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[3893]
■
「悟り」しか、本当に道がないのか、自問し続けること』
by:
猫然
2008/01/16(Wed)09:09:59
>1/17 11:13 「松の間」の投稿の文中に、
>「マトモな人」のいる分野という投稿がありますので、ご参照ください。
__________________________________________________________
■以前にも、同じ「比喩」を使ったことがあるが、
もしもあなたが、エベレストの登頂に成功したとする。
あなたは、果たして、一体、そんなことを、
「皆さん、エベレストに登りましょう」などと、布教できるだろうか?
別に、エベレストに登頂する人間とは、
エリートでもなければ、選民でもない。
ただ、彼らは、自分がそうせずには自分に対して納得できなかったから、
だから、そこに登ったに過ぎない。
その過程の困難さ、死ぬような目にあう危険、
その道を知っている者が、どうして、
エベレストにみんな最後は登るんだとか、
そんな馬鹿なことが言えるだろうか?
しかるに、世間の宗教や、カルト宗教や、あげくには、禅寺でさえも、
彼らのついている無自覚な嘘は、これと全く同じである
■やりたいやつが、それをやるだけ。
それは、悟りに限らずとも、どんな分野の文化でも同じことである。
それは、「あるべき」とか「なるべき」とか「そうすべき」であるとか
いうものではない。
それを、あたかも、そうでなければいけないかのように言うのが、
地上の宗教や、半端者のスピラーども(霊的存在と自称する無自覚霊)である。
■では、どのような相手であれば、
「じゃー、君も、登ってみるかい? 死んでも知らないけどね」と
私達が言えるのかといえば、
それは、それ以外に、その人には、目標が一切存在しない場合のみである。
また、それ以外の手段では、その人が抜けられない苦の中にいると、
完璧に、「その症状が最悪だと」認定された場合のみである。
■そういう意味では、私は砂手の中に、
「それ以外のものでは絶対に、終息が来ないであろう、可能性」は
だいぶ初期のころに見たが、
ただし、その尋問、つまり「お前には、本当に他の道はないのか?」
ということを、私は、まるまる5年間、彼女に突きつけ続けた。
私が、その道の案内を引き受けてもよいと本気で決断したのは、
最後の「半年」のみだった。
それまでは、「本当にあなたには、他に道がないのか?」
ということの、問いと「彼女自身の分析」のくり返しだった。
■ただし、彼女が私の家に転がり込んでから、
その第一日目から、私は、私のところにいる絶対的な条件として、
「毎日、かかさず死人禅の行法をやること」
これだけは、彼女がどのような最悪の精神状態になった日であっても
厳守させた。
まる6年、一日も休まずにである。
そして、私から叱咤され続け、5年間も、毎日が論争の日々であった
にもかかわらず、行法だけは、絶対に、一日たりとも投げ出さずに
彼女がそれを貫けたこと自体、
それは、彼女自身が、自分の問題にどれだけ真剣に向き合っていたか
ということを証明している。
8年以上前の、ずっと以前のことだったが、
単に、私から無視されないため、私に気にいられるために
行法をしているフリをしている、または行法をしているという女性が
いたが、
そういう彼らは、私のことが何かひとつでも気に食わねば、
あっという間に、行法など、放り投げてしまうものだ。
砂手は、別に私に恋愛感情があったわけでもない。
むしろ、何度となく、私を殺してやりたいとすら思ったことだろう。
それでも、行法だけは続けた、そして
私の指示したとおりに、自分の力で自分の分析を続けたこと、
それはとりもなおさず、
彼女は、そうでしかありえなかった、
その道以外には、道が本当になかったということを意味する。
■砂手も私も、誰にも、このような道を薦めたくはない。
到達する世界は、あまりにも美しい場所だが、
その道のプロセスを美化する要素は一切存在しない。
それは、まさに、生き地獄なのだから。
■しかし、それでももしも、砂手や私が、本気になって
誰かの「道案内」を買って出るとしたら、
それは、その者が、
本気で、死ぬ気で、エベレストに登る以外には道がないと、
その本人が、それ以外の自分に登れる山を全て登ったという
そういう人間でしかありえないのである
■何度でも言うが、
悟る人たちというのは、エリートではない。
いかなる選民でもない。
そして何かの特別な才能や能力があったわけではない。
ただ、彼らは、自我とその欲望を、
本当にきちんと真面目に、人の何倍も真面目に、正直にそれを生きた
という、本当に、人として、当たり前のことをしてきた人だ。
その本気さが、
いつの日か、
自身の意識の不思議さ、その存在の不確定さが
本人の全面的な問いとなるとき、
それを私は、本当の「公案」と呼ぶ。
本当の、根本疑問と呼ぶ。
そこで問題となるのは、問いの種類ではない。
哲学的な問いが、そうでない問いよりも優れているというのでもない。
そうではなく、問題となるのは、
問いに対する、切迫度であり、
自分の存在そのものの命が、そこにかかっているかどうか
ということなのである。
■もしも出来る得るならば、
誰1人、このような悟りの世界には踏み込まないことを私は薦める。
まだまだ、何回でも、人間の生活を楽しめる資質と可能性を
持っている人達が、これほど多いのであるから、
そこまで救いようのない「最低の大病人」になろうとする必要など、
全くないのだ。
■
●いつか、仲良く地球の人々も、全員揃って、そのうち、悟るさ、
などと、思い込んでいる人達、
あるいは、救世主が来ると信じていたり、
あるいは、何かの天体の異変が、人間を進化させるなどと思っている
そんな人間がいたとしたら、
そういう人間は、いつでもオウムみたいな人種になると自覚しておくことである。
もっと、ユダヤ教徒や、キリスト教徒自体が、そうなのであるが。
●しかし、よく目の玉をあけて、この世界を見ることだ。
もしも、何かがそこで発達すべき法則である場合には、
自然、または惑星の管理者というものは、確実にその作業を
現実のものとする。これが惑星管理の第一法則である。
ということはすなわち、
この世界で起きているすべての「流行」「もっとも多く観測される現象」
こそが、地球上の人間を、燃料または、発電機として利用する側の
立場から見れば、「成功した産業だった」と認識することである。
●戦争が起きて、宗教対立が起きて、経済優先の社会が出来て、
私利私欲が当たり前になり、
また、利他と称して、自己満足をする人間に溢れ、
嘘つきが沢山いて、
自分にすら嘘をつく人間が蔓延し、その自覚すらないゾンビやモドキがいて、
これも困難な学習なのだからと自己暗示をかけた、
あなたのその生の、現在の、その在り様、結末は一体どうだったのか?
●あなたは、ただ、休みなく、
喜怒哀楽、あるいは虚無感、または絶望感、
または、一時の喜びという形で、
牧場主に、「感情」を提供し続けただけである。
●その感情の種類など、どうだって良いのだ。
それは、管理者側が、製品として精製し、分離するだけである。
人生に、喜ぼうが、悲惨で、泣き叫ぼうが、
どちらにしても、
あなたは、良き「発電パーツ」として、彼らには認識される。
だから、存分に、喜怒哀楽、または絶望感の中で、
生きることである。
それが、ここの「人間農園」の「目的」なのだから。
ここの歴史を見れば、その産業は、
ことごとく、何もかも、順調に行っている。
そして、喜怒哀楽を、質の良い形で放出するためには、
絶対的に必要となること、
それが、意識と自覚の目を見開いて、
自我をきちんと生きることである。
悟りが必要なのか、あるいは他の処置や、他の惑星への転生などの方法で、
充分に、あなたが事足りるのかは、
その自我経験が、完全に「使い尽くされて、尽きたあと」の話である。
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