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[1465]
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●無明庵日記「猫の足跡=その203=」●「分割自我」に関する、自作ウィキペディア●
by:
鈴木崩残
2011/01/24(Mon)09:41:32
【分割自我理論】の「概要」
●たとえばの話であるが、私が死んだ後に、
分割自我という概念が、勝手な解釈や曲解に発展しないようにするために、
ここに「概略のみ」ですが、「分割自我論」を、まとめておきます。
詳細な説明については、今までに何度か梅の間に記述しましたので、
文末にそのリンクを張っておきます。
今後、何年経過しようが、
ここにある説明以外のものは、無明庵の公式的な見解とは思わないでください。
つまり「分割自我」に関するウィキ的な内容をここに自作しておきます。
【分割自我理論とは】
●「分割自我論」とは、場所を地球上の人類という種に限定するという前提で、
人間の自我は、生まれた時に、不完全な自我の状態にあるとする理論である。
ただしそれは厳密に言うと、不完全な「意識状態にある」という意味と
必ずしもイコールではない。
なぜならば、意識それ自体には、特定の特性や、不完全性は存在しないからである。
ただし、生存中におけるその意識の「量」を決定する枠が自我であり、
もしもこの自我の容積が、元々そうであった容積よりも小さかった場合には、
正常な内圧を発生せず、従って、人間としての生存中の経験の質に、
著しい劣化が起きるとする。
地球上の人間に限れば、自我と意識は一体構造にあるが、
「自我」は、地球上で人間として生まれた場合に、意識が入る「器」と定義され、
「意識」は、その器に入る「知覚性原料」であると定義される。
●分割自我論は、論理上の仮説である。
ちょうど中間子が、電子機器で観察されたものではなく、
あくまでも「論理的な予測」であったように、
自我の分割という現象も、論理上の仮説である。
物理学の世界で湯川氏が予測した中間子がそうであったように、
それが13年後にそれを裏付ける現象として発見されるといった事は、
絶対にあり得ないことではあるが、
ただし人間についての「特定の問題」の根本的な理解を得るためには、
「分割自我」という論理は、極めて有効である。
●ところで、論理上の仮説に過ぎないどころか、論理すらなっていない概念は、
地球上のいたるところに見出すことが出来る。
一例として、
1−人間が物質的な肉体を超えた存在であるとする「仮説」、
2−宇宙を作った創造主が存在するという「仮説」、
3−宇宙がなんらかの高貴な意図を持って創造されたとする「仮説」、
4−人間や万物には存在する何かの価値があるとする「仮説」、
5−万物には、物質的または非物質的な領域での、
進化という目的があるはずだとする「仮説」、
6−さらには、それに基づいて、二次的に作られる社会倫理や道徳や、
作られた価値観に添って人間は生きるべきである、とする「仮説」。
だが、このいずれの、哲学的あるいは宗教上の仮説も、
ただの一度も、科学的な観測をされたこともなく、証明されたこともない。
●また、それらについての「主観的な経験談」がこの世界に溢れていたとしても、
それらは民族や時代によって、かなり異なるものであり、
統一的な見解も存在しない。
(漠然とした、多少の「類似性」だけがあるのみである)
そのような中で、人間は、確信もなく漠然と「魂」「創造主」「創造の何かの意図」
といったものを、単に推測し、期待し、妄想し、
「生きてゆく事の意味づけ」をそれらに依存しているのが、
地球上の人類の心理状態の現状である。
●現存する、宗教的神話と、精神世界(スピリチュアリズム)と呼ばれる、
ほとんどすべての領域は、希望的観測と、
数々の主観によって成り立っているものに過ぎない。
たとえば、臨死体験、体外離脱、このいずれも、
人間が死後に存在することを論理的にも、説明できておらず、
科学的にも、一切証明は出来ていない。
それらは、リモートビューイングや読心力と誤認される可能性も大である。
また、前世の記憶と称するものと「転生」を結びつける事も疑わしい。
なぜならば、他人の生の記憶を、
別の他人がインストールすることが可能であると推測されるからだ。
つまり、過去に存在した誰かの記憶を明確に持っていたとしても、
それを持つ者と、その過去に存在した者、この二つが、同一であるとは
論理的に証明出来ないからである。
●このように、そもそもが、全く科学的証明や再現性や論理的整合性を持たない
精神世界や宗教という分野と全く同じように、
「分割自我」という理論も、現時点では「仮説」に過ぎないものであり、
それが理論物理学のように、証明されることもないであろう。
【分割自我理論が提示された時期】
「分割自我」別名「希釈自我」が、地球上で最初に予測理論として明記されたのは、無明庵発行、
>2008年7月「宗教に汚染された地球人」
の中である。
以後、
>2009年10月「無心の禅書/第10巻」
において、個々の人間の自我の容積が平等ではないというコンテンツが
語られたが、この時点では、分割率を、
1/2、1/4、1/8、1/16などと、単純な2の倍数分割の希釈率としていた。
また、この当時は、自我は希釈されているという説明のみに留まり、
それを復元する方法は、発見されていなかった。
>2010年6月「分割自我復元」
によって、復元方法が試作された。
その後その復元法は、イメージにおける「クーラーボックス」の使用や、
「回収地域と時間帯を限定しない」という改善を加えつつ、
現在もまだ、試験運用中である。
2011年1月現在、
自我の希釈率の判定を試み、また、復元作業によるものと見られる、
「自我復元」の明確な痕跡を、多数の人たちの報告に垣間見ることとなった。
ただし、原型自我(全自我)とは、俗にいう「大我」や「真我」とは
全くの別物であることに注意が必要である。
「全自我」とは、人間という生命形態の「正常なスタートライン」を
意味しているものであり、瞑想体系や神秘学と混同してはならない。
【分割自我論と他の精神主義との違い】
●分割自我理論は、人間が生まれた時点で、不平等な状態にあることの
理由として整合性を持つ一つの仮説である。
●たとえばそれまでは、生まれながらに人間が持つ、
「魂の五体不満足」の理由については、
曖昧な憶測やエドガーケーシーや、東洋宗教の言い分を鵜呑みにして、
個々の前世での言動(カルマ)といったもののせいにされてきた。
それらがその個人の一生に何らかの影響を及ぼしているという仮説を、
多くの人たちは、ほとんど疑問を持つこともなく、また主体的に検証することもなく、
信じきっていた。
そこに何ひとつも科学的証明も、理論的な立証もないような、
ただの「催眠状態にある霊能者たち」の言い分や、
地獄絵図を見て信じたり、
他人が言った天国や天界の話を聞いたりして、
人々は、「なんとなく、そのような気がする」という理由だけで、
「単に信じていただけ」である。
●一方で、「分割自我理論」は、その個人が前世の言動によって
何かの制限を受けたり、その人生の運命を決定されているとは定義しない。
人は何をしようが、何を考えようが、基本的には自由であり、
カルマなど存在せず、カルマの清算義務なるものも存在せず、
従って、人がどう生きようが、
死後の罰則も、死後の報酬も存在せず、
あなたを間違いによって処罰したり、
あなたに正しさを説教する存在も存在しない、
とするのが「分割自我理論」である。
●死後に、唯一存在するのは、
その個々の本人の持つ「宇宙観」「世界観」と、それに基づく「意志」のみであり、
それが、次の生の「選択内容を決定する」と主張する。
つまり、もしも何度生まれても、同じことを、繰り返しやっている人は、
単に、彼らが、それらに飽き足らないで、
そうしたいと望んだだけのことである。
その現象そのものを、裁いたり、あるいは褒めて賞賛するような存在は、
あなたの死後には存在しない。
●また人の個々の生の「宿命論」や、
宗教倫理に基づく「生き方の是非」といったものは、
分割自我理論では、問題やテーマにされない。
「分割自我理論」が唯一問題にするのは、
人間の「資質」が不平等な状態で生まれてきている可能性が大であるという点である。
またその不平等さは、人間の自己責任と出来る部分は、半分以下であり、
明らかに、人間自身の責任によるものではないような、
「外部の存在」からの干渉や、支配や、強制があった事が問題なのである。
●その結果として、
人間の個々の「言動の何が良いとか悪いとかの問題ではなく」、それ以前に、
人類は、何かの病理を持つか、または、極めて「不完全な状態」にあり、
どうやら、その劣化は、段階的に「何かによって加速されている形跡」が
ある事を観察し、その仮説の根拠とした。
●ここで言う「自我の不完全な状態」とは、いわゆる宇宙の「原初意識」を、
「完全体の基準」とする考え方とは全く異なる点に注意が必要である。
なお、この「原初意識」と「悟り」との関係についての明確な定義は、
>「虚無の微笑」(2006年8月発行)
に記述された。
一方で、分割自我理論でいうところの、「原型自我」とは、
この地球という惑星の物質次元における人間という種において、
最初に自我が設計され、試作され、パイロットテストが行われた、
その「初期の時期」を「完全な原型」の基準とした場合に、
「不完全である」という意味である。
●人間の個々が、生まれながらに、自我としての「五体不満足さ」を、
違う分量で含んでいるという理論が「分割自我理論」であるために、
自我の欠損状態は、たびたび「生まれつきの身体的欠損」に喩えて説明される事が多い。
●「分割自我理論」が、他の精神世界の「成長論」とは全く異なる点は、
他のすべての精神世界および宗教の言う「成長論」が、
>「個々の人間が得ることのできる快楽や安心感は、
>本人の努力次第でどうにかなる」、と主張しているのに対して、
>「分割自我理論」は、
>本人の努力と意志の「限界」の存在を断言している点である。
●一般的な精神世界、あるいは人間社会では、ハンデは乗り越えられると考えたり、
あるいは、生まれながらのハンデは、
別の代用品や、代用分野によって、補うことが出来ると信じられている。
たとえば、知識は学ぶ事で得られる。
教育や洗脳によって、ルールや行儀を覚えさせることが出来る。
身体能力は鍛えることで発達させられる。
霊的な力(気やオーラ)も、外部から補充することは出来る。
そして、自分を見つめれば、自己啓発は出来るとする。
それが過去数千年、一般教育をも含めて、
「人間は、自分の何かを改善する事が出来ると称する分野」が、
主張してきたことである。
また実際に、分野を限定すれば、それは事実であり、効力も持っていた。
●しかし、人間が生まれてから死ぬまでの一生の間、
どう逆立ちしても、変えられないものが存在した。
むろん、そのごく一部は、
文明の発達によって、変えることも出来るものとなった。
たとえば、過去の時代には、容姿を変えることは出来なかったが
現代では、美容整形がそれを実現した。
過去の時代には、臓器を交換することは出来なかったが、
現代では、医療移植が、それを可能にした。
●しかし、
もしも自我が、原型から欠損した状態で生まれてきたとしたら、
それを改善する方法は、どこにも存在しなかった。
つまり、何かを、意識する、知覚する、考える、意志する、行動する、
これら全てに根本的な支障をきたす、自我の希釈は、
電気製品を動かす「電圧の低下」にも喩えられた。
つまり電気製品がどんなに良く設計されていたとしても、
そこに流れる電圧が足りなければ、元々の性能も機能はしない。
しかも、その足りない電圧の根本原因である自我の容量は、
一生変えられないという現象(ルール)によって、
現在では、多くの人々が、子供のころから「生の実感」を持てないような、
希釈された生命経験をしていることこそが問題であった。
●この生の実感を持てなくなる原因である、曖昧な知覚力と思考力は、
それ自体が、異常事態なのであるが、
その異常事態が、数千年も続いたために、
地球の人々は、そのことに危機感や疑問を持つ意識すらも失ってしまった。
【希釈自我=生きている実感の欠如】
●その結果、2011年現在、世界中に最も蔓延している人間の心理状態を
指摘するならば、それは「生きている実感を持てない」という、
心理状態である。
かといって、完全に生の実感やリアリティーを無視できるほどには、
完全な無意識状態にもされていないために、
個々の人々は「特定の苦痛」だけに対しては、それを現実として実感し、
それ以外に対しては、現実感覚を持てない、という、
極めて「中途半端な心理的葛藤」を生み出すに至った。
●これに異を唱えることは、
1920年代の生まれの人たちでさえ出来ないだろう。
昭和の時代に、生きている実感を持てない人間が、どれほどいたのか、
あなたの人生を思い出して欲しい。
むろん、どこの世界にも、どの時代にも、生に対して虚無感を感じる人々は存在した。
しかし、その人口比率は、明らかに今日とは異なっていたはずである。
終戦直後の時代に、
今の10代、20代、30代、40代の中に見受けられるような、
喜怒哀楽の薄い、生の実感の薄い人たちなど、少なかったであろう。
時代を遡れば、明治維新、明治時代、「生きている実感がしない」などという
人間はどれほどいただろうか?
江戸時代、そして、さらには、戦国時代に、
「生きている実感がしない」などと言った庶民がどれほどいただろうか?
むろん、少数は常にいただろうが、この現在のような比率ではあり得ない。
全自我である場合には、たとえ強烈な虚無感を感じたとしても、
その真逆に位置する、強烈な生の実感をも感じるのが当たり前な
正常な反応なのである。
●つまり、時代とともに、あるいは「人口の増加」と比例して、
意識、実感、意志といった「人間の基本的な機能」そのものが、
何らかの低下と劣化を起こしている、というのが分割自我理論の前提である。
これは、モラルの低下や、教育内容の変化や、社会環境の変化や、
科学技術による生活変化といった、そのような、「二次的な現象」に
原因を求めることは、もはや不可能であり、
むしろ、人間の根本的な「何か」が、劣化を起こしていると推測することの方が、
人間の持つ性質の、どの領域での「劣化現象」に対しても、
整合性のある論理であるとするのが「分割自我理論」である。
●さて、そもそも、自我が欠損などを起こしているのかどうか?
あるいは、自我が分割されることがあり得るのか?
さらには、それは誰が何の為に行ったと推測されるのか?
についての概略説明が次項である。
【今までに起きた二つの不幸】
既に述べたように、
自我が分割され希釈された事が根本原因であると見なすのが、分割自我理論であり、
従って、分割自我理論においては、
次のような要素を、人間の劣化の原因とは認識しない。
1−社会の変化
2−自然環境の変化
3−教育の変化
4−家族の変化
5−食物の変化
6−通信電波や家電製品による生活形態の変化
7−医療用の薬品の乱用。
むろん、これらは「より酷い劣化を起こす要素」ではあるが、
「根本原因」ではないとしている。
むしろ、これらの環境変化の中のうち、
「悪化するような変化」を起こした分野では、
その根本原因が、希釈自我が蔓延したことにあるとする。
●つまり、たとえば、家族関係が異常な状態になったのは、
「自己責任」は、むろんそこにあるが、「根本的原因」という視点から見れば、
社会のせいでもなく、教師のせいでもなく、親のせいでもない。
それは、「希釈自我という状態にある」ところの社会、教師、親、
そして家族全員と、子供自身のせいであり、
根本的な原因は、希釈自我の増加にあるとする。
●従って、自我復元を行なわないかぎりは、カウンセラーや他者が、
どれだけの真実や解決法を、相談者に助言しても、
相談者は、決して自力では解決出来ないのが現実であるために、
個別のカウンセリングや、いろいろな精神世界体系は、
根本的な解決には、ほとんど効果がないとする。
(相談者の抱えた問題が重篤であるほどに、解決は困難になる。)
●また、人口増加と転生という概念の矛盾については、「分割自我理論」においては、
次のような要素を、地球上の人口増加の原因としては認識しない。
1−別の天体からの転生
2−別のパラレルワールド(水平方向)からの転生
3−別の霊的次元(垂直方向)からの転生
4−別の未来の時間軸からの転生
5−別の下位次元からの転生(一例として動物の世界から)
人口増加と、自我の希釈現象とは「比例」し、
人口増加の理由は、自我の分割によるものであるとするのが、
「分割自我理論」が提唱する「論理上の仮説」である。
*********
●その自我分割は、「誰の手によって、何の為に行われたのか」、
ということについては、論理の領域ではなく、
「創作神話」というレベルで捉える必要がある。
その点においては、
世界中に蔓延している、宗教や精神世界の情報と「分割自我理論」とには、
なんらの差もない。どちらも「ただの神話(御伽噺)」にすぎない。
その前提の中で言うならば、
その「分割自我神話」は二つの不幸な事件から構成されている。
>●ひとつめの不幸な事件は、
>分割される前の、そもそもの「全自我」それ自体の発明である。
もともとは、ある宇宙的な体積(広さ)をカバーしていた原初の意識の断片を、
個人という人間の肉体に、さらに断片化して「封じ込めること」によって、
生物の中により高い「感情エネルギー」を発生できると「どこかの誰か」が考えたのが、
その始まりであった。
その動機は、むろん誰かが創作した生物が知覚して、「感情」として認識する、
恐怖、愛着、嫉妬、怒り、無気力、自己嫌悪、快楽、焦燥感などを収穫し、
それを「彼らにとっての精神薬」として服用するためである。
いわば、それほどまでに、その彼らは精神的に「疲弊」しているということである。
●ただし、この第一の不幸は、それでもまだ「救い」を持っていた。
その第一の実験が地球で行われた時期の特定にはまだ至っていない。
推測では、紀元前3500年から紀元前2万年ぐらいの時期かもしれないし、
もっと前なのかもしれない。
ロバートモンローが「圧縮学習」あるいは「クルージング」と呼称していたのは、
あくまでも、この人類を試作した「初期の時期」における、
地球の経営方針に過ぎなかった。
圧縮学習とは、文字どおり、偏在していた意識がそれまでよりも、極端に密度の高い
狭い肉体に押し込められることで得られる、生命経験のことである。
●ただし当時は、現在のような、監獄の中の強制労働のような状態ではなく、
人間に生まれることを選択する際に、個々は、主体的に、
いつ生まれて、いつ帰還するかを明確に決定できていた。
●また、そこで、人間が発生する感情や思考を経験してもよいという
明確な契約と同意の手順が、形式的とは言え、常に行われていた。
つまり、ちょっと人間という乗り物を経験し、そして地球を去るという
当然の権利と自主的な選択能力を、当時人々は持っており、
これを、「分割自我理論」では、「全自我」別名「原型自我」と呼ぶ。
●これ自体が、ある意味では、第1の不幸な事件ではあったものの、
そこには、参加者の同意の確認があり、不快感を感じたら、いつでも帰還可能であり、
また、苦痛ばかりではなく、それと釣り合いの取れる、さまざまな快楽や喜びも、
そこにはバランスよく存在していた。
これは現在でも、まだ全自我を持っている人たちが現在のこの世界にあっても、
経験している「正常な自我」の経験である。
>●この、自主性がまだ認められていた第一の不幸に比べると、
>第二の不幸な事件は、第一の事件よりも、百倍も悪質で、かつ不幸な出来事であった。
第二の事件が起きたのは、初期の地球の経営管理者が地球を放棄したのちであり、
これが「管理放棄」であったのか、それとも、
新しい「侵略」や「横取り」による経営者の交代であったのかは、まだ定かではない。
●地球史上の、第二の管理者が行ったことは、
自我という容器(新種の種子)を作る知識と能力がなかったために、
第一の管理者が残した「自我という乗り物」を分割し、それによって、
地球という行楽地の「客席」を増やしたという具合に喩えることが出来る。
ただし元々の客席数、つまり自我という乗り物は、推定で約8億を限界としており、
それ以上の、「薬品原料」となる作物(感情)を大量に生産しようとしたその者は、
質を悪化させた「種子」を用意した。
それが自我を分割して製造した「希釈自我」であった。
●希釈自我という乗り物への勧誘が、
地球外の外来者または、地球から帰還した意識にたいして、
洗脳能力(誘惑力)を持っていた唯一の利点は、
>1−「早く生まれる場所が得られる」
>2−「知覚力を希釈すれば、苦痛は軽減される」
>という、「嘘」によるものであった。
★これについては、次の投稿中に、死後における典型的な
二つのやりとりを記載したので参照のこと。
↓
『希釈しないと、生まれるまでに、待ち時間がかかるという嘘』
http://www.mumyouan.com/k/?U1456
『希釈しないと苦痛が大きく、希釈すれば楽だ、という嘘を含む脅し』
http://www.mumyouan.com/k/?U1466
●しかし、ほとんど大半の帰還人(地球で死んだ人たち)と外来者たちは、
その、自分たちに不利で、不正のある契約に気づくことなくそれに同意してしまった。
●その結果、希釈された自我、つまりは容積の小さな乗り物に乗らされた意識は、
意識が狭い認識と限界の中に圧縮されるだけでも、ただでさえ苦しむというのに、
その上、何かが絶対的に欠けているという不満をずっと持ち続けるが、
決してそれを解決すること出来ないという、別種の「葛藤」が発生した。
●第一の事件の時には、広範囲に偏在していた原初意識の断片が、
