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[3913]
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■ロクでもない日本社会と、日本のマシな側面。
by:
崩残
2008/02/28(Thu)09:35:39
【商教分離をしろ】
ひさしぶりの、いくつかの「雑感」ですが、
政教分離と平行して、商業と宗教を分離しないことには、
この日本はどうにもならないと思いますよ。
電通とNHKが学会に汚染されているということは、
メディアが学会に汚染されているということ。
これでは、とても先進国のジャーナリズムとは言いがたい。
●宗教というものにどう向き合うかという問題は、
あくまでも、そのすべてが「個人的に」ということが
最も重要な本質である。
その人間が何を信じようが、全くそれは憲法下で保証されるように、
自由である
●ただし、それが数を獲得しようとする選挙に影響したり、
仕事がそれでもらえるからとか、そこに金(商業)と政治が
宗教に影響されるようでは、
それは宗教の本質に対する冒涜であるばかりではなく、
自由商業や経済構造「という世界」に対する冒涜ですらあるだろう。
●私は外国の人に、日本は良い国かと尋ねられたらば、
こう答えるだろう。実際に、そう答えているが。
1-日本の治安は悪くない。
(ただしこれは最悪の国と比較した場合の話だが)
つまり、警察の動きに、事案によってひどく鈍い部分があったり
迅速な対処が出来ないという点では、アメリカよりも遥かに劣っている。
また、ドラマの「相棒」でもテーマにされているように、
日本の警察は、都道府県による捜査管轄の壁がありすぎる。
2-行政の腐敗のおぞましさと、公務員に対する罰則がないこと、
ジャーナリズムが、全く権力に対する監視機能をしていない点。
この点では、ほとんど後進国だと言えるし、
この点で言えば、民主主義のかけらもない。
3-言論の自由は、ある程度ある。
(ただし、これもイスラム社会と比べればという程度のもの)
4-メディアや商業に、宗教法人という脱税の温床がはびこっていて、
しかも、それが経済や選挙に影響しているという点では、
これもあきらかな「後進国」であること。
そういえば、以前にBBSが学会をカルトとして定義する
ドキュメントを作ったが、
情けないことに、日本のメディアはそれを一切放映できなかった。
そういう意味では、観光にはお勧めできるスポットはあっても、
日本というのは、定住など、全く推薦できない、
知的にも「未開人の国」だと私は言うだろう。
___________________________________
●一方で、多少諸外国よりも、マシに見えた側面がある。
それは、日本のこの、
見境のない、節操のない、「多神教的な感覚」である。
これを軽率な国民性と見なすか、冷静な国民性と見なすかとなると、
私は現時点では、それは後者として機能していると見なしている。
なにしろ、おそらく翻訳された古今東西の精神世界の本の種類では、
日本はかなり、偏りが少ないだろうと私は見ている。
つまり、こと、宗教や思想に関しては、
ピンからキリまで、それこそ、なんでもありの
自由な社会なのである。
その点では、むろん中国よりも進化しているし、
場合によっては、州によっては狂信的な一神教徒が群れる
アメリカよりも、多彩な情報が、自由に流通しているかもしれない。
●翻訳される本の多さでいえば、
そもそも、英語に翻訳されている東洋思想よりも、
日本語に翻訳されたもののほうが、遥かに多いだろう。
このことは、欧米人が知っている東洋思想がどの程度のものかを観察すると、
よく分かる。
彼らの情報源は、非常に限られて、偏りがあるが、その理由のひとつは
流通している英訳の翻訳本が少ないことであろう。
このことは、松の間のテーマである忍術や武術について同様の
結果となった。
つまり、ロクでもない東洋の宗教書も多く翻訳されたり、
誤訳されているということであって、
それに比べると、日本語に翻訳された、
中国、インド、アジア、そして欧米の思想は、かなり多彩な種類を
もっていると言えるかもしれない。
●そういう点では、私はこの時代の、この国に生まれることを選択した
その大きな理由としては、
言論の自由がそこにあったことと、
伝統からカルトまで、ひととおりの、思想の羅列を
書店で、眺めて、人間が抱く、妄想や思想を
客観的に観察することが出来るということにあったのだろう。
●オウム事件や統一教会の事件を通じて、
日本人は、カルトというものを警戒する神経を手に入れることも出来たかもれしない。
それまでの、「なんでも信じる馬鹿な状態」からは、
多少の「免疫」ぐらいはついたことだろう。
また以前にも話をしたように、
マジックのブームというものが、トリックに対する国民的な知識の幅を
広げてくれたことも手伝っている。
もともと、カルトの定義やその対処法は、欧米の方が先に手を打っていた
とは言うものの、
しかし、実際には、それらは、キリスト教的な基盤によって
行われることも多いだろう。
それに比べれば、もともと、基盤が流動的な多神教的な日本にあっては、
それがもしも本当にきちんと、規制される場合には、
比較的、冷静で偏見のない社会性によって行われる可能性がある。
●極論すれば、私は、全ての宗教法人を廃止するべきだと思っているし、
税金における優遇も無くすべきだと考えている。
宗教というものは、本来、そこに、
政治的、商業的な甘い汁など、「一切なしに」機能するべきであるからだ。
冒頭に述べたように、神仏や高次な何かとあなたとの関係というものは、
