▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1758]
■
無明庵日記●猫の足跡-その509● 【人間を泣かせるシーン】
by:
鈴木崩残
2012/10/03(Wed)18:05:14
『やばい、これ泣きそう』の話
以下は、ある読者の方とのメールのやりとりからの抜粋です。
●涙について。
自我復元の結果以外でも、最近、涙もろくなったようで、
暫く前に、ジャッキー・チェンとジェット・リーが共演している、
「ドラゴンキングダム」を見たときも、クライマックスで涙がでてました。
死にかけたジャッキー・チェンが復活するところや、
ジェット・リーが実は孫悟空の分身だったことが判明した場面、
主人公の少年が、最初はぼこぼこにされながらも、
異世界での体験を思い出し、チンピラに立ち向かっていくシーンなどです。
当時、崩残さんとのやりとりで、感情について掘り始めたせいだと思っていましたが、
今思えば自分の中で、死にかけていた感情が復活していく様と、
映画内のシーンが重なっていたせいだと思います。
これまでは、映画で泣きそうになると、
「これは作り物だ」とか、「現実ではこんなに上手く行くはずがない」や、
「上手いシナリオ考えたな」とか、
ここでもやはり、感情を押し殺す為に、思考で理由付けして、
泣かないようにする道を選んでました。
涙が出そうなことまでは許容できるが、
涙が出る段階の前には「私は泣いてはいけない」と、
かなり強力なブロックがかかっていました。
●涙についてのトラウマ分析。
記憶を辿ると、自分の中からこみ上げてくるものに耐え切れず泣いたのは、
小学校5年生の頃でした。
たしか、クラスで問題があり、その解決手段を私が考え、私が実践し、
解決できるように、担任の先生が手助けしてくれた事に関し、
先生に対しての感謝の思いと、自分の中にも問題を解決する力があるのだと知り、
家で、いきなり泣き始めたことがありました。
ただ、当時の私は、この現象が何なのかわかりませんでした。
調度、台所に母がいたので母に、泣きながら、自分の状態の状態を説明したところ、
「何それ?こっちは夕飯の準備で忙しいのよ、邪魔しないで。」
みたいな感じでかるくあしらわれてしまいました。
単に母から同意や、説明が欲しかったのかもしれません。
きっと母なら分かってくれるだろうという思いから相談したのですが、
結局はこの体験は、
「人前で泣くと白い眼で見られる、なんだか恥ずかしい思いをする」
と、思いはじめるきっかけとなった出来事となってしまいました。
>以下崩残です。
>> 死にかけたジャッキー・チェンが復活するところや、
>>ジェット・リーが実は孫悟空の分身だったことが判明した場面、
>>主人公の少年が、最初はぼこぼこにされながらも、
>>異世界での体験を思い出し、チンピラに立ち向かっていくシーンなどです。
●あの映画は、よく出来ていますからね。
人間を泣かせる要素の重要なもののひとつに、
「自己犠牲」というのがあります。
ジェットリーのシーンはそのひとつです。
あるいは、誰かのために、消えてゆくというシナリオです。
典型的なのが、「ゴースト」のラストシーンですね。
私も涙もろいほうで、けっこう、
「いや、いかん、いかん、これドラマだろうが」と思いながらも、
「演出に負けてしまって」、
とりあえずは、我慢せずに泣いておいた作品がいくつかあります。
強烈だったのは、
「子連れ狼の ラストシーン」の、親子の会話です。
あとごく最近のドラマでは、
『ゴーストママ捜査線〜僕とママの不思議な100日〜』という、
警官をやっていた母親が幽霊になって子供の成長を見守るというドラマ。
ほとんど9割が、ただのギャグなのですが、ラストだけは、
うるっと、少し泣けました。
それと、1990年代のかなり昔に、見たときに泣いたのは、
「ミリイ/少年は空を飛んだ」のラストシーンです。
これらに共通する「泣かせ技」のポイントは、
全部、そこに
>「別れ」が関係していることです。
あらためて、考えてみると、
「別れ」のシーンのない映画やドラマでは、泣いた覚えはないですね。
また、視聴者を泣かせるシーンでは、
感情を盛り上げてゆく音楽の果たす役割もかなり重要で、
音楽をどけてしまうと、泣きのツボにハマる刺激が、半減するものもあります。
