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「分割自我復元」
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[259]
■
★分割自我復元★その259 ■ 自我復元報告 ■
by:
鈴木崩残
2013/09/04(Wed)02:23:41
*********
>梅の間に、「アレルギー」と睡眠不足について少しだけ書きました。
■ひとつ前の投稿の文末に、
「では、宅間はどうすればよかったのか?」
を追記しました。
*********
●少しだけ、涼しくなったせいか、
マディアさん、お姫ちゃん、天音さん、S020さんが、
ただ今、掘削機が、さらに力をつけて、再起動しているようです。
Abyさんは、この夏の暑さにめげながらも、
ひと時も、手を止めなかったところが、凄いです。
自我復元報告
●今回は、90%近くになって、ようやく、
トラウマ・AC人格の、感情の掘り出しが、出来始めた方です。
古くからの読者であり、禅書も楽しんでいただけて、
長く自我復元をしてきた方ですが、
「ようやく、そこへ踏み込んだ」、といった感じです。
それなりに、読み応えがあり、参考になる人もいると思います。
*********
*略*
<6月つづき>
父の三周忌のお斎の話のタネに、父のアルバムを持って行くことにした。
それで、母がアルバムを3つほど選んで、倉庫から持って来てくれたのだが、
その内の1冊を見て驚いた。
最初は、自分の写真だという事さえ分からなかった。
それは、3才のクリスマスに、テーブルにケーキを3つ並べて、
私と両親と祖母が全員笑顔で写っている写真だ。
欺瞞だな・・・と苦笑したが、私は可愛くて、表情が明るかった。心底驚いた。
私は、写真を見て一度も自分を可愛いと思った事はなく、
こんなに明るい表情も見たことがなかった。
そして見ていくと、幼稚園の頃の写真があり、私には記憶にないが、
ある女の子と一緒にうちで遊んでいる写真があって、仰天した。
また、卒園間近の集合写真には、その子と二人で中央に並んで、
同じ組の子たちと一緒に写ってた。
私には友達がいなかったことになっている。
もっとも、友達だったかどうか、これだけでは分からない。
友達になりかけていたのかもしれない。
確実に覚えているのは、小学生になった時に、幼稚園は最悪の思い出で、
幼稚園のことは早く忘れたいと思っていたことだ。
あまりに幼稚園が、自分をダメ人間と認識した辛い体験だったから、
辛い方だけを強烈に覚えていて、楽しかった方はすぐに消えたのかもしれない。
記憶とは、こんなにも曖昧なものなんだろうか。
そして、小学校に入学した後の写真は、暗く、苦虫を噛み潰した様な、
いつもの、しけた顔になっていた。
たったの4年間で、私はダメになってしまったのだ。
*中略*
家庭菜園をやっている。植物に触ると、触感が生々しいのに驚く。
胡瓜の葉の質感、厚みや微細な毛に覆われている所など、
初めて地球に降りた人が、葉っぱを触って「すげ〜!」と感動する気持ちが、
分かるような気がした。
また、TVを見るように、そばで見ているだけではダメで、
実際に自分が触って育ててこそ、得られるものがあると実感した。
やはり自我率が増えたら、どんどん行動することが大事で、
そうしないと得られるものも得られない。
いつもの生活のパターンではなく、積極的に外出するとか、
何か新しい習い事をするとか、
それも、自分の手を動かして感覚を刺激するものの方が、がぜん良いようだ。
*中略*
ぼのぼのをユーチューブで見たら、面白かった。
しまっちゃうおじさんを初めて見た時、
口裂け女を信じていた子供の頃を思い出した。
ぼのぼのの妄想が、無自覚ACの自覚癖と同じじゃん、
と思ってしまうと笑えないが、しまっちゃうおじさんは、
シンプソンズやスポンジボブに通じる所があって、不条理で面白かった。
クズリは可愛いんだけど、なぜ「にこにこにこ」と言いながら、
うんちをしているのかなぁ。しかもあんなに出してるのがすごい。
ぼのぼのみたいに、あんな風に生きられたら面白いのに。
何にも考えないで生きたい。
バカって言われるかもしれないけど、バカでもいいじゃん。
*中略*
仕事場で、ひとつ気付いたことがあって、
私は怒り心頭だと押し黙ってしまう。
これは親からの洗脳の「感情的になるのは大人じゃない」に由来する。
怒りの感情を抑圧する方に必死になり、相手に対して説明してやろうという
積極的な気持ちが一切湧かないし、その余裕もない。
だから、相手が怒っている時に関わり合いになるのが嫌なのだ。
*中略*
原主体について読んだが、ここに辿り着くのは容易じゃない。
私には5才未満の記憶がない。
記憶にある限り、混じりっ気のない感情なぞ、持ったことがない。
純粋に自分が怒りたいから怒る、理屈じゃない、
というようなことは、なかったように思う。
ああ、もやもやする。
>>『先天性の全自我の人たちって、無傷な子供が、そのまんま大人になっているよね』
今の私からすれば、全自我の方が驚異的に思える。
素の状態で無傷で生きられるはずがないからだ。
あのまま素で生きたら、周りから放棄されて殺されかねない。
素の状態で生きるには、恐怖心がある。
今の自分の素直な気持ちを言うと、他人から潰されるのではないかという恐怖がある。
出勤している時には、確かに偽人格で生きている。
惰性もあるし、安心感もあるからだ。
しかし、素で生きるとなると、そうはいかない。
偽人格で培われた、保身と打算と思惑で出来たゴマすりや適当な相槌を、
ばっさりやめて、自分が思った事を相手に言い、
年中、他人とぶつかって生きることになる。
*中略*
天音さんのブログで、
>すごいものは、すごいと思えて、すごいと認める。
>嫌なものは、嫌だと思えて、嫌だと拒否する。
>痛いことは、痛いと思えて、痛いと泣く。
>楽しいことは、楽しいと思えて、楽しいと笑う。
>悲しいことは、悲しいと思えて、悲しいと泣く。
これを読んで、泣いてしまった。
しばらく涙が止まらなかった。
まだ、ものすごく抑圧しているのだ。自分を。
これが100%なら、20%すら自分の感情を出しているかどうかも分からない。
怒っちゃいけない、
楽しんじゃいけない、
悲しんじゃいけない、
笑っちゃいけない、
もう沢山だ。
なんでこんなに抑えなきゃいけないんだろう。
私が感情を出して、誰かの迷惑になったの。
なんであたしが、こんなに抑えられなきゃいけないのよ。
助けて!助けて欲しい。苦しい。誰か助けて欲しい。
トラウマを掘っていた時にもあったが、
ものすごく感情的になると、不思議な事に、泣きながら、
勝手に手がPCの文字を打つ。そうすると別の私が文字に現れる。
そして、読んだ私が驚いてしまう。
本当は真っ二つになっているのかもしれない。
抑圧した私と抑圧された私。
抑圧した私は、感情を出さないでやるのが大人だと思っている。
あまりに抑圧しすぎて、
抑圧された私は、大泣きした時にしか出てこれないんだ。
今の今まで、
こんなにも感情を抑圧していたことにすら気づかなかった。
だから、あんなゾンビ馬鹿の客が来たんだ。
こんなの不条理だと思いながら、ゾンビ馬鹿への怒りを抑える事に必死だった。
自分のやったことに違和感があった。
これで良かったのか、いや、良くなかったんじゃないかと思った。
はらわたは煮えくり返っていた。
ずっとずっと長年感情を抑え続けていて、さらに追い打ちをかけたのが、
あの馬鹿だ。もうこれ以上、このやり方では耐えられない、もう沢山だ。
でも、どうやって素直に感情を出したらいいのか、分からない。
どうやったら抑圧された私を解放してあげられるのか、分からない。
ああ、もやもやする。
今朝起きた時、抑圧された私が「ここから出せ」と言い、
涙が勝手に出て止まらなかった。
トラウマ掘りは親に対する怒りが原動力だったが、
これは抑圧した私に対する怒りだ。
抑圧された私が言う。「こんなの絶対おかしい」って。
どうやって掘ればいいんだろう。
トラウマ掘りをしたら、私の意志・行動・感情が全て抑圧されている
のは分かった。
自力本願に転換することで意志・行動力は徐々に戻ってきたが、
感情だけが置き去りで、今の私を下から突き上げる。
本当に不快だ。もやもやする。
マディアさんのブログの原主体の説明が、すっごく分かりやすい。素晴らしい。
しかし、こういう原初記憶とか、自分が好きな幼い頃の自分とか、
そんなものがあれば確かに比較できるからいいのだが、
私には原初記憶がない。掘れる所から掘るしかないが・・・。
*中略*
少し、思い出した。
3才位から夏休みに従姉妹の家に遊びに行っていた。
伯母の話では、横浜のおばあさんに、
「あんた、なんであたしの顔をジロジロ見てんのよ」と言ったそうで、
それを大人になってから聞いた時、冷や汗が出た。
でも、3才では、自分の思った事をはっきり言う子供だったんだ。
小学生の頃みたいに他人の顔色を窺って、言いたいことも言えない人間ではなかったらしい。
父も言っていた。
私が祖父に「なんでおじいさんは〜」と文句を言いながら、ぶりぶり怒っていたと。
祖父は涼しい顔をして、私を相手にしなかったと言っていた。
また、私には兄弟がいなかったので、従姉妹が遊びに来ると嬉しかった。
しかし、従姉妹達とは年が離れていた。7才と10才上だ。
昔の家にはステレオの部屋があり、2人が入って鍵を閉めたので、
私が来た時、ドアが開かなくて廊下で泣き叫んだことがあるらしい。
私は本来、現在のような、こんな性格ではなかったんだ。
自分の思った事をはっきり言い、怒りたい時は怒っていたんだ。
一体私は、どんな人間なんだろう。
*中略*
桜の間240で、
>「インナーチャイルド救出ドラマ」の定番のようなストーリーを、
>どこか、演出してしまっている人が一部にいます。
これを読んだ時、私の事のように思えた。
よく考えてみたら、自分でも、嘘くさい、
芝居がかっているなと心のどこかで思っていたから、そう思ったんだ。
救出したと思い込んでいただけで、実はちっとも救出していないじゃないか。
現に今、感情が制御できない。突然、感情が大暴走する。
突然、涙が出て、自分の意志とは関係なく泣き始める。
私には理由が分からない。別に悲しい事なんか、何もなかったのに。
でも、泣く事に理由なんかあるの?
悲しいから泣いているんだ。突然泣いたり、突然腹が立ったり、
真っ暗な気持ちになったり、出勤時にこんな不安定な暗い気持ちで、
今日まともに働けるのかと思った。
もう耐えられないよ。もう感情を制御されることに耐えられない。
しかも、トラウマ掘りをしていて、掘れていなかった時のサインのように、
不快感がこみ上げてくる。
なんでこうなるんだ。ちゃんとトラウマが掘れていないから、
感情だけが吹き出してくるんじゃないのか。
ちきしょう。ちっとも5歳未満の事が思い出せない。
昔の写真を見てみようかと思ったが、人に話しを聞いたら、
写真から記憶を合成することがあるというので、写真を見るのはやめた。
*中略*
昔の事を断片的には思い出すが、それが何才の事なのかは分からない。
それでちょっとした実験をやってみることにした。
*中略*
うっすらとだが、確かに今との違いは分かるような気がする。
これを何て表現したらいいのか、正確に表現できないが、
すごく素の情熱があったんだなと感じる。
年と共に、親から調教される度に、これがどんどん減っていった。
この情熱を持った自分の中に入ってみると、
5才以降の自分に対して不快感がある。
3才だと、どうかな位。
2才では、不快感を感じない。
(私がTVを大人しく見ているので、周りの大人は自分が楽をするために、
積極的に私にTVをあてがったが、記憶を辿ると、
TVを見ることで、自分の中の何かがどんどん歪んでいってしまったように感じる。
TVを見なかった頃の方が、意識が正常だった。)
これを繰り返して4日目に、2才の私と会話をしてみた。
「おばさん誰?」
>>「未来のあなたよ」
>>「□□ちゃん、何をしたいの?」と聞くと、
「何でもやりたいの」と答える。
この未来の希望に満ち溢れた生き生きした自分と今の自分を比べて、
情けなくて泣いてしまった。
私はこの2才の自分の希望に何一つこたえられないまま、
40年間以上、自分に苦渋を強いることだけをして生きてきた。
一体、誰の為の人生だ?
2才の私には、生きる喜びがある。
今の私にはない。今の私は本当にダメダメだ。
これは、フィーリング内での空想のやり取りに過ぎないが、
今はこれしかやりようがない。
*中略*
2才の私には、今の私にはない女らしさがある。
私は今までに家族や親戚から「男だったら良かったのに」と言われたことはないので、
(男っぽいのかと思いこんで)自分で自分の女らしさを抑制してしまったんだと思う。
小学校に入る時、学習机を買ってもらった。
机の正面の柄を選ぶ時、既に、女の子の柄は気恥ずかしくて選べなかった。
さりとて男の子100%の柄も選びかねた。
結局、残った恐竜の絵の机にしたのだが、不満ではなかったが、
満足もしていなかった。
なぜこうなってしまったんだろう?
