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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1359]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その98=」
by:
鈴木崩残
2010/02/25(Thu)09:11:02
>2/28 6:30
>後半に、少し原稿と動画のリンクを追加しました。
http://www.youtube.com/watch?v=0ymkM3aB1Yo
●いや、↑こんだけの、つまらない話なんですけどね。
外人さんが変な勘違いをしないように、アップしておきました。
特に、今は、書くことを思いつきませんが、
思いついたら、この投稿に追加してゆきます。
●
自分が他界した時の為の葉書
先月でしたか、こんなものを作りました。
↓
●こういうのって、東京にいたとき、まだ母親が生きていたときに、
どっちが先に死んでも、重要な人にどう連絡したらいいのか
わかるように、常に作っておいたものでした。
しかしここ十年近く、こういうのを作るのを忘れていました。
●だいたい常に同居してる家族だって、
旦那さんや奥さんや子供の交友関係なんか、わかるわけないですよね。
でもって、実際に予告もなくポックリ逝ったりすると、
あたふたと慌てるのがお約束の定番です。
●他人様に迷惑をかけないためには、
自分が死んだときに、家族の人が、
「死因と死亡日時」だけ書き込めば、
あとは単にポストに投函すればいいというだけの、
こういう葉書を皆さんも作っておくといいです。
ちなみに、「宛名書き」は全部自分で書いたので終わっています。
筆ペンですが毛筆で書きました。
●まー、大した交友関係もないだろうと思っていたのですが、
インターネット経由では連絡をとっていない人たちというのが
けっこういまして、そういう人にはこういう事後報告の葉書が必要でした。
それでも少なくて、30通ぐらいかな。
●たとえば、ここを見ている皆さんは、
私に何かあれば、管理人なり、砂手なりが、簡単に報告を書き込むと
思いますが、ネット以外で交友関係を持つ人たちには、
古き良き時代の「ハガキ」でないと無理ですから。
それに、取引している書店さんの所在地とかも、
砂手は全部は把握していないので、書店さんも
連絡もなしに納品が止まると困るのです。
●ということで、こういうものは、別に何事もなくても、
病気などしていなくても、
「常に必要だ」と私はずっと昔から思っています。
プリンターのある人は、自分がポックリ死んだときに
周囲の知人に投函を頼めるように、
こういうのをデザインして、楽しんでみてください。
そういうことやると、
「別に知らせなくてもいいや」という人や、
「あ、あの人には知らせておくほうがいい」とか、
わりと自分の人間関係の見方をあらためて確認する機会になりますよ。
それと、何よりも、最後のメッセージを考えるのが
けっこう楽しい。
______________________________
■さて、話は突然に変わりますが、
外人向けに、
「お前は、瞑想なんかするな」という意味のビデオを
アップしました。
けっこう、適当な英文で、あちこち間違いがありますが、
もう最近は、気にしていません。
「瞑想をしてはならない人たち」
http://www.youtube.com/watch?v=8Vd3X6DJ1zg
原文の和訳だけ、つけておきます。
まー、もう、竹の間ではカビが生えるほど、散々に言ったことですが。
ようするに、エキゾチックとか神秘的とか思い込んで、
東洋的な瞑想に足を突っ込む外人は、キリスト教圏でも、多くて、
ある意味、その軽薄さとか、うかれかたというのは、
日本人から見ていたら目も当てられないものです。
たとえば、和尚コミューンの馬鹿ども、とか。
しかしそういう日本人のやっている瞑想ごっこというのが、これまた
なんとも、湿っぽくで陰湿でして。
欧米人の馬鹿騒ぎが、
どこか、「乾燥した、カラっとした軽薄さ」があるのに
