▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは「質疑応答用の掲示板」
2013年12月までは「禅書道」と「原発事故関連記事」
2014年以後は「テーマを決めない日記」になりました
★
「無明庵の書籍の案内」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1703]
■
無明庵日記●猫の足跡-その454 『明治・大正という時代』
by:
鈴木崩残
2012/04/29(Sun)01:14:11
●本題に行く前に、以前に、梅の間で、私の夢にエンパイアステートビルが
出てきたという話がありました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1658
関係の有無はわかりませんが、少し気になったのは、次のニュースです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=popZQ5Ey0yQ
●ちなみに前投稿に書きましたように、本日29日から遅くとも30日までに
国内でM6クラスの地震が起きないと、
今回は、めずらしく、私が地震予測を、外す結果となります。
・では、本題です。
____________________________________________________________
明治・大正という奇妙な時代
今日、「華の乱」(監督 /深作欣二)という邦画を見た。
↓
http://www.bs-asahi.co.jp/theater/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E3%81%AE%E4%B9%B1
●一言に言えば、あらゆる描写が生々しい。
最後に出てくる、関東大震災のシーンのロケセットも非常にリアルであるが、
私が今回、投稿をしてまで書こうと思った理由は、
この映画の中て描かれる、インテリアや、家具などである。
いや、もっと正確に言うと、この映画が極めてリアルに、
大正時代の空気感を正確に描写しているので、
この映画を通じて、明治、大正という時代を、私がリアルに感じたということと、
そこに何を感じたかを少しだけ、書いてみたいと思う。
●見たのは、主人公らが心中をする少し前からの最後の方だったので、
ストーリーは、それほど重要ではない。
私がこの映画で最も見入ったのは、
この時代の、「日本人のファッションの奇妙さ」である。
欧米の植民地になったわけでもないのに、
スーツを着て、洋館を立て、欧米の家具に囲まれ、
時には、そんな建物の中で、着物を着ている。
●幕末から明治に変化したときの、
「文明開化」という言い方も、どうも「自虐史観」っぽくさえある。
日本の江戸文化が、ヨーロッパではエキゾチックで斬新なものとして評価されたように、
日本は、そんなに非文明的な後進国だったわけではないのであるから。
●にも関わらず、この映画で描かれている時代は、
日本人のアイデンティティーが、実に曖昧なものになっている。
私の感覚で見ると、江戸時代まで、きわめて自国らしい文化があったのに、
明治維新になった瞬間に、革靴を履き、背広を着て、
まったく欧米の文化をそのまま真似ている姿には、違和感を持たざるを得ない。
他の国でも、こんなに早く、他国の文化に警戒心もなく染まるのは珍しい。
既に書いたように、明治時代、日本は開国は強要されたものの、
何も、他国の植民地になったわけではないのだ。
にも関わらず、着物を捨て、刀を捨て、文化まで捨て、
天皇も和服から洋装となった。
●だから、エドワード・シルヴェスター・モースのように、
「日本のよき時代が失われる事を予見」して、
日本の民具や陶器を集めるような西洋人も出てきてしまうのであった。
●しかし、冷静に見ると、実に滑稽だ。
たとえ欧米の文化を取り入れるにしても、もう少しミックスの仕方
というものがあったろうし、時間もかけるべきだった。、
数十年前まで、着物を着ていた人達が、背広や洋服を着ているのを見ていると、
なんとも、ちぐはぐな印象ばかりが目立ち、
私には、ちっとも、大正ロマンには思えない。
●そして、この明治時代に確立された、日本の法律や、特に財閥が、
今日の原子力ムラに繋がる利権構造や、二度の過去の戦争に関わってきた。
つまり、この過去数百年に限れば、私達日本人にとっての大きな転機は、
「明治維新」と「敗戦時」の二つだが、
どちらを見た場合にも、それは、「素晴らしい変化」ではなく、
自虐史観に基いており、
より、欧米諸国の文化侵略や経済支配を受ける形になっていた。
やはり、今の日本があるのは、「江戸時代」の文化と当時の気質を
かすかにでも、保持できているからなのかもしれない。
江戸時代はそれはそれで、政治的には腐っており、
だからこそ、「倒幕劇」となったのであろうが、
その時点から、ユダヤ資本の金貸し野郎どもが、
日本にうろうろしていたのであるから、
少なくとも、大きな間違いは、明治維新から始まったと言える。
日本という国それ自体に、集合的な自我があるとしたら、
そこで、まず近代における、大きな妥協と希釈が起きたのである。
あるいは、自我が希釈された結果、
欧米諸国の圧力に屈したと言えるかもしれない。
もしも、自我の希釈が起きなければ、
世界情勢の中で、あやうく拮抗する位置にあったかもしれないが、
それでも、日本は、江戸時代からゆっくりと時間をかけて、
今のこの現代文明を、もっと日本独自の形で築いていたかもしれないし、
ファッションだって、やみくもに欧米を摸倣するのではない、
別の形式になっていたかもしれない。
また、二度の過去の大戦においても、
そこで、世界の中で、日本がどう振舞ったか、どう自国の主権を保ったか、
そういうことを考えると、
違う世界線(パラレルな世界)では、そうやって育った「別の日本」が、
どこかにあるのかもしれないと、私は思ってしまう。
つづく
__________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1703 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -