▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[258]
■
★分割自我復元★その258■【怒りや憎しみを割り出したただけではダメである】■
by:
鈴木崩残
2013/08/30(Fri)09:46:16
間違ったトラウマ堀り
●私の目の届く範囲ですが、少なくとも3名か4名の自我復元者の人が、
間違ったトラウマ掘り、または「まだ不完全なトラウマ掘り」をやってしまっています。
●何度も言いますが、トラウマ掘りの段階的作業は、
★1/まず記憶を掘って、良い悪いは別にして「事実関係のみ」を掘り出す。
特に、自分が、不愉快で苦痛だった記憶こそが、大きな鍵になる。
★2/子供の自分としての、その時の「感情」を生の形で想起し、追体験する。
この中には、拒否、怒り、悲しさ、寂しさ、喜びなどがあるだろう。
★3/ただし、それが「恨み」「憎しみ」に転じている場合には、
それは、子供の時の感情ではなく、トラウマAC人格の歪みの産物である。
なぜならば、怒りをそのつど表現できていなかった人が、恨みつらみを
持つ結果となるからである。
つまり、怒りそのものが悪いのではなく、それを自分で制圧した人が
恨みつらみを自分の中に作り上げるのである。
★4/傷の深部を、堀りに堀つくして、はじめて「原主体」に出会うが、
その原主体の意向を表現できる、正常人格は、新たに育てなければならない。
*********
■今回の話で、重要となるのは、「3」についてです。
私が見ていると、記憶を掘った結果、怒りの感情が出てきた、
そこまでは、大半の人が、苦労もなく、掘れています。
しかし、そこで、「差別したり、虐待したり、調教した親が憎い」とか
「自分をサンドバックにした兄弟が憎い」と、
ここで止まったままになってしまっている人が、何人かいます。
トラウマ掘りというのは、憎悪や恨みを掘り出すことで終わるものではなく、
その因子を、理解と感情の相互作用によって解決する(自然消滅させる)ことです。
そうしなければ、
自分は、誰を恨んでいたか、とか、誰を憎んでいたかで、止まってしまい、
そのまま、親に報復することだけに、心を固定してしまいます。
●たとえば、マディアさんやお姫ちゃんのように、
トラウマを掘って、準備して、自分の内面がどうなるかを試す、
という手順を踏んで、「自己確認」を目的とするのであれば、
それは、親や兄弟姉妹との対決も、実りあるものになります。
しかし、復讐や、名誉や金銭の奪還や、憎しみを向けるのが主たる目的となってしまったら、
それは、私が言うところのトラウマ掘りや、AC人格掘りではありませんし、
そんなことは、ごく一般的な、心理カウンセリングですらも、
解決とは全く見なされません。
■実際、たとえば、池田小学校で児童を無差別に刺した、宅間死刑囚(死刑執行で死亡)は、
「自分の子供時代よりも、境遇の恵まれた子供を憎んだ故の殺人であった」
と言われています。
つまり、単に恨みや、嫉妬や、羨望や、憎悪を掘っただけでは、
ただの犯罪者、または、犯罪予備軍に過ぎないのです。
●そこで、このことを理解しやすく書いたメールの一部を掲載しておきます。
*********
人間は自分を憎んでいる相手の意向には無意識に従わない
■これは、ごくごく、当たり前のことです。
この「無意識に」という点が特に、重要です。
もしもあなたが、底流において、家族の誰かを憎み続けていたとなれば、
それは、口で、言わなくとも相手の無意識には「知られている」のです。
こうなると、自分を憎んでいるような相手に対しては、
たとえそれが自分の子供といえども、お金は出さず、
自分を憎んでいる相手に対しては、
たとえそれが自分の兄弟姉妹であっても、情報は出さず、
ということが無意識の領域では、当たり前の現象として起きます。
また、仮に皆さんが、
「今はもう、過去のトラウマを理解したので、
前ほどには、親や家族を憎んでいません」
と言っても、感情のコントロールが不能のままの状態では、
本心でないものは、無意識の世界では常に、相手にバレ続けています。
■これは、なんら、オカルト的な話でもなく、比喩ですらありません。
睡眠中に、夢を頻繁に見る人も、見ない人も含めて、
日常茶飯事に、人間同士の中で、毎日のように起きていることです。
なぜ憎しみはダメか?
これは、人間性とか、モラルの問題で「他者への憎しみは悪い」のではなく、
また憎しみの感情が、自分にとっても不愉快であるからではありません。
憎しみは、「実用性に欠しい」というのがその理由です。
平たく言えば、平時の社会の中では、
【自分のことを、憎んでいる相手には、
誰も、協力はしないのは、当たり前】
という、ごくごく単純な事実です。
■たとえば、皆さんの心の声が、筒抜けであったと仮定して、
(仮定ではなく、無意識下では、実際にそうなのですが)
「お前なんか、死んでしまえ。お前を憎んでいるから、恨んでやる。」
という心の声が、筒抜けであなたに聴こえているとしたら、
その相手に、あなたは、多額のお金をあげたり、
または、相手の利益になるような情報を与えるでしょうか?
これが故に、憎しみというのは、ほとんど「何の役にも立たない」のです。
■私は、「条件つき」ですが、
憎しみが悪いとは、ちっとも思っていません。
ですから、私は、社会的なモラルや、人格主義やら、スピ系のキレイごとで、
憎しみは悪い、などと、言ってるのでは全くありません。
というのも、憎しみは、それはそれで用途を持っており、
たった一つの条件下においては、それが利点を持ちます。
それは、相手を殺す決意をした場合、これのみです。
つまり、絶対に、すぐさまにでも殺そうと思っている敵に対してのみ、
憎しみは、その効力を発揮します。
■しかし、もしも相手との間に、調整が必要な、利害関係があったり、
自分が利益や情報を得るには、相手を生かしておかねばならない、
といったことや、また、自らが、相手との関係性に依存をしている、
そういった条件下では、100%の殺意や憎しみを相手に向けられません。
僅か5%でも憎しみの純度が不純であれば、それがあなたの命取りになります。
■以下は、「たとえ」としては、どこか間違っているのですが、
たとえば、・・・
自分の事を、明らかに刺そうとしている蜂の大群に対しては、
人はかまわず、殺虫剤で殺します。
しかし、蜂蜜を採取する目的があったら、殺すことに躊躇します。
そしてその結果、あなたは、蜂の大群に、刺されます。
■だから、もしも、今後の転生の人生の中で、
殺し合いをする事を、人生の目的としたり、
使い捨ての兵士として戦闘地域で、暴れるのが望みでしたら、
憎悪は、敵に対して、抵抗したり、攻撃をする力になりますが、
それは、もともと、
「社会で利害関係の調整を図る為の能力」では、全くありません。
だからといって、無理をして、
人を好いたり、好かれようとしたりすればいいというものでもありません。
■重要なことは、自らの中の憎しみの実体を見抜いて、
それを真に理解して、それが、嘘なく、本当になくなったときにしか、
本当に、本人の精神状態が、落ち着いたものになることは絶対にありません。
また、そうした、恨みや憎悪を、自分の中で抑圧するのではなく、
引きずり出した上で、それを認め、理解をし、その結果として、
憎しみが消えるという段階にならねば、
あなたは、「他者から利益を得る」ことは出来ません。
それは、厳密に言えば、雇用されているアルバイトですらそうです。
さらに、自活、自営業となれば、それは、他者に対する心の姿勢が、
もっと顕著に出ます。
■「他人を憎んでいる人」のところに一番こないものは、
「お金」や、「大切な情報」(=どうでもいい情報でなく、利益になる情報)です。
そういう点では、官僚や東電の連中は、
基本的に、人のことを憎む神経すらもなかった、ということでしょう。
たとえ、それが無神経すぎるが故に、人を憎むことも出来ないような人、
のほうが、まだしも、「お金や情報」だけに限れば、それを沢山得ています。
それは、「相手を警戒させない」のだから、当然だと思います。
■しかし、無自覚に、無意識の中に、「憎しみ」「恨み」「復讐心」があれば、
それは、常に、「ケンカ待ちの状態」または「暴力の構え」なのですから、
他者は、誰も、その人に対して、協力的ではなくなります。
せいぜい、それは、他人が、その憎しみを持っている者との、
かかわりを避けてくれる、という利点しか社会ではありません。
物流や、精神的な交流は、そこには生じません。
■トラウマの基本構造とは、「恐怖」や「嫌悪感」や「痛み」ですが、
それが原因で、二次的、三次的に生じた「憎しみ」はAC人格です。
これ故に、トラウマ持ちの人のうち、
「恐怖」「悲しみ」「痛み」の方が多かった人は、それに特有の損はしていますが、
お金の苦労は、それぼとには、しません。
一方で、恐怖や悲しみよりも「憎しみ」や「恨み」「復讐心」という
AC人格を、野放しにして、肥大化させてしまった人は、
皆、いちように、お金の工面に苦労し、なかなか自活できない人が多いのです。
■ただし、それは、他人に媚びろとか、他人を愛せとか、
または、笑顔で、他人を騙せ、ということで断じてなく、
少なくとも、「誰かへの憎しみと恨みをかかえている人」には、
それがたとえ、自分に向けられたものではなくても、
人間には、その相手の怒り、憎悪、恨みの「感情の声」が無意識のうちに、
誰でも、なんとなくでも、分かることが、日常社会でも圧倒的に多いのです。
これ故に、他者は、そうした人が、表面では笑っていても、
無意識下では、その人に対して「警戒し」「お金と情報を出し渋る」ということです。
■また、そうした「恨み」「憎しみ」「復讐」の感情や、
「相手の不幸を願う感情」を拡大して、それを社会に対してすらも持っていれば、
既に言ったように、
「人は、自分の不幸を望んでいるような相手」に対しては、
表面的には、人は、どういう態度をとるにしても、
無意識下では、決定的に重要な局面では、非協力的になるか、
さらには、時には、その相手から、攻撃を食らうということです。
■こうした事が、何度も、その人の内面で繰り返されてしまうと、
AC人格の出す「憎悪の感情」ばかりが幅を利かせ、
肝心の、原主体は、出番はなく、正常な人格も培われません。
その結果、気力それ自体が、自己内部の矛盾した意志で、
常に、定期的に、磨り減り、
違う方向の意志へと、自分が引き裂かれしまい、その結果、
「気がつくと、***をしない理由」を探す、
という、最も努力のいらない、手軽な現実逃避が、癖になると思います。
つまり、
「気がつくと、生きていないでいい理由を探す」
「気がつくと、死なないための理由を探す」
「気がつくと、自我復元をしない理由を探す」
「気がつくと、親にお金を請求しない理由をさがす」
「気がつくと、親に文句を言わず、お金を貰えるソフトな言い方を探す」
「気がつくと、今付き合っている問題のある異性と別れない理由を探す」
「気がつくと、トラウマを掘らないでいい理由を探す」
しかし、それに、さらには、その癖に気がつくよりも前に、
当人が、当初、念頭に置いたはずの利害関係とは、
全く正反対の行動をしてしまうので、望んだはずの物事は実現せず、
実現しなかったときには、
「きっと、わたしは、本気で望んでいなかったんだ」と、
自分を、慰めるための、無理のある理由を探してしまいます。
■そうなれば、自主的に何かを決めることは不可能となり、
頭で、何が利益になるかは理解できても、行き場のない感情がその邪魔をし、
一時的には、利益と思えるものを得ても、
そもそも、明確な人生の目的がありませんので、
やがては、いろいろなチャンスや、利益や、精神的な楽しみとは、無縁の世界、
すなわち、本人が知らないままに、他人の奴隷になったままで、
憎しみや不満に歪んだ表情をして、一生、暮らすことになります。
そうなりそうな人が、自我復元者の中にも、数名おりますので、
くれぐれも、トラウマやACの解決には、危機感を持って、
時間をかけて、取り組んでください。
むろん自我復元の作業も平行しなければ、一般のカウンセリングと
似たものになってしまい、その効果は低いです。
宅間死刑囚の法廷での発言
冒頭に事例として出した宅間死刑囚の法廷での発言の中に、
AC人格が極度に恨みだけになった様相が見て取れると思いますので
以下に転載します。
*********
▼反省のない態度、法廷における暴言
宅間は、裁判において最初の頃こそ「命をもって償(つぐな)います。」
といった反省の発言があったものの、その後は悪態のつき放題であり、
1分程度で退廷を命じられたこともあった。
以下は宅間の法廷における発言の一部であるが、まるで反省ない態度であり、
遺族の感情を逆(さか)なでするような発言が多々ある。
「おう、座っちゃあかんか?」
「反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ。」
「百人でも千人でも同じだった。
関係のない子供より三番目の妻を殺した方が満足だったかも知れない。」
「(自分の父親を)殺していれば、もっと違う人生があった。懲役ら行かずに済んだ。」
「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、
家が安定した裕福な子供でもわずか5分・10分で殺される不条理さを、
世の中に分からせたかった。」
「世の中、勉強だけちゃうぞ、と一撃を与えたかった。」
