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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1612]
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●無明庵日記「猫の足跡=その368=」■福島原発事故■人は、なぜそこに関心を向けるのか?
by:
鈴木崩残
2011/10/01(Sat)06:39:54
あなたはなぜ原発問題に関心を持つか?
●大地震と原発事故が起きてから、多くの人達がブログを立ち上げたり、
または、ブログで取り上げる内容を変更したりして、原発問題に
関心を向けていますが、
「なぜ関心を向けるのか?」という点について、自問している人は
ほとんど見かけません。
●ちょうど、重大ニュースが流れれば、
それに流されてゆくように、意識的に原発の話題を選択したというよりは、
「なんとなく」という人がほとんどのはずです。
「なぜ、原発問題に関心を持ったのですか?」と質問すれば、
「そんなの当たり前じゃないですか。こんな重大な社会問題なのですから」
という程度の答えしか帰ってこないと思います。
●しかし、それでは駄目だと私は常に思っています。
それは、情報に流されることの一種だからです。
そこで、必要なのは、各自が、なぜ自分は今原発問題に関心を向けているのか、
を自問することです。
●この問題こそが、私が梅の間で定期的に、皆さんに問いかけていることの本質です。
何かのスキャンダルに一喜一憂するような調子で原発問題の記事を集めたり、
分析したりするような事にならないためには、結局のところ、
>「私と原発問題」というテーマで、
>「自分の中の何と接点があるのか?」を常に意識化していなければなりません。
●本題に入る前に、分かりやすい「たとえ」を話します。
ある街の、住宅街に接し、地権者もいる緑豊かな地域に、
マンションの建設計画が持ち上がったとします。
しかし、そこでそれに反対するにしても賛成するにしても、
個々の住民がどうしてその建設問題に関心を向けるのかは違います。
・たとえば、ある人たちは、そこの自然を守りたいから関心を持つ。
・ある人達は、自分たちの家が影になるので日照権から関心を持つ。
・ある人達は、地権者だから関心を持つ。
・ある人達は、立ち退きの補償金の金額交渉にだけ関心を持つ。
・ある人達は、その建設業者が悪い企業だと知っているから関心を持つ。
・ある人達は、工事の騒音で、病人の家族が心配だから関心を持つ。
などなど、そのマンション建設に対する「関心の理由と動機」は、
住民各自・各世帯によって異なります。
●そして、原発問題についても、同じことが言えます。
なぜ、原発問題に、あなたは関心を向けているのか、
ということを、立ち止まってよく観察し、
>私が「桜の間掲示板」で説明したところの「関心マップ」を精査すると、
大地震と原発事故との「リアリティーの接点」は、個々、または地域によって違います。
★『関心地図』の作り方を参照
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S36
●すると、自分自身との根本的な「接点」だけではなく、
今、自分にとって「何が重大な問題あるのか」という「優先度」も個々で違います。
●こうしたことの自覚、自問なしに、原発問題のあれこれの側面に
アンテナを伸ばすのは、その理由としては、
情報収集をプロの仕事として行っているとか、
あるいは、自衛の為、または、気がついたらば、なんとなくそうしていた
といった無自覚なものまで、いろいろとあるでしょうが、
今一度、「なぜ関心を向けているのか」を問う必要があります。
なぜならば多くの人は、
関心を「向けてしまう」または「関心を向けさせられる」
あるいは、「気がついたら、関心が向いてしまっていた」という状態で、人生の大半を過ごし、
意図的に、目的に添って意識を向けたり、向けないようにするといった
意識化をしていないからです。
●そこで、原発問題に対して、頭が暴走している状態に任せるのではなく、
どれぐらいのリアリティーを本当に自分が感じ、どれが最も自分個人にとって重大な問題であるのか、
あるいは、重大だと思い込んでいるだけなのかを意識化することが重要です。
●私達は、テレビに出る学者でもなく、専門家でもないのですから、
地震と原発問題から、関心の対象として、どの部分を切り取るかは、
全くの自由です。
何かの持論や、自分の立場を死守しなければならないといった制限は
何もありません。
昨日まで推進派の意見に賛同していたとしても、今日から反対に転じた
ところで別に何を失うわけでもありませんし、その逆もしかりです。
その自由であるはずの中で、自分が原発や地震の問題の、
どの部分に最も関心があるのか?どの部分が本当にリアリティーを伴っているのか?