何日か考えていて、突然思い出した。
私は小さい頃、ニュースで事件を見る度に(レイプ殺人など)、
魅力的な女だと男から危害を加えられる確率が高くなり、
生きるのに危険だと思い込んだんだ。
嫌な思いをするくらいなら、魅力的でない方が安全だと思った。
それで、女らしさを奥へ押し込めることにしたんだ。これが最初だ。
2才の自分に触れて、まだ見つけていない本来の自分が、
こんなに貴重だとは思わなかった。
このままでは「抑圧した私」の現実だけが目の前で実現してしまう。
またひとつ思い出した事がある。
5色入りの可愛い柄のマジックを小学校低学年の頃、買ってもらった。
これを人に見立てて遊んでいたのだが、ピンクが一番可愛かったので、
これを別格扱いにして、他の色の人達に守らせた。
自分でも、この時、変な事をやっているなと違和感があったのだが、
理由が分からなかった。私にとって、このピンクのマジックは、
2才の私の中の、女らしい、か弱くて可愛らしい部分の象徴なのだ。
それを奥に押し込めて、傷つかないように必死で他の要素で守ってきた。
私は今まで男性性が強いんだと思い込んでいた。
しかし、女らしさや可愛さをしまっちゃっただけだ。
まるで、しまっちゃうおじさんみたいに。
私の中には、大事なものは奥にしまって傷がつかないようにし、
誰にも見せないようにする習慣がある。
これは物でも性格でも他人でも同じで、
私が大事だと思ったものには、例外なくそうする。
他人だったら間違いなく、私はその人をスポイルすることになるだろう。
恋人や夫や子供を持たなかったのは幸いだった。
ここで、私の中に疑問がある。
2才の私を表に出してやりたいと思いながら、
私が大事だと思えば思う程、2才の私を閉じ込めるという自己矛盾があるのだ。
*中略*
ここでいったん掘れなくなったので、遠回りして、今までの異性問題を掘った。
子供の頃、女らしさをしまっちゃった上に、祖母と共依存関係だった私は、
彼氏を欲しいと思った事がなく、人を好きになった事もなかった。
28の時、会社の同僚に男性を紹介してもらったことがある。
この人は、初日から自分の苦労を自慢していた。
変な人だと思った。聞いていて劣等感の裏返しに思えた。
私は苦労をしてこなかったので、この人のやっている苦労自慢の競争には勝てないし、
話していても共通の価値観がなかった。
彼には、他人から馬鹿にされても気にするな、言いたい奴には言わせて
おけ、
という信条があって、他人の顔色ばかり見ていた私は、これだけは感心した。
2回会った後に終わった。
会社で、私を良いと言ってくれる人達には興味がなかった。
ステレオタイプを好む男性にしか見えなかったからだ。
私は祖母に育てられたため、一見、良妻賢母のように見えるらしい。
次に結婚相談所で会った人で、気に入った人が居た。
彼の仕事の話は聞いていて、かなり面白かった。
しかし、箸の持ち方が変だったのと、
2回目に会った時、待ち合わせに1時間も遅刻してきて、
仕事が忙しかったからだと言い訳をされて、
この人ってダメ男なんじゃない?と不信感が芽生えたが、
その日は目をつぶった。
この後、先方から断られた。
私は自分に優しくしてくれる(=自分が優位に立てて我儘を通せる)
交際相手が欲しかっただけで、本気で結婚するつもりなどなかった。
父のような人とは結婚したくない。
父の性格は、ある所は行き過ぎて几帳面で、ユーモアがあり、
比較的理性的で、割と情け容赦があるように見えた。
不安神経症だった。
学歴志向で男尊女卑だったが、外面が良かったので、
差別主義は他人には見せていなかったと思う。
一見リベラルに見せかけていた。
他人の差別主義に悪口を言っては、自分は差別主義でないとアピールしていた。
他人から見下されたり馬鹿にされるのには我慢がならなかった。
女を小馬鹿にしているのに、祖母は崇拝していた。
読書好きだった。私は父がたいして好きではなかった。
子供の頃は、午後3時に起きてくる得体の知れない人としか思わなかった。
祖父母が亡くなって、親子3人になって、母よりは話が分かるし、
まぁまともな人だとは思ったが、父の弾圧の矛先が、母8割、私2割で来るので、
私は迷惑していた。
父は恋愛できなかった。する気もなかったんだろう。
父は、常に優位に立ちたかったので、母が能力的にダメなのを承知で結
婚した。
父も祖母もその方が何かと都合が良かった。
彼等にとって、他人は利用する道具でしかない。
私が母を呼び寄せて父と無理矢理結婚させたとばかり思い込んでいたが、間違っていた。
父は自分で母を呼び寄せたんだ。
*中略*
私が結婚相手に望む条件
・生活苦がない程度の収入があること
・私よりも背が高いこと
・行き過ぎた几帳面さがないこと。もしあっても、その几帳面さを他人に押し付けないこと。
・学歴や、勉強が出来るという意味でない、頭の良い人。
・全てにおいて、だらしのない人じゃないこと。
・私の行動を束縛しないこと。
・精神的にも金銭的にも自立していること。
私が一番嫌いなのは、だらしのない人間だ。
どういう訳か、会社でも趣味の場でも、まず私に寄ってくるのは、
だらしのない男だった。
次に、結婚相談所では、自我の薄い内面の貧相な男ばかりが来た。
私は相手の男性よりも優位に立ちたかったので、
ダメ男が自然と寄ってくるという事なのだが、
私はダメ男に依存されたくなかった。
私が男性に依存したいと思っていたからだ。
すごい自己矛盾だ。
私は、精神的にも経済にも自立していなかった。
それで夫に精神的にも経済的にも依存したかったのだが、
相手だけに自立を求めていたとは、我ながら苦笑した。
無意識では、相手よりも優位に立つこと、夫への依存を望み、
表面意識では、自分は依存されたくない、自立した夫が欲しいと言う。
こんなめちゃめちゃな望みが実現される訳がない。
だから上手く行かなかった。
しかし、ある意味、きちんと望みの物が目の前に来ているにもかかわらず、
私の望んでいるのはこれじゃないと言っていた訳で、
逆に言えば、私が一番強く望んでいたことは、
相手よりも優位に立ちたいという願望だったことが分かる。
私が完全に自立しなければ、
望みの相手は来ないという事がはっきりした。
*中略*
さて、大事なものはしまっちゃえ癖は、どこから来たのか?
祖母や父は、秘密主義だった。
他人様に自分達の家庭の内部事情を知られるのを嫌っていた。
具体的には、商売での売り上げなど金銭的な事や、家庭内での揉め事だ。
本当は、自分達の偽人格の本性を隠したかったのかもしれない。
彼等は対外的には非常に善人ぶっていた。
お金に汚くなく、働き者で、性格も育ちも良い、
誰にも後ろ指を指されるようなことはしていない、
公明正大な善人の見本だとアピールしていた。
だから、自分の優位性を維持する為に、他人を利用する本性がばれないように、
赤の他人を入れたくなかったに違いない。
母に対しては、この人間なら我々がコントロールできるし、
本性に気付きもしないと思ったに違いない。
実際、母に聞いたら、祖父母に酷いことを言われたことがないと言っていた。
母はこの家では最下層に置かれており、能力的に劣る事は本人も納得しているのだ。
母は、自らお手伝いさんの位置へ行ってしまった。
母と子供時代の私は、最下層の奴隷だ。
そうだ、ようやく思い出した。
子供の頃、いつだったかは覚えていないが、
私は、自分の本当の性格を誰にも見せたくなかった。
本当の性格を他人に見せることは、生命にかかわる危険なことだと思っていた。
私の本当の性格は死守すべき大事なもので、
誰にも傷を付けられたくなかった。
実際には、家族を誰一人信用していなかった。
観察していて、
家族は私の本当の性格を見せるには適当な人達でないと思ったからだ。
私は、自分にごく近い人にしか、本性を見せない。
ごく近いというのは性質の話だ。
性質の異なる人間同士は、
その異質な部分を発見して、受け入れがたいと判断した場合には、
容赦なく攻撃し合うため、傷つく可能性が高い。
そのために盾となる別の人格を作って、
周りの人間から本当の性格を守ろうと決めたんだ。
この本当の性格を見せることのできる人間はいないと思っていた。
実際に◇さんと会うまでは。
別人格を立ててみると、本当の性格ではないので、
役者のように嘘の自分を色々と演じなければならなくて、
ストレートに感情を出せずに辛かった。
それでも、傷つくよりはマシだ。
違う自分を演じ続けていれば、本性が家族にばれなくて済む。
か弱い部分は特に見せられない。
ここは他人から一番蹂躙される部分だから。
私は、家族から攻撃される前に、先手を打ったつもりだった。
それからは我慢した。
私はこういう性格なのよと対外的にアピールする為に、
大人が望んでいる通り、ひたすら大人の顔色を見て従順なフリをしていた。
当初は従順なフリだけだったと思う。(つまり反抗心はあった。)
最初は、一生、大人なんか上手くだましてやる位の気持ちだった。
ところが、幼稚園から始まった他人との競争を通して、
自分が落伍者だと認識するに至って、もうダメだった。
他人との比較で、自尊心はボロボロだ。
ああ、不快感が上がってくる。
泣きたい気持ちがする。私は泣きたい。我慢せずに泣きたい。
自由に泣きたい。なんで、自由に泣いてはいけないのだろう。
「俺(の存在)を認めろ」は父親からされて、ずっと嫌だった。
私はそんなことは他人にすまいと思っていたが、
私の母に対する態度は、父が母にしていたのと全く同じだ。
自分の意見のごり押しだ。母が認めない時はキレる。
結局は、どれだけ言動に注意しても、
この偽人格である限りは、逃れられないんだ。
自分が好きな人だけに私の存在を認めてもらえばいいやと思っていたが、
母にすらこうなのだ。
なぜ、仕事を一生懸命やっているのか?
以前は、他人から非難されたくない・嫌われたくないのと、
私の存在を認めてほしい・優秀と言われたいからだった。
今は、トラウマ掘りからの現実逃避と、私を認めてだ。
仕事上では、私は依存されるのが嫌いで、他人に依存できないタチだ。
それで、他人に仕事を振れなくて、仕事を抱え込んでしまう。
他人に任せて満足のいくものにならなかったらと思うと、
自分でやっちゃった方がいいやと思ってしまう。
最近は多少は割り切れて、他人に仕事を渡せられるようになってきた。
今の職場でも、局長が私に依存してきている。
辞めたい主な理由は依存されたくないからだが、
異性問題の時と同じ構図になっているのに、今気づいた。
優秀だと認めろをやればやるほど、同僚からは依存され、
そして、表面意識では、依存されたくないと思っているという、自己矛盾がある。
*中略*
<8月>
当初のしまっちゃえをやったきっかけになる出来事があったはずだ。
それは何か?
どう頑張っても、幼少期の記憶を思い出せない。
それで、子供の頃にあった不快感を羅列して書き出してみることにした。
しかし、一週間程続けても、きっかけを掘れなかったので、
ACについて改めて調べてみることにした。
あるブログを読んでいたら、ACの人達は、
自分のインナーチャイルド(IC)の象徴として、
部屋に人形や絵などを置いていること、
家具が代理親になっており、
無意識にICを出させないように結界を張っていること、
また、親の洗脳下にある思考では、
自分のお金で物を買ったとしても選択を間違える、
それは転居先を選ぶのでも同じだ、
と書いてあり、非常に納得した。
以前から私も、その人の部屋の中は、その人の思考回路の表れだと思っていた。
物の量や置き方に意識を投影しているんだと思っていたが、
ここまで深くは思いつかなかった。
私の部屋には人形が置いてある。
これは私が中学生になった時に近所の方が作って下さったもので、
30cm位のお座りできる可愛い女の子の人形だ。
辛かった時、この人形を眺めてひたすら我慢していた。
この子は私と苦を共にしてきたので、
死ぬ時に棺桶に入れてもらおうと思っていた。
この子が不憫だった。この子になら、
私が寝ている時、歩いてきて首を絞められて殺されても本望だと思っていた。
この人形をICに見立てていたと初めて気付いた。
それで、この子を視界に入りやすい位置に置き換えた。
・・・そうしたら、気付いた。
なんで今までこの部屋を、こんな風にしなきゃいけないと思い込んでいたんだろう。
この部屋は私の部屋じゃないか!
私の好きにしていいんだ!
カーテンだって、ポップな柄でも良かったのに、
落ち着いたグリーンを掛けていた。
今までの部屋は、私の部屋じゃなかったんだ。
私は、この部屋で精神を何とか落ち着かせるために、
家具や小物をグリーンやベージュで揃えていた。
昔は海の写真を飾っていた。海は気が休まる場所だ。夢の中でも繰り返し行っていた。
今の私は、もっとカラフルな色が好きなんだと気付いた。
そして、もう親からは自由なんだと気付いた。
なんで洗脳ゲームをずっとやり続けなければならないと思い込んでいたんだろう?
もう別人格なんていらないんだよ!
もう終わったんだ、もうあの時の親なんかいないんだよ。
一体、私は今まで何をやっていたんだろう?