女の人は、平気で映画やドラマで泣きますが、
男性の場合には、映画館であれ、自宅鑑賞であれ、
涙を抑えてしまう傾向は、「社会的」にありますね。
これと、全く逆なのが、
「やばいぞ、やばい、笑いそうだ」を我慢するケースです。
電車の中での思い出し笑いとか、
その他の事が原因で、(葬式などで)笑いをこらえているのに、
「もう無理だ・・・」、という、これも、我慢の一種なんですけどね。
●涙というものも、分類すると、
・フィクションながらも、つられて泣く、
・悲しくて(つらくて、または、悔しくて)泣く、
・嬉しくて泣く、
・自分や他人に、申し訳なくて泣く、
・理由不明で泣く、
など、数種類の差がありますが、おそらくは、
発している成分には、微妙な差があると思います。
泣くにしても、笑うにしても、
とにかく、我慢するのは避けたほうがいいです。
社会的に恥ずかしいから、という理由で、我慢しても、
それは便秘と同様の事になるだけで、ロクなことないですから。
___________________________________
■今、次のドキュメンタリーを見ています。
↓
http://www.dailymotion.com/video/xtzqcs_etvyy-yyyyyyyy-yyyyyyy_news
●最近「現実」と「現実逃避」の定義について、考えています。
「それ自体で完結し、説明の必要のない現象」を
「その人が見ている現実」として、それを現実だとすると、
すべてのアートは、その種類に関係なく、「現実逃避」である、
と定義することが、可能か不可能かがテーマです。
実話を元にしたフィクションは、それはジャーナリズムになるので、
おそらくは、芸術ではないかもしれないが、
もしもそこに、「作者の希望と期待」が入ると、
その部分だけは、現実逃避になるかもしれない。
そもそも現実とは何かが定義できないと、
「現実逃避」とは何かは定義できない。
たとえば、いじめの一種の無視は、
意図的に幽霊のように他人を扱うが、
幽霊とは違ってそれは、見えている。
つまり、無視するという行為それ自体が、
無視する対象を十分すぎるほど意識している、という点において、
それは、定義上は無視にはなっていない。
ここに、無自覚な「無関心」と、意識的な「無視」の違いがある。
■ちなみに、このドキュメントの園子温監督にとって
もっとも配合が難しかったであろうことは、
この映画は「誰に向けて」作られるべきかであろう。
この作品はおそらくは、
「被災しなかった人々」に向けられる部分が7割、
あとの3割が、被災した人々の気持ちを汲み取るという形である。
このような作品における難しさと似ているのが、
現実の「殺人事件」をテーマにする場合に、
数人の被害者を、見る者として想定する視点に立つか、
それとも、それ以外の何千人の人を観客として想定するかである。
その二者の間には、その事件の中で、
「実際に見た現実、と、みたい現実」に大きな違いがあるからである。
しかし、私個人の意見を言わせてもらえば、
人間感情が、そこに何を期待し、何を見たくないかにかかわらず、
現実を記録しないこと、現実を描写しないことは、
人間に対する以前に、
「その現実それ自体」に対して失礼であると思っている。
とはいえ、
では、「誰が」その「切り取られた現実」を見るのか?
誰にも見られることのない現実に対しては、
そこには、無礼も礼も、存在しなくなるのではないか?
このテーマは、そもそも、
「現実を見る行為とは、何のためにあるのか?」を私たちに突きつける。
現実は、そこにあるから現実だ、などと簡単に言ってはならない。
それを見なければならない立場の、各自の独立した目(意識)が、
そもそも「何のためにあるのか」ということ。
もしも、広島原爆とチェルノブイリ事故の「記録」を見なかったらば、
ほとんどの人々は、今、放射能を恐れてはいなかった、
という、「別の仮想現実」も、そこにあるのである。
意識とは何か、?
知覚とは何か、?
記憶とは何か、?
自我とは何か、?
宇宙の発生原因は何か、?
結局、話は、そこへと戻ってゆく。
________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1758 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -