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自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[3598]
■
天皇制が持つ「実質的機能」
by:
崩残
2006/09/30(Sat)10:24:13
この国に、天皇制が残った方がいいか、なくなっていいか、
という二元論になった場合、私は、現時点では、前者である。
といっても、民間人の私としては、
昭和天皇の判断によって、マッカーサーを感動させて、
以来、しばしの間だけは、日米に協力的な体制ができ、
そのことによって、私の両親が生き延びて、そうやって
私がここに生まれたという、間接的な恩恵以外には、
皇室には何ひとつお世話になっておらず、
特にそこに敬意を払う理由もないが、
では、必要か不要かとなったら、それは、日本にとっては、
最悪の事態になった場合の切り札になるという点で、必要である。
私は右寄りでもなく、皇室マニアでもなく、
また、よくいる馬鹿のように、「特権階級だ」「人間は平等だ」とか
叫んで、ムキになって、天皇制に反対するような国民でもないし、
左寄りにも関心がない。
私は、まったく「一平民の感覚」で皇室を、遠くから眺めている
人間の1人にすぎない。
さて、第二次大戦終了のときに、たまたま、「残存」してしまった
天皇制だが、これが維持されていることで、
明確な抑止力がいろいろなところに効いている。
我々個人にとっては、皇室や天皇制のことなどは、
原則的には知ったことでもなく、
天皇や皇族による多少の「外交効果」を除けば、
何の直接的な利害関係もないのであるが、
その直接的な利害関係が、全くないことによって、
皇室の「不可侵」が守られているという点が「機能として」重要である。
かつての戦前のようには政治・権力には関与しないポジションに
移動したために、直接的には、政治家とも国民と分断された
閉鎖的な箱の中に、閉じた世界となったわけだが、
それ故に、「実質的」には、全く統率力も、武力も、資金も
有さないにも関わらず、不可侵の「権威」という形で、
この国を、かろうじて最悪の混乱になることにはストップをかけている。
もっとも、そうした「中身のない権威」ということに対して、
天皇制に反対する人間たちは、いろいろな批判を展開して、
そのくせ、アメリカから輸入された、中身と説得力のない、
「偽善的で矛盾した自由とか平等とか民主主義」を、自己顕示欲のために、
振り回しているわけだが、
皇室の実質性に、中身があろうがなかろうが、
政治的に絶対に不可侵なその「権威」が虚構であろうが、なかろうが、
その権威が存在し、かつ、
「今も、静かに機能している」ということが重要なのである。
それは国民の生活など、本当は何も理解しない皇族で形成されているが
それでいいのである。
隔離されたお城の中で、国民の痛みなど分からず、それでいいのである。
もしも分かったら逆に、それは国民や政治に口出しを始めてしまう。
痛みを理解するのは、
せいぜい、皇室内部の古い因習に、妻の雅子さんが苦しんでいて、
それに静かに反発する皇太子、と、このあたりの身内まででいいのであって
それによって、人間的な皇室ということの宣伝にもなるので、
そのあたりで、収まっていればいいのである。
もしもそれ以上に、本当に国民の痛みなど理解したり実感したら、
それは、まずいことになるからだ。
そもそも、国民も、皇室も、ごく一部の皇室に関係する職業や
組織以外には、まともに向き合っていないということが、
その「不可侵性」を維持できる鍵であるからだ。
ちょうどそれは、別に町に何の貢献もしていない銅像だが、
それは権威がある、という風習の中で、
誰も、それを壊したり、傷つけることの出来ない銅像として、
そこにただ在るというのに似ている。
その銅像は、特にその銅像を壊す理由を、誰の中にも植えつけない、
それが、皇室がなしてきた、もっとも重要な仕事なのである。
静かに平和的に外向活動をして、内政には干渉しない。
そして、誰にも恨みを買わないこと。
中国や韓国のデモで、小泉や、安倍の写真が焼かれることは
何千回あっても、天皇の写真がそうされることは、決してない。
仮に、そのようなことがされたとしても、
皇室は、「ノーコメント」であるか、むしろ、
静かに、「かつてあなたたちの国を侵略をした結果であるから、
大変に、申し訳なく思う」と言うか、
または、「私達は何を言われてもいいので、国民は平静を保ってください」
と諭すかもしれない。
右翼的人間たちは、そんな諸外国の行為に、狂乱するだろうが、
そういうものも、天皇は、静かに、さとすだろう。
つまり、仮に、中国や韓国で天皇に対する冒涜的な行為が
行われたとしても、逆に、それによって、日本の天皇は、
その謙虚さを、世界に示すことになるのである。
結果、「暗に世界から批判される」のは、そういうデモをした側となるのである。
これは、ひっくりかえせば、それは天皇や皇室は、
「国民の誰とも、まともにガチンコでは
付き合わない、向き合わない」ということでもある。
いわば、お花などの家元のようなものだ。
別に、「誰から恨まれることもなく」、
かといって、「物凄く、実質的に頼られることもなく」、
ひとつの「伝統文化」として温存されている分野というわけである。
●では、ある意味「中身が空虚」とも呼ばれてしまうようなこの
「権威」がどうして存在していなければならないと、
私が判断しているかといえば、
それは、「有事の際」に、唯一、機能するからである。
たとえば、こんな、とんでもない「絵空事」ことを想像してみるとよい。
タイではないが、
もしも、日本の自衛隊がクーデターを起こして、
主要な政治家を、全員皆殺しにしたとします。統制機能として
政治家や、警察や、軍、こうしたものが反乱したときに、
それを沈静できるのは、一体誰になりますか?
警察は、いろいろな思想の人間がいますから、どうだか知りませんが、
自衛隊といえども、天皇の言葉に逆らうことは、心情的に出来ません。
また、もしも日本が、海外派兵とかそんなレベルではなくて、
本当に、他国を侵略しようとしたり、本土が空爆を受けるような
そういう戦争になってしまうか、確実に、そうなりそうな局面。
ここで、天皇や皇族は、
そそくさと、ただどこかのシェルターや那須にでも「避難して」
「天岩戸に引きこもる」と思いますか。
そうはならないでしょうね。
また、それが、どれだけ「象徴的な権威である」と分かっていても、
アメリカすらも、天皇には、命令も、金での取引も出来ません。
企業や軍隊にくらべれば、資産もなく、兵力もなく、政治的統率力も
なく、ただ権威だけがある。
そして皇室も、庶民に「本当には」踏み込まず、また国民や政治家や、
どういう実権のある者も、皇室だけには、踏み込めない。
このような、常識的に考えれば「奇妙な権威」の皇室であっても、
日本の直面する、「本当の土壇場」となれば、それは、
テーブル上に差し出される、最後の切り札となるのである。
むろん、この戦争の責任はすべて私にある、と述べた敗戦時の昭和天皇と
は、状況は全く違うが、日本において、唯一「政治や権力」と分断された
保存されてきた「権威」が、最後の最後には、
かつてと似たような、「調停機能」を果たすことになるのである。
天皇制というのは、いわば、日本が、平和国家でありえるかどうかの、
「最後の最後の切り札」なのである。
少なくとも、私はそう理解している。
それは、たとえ、国民的な幻想であろうが、
また、実際に、そこに「神話的根拠」があろうが、そうしたこととは別に、
それが、日本に存在してくれている最も重要な機能は、
国内の政治も、干渉できず、
海外の権力者も、絶対に、干渉できないものとしての、
重要な「切り札的機能」なのである。
国家の、最重要時だけには、
それは、たった一回だけは「政治に干渉せざるを得ない」のであるから。
●この日本において、他の誰であっても、
有事の際には、国外に逃亡したり、亡命する可能性はあるだろう。
首相など、簡単に国外逃亡してしまうだろう。
国民も、そうかもしれない。
だが、たった一人だけ、たった一族だけ、
日本という船が沈没する最後まで、決して日本を離れない者たちがいる。
それが、皇室である。
なぜならば、もしも、国家の有事の際に、天皇が亡命などしたら、
その時点で、幾多の歴史の中で持っていたその権威は、
すべて「消滅」するからである。
国を見捨てるような天皇には、もはや、誰も敬意を払うまい。
そのときに、戦争を止めないような天皇には、国民は幻滅するだろう。
側近たちは、むろん皇族に「一時避難」を薦めるだろうが、
そこで、皇族自身が、自分たちの存在意味は何であるかの、
アイデンティティーを自問することになる。
そして、国民もその答えを見ることになる。
だから、日本で唯一、
どんな有事の際にも、決して海外に逃亡しない者、
この国と共に沈む覚悟、またはその「宿命」にある者、
それが、天皇、あるいは皇族なのである。
●
以上が、「天皇制」が日本において占める位置を、
思想論や、感情論を排して、
「社会学的な、実質的効果」として見たときの、私の見解である。
____________________________________________________
ということで、
しばし、戯れに、政治問題に降臨してみた私の、一連の投稿であるが、
その「根拠」は、充分に、これまでの投稿群で、めいっぱい書いたので、
簡単に、結論だけを言えば、
「天皇制には、賛成」
「死刑にも、あだ討ちにも、賛成」
「国民投票制には、賛成」
「時効には、反対」
「保釈金制度にも、反対」
「共謀罪には、反対」
「裁判員制度にも、反対」
「戦争は否定しないが、民間人のいないところで、戦争が好きな
兵力(兵士)同士だけでやれ。また、ゲリラ活動はルール違反。」
「国民のガス抜きのために、
情報公開制度と、その実質的な機能を法的に整備することを要望する」
「陰謀論や、メーソンやイルミナティーなど知ったことではない。
何かにつけて陰謀説ばかり振り回すやつは、
ほぼ大抵の場合において、劣等感の塊であり、
アンチ選民思想を叫ぶ事で、逆に優越感と歪んだ選民感に陥っている。」
「いちいち、敵を想定しないと、身内で団結できないような組織や国は、
まだ地球幼年期の お子ちゃま である」
「本当に、犯罪を抑止したいなら、
人間の感情の作動原理と影響というものについてもっと、学習して知れ。
教育をどうこうする前に、【一家の中の親子関係】からやり直せ。
学校はまともな、{口ゲンカ道}でも、必修授業に組み込め。」
そして・・・、
「人間は、この惑星へ、各自の{個人的な動機}から、
学習をしに来ているのであり、
学習を終えたら、死んで、ただ出てゆくのみ。
地球とは、我々の長い旅で出会った、一時の宿にすぎない」
ついでに言うと、あまりにも、生き延びるとを優先しすぎると、
本来の生命の持つ「生死」の「等質的バランス」を崩して、
人生、ロクなことにならないから気をつけるように、ということ。
そんなところである。
______________________________________________________________
もうひとつあった。
安倍さんにゃ、「美しい日本」など作れないよ。
もしも作るんだ、というなら、
まずは、手始めに、
芦ノ湖と、富士五湖のうちの3湖で、ブラックバスが認可されていること。
あれを完全に「取り消すこと」です。
単なる漁業組合と地方自治体の利益のために、
連綿と続いてきた、聖域の湖を、けがし、
ちっぽけな金を生む、外来魚のためだけに、
1989年以来、聖域を、「汚しまくった」のだから。
日本で、たったの4つしかない、
外来魚を認定した「恥知らずの湖」。
特に富士3湖(確か河口湖と、それにちゃっかり便乗した山中湖と西湖の3つ)
から、まずは、特定外来魚の放流を禁止し、
吊り上げた魚を買い取って、食品加工しても、
キャットフードにしても、単に捨てて処分してもいいので、
外来魚を全て、あれらの湖から、「駆除すること」です。
既得権にしがみつく田舎議員どもと、
山梨県知事を、強引にねじ伏せてでもやるべきですね。
どうしてそうしないと、まずいかは、いずれ書くかもしれませんが。
言うまでもなく、私の場合には、環境保護の観点からではなく、
それらの湖における、ここ約15年(特にここ10年)での、
明らかな霊的な「異変」を見たからです。
分かりやすく言えば、
湖の主が、「相当に 怒っている」のだということ。
●
「ブラックバス 年表」で検索をかけると、多くの資料が見つかるだろう。
一見すると、問題とか、双方の主張がこじれているように見えるが、
外来魚放流の問題は、要約すれば、
>それが、密放流か、合法的放流であるかに関わらず、
>ブラックバス問題の構造は単純で、
>『バスによって得をする者』が、悪い(または違法である)と知りつつ、
>確信犯的に、自らの経済的利益、または娯楽的利益のために、
>自然を破壊しているという構図である。
>これは一部の者の利益のために、
>自然を破壊して行われる無駄な公共事業の構造と酷似している。
参考↓
http://72.14.235.104/search?q=cache:Q7b8mpfGnWQJ:www.rikkyo.ne.jp/grp/cchs/bulletin/No3_2001/nigorikawa.pdf+%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%82%B9%E3%80%80%E5%B9%B4%E8%A1%A8&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=9&client=firefox-a
●
もうひとつ、おまけに言うと、自衛隊の演習場を、
同じく、不可侵の領域の、富士吉田に作ったこと。
どこの、お馬鹿な風水師が、位置を指定したのか知らないが、
本当にアホウです。
富士山の麓に、砲弾など打ち込んでいては、
ロクなことになるわけがない。
国際的な軍事情勢の中でも、運命的にも、不利になる事ばかりで、
良いことは、何ひとつもない。
移転させるなら、福井県だね。
日本海にも、睨みをきかす事が出来るし。
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