ああ、「あの時」の親が怖い。
私が怖がっているのは「あの時」の親だ。
「あの時」の不安。
「あの時」押しつぶされそうだった。
ちょっとずつ「あの時」の不安が出てきた。
また、少しずつ物を捨て始めた。
今度は、思考より感情を優先して判断することにした。
例えば、素敵な黒いバッグなのだが、
結婚相談所で紹介された人達と会う為に使ったので、良い思い出が全くなく、
見るとフラッシュバックするので、その後は一度も使っていなかった。
でも、偽人格の思考が
「もったいないよ、綺麗なバッグなのに」と言うので、
いつか使うかもとしまっていたのだが、あまりに嫌なので捨てた。
仕事の情報雑誌を読んでいた。
*中略*
情報雑誌には、苦痛を感じていた。
最近は、嫌々手に取って、ぱっと中身を見ただけで処分していた。
そんなに嫌なら見なきゃいいのに、偽人格の思考が見ろというので仕
方なく見ていた。
視界に入る本や雑誌は、全部目につかない所にしまった。
カーテンも緑色から赤い綺麗な花っぽい柄に買い替えることにした。
自分の部屋以外にも、玄関にあった不要な物を処分し、
他界した父がよく居た部屋の大型テレビやTVラックや椅子等を処分することにした。
父は物を捨てなかった。父は時計や温湿度計や鏡に執着があった。
うちは玄関を入ると、真正面に鏡が置いてある。
姿見が欲しいと言ったのも父だ。
時計に至っては、各部屋だけでなく、洗面所やトイレの中にまで置いていた。
父が亡くなった後、不要な時計は捨てて、オーディオを含め、
父の物はあらかた捨てたのだが、姿見や玄関の鏡は捨てるのを失念していた。
(さらに玄関の鏡の前には、私が沖縄で買ってきたシーサーを飾っていた。
これは、玄関から他人を侵入させないようにするための守りの象徴で、
無意識で置いていた。)
椅子は使うかもしれないし、
大型TVやDVDレコーダーはもしかしたら見るかもしれないととっておいたが、
この2年というもの、父がいた部屋には、私も母もほとんど入らなかった。
この部屋の物を相当数処分したにも関わらず、だ。
私は入るのが嫌だった。
恐らく母もそうなんだろう。もっと早く、
見た瞬間に父を思い起こさせる物は、思い切って全て処分するべきだった。
この家は、今は私と母の家であって、居ない人間にはもう関係ない。
私達の好きに、自由に改造すればいいんだ。
ゆっくりと自分に、やりたいことを、させていこうと思う。
*中略*
小学3年か4年生の頃、友達とお昼休みに校庭で遊んでいた。
高オニをやっていて、朝礼台に皆で立っていた。
かなりの人数が乗っていたので、一番後ろにいた私は、
皆に押される形で背中から落ちて、後頭部を打ち、視界に星が見えた。
友達には大丈夫だとは言ったが、起き上がれなかった。
保健室に運ばれ、少し出血していたので、しばらく寝ていて、
親が迎えに来て帰ったと思う。
私はずっと冷静で、落ちた事など何とも思っていなかったのだが、
今思い出すと、やっぱり泣きたかったんだ。
涙が出るもの。
びっくりしたし、頭を打って怖かったから泣きたかったのに、
当時はもう泣けなかった。我慢ばっかりしていたから。
本当は辛かったんだ。我慢させて、ごめん。
今まで我慢していた感情を解放していくつもりだ。
そのための部屋の改造だ。
生まれた時から痩せていた。
他人から痩せていると言われると、太っているのが健康で、
お前は不健康だ、子供らしくなくて可愛くないと言われているようで、辛かった。
体格で判断されるのはショックだった。
元々神経質で食が細かったし、病気がちだったから、どうしても太れなかった。
痩せているのは、私のせいなんだろうか?
小学校に入ると、体力も筋力もなかったから、運動ができなくて、劣等感があった。
痩せていると言われることが、子供の私には、本当に本当に辛かった。
だって努力しても太れないのに、どうしたらいいの。
泣きたいよ。こんな事で非難されたりランク付けされたりするのか。
私には、顔が不細工だと言われるよりも、痩せているという一言の方が精神的に堪えた。
だって、何度も何度も言われるんだもの。
もう嫌だ。もううんざりだ。もう止めて欲しい。
ICの事を考えつつ、ぼーっとしていると、
表面の口先だけで偽人格がこう言う。
「頑張らなきゃ」
ええ?
私は頑張りたくないんだよ。
もうやりたくないことを我慢して頑張るのは嫌なんだよ、この、嘘つきめ。
どうしてそういう心にもない事を、平気で言うんだ。
今はため込んだ感情の解放をしたいんだよ、私は。
ただやるのみ。
頑張るんじゃないんだよ。
*中略*
私には、トラウマ掘りからは原主体は掘り出せないのではないかという気がしていた。
というのも、はっきりしたトラウマとなる出来事自体が思い出せないからだ。
このままでは原主体に到達できないと分かった時、
一時投げやりな気持ちになったが、ここで止める訳には絶対にいかない。
やれることからやるしかない。
貯め込んだ感情の解放と、感情を優先して動くことをやり始めた。
しかし、感情を優先して動くにしても、
今まで感情を優先することなどしたことがないので、ひどく困惑する。
感情のままに言いたい事はあるのだが、言う前に頭の中に、
その人の社会的立場や、自分の保身や、
私が勝手に推測した、その人のトラウマ等が一気に横切る。
そして、言うことを躊躇してしまうのだ。
社会的立場を考えたり、保身に入って相手を立てようとしてしまうのは、
明らかに偽人格のやり方だ。
丁度タイムリーな投稿が出た。
桜の間の「原主体教を作り出すな」を読んで、
>厳密に言うと、育てなければならないのは、原主体ではなく、
>原主体の言い分を、どうストレートに表現するかです。
>この表現部分、出力部分が、希釈自我では、歪みまくったわけですから、
>まともに表現できたためしはありません。
全くその通りで、まだ一つも出力されていない。
表情に出す事さえ出来ないのだ。
40年以上無表情を通していたせいで、顔面筋が全く動かない。
今日も職場で、嫌な事があった。
嫌だと感じたら嫌な顔をすればいいのに、
まるで神経が混線しているか麻痺しているみたいになっていて、
嫌な顔が出来なくて、自分でも驚いてしまった。
無表情な方が、保身には有利だった。
一番役に立ったのは、会社にいた時だ。
嫌いな上司がいたが、表情に全く出ないので、
私が嫌っている事を相手に悟られずに済んだ。
ちょっと意地の悪い事務の女の子がいて、彼女と話している時、
彼女が内心思っていること(この時は、彼女の思った通りに、
私を上手く手玉にとって騙せているということ)が、
彼女の表情にはっきりと出ていた。
これを見て、この子は馬鹿だなぁ、隙だらけじゃないかと思っていたが、
彼女は自分の気持ちに正直だったということだ。
TVとTVラックを処分した日、1階にいると、住人の男友達らしき人が入ってきた。
一瞬、誰か分からなかったので、上から下まで眺めて、頭の中で誰なの
か照合した後、
「こんにちは」と挨拶をしたら、その男は無言で私を無視し、
エレベーターに乗った。
こいつ、感じ悪っ!ムカついたので、ドアが閉まったとたん、
子供みたいに、舌をべーっと出して、思い切り嫌な顔をした。
え?
自分がした事にびっくりした。
私も嫌な顔が出来るじゃん。
同じ日に部屋の赤い綺麗な柄のカーテンも届き、掛け替えたのだが、
部屋が明るくなって、女の子らしい部屋になった。
赤ってやっぱりいいなぁ、女の子の色だ。
ここ1ヶ月ほど、夢を見ている事は覚えているのだが、
起きると内容をさっぱり思い出せない。
昨日の朝、何とか覚えていたのは、
手のひらに乗るくらいのカールした白い毛の小型犬が、
黄色い水たまりの中で瀕死の状態になっているのを見つけるというも
のだ。
最初は意味が分からなかったが、
小さい瀕死の犬はICで、黄色い水は尿だろう。
ICの感情がちっとも排泄されていなくて、瀕死の状態ということではないかと解釈した。
今朝は夢を覚えていようと意識したため、覚えていた。
1つ目は、浴室の壁が泥で汚れていたため、シャワーで洗い流したら、
シャワーの水が泥水で壁が余計に汚くなり、困ったと思ったら、父が出てきた夢。
2つ目は、歯科医のイケメンの先生に、
歯ではなく左耳を診てもらっている夢だ。
どうしてこういう夢を見たのか考えたら、
以前から懸案になっている自分の部屋の排水管について考えていたのと、
左耳は以前突発性難聴をやったので、弱い部分だという認識があり、
自分に自信のない所で男性に頼りたいという依存心の表れだと分かって納得した。
夢は、確かに無意識の在り様とリンクする。
以前は夢に信頼をおいていなかったが、
無意識の在り様を観察するには、夢の内容を観察するのも一つの手だと思った。
夢の内容を思い出せないのも、
自分に都合が悪いことがあるからで、
自分自身に分かってもらいたくない何かがあるのだと思う。
それと、もうひとつ、寝ることが怖いと思う時が数日間あった。
眠ることで何の不都合があるのかと疑問だった。
夢を見たくないのかもしれないが、これについては、自分でもまだ分からない。
ラジオを聴かなくなった。あまりにつまらないので。
流行の物を追いかけるくだらなさ。
アーティストへの「リスペクト」という安っぽい言葉。
元々スポーツには興味がなく、経済にも興味がなくなった。
時事問題だけに興味があるのだが、
喋っている内容によっては聴く気が失せると即座にスイッチを消してしまう。
本も読まなくなったし、CDも全く聴かなくなった。
*********(ここから少し雑談)
放射能汚染についての話ですが、
*以下略*
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