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[1845]
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無明庵日記●猫の足跡-その595● 【アダルト・チルドレンの為の動画】
by:
鈴木崩残
2013/07/23(Tue)18:57:10
Music Remedy for Adult Children
●桜の間には、トラウマ掘りの動画や、眠気防止の音楽映像がありますが、
今回は、気づきにくい「AC」のパターンを掘り出し、
かつ「原主体」を引き出すのに効果を持つように、動画と音を構成してみました。
■使っている曲は、私の「Momento」というアルバムの中の、
『南の雨』というの曲の「一部」です。
ビデオは、本日、思いつきで自作したもので、
CGではなく、実写です。
******************
■前半は、雅楽「っぽい音」を自作した上で、
極端に長い「ポルタメント」をかけた音を多用し、
私たちが、慣れ親しみ過ぎている「平均律」から、わざと外しました。
これが、トラウマやACを理解するための、意識の観察力を、
柔軟にする効果を持つと思いました。
■後半のピアノの音の部分は、私が「即興」で、ゆっくりと弾いたものを
クォンタイズ(音符の位置調整)をしてから、テンポを速くしたものです。
これが、聴き手が、より自分の中の「原主体」を解放できる即興演奏
として機能して欲しいと思いました。
***************************
AC人格の特徴である
「苦労意識」が作り出してしまう
「自己矛盾」
●実は、これについては、「竹の間」で、今から10年前の2004年に書いていました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T3108
●この「苦労至上主義」は、トラウマ・AC人格を持つ人たちの中で、
特に、自分の過去のトラウマや心の傷を、
自分は「克服した」、自分は「超えた」「もう自分には関係ない」
と思い込んでいる人たちが、多く発症する症状です。
●簡単に言いますと、特に、幼少期から子供時代に、
つらいこと、不本意なこと、不愉快なことなどがあり、
本人は、それを「克服したと思い込んでいる」のですが、
それは、一生、次のような「自己矛盾」を抱えたままになります。
苦労至上主義とまでは言わなくとも、
A
『私は、こんなに昔に苦労して、それが、今の私を支えているんだ』
B
『苦労なんかしたくなかった。苦労しなかった人が羨ましく思うこともある』
このAとBという「相反する主張」が、同時に心の中に巣を作っているのが、
克服したと思い込んだトラウマ・AC人格の特徴です。
また、この自己矛盾を抱えた人は、
「自分の苦労」には、多大な評価をしているのですが、
「他人の苦労」には、ほとんど無関心なのが特徴です。
どうも、自らの苦労だけは特別に注目に価するもので、
他人のそれが、自分よりも、もっと大きな苦労であっても、
それには共感をなぜか全く示しません。
●
そして、
「苦労したから、私は、今の自分がある」
「苦労知らずは、人間としてダメである」
という価値観が、かたくなに、その人の心を奴隷のように支配している一方で、
そういう意識を持つ人たちにとって、「その苦労」とは、
むろん楽しかったものではなく、
本人にとって、「不本意な苦労」であったことがほとんどです。
人は、不本意ではない苦労ならば、苦労したことを口になどしません。
あのとき苦労した、そして、それを自分の力で克服した、
あの時の自分はもう関係ない、強くなった、賢くなった、
などの、トラウマ・AC人格が作り出した自己像は、
「その努力や苦労との自己同化」が強すぎて、
その価値観それ自体の歪みに気づきません。
●不本意な苦労や努力をしてしまった、あるいは強いられた、
ということは、紛れもなく、「我慢」や「抑圧」です。
それを苦しい、つらい、悲しい、やるせない、不毛だと、
自己嫌悪し、自己否定し、生きている意味がないと自分のことを感じた、
そのまっとうな感性を持っていた側のほうが、
原主体に近い位置にする、
「最初の被害者」である、インナーチャイルドです。
それを克服したと思い込んでいる側は、
本物ではなく、「仮の擬似人格」です。
なぜならば、原主体の子供にとっては、
「不本意な苦労」に対する、
どんな「正当化」も不可能だからです。
幼少期に体験した、不本意な、我慢や、苦労や、苦痛や、不快感に、
「納得がいかないまま」そのまま生き続けるのが、原主体であり、
それに対して、
「正当に見えるような理由を捏造して、自分を納得させたと主張する」のが、
偽人格です。
むろん、それで、稼いで生きてゆく事だけならば出来るでしょうが、
そのために、そんな偽人格よりも、もっと賢かった「原主体」を、
その人は、自分の中で、踏みつけ続けることになります。
*********
私から転車さん(戦車さん)へのエール
●エールや、助言といったもの、あるいは個人的な報告への見解を、
掲示板上で行うか、それともメールでプライベートに行うかを分けるものは、
(例外はあるものの、原則として)、
「他の人の問題にも関係するかどうか」です。
先だって、レアケースを桜の間に書いてしまいましたが、
基本的には、レアケースは汎用性に欠けるので、あまり良いことではありません。
●ところで戦車さんのケースを「わりとベタ」と書きましたが、
実際には、無明庵の中では、少しレアです。
というのも、これまでの無明庵でのトラウマ・AC人格については、
桜の間にあるように、比較的、毒親に「やられ続けた人」からの報告が
大半です。
しかし、これは無明庵あるいは精神世界という分野では、
その傾向があるというだけで、世間一般を見渡せば、
むしろ、戦車さんタイプのまま、気づかない人が多いのです。
●精神世界の、その悪い側面は、自己正当化で無意識になり、
一般社会人よりも、現実離れした妄想に住みたがる傾向がある一方で、
その良い側面は、
一般社会で、疑問なく自分の夢と称するものを、
がむしゃらに追いかけ続けている人たちよりも、
「内省的」になる傾向があります。
これは、むろん、精神世界は、心の問題であるために、
どこかで、心理学療法も、必然的に、からんできており、
そのせいで、「内省的になれ」「自己を分析しろ」「思考観察をしろ」
「他人がどうこうよりも、まずは、自分のことを知ることから」
ということが、わりと、当たり前に言われてきた背景からあるからです。
●ですから、特に、桜の間で、「自我復元」にからんだ報告や、
「ブログ」での「自己分析」を見ると、一部の人たちのそれは、
プロのカウンセラーも顔負けの高度な分析内容のコンテンツを持っています。
さて、自分を変えようとするときには、二つの傾向があり、
1/ひとつは、弱点を補ったり隠すための「力」をつけようすること、
2/もうひとつは、自分の問題の根本「原因」を知ろうとすることです。
(宗教ではなく)精神世界の人たちは、比較的、後者の自己分析に傾く傾向があり、
前者は、自分の分析は、ほっぽらかしておいて、
武術とか、超能力とか、気のパワーやら、魔術や呪術、荒行、
などに憧れる人が陥りやすい分野です。
●ここで、便宜上、「宗教と精神世界」を少しだけ区別しておくと、
宗教は、「教祖や教義を、疑わずに、絶対的に信じろ」が基本ですが、
しかし、精神世界というのは、
かつて「チープな流行語」ともなった「自分探し」が基本です。
また、その「自分探し」という「ゆるい言葉」が世の中に蔓延した、
その「少し前の時代」には、
「自己変革」「自己啓発」といったセミナーに、
詐欺商法や、カルト宗教が入り込んでいたときもありました。
(いまでも、「ワタ*」なんかは、立派なカルトですが)
*********
●さて、話が大きくずれてしまいましたが、
今回は、自我復元をしている読者の方からではなくて、
私からの、戦車さんへのエールです。
ちょうど、戦車さんの学校の試験が終わるころに、逆に、
私が私用で忙しくなりそうなので、
今のうちにエールを送っておこうと思った次第です。
また、それは、
いつ私が、いなくなってもいいようにするためでもあります。
●そして、それを、戦車さんにメールで直接にするか、
それとも掲示板で、汎用性のある話題とするかの選択で、
後者にした理由は、
多かれ少なかれ、
「子供のときの歪みや、苦痛を回避する目的で、出来上がってしまった人格」に、
依存し続ける人にとって、戦車さんがそれを解決すれば、
それは、「多くの同じ状態にある人たち」にも、役立つからです。
ただし、同じ状態にあるといっても、
それは、自我復元をしているのに、
戦車さんと「同じような状態」にある人たちという意味です。
●自我復元を知らないで普通に生きている人には、
どんな既存の自己分析法も助言も、ほとんど無意味ですから、
そういう人たちは「同じような状況」にある人とは私は見なしません。
だから、戦車さんの今後の復元記録で、もしもそれが解決がされるならば、
必ず存在する同タイプの人にとっての財産となります。
●さらに言うならば、戦車さんの場合には、親には「悪意はなかった」し、
「実際、他の復元者の人たちの酷い親たち」に比べたら、
基本的に「極悪な親ではなかった」という点で、
戦車さんの母親は、「いわゆる毒親」ではありません。
この点では、少し、レアです。
しかし、毒親ではなくても、悪意がゼロでも、
不運にも、
「結果として、子供に悪影響してしまった親子関係、兄弟姉妹の関係」
というものの影響を、強く受けた事例として、
これまた、多くの人が無視できない問題を含んでいるのです。
●ただし、私のエールというのは、「励まし」でもなく「批判」でもありません。
おそらく戦車さんは、今のところ、
「仮人格」の方に生きる価値を持つ自分がいて、
「原主体」には出てくるな、と叫んでいるのかもしれませんが、
では、今の「偽者の歪んだ仮主体」が、
もしもそのまま成長して、戦車さんの「未来」を作ったらば、
「戦車さんは、どういう人間になるのか??」、
それを予測することによって、
私なりのエールを、戦車さんに送っておこうと思います。
内容は、厳しいかもしれませんが、
現実直視しか、人間の尊厳を救出できないと私は考えています。
*********
●今現在は、「転車」さんは、細かい部分で、
自分の将来の目的というものが、当時からは、
変わっている部分はあると思いますので、
以下に書くことは、あくまでも転者さんのブログのログなどにもある内容や、
過去の「ある時期の私へのメール」を総合しての、簡単な「総まとめ」です。
◆戦車さんの(初期の当時の)目的
◆国家資格を持つ治療師になって、
かつ自分がでっち上げて、捏造する宗教の教祖になる。
◆騙しやすい頭の悪い人たちを、その自作した宗教で釣る。
◆自己判断出来ない患者どもを、食い物にする。
◆また、苦労知らずで、親のスネをかじっている、
ぼんくら学生からも金を巻き上げる。
◆患者には、商売を維持するための、一定の治療は施すが、
患者は自分の研究材料であり、時には患者の身体を壊す研究もしたい。
◆しかし、晩年には、のんびり、自然や芸術を楽しみたい。
*********
昨年の、2012年当時に、私が戦車さんから聞いた、
本人の夢とは(あえて言葉を汚く書くと)このようなものでした。
他人様の未来の夢ですから、私が、とやかく言うことではないのですが、
「なぜ、そう考えるのですか?」という「根拠や理由や動機」を質問すると、
ほとんどは「不明確」か、または特定の重要な質問には、スルーも同然でした。
●前述したような「未来になりたい自分の願望自体」が、
本当の意味で、自由にやりたいことをする「自由人」のそれではなく、
一種の「世の中への復讐心」+「自分を納得させ得る自分の未来像」に
基づいていることは、一目で、明白な事でした。
■しかし、2012年当時、そして2013年の初頭では、
戦車さんは、誰の意志でもなく、「自分の意志」で、
ヒラーに手紙を書き、ヒラーのところに世話になる段取りをつけて、
そして、ヒラーのところに行って、
その後は皆さんも、戦車さん自身のブログを通じて知るとおりの展開と
なりました。
■事件が一段落して書かれた、
最終的な、「ヒラーレポート」なるものを読んだ時、
あまりにも多くのことが、やりっぱなしで、分析されていなかったので、
戦車さんに対して、ひとつの問題提起をする必要を感じたのですが、
ヒラーから離れて、ほどなくしてからは、
とにかく、生活を立て直すためと、
学業に勤しむための「環境整備」を何よりも優先したために、
自己分析を戦車さんに促すことを、私は、後回しにしました。
●しかし、先だっての「凡打」による「感情の暴走」で、そろそろ、
「この、トラウマ・AC人格が作る自己像の問題」を、
扱わねばならないと思いました。
*********
前述した、
◆治療師になって、かつ教祖になる。
◆騙しやすい馬鹿者たちを、自作した宗教で釣る。
◆自己判断出来ない患者を食い物にする。
◆また、苦労知らずで、親のスネをかじっている、
ぼんくら学生からも金を巻き上げる。
この目的と称するものを、
どこかで、
戦車さんも、読者の人たちも、はっきりと、見たことがありますよね?
それは、「ヒラー」です。
■つまり、まだ自我復元があまり進まず、
トラウマ掘りも進んでいなかった、「当時の」戦車さんが、
自分を納得させるために思い描いた、治療師の「本質」とは、
「ヒラー」そのものだったのです。
つまり、戦車さんの中の「AC人格」の「成れの果て」の姿が、
「ヒラー」だったのです。
実際、ヒラーは、まさに「半端な、カルト治療師」でしたから。
■ただし戦車さんは、あそこまで下品でもなく、
また、患者に、おそらくは、一定の配慮も、気遣いするでしょうが、
その考え方の「一部」は、
紛れもなく「ヒラー」の考え方に、ダブっています。
おそらくは、ヒラーから、戦車さん自身が、さんざんに言われた、
「あんたは、世の中を、なめている」
「自分じゃ、何もできないんだから」
「親のスネをかじったまままの、ぼんくらめ」
「ワシに頭を下げたら、教えてやらないこともないが」
そして、とどめは、
「アンタは、苦労知らずだから、ダメ人間だ」、
が、必ず「将来の戦車さん」の口からも、
「特定のタイプの他人」に対しては、飛び出たと思います。
まさに、それはヒラー節そのものです。
相手への言葉としては、直接には出なくても、
心の中で、そして態度に。
たとえ言葉では、
「今は、そういうの見ても、へぇー、そうなんだという程度です」
といくら言っても、本物の達観は、まるっきり出来ていません。
だからこそ、あの「へぇー、そうなんだという程度です」の部分は、
自らのトラウマを本当に、本気で分析してきた人たちの目には、
「自分に対して、嘘をついてしまっている」とすぐさま分かったのです。
■それ故に、AC戦車と、ACヒラーが、あのように、ぶつかったらば、
「質」での戦いではなくて、「力勝負」になってしまうのですから、
同じAC人格同士の食い合いとしては、「経験と実力」のある、
「ACヒラー」の「圧勝」となるのは、目に見えています。
■そのヒラーにとっての「ヒラー自身への慰め」とは、
他人に対して、「あーしてやった、こうしてやった」と「恩を売る」
ということで、自分の不幸な幼少期の「感情」を押し殺して、
自分を納得させていたようです。
一方で、戦車さんは、ヒラーのような、そんな「恩着せ」は決してしませんが、
ただし、
もしも、実力で何かや誰かに負けた場合には、
戦車さんには、
「自分を納得させるための、言い訳」があります。
それは、
『私は、どんな状況や苦境でも、楽しんでしまえるのです。
どんな自分のことも、ネタに出来ます』
という形の「言い訳」です。
これが自ら自身を、なだめて納得させる場合には、自分自身への言い訳となり、
他者を説得しようとするときには「虚勢をはる姿」となります。
■なぜ、戦車さんは、あんなヒラーなどに、出会い、
あの、キチガイじみた「モラハラ」に遭遇しなければならなかったのか?
その答えは、
あんなヒラーが、
実は、
戦車さんの描いた自己像の「成れの果て」の姿であることを、
ヒラーの存在それ自体が、示していたからです。
■だからこそ、本当は、あの事件が終わったときに、
ただちに、敗因を分析させるのが、セコンドとしての私の役目だったのですが、
戦車さんの多忙さと、ヒラーから受けたダメージを回復する時間の必要性を考えると、
どうしても、それは出来ませんでした。
■しかし、そもそも「同じ家族」の中に居た、戦車さんの兄の「軍曹」は、
過去に「ヒラーからの誘い」を、簡単に、「軽くかわした」のに、
どうして、戦車さんは、
ヒラーなどと「縁」が出来てしまったのか?
そこを、よく分析すると、
ヒラーというのは、
「貴女は、今の、そのAC人格が思い描いた、自己像でいいのか?」
ということを、戦車さんに問いかけている「象徴的な対象」だった、
というのが、ヒラー事件の顛末に関する、私の最終的な見解です。
●むろん、戦車さんは、ヒラーとは違って生活の中で、
「お笑い」を重視するかもしれませんが、
その「お笑い」への感性を、もしも悪用すれば、
「私は、何でも、お笑いに出来るので、ヒラーとは違います!」、
という言い訳にもなりかねません。
物事を、お笑いに出来ようが、できまいが、
他人に、恩着せをしようが、しまいが、
原則として、
幼少期の「辛さ」が基になった「感情」が震源地としてあって、
それに対抗するために、
AC人格が作り出そうとするような、
「納得が出来る自分、苦労した自分、努力が報われた自分」、
などというものは、
「ヒラーのそれ(ACの持つ価値観)」と変りないのです。
●だから、あんなふうになりたくなかったら、
徹底的に、幼少期にまで逆行させて、感情の掘り出しをしてください。
それをすれば、物事への判断が本当に、転じる「転車」となりますが、
それを、しなければ、
ヒラー型と類似した、「AC戦車」のままに終わってしまいます。
■弱かった自分や、情けなかった過去の自分や、
あるいは、現在、腹が立つような相手、自分が軽蔑する他者、
そういう者にだけは、自分は、なるまい、なるまい、と努力し、
葛藤して、血の滲むような、苦労を重ねてきた、
なのに、その結果・・・は、
自分は、絶対に、そうなりたくないと思っていた、
まさに「そういう相手」と、同じか、似た者と、
関わってしまったり、たかられてしまったり、結婚してしまった、
という人は、ここの読者の中にも、沢山いるはずです。
●もしも、トラウマが作り出したAC人格を、
自分の基礎としてしまい、それに頼りすぎて、しがみついたらば、
どう努力しても、
その、自分のトラウマ・AC人格を、
まるで、鏡に映したかのように、
「それに類似する環境や人」としか、関われなくなってしまうのです。
自分で、その地雷を掘り出さないかぎりは、
隠されてしまい、見えなくなった地中で、
その感情が、その人の意思決定の糸までをも支配しているからです。
アダルトチルドレンの為の写真
詳しくは説明しませんので、何かを感じ取って下さい。
●ちなみに、今回の冒頭の、「AC・自己分析用」の動画の元になったのは、
このドライアイスが気化する映像です。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=NpTFcq4fGMs
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