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●梅の間へようこそ●
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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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無明庵日記●猫の足跡-その593● 『原主体を蝕む領域』 ●
by:
鈴木崩残
2013/07/18(Thu)08:58:22
「原主体」を蝕む3つの領域
『風俗・学校・家族』
*********
第一の領域/「風俗」
●さまざまな理由から、風俗の世界(サービスの程度はいろいろですが)を
本業または、資金稼ぎの為に利用する女性・または男性がいます。
今回は、職業差別という視点からではなく、職業「区分」という観点から、
この問題を指摘するということをまず念頭に置いてください。
●風俗産業に入った期間の長短に関わらず、そこでは、ある汚染を受けます。
ただし、それは性的汚染や霊的汚染ではありません。
それよりも、もっと深刻な精神汚染です。
夜の商売を経験した人で、私は女性的な人を、
実は、一度も見たことがありません。
「悪い意味」での「トゲ」をずっとそのまま抱えて生きています。
夜の商売を経験したら、女性を磨けるなどと思うほどの馬鹿な人は、
いないとは思いますが、たまに勘違いをしている人がいるので、
「その構造」を書いておきます。
●夜の商売の雇用者が、従業員に期待し、または命じるものは、
【女性を切り売りしろ】ということです。
つまり、女性としてのトータルな「統合体」その「全体」を商品とするのではなく、
『客に甘えを許す』『客の傲慢を受け流す』『客に性行為の道具として身体を貸す』
などです。その代償として、金品を得ます。
●ここでの問題は、風俗産業が、その従業員の女性に求めている
「ビジネスとしての理想像・イメージ」は、
本来の女性が持つ「全体」の、ほんのごく一部であり、
結果として、「その一部以外は否定される」ということです。
その産業にとって、都合のいい一部だけが許され、伸ばされて、
あとは、否定される、これが「精神にまで影響する問題」を生ずるのです。
●風俗産業に入る理由が、お金を得るためではなく、
そういう所でしか、異性や人間との関わりを持てなかったという
レアなケースもありますが、たいていの場合には、目的は、
てっとり早くお金を溜めるためです。
また、仮にそうしたレアな動機で、人と接したかった人も、
風俗の世界に入れば、そんな動機は、すぐに否定されます。
●以前に、梅の間か、桜の間の掲示板のどこかで書きましたが、
風俗または夜の商売における女性は「人間として扱われない」のは、
当たり前のことであり、そんなことも分からない人は、
風俗の世界に入るべきではありません。
『客にとって、いざとなったら、都合よく捨てられる欲望の為の道具』が、
風俗の持つ「最大の商品価値である」と私は言ったはずです。
風俗通いをしている既婚の男性が、それがバレたときに、
「会社の同僚の女性に手を出した」ということであれば、
離婚裁判になり、慰謝料を膨大に請求されますが、
相手が「風俗嬢」であったらば、
「出来心」で済ませられ、「遊び」で済ませられ、
「向こうも商売なんだし、俺だって、むろん本気じゃない」が通ります。
そうした『人権無視』『女性という人間として扱わないで済む』という
利点こそが、夜の商売を生業とする人たちの「重要な売り」です。
●よって、風俗の世界に飛び込んでおきながら、
「人として扱われない」ことに不満を言うとしたら、とんだ未熟さです。
総合的な「人間」から、商品に使える「一部だけ」を売りにして、
はじめて成立するビジネスが風俗なのですから、
雇用主、または同僚に、「私は、人として扱われたい」とか言ったら、
「そんなことは、この仕事をやめてから、やりな」と、簡単に首にされます。
●これは職業差別ではなく、職業が持つ宿命ですので、
そうしたことを知らずに、または認識なく、覚悟なく、
風俗や夜の商売を選択するのはやめておいた方がいいという警告です。
そこで得る、処世術や世渡り法など、薄っぺらで、何の価値もありませんし、
そこで、女や男が、磨けるわけがなく、
逆に、本当の意味での、トータルな人間としての性の良さを、
「捨ててしまうこと」になります。
●風俗産業が、人間の持つ、
「総合性」や「統合性」を損なうという意味では、
AV男優も、しかりであり、彼らは、やっていることは、
見だけを見ると男性的に見えて、実際には、そうやって男性性を捨てています。
同じく、ホストもそうです。
やっていることは極めて男性という姿形や個性を切り売りしているように見えて、
実際には、無自覚のうちに「統合体としての男性」を捨てています。
●また、風俗に極めて類似するものとして「ヤクザ」もそうです。
ヤクザになるということは、
ヤクザの世界の「内部での仁義」はどうだか知りませんが、
少なくとも、その世界の中で、いきがるにために、
捨てなければならない情、哀れみ、優しさ、そして「弱さ」があります。
何よりも彼らは、「弱く見える」と仕事になりません。
借金の取立ても、恐喝も、弱っちく見えたら、出来ません。
だから、本当は小心者であったり、ケンカが弱くても、虚勢を張るのです。
しかし、「統合的な人間」と在るためには、人は常に、
矛盾する衝動と、性質と、感覚を、
ある一定の配分で、並列に維持しなければなりません。
●よって、風俗とヤクザの世界を経験した人たちの最大の癖、または汚染内容は、
「その人の本来の性らしくないこと」
「虚勢を張ることが、習慣化すること」
「自らの中の弱さを否定し、弱く見えないように偽装する」
です。
●しかし、これが原因で、ACの素養を持つ人や、トラウマを持つ人が、
風俗世界に関わると、その傾向が「悪化」することがほとんどです。
風俗に関わり、そこで、「自分の力」を錯覚した人たちは、
その後に、たどる道は、たいてい2つのパターンです。
1/心身が衰えて、死ぬまで、虚勢を張り続けて、
「アタシは、普通の人よりも苦労してんのよ」となるタイプと、
もうひとつは、前者とは逆の方向に振れて、
2/「エセ癒し系」を演じるタイプになることです。
片方は、陽性、片方は、陰性というだけで、
まったく同じトラウマの悪化にすぎません。
●この話の要点は、ある特定の「職種」、
特に、「人としての統合性を損なう率の多い職種」に関わると、
そこに関わらない人たちよりも高確率で、人格が歪むということです。
そこに関わる期間がたとえ短期でもそうなります。
ところが、
もっと身近なところに、その「汚染を発生する職種」があります。
それは、「学校」です。「教育機関」です。
____________________________
第二の領域/「学校」
●職種といっても、学校の教員ということではありません。
学校という場そのもののことですから、
当然、教職員だけではなく、そこにいる生徒も、全員、同じ汚染を受けます。
●学校や教育機関が、『子供に期待し、イメージした子供』、
これを学校は、死守しています。
それ故に、その『子供に押し付ける、小学生らしさ』
その『子供に押し付ける、中学生、高校生らしさ』
といったものが、それ自体が、子供の『統合性を奪い、制限する』
という意味で、風俗産業とヤクザの世界ほど酷くはありませんが、
確実に子供の統一性の中から、「否定」されてしまう環境にあります。
●それは、その子供がいる「学年」にそぐわないと、学校が認識する、
「学年以下の学力」「学年以下の挙動」「学年に似合わない反抗的思考」
こうしたものを、「小学生らしくない」「高校生らしくない」といって
切り捨てるか、処罰をします。
これもまた、本当は、いろいろな感情、思考、意志、が混在している
子供たちの中のある『統合的人格』『総合的人間性』から、
その一部だけを学校では肯定し、一部は否定して「してはダメだ」と
制限することになります。
●「無秩序」と「躾」のバランスというものは非常に難しい問題ですが、
少なくとも、現在の日本を含むいくつかの国の教育は、
あきらかに、統合性の一部を殺しています。
それは、風俗産業が、女性や男性の人間性の一部を否定し、
一部だけを売って金と交換したのと同じように、
『子供の人間性の一部』だけを認め、
『教育機関が決めた子供像』から外れる子供は否定し制圧するという意味で、
極論をすれば、風俗やヤクザの世界と「類似構造」にあります。
_______________________________
第三の領域/「家族・家庭」
●これについては、もはや、説明する必要はありません。
風俗産業が、人に強要したこと、
学校と教育機関が、人に強要したことを、
親が、家庭という密室で、親の勝手なルールと、気まぐれの感情によって、
「子供に強要すること」、これが起きるのですから。
●各家庭により、
そのコントロールの「種類」と「強さの差異」はありますが、いずれも、
その親が、「自分の子供は、こうあるべきだ」というイメージを
子供に強要し、その子供像から外れる場合には「否定」することか起きます。
その子供への否定行為が、
『身体的暴力や恫喝 ・ 同じ家族の他の者への暴力や恫喝 ・
いびりや皮肉を含む威圧・ 調教』
これらのうち、どの手段を使うかは、その親によります。
●そして、これこそが、人間の成育の中で、
まず最初に、原主体が汚染される、『毒』になります。
つまり、最初に、人として『統合性』が、なんと、
その統合性こそを注意深く育成すべき「家庭」で、
「家族」の手によって、阻害されるのです。
●ここで歪んだ子供、
つまり「親、兄弟、家族」との『かけ引き』を覚えた子供は、
自分の中の『統一性』を破壊し、最初の「核分裂」を起こします。
それが、「学校」で悪化して第二の核分裂反応の生成物を発生し、
「風俗」で悪化して、さらに別の核種を発生し(このケースは多くないですが)
さらには、社会や企業で、さらに悪化して、第三、第四の核分裂を起こし、
ついには、結婚した家庭内で、伴侶や子供に対して、核分裂を起こして、
その汚染物質の核種を子供にコピーします。
*********
現在、自我復元をまだしているかどうかは不明ですが、
風俗関係を、現時点で生業とする女性は、私の記憶違いでなければ、
読者の方の中に、お二人おりました。
今回記したような理由から、
出来るだけ、早い転職を、お勧めします。
しかし、そう言われても、
高校生までの学生の人や、そうしたお子様をお持ちの親は困るでしょうが。
ちなみに、日本の大学は、
人格の部分否定の締め付け「ゆるい」ですから、
(その締め付けの緩さに甘えて、刑事事件を起こした例以外では)
それほど、AC・トラウマが悪化することはないと見ていいです。
というより、大学生になったら、
とっくに、トラウマ人格も、AC人格も、兆強人格も、
「出来上がってしまっている」わけですが。
常に例外はありますので、断定は出来ませんが。
_______________________________
私の風俗論
前半の投稿で、
>>以前に、梅の間か、桜の間の掲示板のどこかで書きましたが、
と記したものの、私の勘違いで、記していないようなので、
メールの一部から、その収容部分のみを抜粋しておきます。
↓
***************************
現代社会の風俗では、そこにかかわる客の側も、
それこそトラウマがらみの汚物をいわゆる、心理面を含めて、
「付き合っている女性」にぶつけるのよりも、
「もっと敷居の低いレベル」で、風俗のプロにはぶつけてしまいます。
それは「金を出してんだから、文句言われる筋合いない」という理屈で
暴力化するケースです。
これが私が(今の時代では)女性に職業として風俗を奨励しない最大の理由です。
もともとは、社会に必要であった施設であっても、
現在は、その理念も「社会的な価値」も、ちゃんと整備されていないことです。
***
>>夜の商売だと、人として軽んじられるのは、やっぱり納得いかない、
という意見に対しては、
もとより、そのように、職種そのものと、
そこのプロの人たちを、軽んじる程度の奴ら(金があろうがなかろうが)が
行く(来てしまう)のですから、
納得いかなくても、それはしかたありません(私見ながら)。
***
>>風俗からプライベートにまで発展しても、やっぱり遊びが多かったのです。
>>そうではない人もいましたが、数は少ないです。
という意見に対しては、
そうなる最大の原因は、
仕事という「戻る場所としてのベースキャンプ」があり、
客は、貴女をそこの「兵士」だと思っているからです。
つまりは、夜の商売の人に対しては、
言動すべてが、客の側の立場では、「無責任になれる」ことです。
「どうせ、仕事だろ」
「俺でなくても、どうせ、他にも男の客がいるだろ」
「何かあっても、守ってくれて、稼げる、あのお店に戻るだろ」
という目で見ますから、 家庭を持っていようが、他に本命がいようが、
さらには、浮気が発覚してさえも、そういう「有事の際」にも、
「相手はプロなんだから、金目当てで俺に本気じゃないし、
俺だって、本気じゃないさ。ちょと間がさしただけだよ」
という言い訳が、しやすいという意味で利用、活用されます。
「本気じゃないのだ」というのが、夫婦間では絶好の免罪符になるのです。
なぜならば、「本気です」などと、妻や夫が言ったら、
普通の出来心での愛人や、社内恋愛や、その他、
「接客の世界」ではないエリアでの肉体関係などの付き合いだったら、
やった男の家庭内では、離婚裁判や、殺傷事件にまで発展しますが、
そこが、夜の接客業では、
次の事例のように、他の職業よりも、当事者のテンションが落ちるのです。
「あなたに向うは本気じゃないって?
まー、向うも商売だから、そうだよねー。
あなたも、プロを相手にして、本気のわけないよねー」と。(たとえ本気でも)
そのように、
「客の私生活でのトラブルの際の「言い訳」に、
「悪用される側」の夜の商売の人たち」も、
「その客にとっての、都合の良さ、便利さ」を
覚悟でやり、軽んじられているから成り立つ商売であることを
自覚しているからこそ、「プロフェッショナル」なのです。
夜の商売、または接客業の人たちを、
人として見られない客側にも問題はありますが、
別に、「私を人として見なくてもいいから、金は出してね」、
という「長年の慣習と、低い価値観」を積み上げた、
日本や世界の「風俗業界の側」にも責任があります。
これが、昔の「遊郭」ならば、格が少し違ってくるかもしれませんが。
従って、風俗の世界に、入るのでしたらば、
「人間性が軽んじられる社会であること」を覚悟して入ることです。
また、すでに経験してしまったのであれば、その時に、
基本的な認識が足りなかった自分の不備を、受け入れるしかありません。
もしもそれを受け入れないのであれば、
あなた自身が、風俗世界に「改革」を起すしかありません。
それは、特定の相手の、無礼の害悪や、人権無視の問題ではなく、
風俗業界全体や、社会そのものの改築がテーマとなりますから。
***
こう言っては、風俗やキャバレーに行くお客さんと、その仕事の人たちに、
失礼になるかもしれませんが、
そもそも、そういう所へ行く、「どんな利点」が人生にあるのでしょうか ?
(私は、風俗業に、一定の理解は示しますが、相当にその評価は低いです。
接待としてですら、そういう所に行く必要ないでしょう。
欧米のビジネスマンは、この日本の習慣を嫌がって行きません。)
ですから、 飛び込んだ世界に「徘徊している客の質」を
そちらは、あまりにも、買いかぶりすぎだと私は思います。
たとえば、「商品として扱うな、人間として扱え」という要求の場合、
この「商品」ではない「人間としての扱い」は、
「ごくごく普通の生活」で得ればいいのですから。
たとえば、商売を離れたところで、
客以外の人と会っていても、客とオフの時に会っていても、
いずれにしても、
1/ホステスが客に「真剣に付き合ってね」などと言ったら、客の側は、
「またまた、そんなこと言って、よしてくださいよ、姉さん」となります。
逆に、
2/客が、ホステスに「真剣に付き合ってください」といったら、
「おにいさんったら、えらい嬉しいこと言って、くれはりますなー」、
と、軽く、いなされます。
既に言いましたように、
もとより、「真剣にならない」、という「ルール」がそこに敷かれている、
「その利便性」こそを見込んで、客も、ホステスも関わっているのですから。
*********
ただし、店以外のところで、
御自分が、ホステスや風俗をアルバイトでしている、ということを、
「客ではない関係ない男性」が聞いた場合には、
反応は、いくつかに分かれます。
もしも、そのホステスや風俗嬢のことを、
「真剣に好いている男性」でしたら、
それだけに、あまりいい気はしないと思います。
かといって、その男性には、その相手の女性を経済的に援助したり
そこから救い出す義務はありません。
もともと、セックスというのは、自由であっても、
各時期の、それぞれの関係においては、
本来、「プライベート」なものです。
その「プライベート」なものを、「ビジネス」にする、という、
構造そのものに、事の最初から「問題」があります。
自分が大好きな女性が、
一日に何人もの、異なる男性の精液を口や膣内に、流し込んでいるとなった場合に、
相手の女性に、男性が好意的であったり、好きであったりすればするほどに、
「仕事だから、誇りを持って仕事で、セックスしきてね」とまで、
その仕事を、尊重できて、本心からそう言える男性は、
どれぐらいいるでしょうか?
しかも、厳密に管理された、本当に誇りを持てる風俗などであれば、
(高級娼婦という意味ではありません)そこには何か「道」が出来てきますが、
もとより、風俗の経営者は、
町工場の職人の人たちのような「信念や理念」があるわけではありません。
風俗という「文化」自体には、私は一定の理解は示しますが、
それを哲学を持って「きちんと作ってきた人がいない」のですから、
風俗世界に、ヤクザ社会や、麻薬や、裏社会を形成したことまでもを許諾して、
「職業差別は、いかん」などとは、私には、言えません。
経営の「背景」が、やはり、よろしくないのである。
ただし、これもピンキリですから、
東京の新宿や六本木あたりだと「少し」ですが、事情は違うかもしれません。
私個人は、全く必要がなかったので、キャバレーや風俗に行ったことはないですが、
赤坂のバーのマスターとか、ママさんとか、
30代の前半までは、間接的には、人脈がありましたので。
ということで、必然的に、
「自分が相手や客を、馬鹿よばわりをする結果となる自分の癖」を、
わざわざ引き出すハメになるような、
そういう人がいる場所に自ら出向いたり、または自分から縁を作って、
それでムカついていたら、キリがありません。
前にも言いましたが、
「相手や社会に、期待しすぎ、求めすぎ、
そして、その人たちは再教育の価値あり」と貴女の側が、
強く思い込みすぎているような気が私はします。
また、縁もない、人々の素行と所為に、いちいちムカつく時間があったら、
もっと有益に、自分の為に「時間」を使えるはずです。
________________________________
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