、たいらげた。
そこで、庶民の涙ぐましい、「回転寿司」の美味しい食べ方を
ひとつだけ、紹介します。これは、わたし流。
ふだん、安く食べられるネタなら、普通に食べればいいのですが、
ちょっと高いネタの場合には、私は、シャリからネタを分離します。
そして、醤油を少しだけつけて、「刺身として」ネタだけを食べます。
すると、シャリがあると分からない微妙な味がちゃんと味わえます。
ちょっと、贅沢というか、「ネタ本来の味をちゃんと食べた気」になれます。
とり残されてしまったシャリは、
ガリを乗せて、食べると、さっぱり食べられて、美味しいです。
いつもとは違う回転寿司の味わい方が出来ますので、
今度、もしも回転寿司に行ったら、ぜひ、お試しください。
●それはさておき、他所からの「引用」ですが、こんな記事がありました。
なかなか、いい記事でした。
↓
_______________________________________________________________
牛は殺していいけど、鯨はだめ。 なぜなんでしょうかね?
私は、25年前ドイツでアメリカ人とイングランド人(イギリス人ではない)に、
「何故、日本人は鯨を食べるのか」と集中攻撃を受けたことがあります。
彼らの話を要約すると、牛や羊や豚は、神が我々人間に食べ物として
与えてくれた動物である。だから殺して食べてもいい。
でも、特に鯨や、鯨の仲間であるイルカについて聖書に
「頭のいい動物」と書かれているから駄目なんだと言ってました。
インドのヒンズー教徒にとって牛が聖なる生き物です。神の使いです。
そのインドでイギリス人は自分達が食べるために、
イスラム教徒に牛を殺させていました。
それが、インドにおけるヒンズー教徒とイスラム教徒の間の感情的対立の
一つの遠因になったと若いとき勉強しました。
そのことを言ったんですね。
そうしたら、「我々には野蛮な宗教は関係ない」と言われました。
また、幕末に初めてのアメリカ領事館があった玉泉寺というところには、
日本初の屠牛が行われたことを示す屠牛木供養塔がたっています。
宗教的に不殺生の考えを受け継いで、四足は食べてこなかった日本の、
何とお寺の境内で、初代アメリカ領事であるハリスは、
現地の人に牛を殺すことを命令したのです。
そのことも言ったのですが、さすがに日本人である私の前で
「野蛮」とは言えなかったのでしょう。
「それは、我々の問題ではない」と言われました。
その当時出会ったアングロサクソンの多くは、
自分達の聖書が世界中で通用すると信じて疑いませんでした。
当然、私たちのように日々の糧になってくれた命たちに感謝するという
考えもありませんでした。
今はわかりませんが、基本的にキリスト教の伝統では、
「感謝する対象は、神であって、【命】ではありません」。
そして、キリスト教の聖書では、命に階級をつけます。
一番が「神」で、二番目が神が自分の姿に似せて創った「人」、
「家畜」(神が人に与えた動物)、そして、その他の「動物」です。
大航海時代、ローマ教皇庁で、新大陸で出会う
「人間に非常によく似た生物」が、「人」か、「動物」か、
真剣に話し合われました。
...そして、「動物」であるとローマ教皇庁が決定しました。
その結果、南米やオーストラリアで、原住民がスポーツの一つである
ハンティングの対象として殺されていったのです。
政治的対立とか、宗教的対立で異民族を殺したんじゃなくて、
「スポーツ」で殺していったんです。
それで、例えば、オーストラリアのタスマニア島では、
白人が気づいたとき、生き残った原住民は、おばあさん、ただ一人に
なってしまっていました。
「種」を残さなければならないとやっと反省した白人は、
最後に残ったおばあさんを殺し、剥製にし、博物館に収めたそうです。
彼らは、他国の文化や食文化を否定するとか以前に、
以前は宗教的に白人以外を人とは認めていなかった...という事実を、
私たちは一応頭の中に入れて彼らと付き合っていく必要があると私は思っています。
・・・引用終わり・・・・
________________________________________________________________
●鯨が、安く存分に食える国に戻ったら、
それこそ、私は、「日本にいて良かったなー」と、思えるかもしれない。
ちなみに、静岡あたりでは、
魚屋に、たまに「イルカ」の肉が出回るって、知ってましたか?
地元の人に聞いたら、「味噌で味付けして食べる事が多い」と言っていたので、
臭みが強いのかもしれませんね。
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