人間個人の内部圧縮されたことによる、不快感と違和感と、焦燥感だけに
まだ留まっていたために、もしも、違和感と不快感を感じたら、
地球での生命経験をキャンセルして、降りることも可能であった。
また場合によって、いわゆる悟りによって原初意識に留まる事を
選択することも、比較的容易な時代であった。
●しかし、第二の事件以後の出来事には、救いなるものが全くない。
それは「二重苦」を、人間に背負わせる結果となった。
意識が全自我に封じ込められるだけですら、苦しいというのに、
その自我すらも、欠損しているのであるから、
人間は、意識が元に戻れない不満に加えて、
その意識の器すら不完全であることの不満を、
その無意識下では、ずっと知っているが、
ただし解決も出来ないという、より屈折した苦しみ状態を、
多数の人類が、持ち続けることとなった。
●かくして、自我というものが発明された時点でさえも、
不幸が始まっていたのにも関わらず、
第二の事件では、その苦痛を100倍にもしてしまう不良品を、第二の管理者は
作り出してしまったのである。
また、たびたび、「分割自我理論」において指摘してきたように、
原初の意識に帰還する(悟り)ということまでは、
多くの人々には、全く必要のないことであり、
もしも、そのようなことをしたいのであれば、
まず生きている間に、全自我に復帰して、
そして死後には、地球からいったん出て、
「他の星系」で行なったほうが、はるかに、効率がいいのである。
●一方で、現存する希釈自我の人たちは、少なくとも自我を原型に戻さねば、
それぞれの帰還(地球との契約解除)をする自主的な意識すら持てず、
次回、生まれるときには、現在の希釈率すらも維持できず、
さらに希釈された自我の状態で、送り込まれる可能性が大きいのである。
【分割自我への観察】
●自我の分割率は、この仮設理論が想定された当初は、
単純に刃物で分割するような、割り方であると思われていたものが、
実際に、自我判定を行うと、1%という単位に及ぶ、バリエーションが存在することが
主観的な観察から経験された。
9%、23%、54%といった、整数分数で割り切れない希釈率を見たために、
どうやら、自我の分割は、非常に荒っぽい作業で、ランダムに行なわれている
形跡があるようだ。
それこそ、ランダムにハンマーで割っているか、あるいは、ふるいにかけている
というぐらいに、乱雑なのである。
●なお、自我が死後に、本人の意志によって、
他の自我と結合してその希釈率を増加したり、
あるいは逆に、本人の意志によって、自我を意図的に希釈している
と思わしき事例も、一切なかった。
つまり、死後は、「人間の意志」によっては、
「自他の自我率を操作すること」は、一切不可能であるということである。
>すなわち、自己の自我を個人が「自我復元法」によって増幅できるのは、
>唯一、「まだ生きているこちら側にいる場合だけ」である。
●また、死が確実な臨死体験に入った段階から、
その者が経験した記憶や感情とともに自我は、
管理者の作ったプラントのシステムによって、
ゆっくりと管理者側のコントロール下への移動が始まっているらしき事
が観察された。
(これが回収率向上の困難さにも関係している可能性がある)
●現時点では、自我を修復できる方法は、自我復元法以外には存在しない。
●幾度か、自我を希釈分割するということをしている、
その張本人のシステムの調査を試みたが、
物理的な位置ではないという前提で言うならば、
そのシステムは、地球の衛星軌道上の、特定の座標に固定されて、
存在している「ように」見受けられた。
構造的にはスマートな幾何学形状をしておらず、
建築部品を、継ぎ足し継ぎ足しをして出来た、
あまり造形センスのない宇宙ステーション「のように解釈されて見える」
場合がある。
しかし、それに対してのアクセスや侵入や、プラントの削除や変更などは、
現時点では、人間の知性や意識によっては不可能。
●なお、自我判定法は、今もなお、技術的にも難しく、分析も難しく、
またその判定結果を、100%保証する事も困難である。
ただし、自我復元法は、機能した場合には、100%その効果を
保障できる。
現在、最も復元がなされた事例は、
全自我を100とした場合の92%までの復元率。
最も低い復元率は、ゼロ%(理由は不明)
●また、自我の復元は、時間とともに正比例して復元されるのではない。
復元は、自我率の低い状態からの復元は比較的早く進むが、
>半分の1/2自我を超えたあたりから、
>必要となる復元力のカーブ曲線が変わるようである。
これは風船が満杯になるプロセスで送り込むのに必要な空気の量や力に
喩えることが可能である。
●希釈自我の判定の事例中で、
今までに、目だって多く見受けられるのが1/6自我から1/5自我。
では、より低い希釈自我として生まれやすいような、あるいは逆に、
自我率の高い人が生まれやすいような、
そのような、生年月日(星座)や、血液型や、姓名があるかといえば、
そのようなものは、一切存在しない。
ただし、地球上の地域や国によっては、あきらかに希釈自我が生まれやすい
土地の傾向というのは存在しているように見受けられる。
●無明庵でのみ自我判定は行なわれているが、
「自我の判定」には、奇妙かつ、その原因が理解不可能な疲労を伴う。
他の一般的なリーディングにはあり得ないほどの疲労と体調異変が生ずる、
その原因については、現時点では、次のように推測している。
●「自我の壁」「自我という器」は、生存中に、他者のそれと、
干渉や関係や、流通が生じてはならない構造に作られているようである。
●生きている人間が既に死んだ者の過去の自我の状態、
または臨死体験中の者の自我を見ることは問題はなくとも、
>生きている人間が、生きている人間の自我を見たり干渉することには
>問題が生ずるものとみられる。
●従って、そのプロテクトされた「自我」という部品に意識を侵入させたり、
あるいは外部から自我の状態を観察しようとするだけで、
他のリーディング時には決して存在しないような、
「強固な壁」に阻まれることが、
観察者に生ずる極度の疲労の原因ではないかと推測している。
●分割自我を復元するというプロジェクトに切り替えてからは、
無明庵では、特定の相談に対して、アドバイスをするということの
無意味さを痛感した。
>そもそも、自我が復元された人がいたとしたら、
>その人の持つ問題については、本人以上に助言できる者など、
>存在しなくなるからである。
>(その時には、あなたには、占い師も霊能者もカウンセラーも不要である)
また、現時点で仮に大きな問題を生活の中に持っていたとしても、
いちいち、それらの問題解決の為の「具体的な助言」をする意味も全くない。
本人が自分に対して行なう「自我復元」のみが、
本人の問題については、唯一の解決方法なのだから。
(2011年1月24日記録)
「分割自我理論」の「簡単な概略」に関する関連記事
http://www.mumyouan.com/k/?U1457
http://www.mumyouan.com/k/?U1456
http://www.mumyouan.com/k/?U1445
http://www.mumyouan.com/k/?U1436
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最後に、ジョーク。
現時点では、
自我復元を促進するような錠剤の「フクゲナリンA錠」も
液状タイプの「フクゲンナール」も開発されていない。
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そして、再度、お知らせ。
■現時点では、約300名弱の人たちが、「禅書」の注文を
一度はしたことがありますし、
2010年の後半に、自我判定を含む書の注文をされましたので、
現時点では、ここ無明庵の読者の方のほとんどが、
「自我判定」を申し込むことが出来るような状況にはあります。
ですから、もしも、まだ禅書を一度もご注文された事がない方は、
今後、自我判定を再開した場合にも、
初回に判定のご注文は出来ませんので、ご了承ください。
>■自我判定を注文される場合の「判定の御依頼時の注意点」
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T4034
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