「エリートの卵たちを殺して国家に殺されるんや。これで良かったんとちゃうか。」
「(この事件を)起こした後も全然満足していない。」
「子供がかわいそうとは思わない。同じやるんなら恵まれた子を、と。」
「謝罪の気持ちなんかあらへん。求刑死刑、判決死刑でええんちゃうか。」
「(犯行)前夜に戻れるんなら、ダンプにしてるやろな。
その方が、5、6人はねた段階でスリップするとは考えられんし、数もいけたと思う。」
「(三番目の妻に対して)あの時、顔をズタズタにしてやればよかった。
冷静になればなるほど何でせえへんかったんやろと、悔しくてたまらない。」
「女は絶対に殺すより顔を切る方がダメージが大きい。」
「償(つぐなう)うとか、関係ない。
現実的に極刑しかないと思ったからそう言っただけ。謝罪する気持ちもない。」
「答えても答えなくても刑は一緒。絞首台に上がるまで秘密や。」
「立場を置き換えて、自分だったら(被害者だったとしても)
謝罪されても何とも思わない。」
「(質問した検察官に向かって)ワシをなめとる。
30秒あれば一人くらい殺せる。かかってこい!」
「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。
いずれにしても死ぬことはビビッてません。」
「不規則発言をして裁判長から退廷命令を下され、死刑を言い渡される前に自分は退廷する。
遺族には死刑判決を言い渡される瞬間を見せてやらない。」
「おい、ワシに最後にひとこと言わせろや!」
「どうせ死刑になるねんから、そんぐらい認めてもええやろ!」
「こらっ○○(被害者遺族の名前を呼んで)、
お前、子供と血ぃつながってないやないか!おい、こら○○、何とか言えや!」
「何も言えないよりは良かった。本当なら4人の遺族を名指しで批判するつもりだった。」
「(遺族に対して)あの世でお前らのガキをしばいたる。」
「お前らのクソガキ8人の命はワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ!」
このような発言をする一方、あくびや貧乏ゆすり、裁判官にガンをつけるなどの態度に、
傍聴席から「宅間、早く死ね!」「一人で死ね!」などの罵声(ばせい)も飛び交った。
引用元
↓
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/021takuma.htm
では、宅間はどうすればよかったのか?
既に言ったように、
自分の不満、怒りを、その時の当事者の相手に、
主張もしない人、
主張しそこねた人、(相手がいなくなったなど)
主張することを我慢した人、
または、主張したが、相手が「全く認めなかった場合」、
これが、多すぎる人の場合には、、
その結果、
「自分の頭の中の妄想」の中でしか、怒りを表現しないものですから、
それが、「恨み」になったわけです。
恨みが、当事者に言っても無駄だった、
あるいは当事者の親にに向けることが出来ないように調教されるケースも多く、
その場合には、まさに、本当の加害の本人に直接に言えないので、
それは、八つ当たりになり、関係の無い人たちまで誤爆します。
●ということで、宅間も、自分よりも恵まれていると彼が妄想した、
何の罪もない児童たちではなく、
自分の親を殺せばよかったのですし、
もっと言えば、親を殺すよりも前に、
親に、「自分の言い分」を、認めさせればよかっただけです。
彼は、ふてくされたり、ぐれただけで、
親に自分の怒りをぶちまけて認めさせる努力を彼はしていないと思います。
その結果、その八つ当たりの被害にあった人は、
彼の死刑を確定した事件以前にも、いくつもあっただろうと推測します。
*********
私の言っていることは単純なのです。
そもそもの動機は、怒りや拒絶を実現するのには、
当事者の相手に、ストレートに言うべきであり、
それを我慢してしまい、出来なかった「言い訳」として、
「別の手段」に置き換えるのは、
ストレートに言うことが、怖くて出来なかったから、
ということになります。
ここには、親からの、
虐待、
恫喝、
無言の脅迫、
したたかな調教、
罪悪感の刷り込み、
利害関係をちらつかせる、
などがありますので、
ストレートに、親に言うことが出来るのは、
やはり、自我復元が相当に進んだり、全自我になった人だけのようです。
_________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(258 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -