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無明庵日記●猫の足跡-その512● 【旦那のせいでPSTDを受けた妻の事例】
by:
鈴木崩残
2012/10/18(Thu)06:15:40
『 PTSDの話 』
●これまで、隣の「桜の間」では、
子供の時に毒親から受けた、トラウマと、
それに順応するために子供が作り上げてしまったACの傾向についてが
主なテーマでした。
しかし、今回は、PTSDの事例を書きます。
今のところ、無明庵の読者の方のほとんどは、
すべて幼少期のトラウマに起因するもので、
PTSDに該当する人はいません。
ですので、今回の事例は、皆さんにとっては参考になりません。
●PTSDは、生まれた家庭環境での親子関係に起因するものではなくて、
もっともよく知られた事例は、
ベトナム戦や、中東での「戦争体験」をした兵士や、
「犯罪被害に遭った人」が受ける「心的外傷」です。
実は、特に戦争体験や、犯罪被害の経験がなくとも、
たとえば、結婚した旦那が、あまりにも無神経で、横暴で、身勝手だと、
たとえそこに暴力が介在しても、しなくても、
妻がPTSDに陥る結果になる場合があります。
つい最近、その事例を、ご近所の夫婦関係の中に観察したので、
それを事例にして説明してゆきます。
●ただ、その横暴で無神経な旦那が、その奥さんに与えた影響が、
その奥さんの子供たちや、その子供の伴侶や、孫にまで影響している、
という複雑な相関図になりました。
●「戦争体験」「犯罪被害」「家庭内の極度なストレス」、
これらは、「成人した後」になって受けた「後天的」なトラウマなので、
今までに「桜の間」や「梅の間」で事例をあげてきた、
幼少期に受けた「トラウマ」と、その反動としてのACとは、
少しばかり性質が違います。
___________
●事の発端は、こんな会話からはじまりました。
観光地なので、この近所では、民宿を営んでいる人は多いのですが、
そのうちの一人のおばさんと、立ち話をしたときの会話です。
ちなみに会話の中では、このおばさんは、
砂手の事を、私の奥さんだと思っています。
私
「今、知人が数日、うちに泊まっていまして・・・云々」
おばさん
「それは、奥様は、料理の支度とかも、大変でしょう」
私
「いいえ、人数も一人ですし、うちの相棒とも共通の知り合いですし・・・云々」
おばさん
「いいえ、そんなこと言っても、お客様がきたら、
奥さんは、なんだかんだ言っても、やっぱり大変でしょう」
(と、ここで、このおばさんは、
砂手という「奥さん」を、同じ女の立場から擁護をしようとしている)
私
「いいえ、たとえば、会社の上司とか、会社の社員が何人も来るとか、
お世話になった人への接待パーティーみたいだったら、それは大変でしょうが、
気心知れた知人で、うちの相棒(砂手)も10年も前から知っていますので。
それに、相棒は、料理作るのが、根っから好きですから、苦にはなりません」
おばさん
「主婦(妻)っていうのは、そんなことは、ないわよ。」
私・・・内心、(おいおい、いやに、しつこいな、このおばさんったら。
何をムキになって、私に、からんでいるんだよ)
おばさん
「あー、でも、そうやって旦那さんに尽くすのも、
妻としての喜びになるのよねー」
私・・内心(だめだ、こりゃ。他人の家は違うということ、全く理解する気がない)
●さて、ここで私が抱いた、大きな違和感は、
家族とか夫婦の関係というものは、それぞれの各家庭で違うのに、
このおばさんの主張していることは、
「私のやり方や、考え方が、妻としての、正しい姿勢なのよ」と、
私にしつこく言いたがるとともに、
それは、結局は、このおばさんが、
「自分の旦那さんの、友達の接待で、おっそろしく不愉快な思いをした」
ということは明白だった。
●たぶん、私の想像を絶するほど、このおばさんの旦那という人は、
客人を家に呼んだときに、その妻(このおばさん)に対して、
たいそう、無慈悲な態度をしたのだと感じた。
たとえば、客が帰った後で、妻に対して、
「なんだ、あの態度は」「なんで、俺の部下たちに、もっと気を使わなかったんだ」とか、
「あのときの、作法はだめだ」とか、その手の罵声を、妻に浴びせたに違いない。
旦那の友達の接待のときには、
横暴な旦那から、相当に威圧的に攻撃されたので、
それ故に、このおばさんは、「私の知人の料理を同居人が作った」
という私の話を聞いただけで、
PTSDのスイッチが入ってしまったのだろう、ということまでは、
そのおばさんと接していて、感じた。
私も砂手も、我が家に宿泊した、その、気心知れた知人に対し
何ひとつも、ストレスを感じていないのに、
そういう他人様の家庭のことなどは、全く耳に入らなくなってしまって、
彼女自身の「嫌な記憶」に支配されてしまった、そのおばさんであった。
しかも、その嫌な記憶のある、旦那の横暴さに、
>>「自分は妻として、耐えた。そんな自分は偉いと自分で思う。
>>自分は、そんな、ひどい、わがままな旦那にも、尽くした妻であり、
>>だから、私は、とても大きな愛を持っているんだ。」
という妄想まで、膨らんでしまっているし、
そんな「我慢した自分」を「愛ある自分」だと完全に勘違いしてしまっていた。
そして、砂手が今までに得た、その民宿のおばさんとその旦那に
まつわる話の断片を総合すると、
私の大きな「違和感」は当たっていたようである。
■そして、そのおばさんと、その家族が、まったく無意識のうちに、
抱えている「地雷」が何であるのかがはっきりしたので以下に書いておくことにしました。
まず、そのおばさんの「旦那」の人格は以下の通り。
【その旦那】
>・親の愛情に恵まれず、母親も駄目な息子だと認識していた。
>・小心者で、マザコン。
>・無神経で、わがままで、何よりもコンプレックスの塊。
>・主体性がないために、社会的な常識や規範や「作法」を
> 自分のポリシーとしてしまっている。
> この旦那の親が子供の自主性を育成しなかった結果であることは明白。
>・そしてこの旦那の職業は、日本の軍隊に関連する仕事だった。
さて、こんなガキのような無神経で横暴な男が、
妻を持ったら、その家庭がどうなるかは容易に察しがつく。
実際に、次のようなことが、そのおばさんと旦那の間には生じていた。
>>・気に入らないことがあると、3日も妻に対して全く口をきかなくなる。
>>・妻が着たいファッションの服を着ることを許さない。
>>・妻の自由な外出も、ほとんど許さない。
>>・この旦那は晩年は闘病生活となったが、病院でも、
>> ほんのわずかに、ベッドのそばを離れただけの妻にたいして、
>>「どこへ行っていたんだ!」と叱責、恫喝。
>>・自宅で療養していた時も、朝、妻の姿が見えないと、文句を言う。
>>・そして、妻の客人に対する作法が少しでも悪いと、妻に怒る。
この最後の部分が、私の「知人の宿泊」という話題に、
あれほどまでに、しつこくからんだ理由だろう。
●一方で、その妻、つまりそのおばさんの人格は、
【その、おばさん】
>とても明るく、愛情のある母親に育てられた。ここは事実である。
つまり先天的には問題は何もなかったのである。
ただ、最初の恋愛で、その馬鹿旦那と結婚したことは痛い。
もしもこのおばさんが2度ほど、普通に恋愛経験をしたらば、
あきらかに、その旦那は、異常で、男としても夫としても、
選ぶに値しない男だったと分かっただろうから。
この部分は残念だが、どうしようもない。
●その、無神経で、マザコンで、小心で、自分自身の考えもなく、横暴で、
軍隊調の価値観、規範しか頭にない、旦那は、その調子で、
家族や妻に対してさえも、その軍隊調の態度をし続けた。
たとえば、その阿呆な旦那の口癖は、
「今、何をすべきか、考えろ」と家族や妻に言うことだったらしい。
おいおい、あんた、それって軍隊の中のルールや、
上官の口癖だろうが?
そんな程度の低い人間性しか、あんたの脳ミソには、ないのか。
家庭ですら、そんなことしかいえないのかと、
私はその話を聞いて、あきれ果てたものだった。
●仕事は、あくまでも仕事場のことであり、
家庭では「また別の顔」を出すのが普通の人間というものであろう。
補足ながら、普通の軍隊経験者、たとえば、海上保安庁や、
自衛隊員の場合には、上司や部下との関係で、
ある意味では、「自分よりも弱い立場の者を、思いやる」という、
当たり前の神経がつくものである。
被災地支援にも行ったりして、大変な思いをしたり、
住民との交流もあるわけである。
しかし、そういう「弱い者」を守る立場に全くいなくて、
自分よりも「強い者」を守るという、軍関連(政府関連)の仕事であったらば、
そういう者は、下手をしたら、弱者に対する思いやりをもてなくなるのである。
強い者だけを守り、弱者などは、眼中にない。
要人警護の仕事などが、それに属するだろう。
■その、人間として、最低な「駄目男の旦那」が、
さらに、そうした職業についてしまったら、
なおさら、「普通の人間としての神経が育つこと」もなく、
>まるで、時代錯誤の軍人が、家庭にのさばっているのと同じ状況に
>なってしまうだろう。
その旦那は、ほぼ間違いなく、自分が母親から愛情をもらえなかった不満を、
そのおばさんにぶつけようとしているのだが、事は、それだけではなく、
その旦那の目には、そのおばさんが「自分にはない天真爛漫さを持つ」ので、
それがまた、その馬鹿男の劣等感(自分にはそういう明るさはない)という
地雷を押し続けるために、
妻にたいしても、自分の本心を出して甘えるのではなく、
逆に、とことん制圧的な態度をして、それに相手を従わせることで、
その相手の従順さをもってして、
それを相手からの愛情の証として錯覚し続ける始末である。
_________________________________________________________
■そして、この「精神年齢が全くのガキ」だった、この「旦那」は、
次のような、トラウマの負の連鎖を、その家族にもたらした。
そんな「無神経男」の旦那だったために、
そのおばさんの、妻としての生活、そして母親としての生活では、
そんな身勝手な旦那からは、「愛される」わけもなく、
ただただ、その旦那のわがままと横暴さに、
>>「耐えて、夫に従う良き妻になろうとして、我慢をする」
ということが、生活の大半となった。
おそらくは、一度たりとも、その旦那に正直に不満をぶつけて、
口で、「大喧嘩」を出来たことすらないだろう。
その結果、そのおばさんの日々の生活の関心の大半は、
>>その気難しい、幼稚な旦那の機嫌を損ねないようにすることに向けられた。
■その結果、当然のこととして、そのおばさんの子供たちは、
母親の愛情や関心のほとんどが、その馬鹿亭主に注がれてしまい、
子供たちに来る愛情の量が少なくなっていることぐらいは、
子供でも気づくものである。(子供だからこそ気づくといえる。)
■そうなると、当然のこととして、子供は「母親の愛情に飢える」
または「普通よりも、愛情が少なかった」というタイプになり、
これは成人しても、結婚しても、どう転んでも、
最後まで、「かあさん、あのとき、俺に注がなかった愛情を、今くれよ!!」
ということになってしまう。
その「馬鹿亭主」は、約8年の病床ののちに他界したが、
その闘病生活の中でさえ、妻に感謝したことなど、わずかにしかなく、
その感謝の仕方も、
「たまたま、その時に、自分が食べたいものが食べられた」ことに、
礼を言っているだけで、妻そのものには、感謝などしていない。
おそらくは、自分が病気になったことに、未練がましい愚痴をいい、
健康だった時の軍隊調の態度そのままが、病床でも妻や家族に対して、
続いたに違いない。
だいたい、人間というのは、病気になると二種類に分かれる。
ひとつは、病床で、自分の人生の過去に内省的になり、
それまでよりも「おとなしく、静かになる人」。
もうひとつは、病床で、それまでよりも、わがまま放題になったり、
病床にいる自分に、自分で腹を立てて、家族にも当たりちらす、
「困った奴」になる人。
■さらに、おそろしいことに、その馬鹿亭主の闘病生活では、
何千万ものお金が、がんの治療費として消費されたが、
それは、その旦那の蓄えや退職金では足りずに、
妻がやっていた民宿の売り上げも、根こそぎ注ぎ込んだのである。
■そのおばさんの子供たちは、そうやって、母親の愛情と関心のほとんどが、
自分たち子供よりも、「亭主(自分達の父親)の機嫌を損ねないことに、
その大半が注がれていたのを、ずっと見させられてきたわけである。
そうなると、そのおばさんの子供が、無意識のうちに、しそうなことは、
自分の母親からの愛情を得るためには、
「自分のオヤジと同じ横暴な態度を、母親に向ける」という戦略に
出ていることも推測されるのである。
なぜならば、その無神経なオヤジの態度を模倣すれば、
それによって、母親からの愛情と関心が自分に向くことを知っているからである。
■そして、さらには、
そのプチ・マザコンになった子供は、結婚する場合にも、
決して、自分の母親よりも、家事が出来たり、明るい女性を選ぶことはなかった。
これは必然である。なぜならば、
その子供の欲しいものは、「足りなかった母親の愛情」であるので、
それは、妻ではなく、今でも、まだそれを母親に求めているのである。
そのために、その子供が選んだ女性は、
(本来ならば、その素質は、別のところで生き生きとするはずなのに)
そのおばさんと子供の家に入ったために、
全く家事をしない妻となったのである。
むろん、その能力はあるのだが、それを発揮しずらい環境なのである。
■というのも、もしもそこで、その子供の奥さん(嫁)が、
その子供の母親であるおばさん(姑)よりも、
家事が出来て、明るく振舞ったらば、利害関係としては、
・おばさんの出る幕はなくなってしまう。
・子供(息子)から見れば、母親からの愛情こそが欲しいのであって、
妻からではない。
また、そんなプチ・マザコンの息子だから、
嫁と姑の間にたって、家事その他の分担、つまり「嫁と姑の力関係」を
コントロールできるほど、器用な男ではない。
そうなると、そのおばさんが、
今後も、死ぬまで、依然としてその息子の「母親」であり続けるので、
そこに、嫁に来た女性は、
「あたしって、この家の人にとって、何なのよ?」となってしまうのは、
当然のことである。
●そうなれば、そういう心境になっている母親を見ている子供、
つまり、このおばさんからすれば、息子の子供=孫は、
「自分の母親の、潜在的な不満」を見ることになる。
その結果、その孫は、次のようなことを、
おばさんに言ったらしい。
「うちのおかあさんって、平気で、お父さんの地雷を踏むよ」
ここで重要なのは「地雷」という言葉である。
もしもそのお孫さんが、
「お母さんって、平気でお父さんに悪口を言うのよね」ならば、
「口が悪い」と言い、「地雷」とは決して言わないものである。
それをお孫さんが「地雷」と認識しているということは、
そのときに、そのお嫁さんが亭主に言う言葉とは、
まさに、正しい「地雷」であり、踏むのも正しい地雷なのだろう。
たとえば、もっともありそうな「地雷踏み」の文言は、
>「あなた、マザコンよね?」
>「あなた、私のこと、好きで結婚したの?」
>「あなた、お母さんや、お父さんのために結婚したんじゃないの?」
>「仮にあたしが家事をやっても、あなたは喜ばないわけよね」
>「だって、あなたが欲しいのは妻の愛じゃなくて、母親のだからねー」
>「あなた、お母さんに甘えるために、あのお父さんと同じ態度をするわよね」
>「あなた、自分の父親に似ているところがあるわよ」
>「あなた、お父さんにそっくりね」
>「あたしって、この家で、どういう存在意味があるのよ?」
おおかた、こんなところ、である。
●ただし、わたしが見るかぎりは、そのお嫁さん(おばさんの息子の嫁さん)は、
きちんとそのことを自覚しており、
そのおばさん家族とは、精神的にも距離を取っており、
自分の世界をきちんと守っているように見えた。
ただ、そのおばさんがいるために、家事を手伝うことすらしない、
正しく言えば、そのお嫁さんがその家では、家事をしてはいけない
ような空気を、その家は持っているといえる。
ちょっとした、歪んだ家庭ドラマの、
母と、そのマザコンの子供と、その子供の嫁、
というシーンを思い出せば、すぐに想像がつくはずである。
