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掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1710]
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無明庵日記●猫の足跡-その461 ■最近の禅書作品■
by:
鈴木崩残
2012/05/15(Tue)07:11:41
最近の禅書作品
●これは、ご注文ではなくて、謹呈で書かせていただいたものです。
今年前半の、最高傑作となりました。
↓
ふたつとも『泰龍』(たいりゅう)
『泰龍』『泰風』(たいふう)
●滲み書を、光に透かすと面白いというメールを戴きました。
「滲み書」について
素敵な滲み書をありがとうございました。
最初見た時は、部屋の中の照明が当たって、
きらきらと輝いていてきれいだなあと感じました。
「これが滲み書か、他の書とは全然違うのだなあ」ぐらいしか思いませんでした。
しかし、滲み書は、色々と遊んで、楽しめることが分かりました。
部屋の照明の光りに透かして見てみました。
これは、驚きました。
墨が薄いのと濃淡があるため、光を通して見ると、
より鮮明により立体的に見えてきます。
ある部分は浮かび上がって見え、ある部分は、その逆に見えます。
その後、光を透かさず、普通に見てみました。目に残像があるせいでしょうか。
同様に、立体的に浮かび上がって見えます。
これは、色々と楽しめそうだと思い、次は、太陽の光に透かしてみました。
自然の光の場合、よりやさしく、より鮮明に、また違って見えてきます。
やはり、自然の光を通した方が、その書の良さを実感できます。
また、同じ光でも、朝と夜では、その表情が違ってきます。
夜の方が、ちょっと幻想的に見えます。
今の住まいの環境では、なかなか難しいですが、
月光に照らしたり、透かしたりしてみると、
もっと幻想的に見え、より楽しめるのではないかと想像します。
以上、簡単ですが、感想の報告をさせて頂きました。
・・・ということで、試しに蛍光灯に透かしてみました(左写真)。 右は『泰龍』
『酔龍(すいりゅう)』『酔』
↓筆の動きの面白さ。これは相当に乗っている時の筆の勢いです。
■それと、博士君についての感想も戴きました。
●「相談員、博士くんの巻」を見ました。
感想を出そうかどうか迷いましたが、博士くんとセリフとのはまり具合に
余りにも感激したので、感想を書かせて頂きます。
最初、見た時、余りにも面白くて、笑ってしまいました。
博士くんの表情とセリフが余りにもはまっていて、たまらなく面白かったです。
セリフと表情・仕草等とのマッチングが絶妙だと思いました。
実写版の4コマ漫画といったところでしょうか。
しかし、4コマ漫画と違い、よりリアル感が伝わってきます。
多くの博士くんの写真画像や映像を見させて頂いているからかもしれません。
とても品の良い相談員のおじさんと言った感じです。
何度見ても、面白すぎて、プッと吹き出してしまいます。
こんな事を、ちょっと、勝手に想像してみました
・もしも博士くんが、小出さん風の原発反対派だった場合の巻
・気の強い女弁護士、ブリジットの巻
・かわいい女子アナ、ラインちゃんの巻
別の話題ですが、
以前、崩残さんに禅書を依頼した際、「笑」という文字が、
自動的に「花」という文字に変わったことがありました。
今、改めて、思うと、実感として、よーく分かります。
花は、私の心を、喜ばせ、笑わせてくれます。
余談ですが、実は、私も「ポメラ」を只今、愛用中です。
自我復元ブログの方が最初にご紹介して頂いた時に、真っ先に飛びついていました。
___________________________________________
「限界都市」雑感
●一つ前の投稿で、「新宿が死んでいる」という事を書きましたが、
池袋、上野、東京、品川あたりの駅前も見てみないと、なんともいえませんが、
私の推測では、差はあれど、どこも同じように衰退していると思います。
●たとえば、もしも今後、首都圏で直下型の地震が起きた場合、
言うまでもなく、車両やガソリンスタンドなどの店舗そのものが凶器になります。
また、帰宅困難どころか、帰宅する場所が火災になります。
そして、鎮火したあとでも、食料、水といったものは、
近くのコンビニや商店に行って調達したり配給を待つしかありません。
つまりどういうことかと言うと、有事の際に、サバイバルをするには
都会ほど、生存率が悪いところはないということです。
●大都会は一見すると、平時は、いろいろと便利ではありますが、
一度大災害に襲われたり、物流が止まった場合には、
地方で起きる災害とは比較にならないぐらい、人口密度が高いですから、
物資の支給や、災害救助も、おそろしく困難になります。
結局のところは、都市部で、大地震とその火災による大規模な災害になれば、
人々は、身寄りを頼って、地方へと避難したり、
他の自治体の受け入れによって、疎開するしかなくなります。
都市部というのは、正常に機能していれば便利そうに見えても、
大災害や有事の際には、水や食料の自給自足すらも全く出来ません。
●それに比べると、本格的な地方や自然環境ではなくても、
関東地方やその周辺の住宅街の方が、高層ビルがないだけ、少しマシですし、
また、もう少し「閑静」なところに移動すれば、畑などもあるでしょう。
そもそも、シリコンバレーみたいなハイテク施設と、
地方の農地が隣同士で共存していても、全く問題はないわけで、
何も企業が都市部に集中する必要はないのです。
●さて、ここで考えなければならないのは、
そもそも、「都市はどうして、生まれたか」です。
江戸や京都や、その他の城下町が栄え、やがて大きな都市になったのは、
すべて、街道の重要拠点であったり、特定の産業が栄えていたり、
または、行政の施設が集中したり、文化施設が集中する場所があったからです。
当然のこととして、平野部にそれは多くなります。
●しかし、そもそも、都市部のような構造が自然に出来上がる背景には、
そこで、人と人が交わり、情報伝達されるという基本構造がありました。
たとえば、重要な会議や、企業間の契約や、相談は、
すべて、実際に人が会うことで成立します。
これが、紀元前から、近代まで続いたために、人が集まることによって
利便性が発生する、または利便性のために「人が集まる拠点」が出来る、
ということが都市の発生原因だったわけです。
●ところが、都市の必要性を根底から変えることになるのが、
インターネット社会または、その他の手段によって、情報や物流に
制限がなくなっていった場合です。
ネットによって、情報や物が得られたり、配信できるということは、
つまり、都市という「共同システム」の存在意味がなくなってくるのです。
●企業間の会議も基本的には、ネットのテレビですればよく、
本当に重要な場合だけ、肉体的に会うだけでもいいのです。
また、そのときに、特に東京や大阪といった都市部ではなく、
相手方の場所にいけばいいだけです。
●農地や、生産業の現場が地方にあり、その地方社会の中に、
きちんとした情報ネットワークの中継さえあれば、
そもそも、現代では、都市化する必要はないのです。
●新宿の駅前で私が感じた違和感の一つは、
「もう、新宿という街は、人間の期待や希望を引き受けられない」
という印象でした。
かつては、人間の未来の希望を「抱擁」することが出来ていた都市も、
今では、人間の希望やヴィジョンを「受け入れる力」が残っていません。
だから、新宿は、形だけは昔のままであるのに、
私には、そこにいわゆる、全国にある「シャッター街」の雰囲気が
重なって感じられました。
●人間の期待を背負いきれないほどに衰弱して、枯渇したという意味では、
おそらくは、東京の主要な都市が全部、そのようになりつつあると思います。
ただし、少し駅から離れた場所や、住宅地はまだそれほどでもありません。
●都市は、人と物が集まる拠点としての意味を持っていましたが、
ネット通信によって、物理的な都市に依存する必要が薄くなるにつれて、
今後は、各自、各企業、さらには行政や官庁も、地方に分散したほうが
よさそうです。
ただし、首都機能を、またもや、どこか別の都市部に移すのではなく、
機能を「分散」することです。
●個人の生活においても、もしも物理的にどうしても会わないと
仕事の打ち合わせが不可能、という場合にはしかたありませんが、
現実には、その必要がなくなりつつある職種もあります。
____________________________
●私は2004年に、山梨県の、この小さな町に移住しましたが、
住宅地図を見たらば、買い物をしようとすると、この町では、
とても不便であることには変わりありません。
もしも、「実店舗」だけを頼りにしたら、隣町まで行っても、
本当に、ぎりぎりのものしか買えません。
しかし、ちょうど、当時ネット通販が、かなり波に乗ってきた時期でしたので、
その後は、食材でも、仕事で使う資材でも、ほとんどすべてネットで
買っています。
また、こうして皆さんからの書、その他の注文なども、郵送で出来ます。
●先日は、金融機関が、甲府駅まで出たとしても、
それでも、どうしてもない支店があって、しかたなく新宿に出て、手続きをしましたが、
時間をかければ、郵送物の往復でも出来るものでした。
(今回は、家庭裁判所に資料を出すために、急いだので、
一気に一日で、手続きをしたかったのです。)
●しかし、幸いにして、
私はここに移住して、不便さを感じたことはありません。
もっと田舎の僻地に行くと、不便さはあるかもしれませんが、
「適度」であれば、地方で暮らしても、不便さはありません。
ただしこれで、もしもネットがなかったら全く仕事になりません。
●そういうわけですから、
企業や個人の自営業の拠点を、大都市から、小都市、そして地方へと
移動するのは、今後必要になると思います。
ただし、これは、「サバイバル」という観点で考えた場合の話ですが。
都市部で最期を迎えることを覚悟しているのであれば、
それはそれで、潔いことですから、それは全く構いません。
理想を言えば、農村地帯と、ハイテク産業が共存していていいのです。
産業廃棄物として「有害なもの」が垂れ流されないかぎりは、ですが。
_________________
●日本各地に、『限界集落』というものがありますが、
私から見ていると、首都圏は、たとえ人口密度は多くても、
その機能性や、もともとそれが持っていた「存在意義」という観点から見ると、
既に『限界都市』となっているように見えたのです。
■普段は、便利で文化的な都市だが、ひとたび災害に見舞われれば、
これほど脆弱で、機能停止しやすく、死亡率の高い場所はないのである。
↓
■ちなみに、昔の「最も勢いのあった新宿の町」に、一番似合っていたと、
私が個人的に思うのは、キング・クリムゾンです。
「あなたにとって、最も都会を感じさせるサウンドは?」と質問されたら、
私はキング・クリムゾンを選びます。
人工的である事の良さと、良い意味での「歪みの力」が、沢山詰まっています。
私にとっては、クリムゾンは、最もカッコいいと思えるギタープレイの一つです。
それは、音楽というよりも、まるで「数式」を見ているようです。
奇しくもこれは2003年の日本でのライブ。このライブは、
1980年代のプログレの音楽性を、そのまま、ちゃんと引き継いでいます。
↓
私にとって、18歳ごろから、その後の約15年間、
1990年初頭ごろまでの、東京での生活というのは、
こういう、人工的で、緊張した空気感の中で暮らす事であったし、
私自身も、こういう音のような(=変拍子な)生き方をしていた時期がありました。
このライブサウンドを聞くと、私は新宿や赤坂の夜のネオンを思い出します。
青山に、「パイドパーパーハウス」というレコード屋があったり、
青山トンネルの手前に「SAV」というプログレ専門のロック喫茶があったので、
その雰囲気とも、このサウンドはダブります。
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