それを自問するのに最も良い方法は、次のように自問することです。
>「明日で、あなたが死ぬ事が確実になったとします。
>そして、最後に、『私と原発・私と大災害問題』について、
>たった一つのテーマ(切り口)でしか書いてはならない。」
そうした状況の中にいたら、あなたは、何をとりあげて書くかです。
_______________________________
自分の関心そのものを問うこと
●人間というのは、その人生の生涯を通じて、関心をひっぱられる
という偶発的な現象によって、支配されている面が多々あります。
簡単に言えば、あなたの家の外で、車が衝突する音を聞いたら、
「なんだろう」と窓から外を見るというのと同じです。
個人差がかなりありますが、関心は「向ける」というよりは、
「関心をひかれる」という受動的な状態にある方が多いわけです。
●では、ここから、本題の原発事故問題・または地震についてです。
どうして私達の多くがこの問題に今関心を向けているのかを、
「当たり前」のように考えずに、よく解析してみる必要があります。
「その関心の原因」として考えられるもの、
「その関心を刺激したものは何か?」ということが重要です。
すると、ランダムに羅列すると次のようなものになります。
そして、必ずしも日本国民全員が、これを共有してはいないことが
重要です。
■放射性物質の飛散が、自分や家族の食べる食品や水に含まれる。
■莫大な復興財源のためと称して、増税で自分の生活が苦しくなる。
■津波で自分の家がなくなった。今の避難生活はどうなるのか?
■原発による汚染で生活がめちゃくちゃになった。これからどうしたらいいのか?
■地震によって、家が壊れたり傾いた。どうしたらいいのか?
■復興と賠償問題は、これからどうなるのか?
■また大きな地震が起きるのではないか?だとしたら生活設計はどうするか?
■陰謀論で騒ぐことにしか関心のない者たちの関心の方向。
■こんな政治では、日本はどうなってしまうのかという不安からの関心。
■プラントはどうなっているのか?
もっと沢山ありますが、分かりやすい例としてこのあたりにしておきます。
●さて、自分はどうか?と私自身が自問するとき、
私にとって、本当にリアリティーを感じたのは、まず地震の揺れです。
この点でも、前に書きましたが、あの揺れを経験しなかった西日本の人達は、
それだけでも、本当の意味での現実感は薄いと思います。
●次に放射性物質への危機感ですが、それが将来、確実に私達を
蝕む結果になるのが確実な現実であるとしても、
現時点では、情報を元にして「危ない」と思っているにすぎません。
それが現実に、国内で奇形の子供が生まれてきてしまったり、
または自分が放射性物質に由来するガンになれば、
その現実感はもっと変わってくるでしょうが。
●行方不明者を入れて3万人以上の人達が死んだという事実。
これは、報道が遺体の写真や凄惨な現場の動画を規制するせいもあり、
被災地にいなかった私は、実感は持てません。
現地に立ち入れば、現実的な実感が生ずることは間違いありませんが、
今自分のいる地域では、それを実感することは困難です。
■では、
・官僚の腐敗問題、
・原発の欠陥設計と管理不備の問題、
・安全神話の裏側の醜さ、
・外交や政治問題、
・原発労働者の問題、
・土壌と海洋汚染の問題、
・今後の国民の被曝・発病・死亡問題
・食品問題、
・地震問題、
といった、膨大な情報が流れてくる中で、
>たったひとつしか、切り口を許されず、これが最後の原稿になるとしたら、
>「私と原発事故」というタイトルで、
>私も含めて、皆さんは、何を最後に書くか?ということが重要です。
つまり、本当のところは、「何に」最も関心があり、
さらに、「どうして」自分はそれに関心を向けているのか?です、
_______________________________
■個人的なことですが、極端なことを言いますと
もしも、これが「戦争」という有事であり、
私のところに赤紙が来たとしたら、
私は、それを拒否して、投獄されるなり、死刑になるなり、
どうなるにしても、全くその戦争には関心も向けず、投稿も書かず、
毎日、瞑想か座禅でもして、全く無為に過ごすと思います。
ただし、それは私が戦争に反対であるからではありませんし、
有事の際の人殺しについては、状況次第によっては、私は悪いとは思ってもいません。
私がそれを拒否する最大の理由は、
もしも私が人を殺すのであれば、それは自分が自分の意志と理由によって、
決めた相手しか殺す気はないからです。
「他人の命令で人を殺す」なんざ、まっぴらごめんです。
また、そもそも、もしも、戦争が勃発したらば、
その戦争の結末以後の未来100年間を、私は予測済みなので、
確定している未来になど、関心を持てないのです。
ですから、本格的に世界戦争になった段階では、
私は社会に対しての関心を全く失うと思います。
その時、この掲示板には、何も書かれていないと思います。
■では、今、どうして書いているのかですが、
たとえば、電力という身近なものに原発が関係しているから、
というのは違います。
今回の原発問題では、原発に都会が依存しているからということを
問題意識を持つべき理由とする人もいますが、私はそうではありません。
今年の夏の数ヶ月は、我が家では電気代を25%節約しました。
29%節電すれば、東電管内の原発はいらないはずですから、
30%を目指したいと思っています。
うちは企業ではないので、そのように個人で、出来ることはありますが、
しかし、電力というものが、水道水のように身近なものであり、
それが「無計画停電」になったりしたから、原発問題に関心がある
というのとは私は違います。
食品汚染については、
自衛するために、食べる食品の種類や量を減らせばいいと、
今のところは考えていますし、現実にこの数ヶ月は、既に、
関東の産地の野菜は買わず、汚染がまだ少しはマシな北海道や長野産のものを
買うようになりました。
(千葉、茨城、群馬、栃木、東北産は全く買っていません)。
将来の地震については避けようがないので諦めています。
現実感覚の整理を
●このように自己観察をして、考えてゆくと、
自分に直接に関係する問題と、
そして自分には直接に関係しない問題も含むにも関わらず、
人々は、今回の災害について、「いろいろな方向への関心」を向けているわけです。
そのような中で、私が終始、関心を持ったのは、
個々の人間が、個別にその「現実感」を形成している部品のうち、
どれが重要性を持つかです。
●そして、その重要性とは、「生きるために重要」というものではなく、
むしろ逆に、
>「悔いなく、死ねるためには、どれに関心を向けるのが重要か」という問題に回帰します。
無明庵というところは、今も昔も、
メインホームページの、そのタイトルどおり、
「性と死のホームページ」であり、
「性」の問題は、とっくに決着と結論がついたので、
今は「死のホームページ」です。
●私は、この震災後、何度か皆さんに「内部接続」という用語を使いましたが、
昔から、ここを読んでいる人たちが、今しなければならないことは、
自分が、接続して良いものと、接続しなくていいものを「仕分けること」です。
私が震災という機会に、内部接続をしろといったのは、
この震災が、「国そのものを振動させたものである」ために、
これほど大勢の人達が、同時に、
この日本列島、または日本民族というものと自分の中にある接点を
接続できるのは、ある限られた期間だけである、という意味です。
ですから、この地震と原発の災害に、関心を意図的に向けて、
そのことによって、集合意識との接点を作っておきなさいという意味です。
ただし、その集合無意識の中には、いろいろな層があり、
どこと接続し、どことの接続は拒否するという「コントロールされたもの」
でなければなりません。
●「私個人」は、何度か書いたように、「人間の集団的思念の力学」
という観点から、今回の震災後を観察し続けています。
震災が起きる前と、起きた後では、
集団的な思考の世界にどういう力学が働いているかです。
また、原発問題をめぐって登場する、いろいろな人達の「自我率を観察すること」も、
私個人の作業ですが、これは皆さんには全く関係のない、私個人のテーマです。
私個人が、なぜ原発問題に関心を向けるか、
とりわけ、どの部分に関心を向けるかということは、
私個人では明確になっていますが、それは皆さんが模倣することではないものですから、
各自で、「自分と原発の関係」について自問し、自己観察して結論を出してください。
ずるずると、惰性と、勢いだけで、暇つぶしに情報を追うのではなく、
>どの情報に関心が最もあり、
>なぜ自分は、それに関心を向けたのか、
>今日で最後の原稿になり、ひとつだけ論点を絞るとしたら、何を書くか。
>それを、何度でも自問し、自己分析することです。
そして結論が出たら、あれこれの情報を、無自覚に、かき集めるのではなく、
これが自分個人の最大の接点となるテーマだというものに絞り込んで
ゆくことです。
今、現在、そういう内省的な作業をしているサイトやブログは、
本当に、指折り数えるぐらいで、僅かしかありません。
(今の時点では、たったひとつしか見たことはありません)
●
■奇しくも、私が震災発生の数分(数秒)前まで書いていた投稿は、
>人間が知覚し、認識している「現実認識とは何か」という問題でした。
これは、つい先月あたりも、もう一度、私自身が、自分の関心を
ゼロ状態に消去するために、蒸し返したテーマです。
つまり、「森羅万象 無価値」論です。
一定期間、テレビも見ず、ネットも見ず、
原発や社会問題から一切、自分の意識を切り離してみてから、
意識を再起動し、そこからもう一度、見渡し、
皆さんが自分の「関心地図」を注意深くチェックしてみると、
自分が関心を向けるべき現実は、整理されて自然淘汰されるからです。
■強いて言えばですが、私が、ここの世界にこの時代に生まれて、
物心ついた時以来、ずっと一環して、私がこの世界でやっていることは、
自我復元法を通じてもそうであり、
また大局的に見れば、悟りの問題を通じてもそうであるわけですが、
>皆さんの意識の原初的な「視点」とは、
>その知覚対象物や、神経情報、思考内容、記憶や知識、
>さらには、今ここで感じているリアルな感覚をも超越して「ずっと賢い」、
ということを、思い出してもらう作業の、「ささやかな手伝い」であるに過ぎません。
それは、ごくごく簡単なことなのですが、これを思い出せないことが、
希釈自我の乗り物と契約してしまった皆さんの側の責任の一因でもあり、
また、それぐらいの「基本」すらも思い出せなかったらば、
とてもではないですが、これから、皆さんの肉体が死んだのちに、
外宇宙に出て、そこの多種多様の生命体と渡り合うことは出来ません。
書を書いてみました。
草書体をさらに崩したもので、左『災』 右『災難』
無無心の書(創作書体)
『災難』(特に左の書が、いかにも災難という怖さが滲み出ました。)
●
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