これだと、「お嫁さんは、つらいよ」の世界になってしまう。
●そして、そのおばさんは、息子が結婚してからも、今もずっと、
その息子夫婦と孫たちに、「晩御飯」を作り続けている。
本来ならば、別の場所に息子さんは自立した家庭をつくり、
そのおばさんも、自分の時間を大切にして趣味に没頭すれば健全なのである。
また、その息子夫婦が、もしもそのおばさんと距離のあるところに別居していれば、
そのお嫁さんの個性的な良さも、もっと生かされたに違いない。
結局は、そのおばさんの亭主が「あまりにも馬鹿で幼稚で駄目人間」
だったために、3世代にわたり、家族全員が、その「無神経男の旦那」の
被害者となったのである。
■そして、最も恐ろしいのは、
その息子やその嫁さんや孫に及んだ、影響ではなくて、
そのおばさんが、それによって、自分でも全く知らないうちに、
後天性の「PSTD」になっていたということなのである。
もしも、素直なPTSDであれば、そのおばさんは、
旦那が他界したあとになって、知人や家族に、
自分が、わがままで横暴な旦那の仕打ちによって、
どれだけつらかったかを、正直に話しただろう。
ところが、このおばさんの母親というのが、本当に愛情深く、
そのおばさんを育てたことが、結果としては、仇になってしまったのである。
■その本来の、良き母親から育てられたことが、
そのおばさんの心の中に、二つの精神分裂を生み出してしまったのである。
ひとつは、
「その、ふさげた旦那に対する怒りを、封じ込めてしまったこと」
怒りを封じ込めすぎたために、
>その怒りを背負った人格が、
>このおばさんから、見捨てられてしまっていること。
なぜ、そこまで、旦那の仕打ちと態度に対する怒りを封じ込める事が
可能だったかというと、
そんな「人間として異常な夫、駄目人間」に対して、
「理不尽な命令に従い、尽くして、わがままに付き合い、我慢した」
というその「我慢道」を「他者へ与える愛情」と完全に勘違いをしてしまったのである。
だが、どう逆立ちしても、そんな「我慢道」は「愛情ではない」のだ。
「我慢道」というものは、
その相手にとっても、結局のところは、その相手は、
他のところで、同じ無礼や、わがままや、冷酷さを発揮するのであるから、
それに従い、目をつぶるということは、それを許している側も、
加害者に加担することになるのである。
そんな当たり前の事を分からずに、
>>「横暴で、やさしくもしない旦那に、自己犠牲的に尽くした自分は、
>>与えるだけの愛を実行できるんだから、この私って、えらいわ」
という自己満足に、しがみついているだけということになる。
おそらくは、この自己満足にしがみつかないと、
その馬鹿な亭主との数十年間の自分の生活、自分の人生が、
無意味に感じられるので、それが恐ろしくて、
現実を見ることができないのだろう。
■だだ、私は、もしも、そのおばさんが、旦那に対する怒りを
ただ自分の中に押し殺しているだけであったら、
この投稿は書いていないだろう。
私が違和感を感じたのは、そのおばさんは、
その、馬鹿亭主との生活を、美化してしまい、
本当の現実では、その旦那から、
やさしい言葉も、ほとんど、かけられたことがないのに、
その旦那に、我慢をして、「尽くした自分を褒めるため」の、
「川柳」「短歌」「俳句」などを作品にしているのである。
その川柳は、その、無神経な旦那への「想い」を綴っているもので、
決して、その文言は、「恨み節」ではなく、
おそろしく「無理やり美化」されているために、
それは川柳や文学に対する「冒涜ですらある」と私個人は、思っている。
■むろん、その馬鹿亭主の呪縛とは関係のない、
そのおばさん自身の本来のジョークのセンスが生きた、川柳の作品も多くある。
しかし、
>>「馬鹿亭主に、無私に耐え抜いて、愛を与えた、この自分こそ、
>> 私が、自分の人生の生きた価値だ。これこそ、与える愛の力だ」
とか、とんだ勘違いをして、
自分の中にあった、怒りを抑えてやり過ごすしか、
そのおばさんが、生きる支えに出来るものがないのは、
なんとも寂しいかぎりである。
だが、その馬鹿亭主に対して、抱いた、本当の本心の怒りだった、
>ふざけなんな。私はあんたの奴隷じゃない!!
という叫びは、必ず、「美化された我慢道に過ぎない愛」とやらを
打ち砕く日がくると私は予測している。
もしも本人がそれに気づけないならば、
それは、確実に、本人の体を突然に蝕むだろう。
抑圧された、感情のうち、とくに怒りの感情は、
それを出すのは、悪いことだといって封じ込めたら、
それ自体がひとつの「別の人格」となり、
その者が死ぬまで、その者に反撃する機会を狙っているだろう。
抑圧された側の「怒りの感情」にとっては、
自分の親に自分が無視されて、捨てられたのと同じだからである。
>「かあさん、なんで、怒りの子の私を、見捨てたの?」
>「どうして、愛とか称して、その我慢した方の子ばっかり、ひいきするの?」
この叫びが、どれだけ怖い結果になるものか、
無明庵の読者の人ならば、この後の結末を想像しただけで、
鳥肌が立つはずです。
●この、民宿のおばさんが、救われる道はただひとつです。
それは自分が、井戸の中に捨ててしまった、
自分の中の「怒り」の化身である「貞子」を、救い出すこと。
そして、それを川柳、短歌、俳句にして、
本心の怒りを、作品として、出して、ぶちまけることである。
いわば、このおばさんの、「B面展」である。
「与える愛を貫けたエライ私」が、偽善的、または自己憐憫の「A面展」だとすると、
それによって、殺された「B面」が、
「死人に口なし展」とか名づけて、
>旦那への不満の叫びを作品にしてもいいのであるし、
>本来は、それをして、はじめてバランスが取れるのである。
●しかし、悲しいかな、
これまで、あまりにも、旦那との生活を美化した川柳を
作ってしまったために、もう今さら、あとに引けないのと、
もうひとつは、もしも旦那に実態を、川柳にして発表したら、
そのおばさんは、旦那の親類縁者から、ボコボコに責められるだろう。
これは、「近所に多数の親類がいる田舎社会」のネックです。
しかし、そんなときこそ、そのおばさんを守らなければならないのが、
本来の家族というものなのであるが・・・。
だから、
「実は、あたしの、あの亭主は、こんだけの無神経な馬鹿野郎だった。」
ということを、そのおばさんが、墓場までは持ってゆかないことを
私は願っている。
何しろ、このおばさんは、先天的には、トラウマなんかなかったのです。
そして、本当に良いお母さんに育てられて、愛情のある人なのです。
だから、もしも、全く別の、普通に、まともな男性と結婚していれば、
全く違う人生があっただろう、という意味では、
戦争体験や、犯罪被害のせいで、
「後天性のPSTD(心的外傷)を受けた事例」に極めて近いのです。
しかも、それを、怒りとして出さずに、
全く逆の「エセ愛の賛歌」の形の作品にして誤魔化す方法を、
自分で編み出してしまったことが、とにかく、痛いのです。
■最後に無明庵的な視点で締めくくっておきますと、
この民宿のおばさんは、自我率は、5/8自我です。
もしも生まれつき全自我でしたら、絶対に、
そんな旦那さんは、結婚相手に、選ばなかったでしょう。
やはり、60%から90%程度の自我では、
そういう不幸な選択が起きてしまうのです。
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