断じて、社会的な関係や、集団でかかわるものではなく、
「たった1人で」、あなたの人生をかけて、関わるべき問題だからである。
●宗教法人を一切廃止するとともに、
宗教集会の全ての禁止を私は推奨する。
ただし、前者は簡単でも、この後者が難しいのは、
パーティーとか勉強会とか、反対運動と称して、
決起集会を開く形で、布教活動をする「カルト宗教」か必ず出るということである。
また、この場合には、寺で座禅をすることも禁止するということになる。
一切の宗教は、少なくとも5人以上集まって何かをしてはならない、
そういう規制を私ならば、するだろう。
何しろ、そのような必要は、どこにもないからである。
●ただし、それが宗教的な集会であることをどのように定義するのか
という問題が困難である点と、
それは、いくらでも偽装して、たとえば、
商品の説明会や、勉強会や講演と称して、宗教が集団化する恐れがあるからである。
それをもしも取り締まるとなると、
いわゆる、共産圏や、社会主義や、独裁主義と紙一重の国家になってしまうからである。
●私は、現存する全ての宗教も、カルト宗教も、どのような思想も、
それらは、どういう妄想であろうが、
人類が捏造した思考の産物として、「一定の評価」をしているし、
仮に、それによって、もしも精神的な被害者が出るとしても、
それは「個々の自己責任に帰するものである」と、認識している。
●ただし、それは、宗教が、東西で、古い時代には、
本来、元々もそうであったように、
「個人的な探究」である場合の話である。
それが、なーなー、の集会になり、金がからみ、政治がからみ、
商業や経済やジャーナリズムまで汚染されるのであれば、
宗教の名の下に、5人ですらも、人が集合することを
私は禁止したいぐらいである。
すなわち、宗教は全く自由であってよい。
ただし、つるむな。
決して、組織になるな。
組織になったとたんに、それは、ものの見事に、堕落する。
師弟関係といったものは、
せいぜいが、2人か3人のものだ。
しかし、信者の数が増殖することを目的としたらば、
それは、もはや全く精神的なものではなくなる。
●仮にだが、私がもしも会社を作ったとしたら、
竹の間の有料購読者の誰1人として、雇わないだろう。
会社や企業で、要求される資質は、「実社会での実力」であって、
「無明庵愛読者」ではないからである。
●しかし、学会とかその他のカルトや新興宗教では、
会社の幹部が、全員、同じなーなーの宗派であることが多い。
また、取引先が、なーなーの同一カルト経営であることが多い。
会社組織や、行政や、政治組織というものは、
そんな軽率な連中の群れで機能するものではない。
>それは、多様な全く異なる思想、宗教、発想、個性を
>「適度に分散させた、人事」の中でのみ、正常に機能するものなのである。
●もしも、カルト宗教とか、伝統宗教とか、何かの思想で、
それでつるんで、集団化しているようなところがあるとしたら、
それは、本質的には、裏切りや、疑念を許さない「マフィア」と
全く同じ構造だと言っても良い。
単に、そこに報復や、殺人がないというだけで、
暗黙のうちに、脱会を出来ない脅迫をしているのだから。
ちなみに、芸能界では、とある宗教団体の入信を断って、
仕事を乾された人達もいるようである。
世間の噂では、「うっちゃん」がそうであったらしい。
また小室哲哉 氏なども、そう噂されている。
●そもそも、テレビ局の、1局か、せいぜい多くても2局が
そのような態度をするのであれば、いたしかたないと許せるが、
全局が、足並みをそろえて、彼に仕事を回さないこと、
そして、スポンサーも全部が足並みをそろえて、つるんだこと。
これは、日本は、「先進国を名乗る資格などは一切ない」、
「目も当てられないほど、恥ずべき愚行」だったと、
全局と、スポンサーらは、認識するほうが良いだろう。
●その、自分たちのやった事の恥ずかしさと、みっともない惨めさが、
全く「自覚できていない」というところが、
日本が、「原始的な社会である」と私に定義される側面なのである。
こうした、既得権にしがみつく、馬鹿者どもの、なーなーの愚行が、
ヨーロッパ全土で660万の人間を、偏見から虐殺した魔女裁判と、
どう違うと言うのだろうか?
現在では、江原氏も、そうしたカルト宗教のターゲットになっているが、
ただし、江原氏を否定しすぎることは、
多数の国民から反感を買うと認識してか、
江原氏の番組にも、ちゃんと新興宗教信者が出演しているという
茶番というか、ポーズの処理がされているあたりが、
これがまた笑えるのである。
今、私が江原氏について、最も心配するのは、
彼に対する、自然死、事故死に見せかけた暗殺の画策の可能性である。
●竹の間でも公言しているように、
私は、イギリスや欧米の霊訓教義には、全く同意できない。
しかし、それは私の宇宙に対する経験背景と異なるという意味で、
同意も賛同も全く出来ないということにすぎない。
社会的に見れば、ゆっくりだが、
彼のやっていることは、カルト教団や、一神教に比較すれば、
「比較的、正常な視界」を提供している。
その全部が嘘ではないからである。
ただし、私個人は、その進化システムの幻想とは「契約していない」、
というだけのことである。
他人が、勝手にそれらの体系に同意することは、私は全く関心がない。
__________
さて、以下に、有料分に、日本の芸能界の宗教汚染のリストを
記載しておきます。
(とりあえず芸能界のみで、政治や財界は入っていません)
■
全文を読むには、こちらからどうぞ。
なお申し込みは2007年の10/28に締め切りました。
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