対して、日本人の宗教への足の突っ込み方は、
湿気たっぷりで、カビ臭くて、気持ち悪い「軽薄さ」があります。
たとえば学会とかオウムとか上座なんとかとか。
どちらも「本質的な現状認識」を全く欠いているという意味では、
駄目なわけです。
しかし、こと東洋のこととなると、
よっぽど日本に在住したり、深く研究でもしないと、
なんでも「ポーズで終わりやすい西洋人」に対して、
なかなかこういうことを説明するのは難しいです。
人間って「役に立つ事実」よりも「嘘でも、夢のある話」が好きですから。
_____________________________
■「和訳」
「瞑想をしてはならない人々」
厳密に言えば、人類95%の人々がそれに該当する。
そもそも、瞑想はあなたの日常の不満を解決する道具ではない。
またそれは、あなたに神秘的な力を与える為のものではない。
もしあなたが富や名声や力や愛情に飢えているならば、
普通の社会生活で、まずそれらを満足させなさい。
瞑想の世界にそうした不純な動機を持ち込むな。
また瞑想の中に絶対に神への信仰を持ち込むな。
瞑想の本質とはあなたの意識の本質を体験することだ。
それ以外の目的や動機が持ち込まれてはならない。
従って瞑想からあなたが望む褒美を期待しているような者は
瞑想するな。
真の瞑想とは現在のあなたを完全に破壊するためのものだ。
だからまず普通の社会において十分な満足を得なさい。
そして全く不満のない最高のあなたの状態を保ちなさい。
しかしそれでもなお、あなたにとって不満が存在する場合、
そしてあなたにとって自殺以外に救いの道が見つからなかった場合、
その場合にだけ、あなたは瞑想の扉を叩きなさい。
瞑想とは「死ぬ準備の出来た人間」にだけ許される聖なる門だ。
瞑想は東洋の神秘を味わう遊びをする為のものではない。
瞑想はリラックスの道具ではない。
瞑想は超能力を体験する為のものではない。
瞑想は宗教とは一切関係がない。
それは徹底した実存主義と、徹底した現実主義だ。
だから死ぬ以外に道を失った人だけが瞑想しなさい。
それ以外の人々は決して本当の瞑想の次元には近づくな。
もし本当の瞑想にあなたが立ち入ったらば、
そこから帰還するのに最低でも5年が必要だ。
しかも失敗する可能性も大きい。
もう一度言う。
真の瞑想とはあなたの自我にとって最後の最後の挑戦であり、探求だ。
糞のような善行や信仰など全く役に立たない。
あなたの全てが死ぬ事を受け入れる準備を持たない人は
瞑想に近づくな。
これ以外の瞑想が世間には氾濫しているが、それらは真の瞑想ではない。
ところで、たまに次のようなアホウを私は見る。
「あなたはなぜ、セックスと禅を教えるのか。
それは矛盾していないか?」
既に私が言ったように、
普通の生活の中に何かの不満を持つ者は瞑想する資格を持たない。
従って、世界の中で、
最も不満とトラブルを生みやすい領域について私は教える。
それがセックスのトラブルだ。
私は身体的な面と精神的な面の両方の解決法を教える。
また、他にも、瞑想の前に片付けるべき問題が存在する。
それはあなたの親や家族との人間関係だ。
そうした問題を全部解決した者だけが瞑想出来る。
性と人間関係の欠陥を、
不純な動機で瞑想しようとする人間たちの中に私は沢山観た。
だからまず最初に人間が最も問題を生じやすいこの二つの領域に関して
私は徹底したカウンセリングを行った。
それは約20年続いた。
そしてその中から本当に瞑想の世界に立ち入る準備の出来た
僅かな人だけに本当の瞑想を教えた。
つまり「完全に満足した人生を過ごした」のにも関わらず、
「完全に絶望」した人だ。
それ以下のレベルの人間に私は真の座禅を決して教えない。
不満や知識や能力が欲しいという欲望を動機として瞑想する者は
愚かだ。
呼吸法や九字切りなんぞを瞑想だと思うような馬鹿は全くの論外である。
彼らは真の瞑想が死に酷似していることを知らない。
しかもそれはチベットの死者の書のような幻想のお話ではない。
瞑想によってあなたが発見すべきものは、神や神々や愛や善悪ではない。
あなたが体験すべき事実はたったひとつだ。
それは、あなたの思考や感情や信仰に関係のない、
「あなた自身が何であるか」だけだ。
だからそうした過酷な道を探求する前に、
あなたは日常的な不満を解決する必要がある。
あなたが欲しい全てのものを手に入れた後で
瞑想の扉を叩きなさい。
なぜならば、
「望んだすべてを得た人間」だけが、
「真の虚無感」を実感するからだ。
■ちなみに、私の性に関する三冊の本はすべて性「教育」が目的である。
それは半分のコンテンツが医学的な内容だ。
残りの半分は男女の肉体関係におけるマナーに関するものだ。
それらは性交の不一致による離婚や離別の危機から、
沢山の人たちを助けた。
私の性に関する本は大真面目な本だ。
親が子供に与える場合も多くある。
残念ながら三冊のうち特に重要な二つの本は英訳されていない。
(英訳されているのは「虹のオーガズム」の一部のみ)
>以下、英語で「性のレシピ」と「性恋愛教本」のコンテンツの
>一部のみ、目次の紹介を記述してあります。
■性的な不満に起因する、さまざまな問題は、
夫婦間の問題だけではなく、社会問題である。
性の不一致の不満は、単に夫婦間だけではなく、子供に悪影響する。
それは性犯罪の原因になることもある。
性生活の不満を持つ者がこの世界に存在しない為に
私はセックスカウンセリングの本を書いた。
____
その他コメント。
実生活の中に問題を持っているのに瞑想をする事は結局はあなたの役に立たない。
それは100メートルの丘にも登れない人間が
標高3000メートルの山に登ろうするのに似ている。
物事にはすべて「順序」というものが存在する。
実生活への不満から逃げるために瞑想をする人々が多く存在する。
また実生活の欲望の解決の為に瞑想をする。
しかしそうした俗世間の欲望が完全に尽きた段階でしか
瞑想は真の効果を発揮しない。
>とはいえ、どうやら、そもそも「瞑想」ということの定義が、
>私と世間とでは、あまりにも違うので、話にならないと思います。
______________________________
■動画の中で使った写真ですが、
一昨日、いつもの手裏剣の稽古場から撮影したものです。
ありふれた、ただの雑木林なのに、枝と月が、なんともいい味を
出しています。
一番左の写真は、実は「竜雲」で、実際には長さはこの四倍あって、
まるで夜空に竜が舞っているようでした。
ちょうど竜の目のあたりに月が位置していたので、撮影したものです。
____
■コメントの続き
東洋の多くの本物の賢者たちは共通の認識に至る。
それは「そもそも宗教が最も悪い」という結論だ。
なぜなら宗教は集団的な信仰行為だ。
集団的な信仰は必ず強制と利害関係を生む。
この悪影響を持たない宗教はこの世界に存在しない。
一方で、私は人間個人が体験するさまざまな精神的現象を尊重する。
ただしそれはあなた一人と何者かとの間の個人的な関係だ。
特に精神的な面においては、
個人が経験することを他者と共有する必要はない
ありきたりな愛着や単なる社会的社交辞令は共有してもかまわない。
しかし最も重要な問題については他者に構うな。
東洋の神秘主義者の中で最も洗練された人々は
宗教の姿勢を必ず否定する。
宗教なしに我々は自分個人と宇宙や世界との接点を見出すことが可能だ。
宗教は邪魔な雑音だ。
むしろ宗教や神を意識しない動物たちの方がずっと自然だ。
彼らは思考や歴史の中に作られた宗教ではなく毎日生命の神秘を見ているからだ。
彼らに宗教など必要ない。
彼ら自身が宗教そのものだから。(ただし彼にとってであり人間にとってではない)
私は宗教に過剰に傾いている人の中に普通のレベルの愛情や気遣いや
正義を見たことがない。
一方であまり宗教に無関心な人たちの中に正常な人間性を沢山観察した。
つまり宗教とは一種の囚われにすぎない。
宗教に囚われた人たちは不自由な精神になる。
宗教に囚われない人たちはむしろ純粋な意味で精神的に見える。
そもそも何かの刑罰を与えるという脅迫観念は、
常識すらも知らない罪人を取り締まるためのものだ。
そういう意味では宗教とは最も最低の"個人的な法律"だ。
他人から言われた善悪それ自体を自分の頭で考え直すことが
人間の知性である。
他人が決めた善悪の基準によって褒美や罰を意識し続けるのは
愚かな人間だけがやることだ。
___
●コメントの続き
セックスの問題は単にセックスを数多く行っても解決できない。
それは全く野蛮な考えだ。
セックスの回数や人数がどれだけ多くても人間はそれによって不満を作る。
単にセックスをするだけの場合は、逆にそれによってトラブルをあなたが作り出す。
セックスをいかにして不満のない状態にするかが私の本の主題だ。
しかし現実にはセックスに100%の満足を持つ人を私は少数しか見なかった。
なぜならば100%の満足とは男女の双方が完全に一致した
オーガズムを何百回と経験する必要があるからだ。
もしもあなたのセックス生活に10%でさえ不満があった場合には、
それは必ず別の領域で他人に八つ当たりをする結果となるだろう。
●セックスの問題を侮ってはならない。
それは生物の生存本能に直接に関係している。
人間にとって最大の問題は飢えることと食べることだ。
しかし二番目に重要なのは性に不満を作らないことだ。
あなたが自覚できない領域で、
あなたのセックスの不満はあなたの精神の成長を妨害し続けるだろう。
ただし禁欲など全く役立たずだ
セックスの問題は、精神的な問題以前に解決しなければならない。
実際、幸福で正しいセックスをしている夫婦の子供と
不満なセックスをしている夫婦の子供を比較すると明確な違いがある。
完全にあなたと伴侶が満足したセックスを沢山経験するまでは
瞑想などするな。
■補足■
セックスの問題が、特に瞑想者や、魔術に関わる人間にとって
非常に足をひっぱる原因になる最大の理由は、
高次なものに対する正確な情報の読み取りに際して、
「生存プログラム」ほど、足をひっぱるものはないからである。
精神や肉体に、ある種の危機をもたらすのが瞑想や魔術技法であるために、
生存本能に由来する器官が、もしも不満な状態にあれば
それが、必ず妨害をします。
●動物として人間にとっての最重要課題は、
空腹にならないことですが、
二番目に位置しているのは、実はセックスです。
ですから、瞑想者や魔術師が、優れているか劣っているかは、
最も低く見える、このセックスの問題に対して、
それらの中枢を黙らせておけるほどに、
それらの世話をしたかどうかで分かります。
セックスや食に関する中枢は、
最も肝心なときに、あなたの邪魔をしますから。
●たとえば私が本当に性に不満がなくなったのは、
30歳を過ぎてからです。
性の不満がどれだけ根深いかということは以前にも
竹の間のどこかに書きましたが、
ある程度の一般的なオーガズムを女性が何度か経験しても、
結局のところは、行き着く先はまだあるので、
「その先の世界を経験しないという不満」が確実に残ります。
また男性においても、自然避妊によって
ゴムなしに(粘液観察法または女性のピルの使用によって)、
女性と結合し、射精する必要があります。
そうしないと、まだ性交が、不自然であることの不満が残るからです。
また単にそれだけではなく、
両者のオーガズムが「共鳴と一致」を起こす必要もあります。
>(★「虹のオーガズム」参照)
しかしこれらのことは、明確な技術体系として確立していますから、
瞑想とか座禅で悟るとかいうことよりも、遥かに簡単なことです。
>(★「性のレシピ」参照)
よきパートナーと出会う為に必要な「日ごろからの精神的な管理」と
「自己分析」も、私の恋愛論には含まれます。
>(★「性恋愛教本」参照)
そうしたものを総動員して、もう一生セックスには不満はなくなった、
と完全にいえる状態にしてから、
はじめて、瞑想や魔術的な技法に、本当にノイズや誤認を生ずることなく
関わることが出来ます。
●では最後に、最近の「マジック 対 ハイスピードカメラ」です。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=XjI3n1IyE8w
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