著者略歴
無名庵EO(むみょうあん エオ)
*1958年9月26日07:27/製造完了
14才の時に悟りの一瞥を体験して以来、23才まで各種神秘学、TAO
などに親しむが、特定の団体には一切所属せず。
24才より33才まで探求の主軸が超心理学、魔術、幾何学、UFO問題に 傾倒する。
そして30才のころより偶発的に独自のチャネリングを開始し、銀河系の裏ネタ的情報を得てその解析にかかる。
33才、それらへの統括的結論と思索の結果、全生命と存在に絶望する。
1992年2月17日、狂気の探求の末、偶発的に大悟見性。
以後約1年間、瞑想センターのセラピストや瞑想者への一方的文書の郵送が開始される。ほとんどの者たちが黙殺する中、3名の理解者が誕生する。
1993年8月より指導と方便が突然に禅に傾倒し禅寺本山や地方禅道場の僧侶、師家への文書郵送が続く。その中より初めての門下が誕生する。
伝統や形式にしがみつく禅、そして導師を盲信的に信奉する各種瞑想センターとの、絶え間ない摩擦や反感の中を流れつつ、ひそかに彼の文書は多くの
瞑想者や禅寺の座禅者たちに個人的な手紙や機関誌の形で配布された。
仏法、禅、瞑想修行、TAOの裏街道ではカリスマ的存在として認識されている。
その生涯に渡り、団体化、組織化、通俗的な師弟関係を完全に拒否し続ける。
1994年10月22日遷化。享年36才。
門下として方斬(♂)、永庵(♂)、大円(♀)、伊音(♀)、の4名を残す。
1995年、日本で屈指のマンガ古書店の「まんだらけ」の経営者である古川益三氏のその先駆的な発掘により、この超異端の法話集が全国発売に至る。
●EO師の写真について
by 方斬
写真を掲載することを禁じられた理由について
EO師の生前のコメントを簡単に書いておきます。
「私の本には、私の顔が識別できるような写真を載せてはならない。
その最大の理由は、
人間はその外見に対して、必ず偶像崇拝をはじめるからだ。
ブッダや、イエスや、老子も、絵画や彫刻で伝わっているが、
人間は、かならず、それに対して、【偶像崇拝】を始めてしまう。
また、人間は、外見で人を判断するからだ。
また、私は、外見は、姿も顔も、完全に「普通の人間」だ。
そして、重要なことは、私がどういう姿かということではない。
私の中にある意識は、
あなたたちの中にある意識と全く変わらない。
悟りは、誰かのもの、ではない。
悟りには、所有者は、いない。
悟りには、特許(パテント)などない。
そして、私は特別な人間ではない。
私の写真に向かって、瞑想しても、何の利益もない。
だから、私の姿は、誰も知らない方が
探求者にとって、雑念が増えなくてよいのである。」
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●余談●
「読者からEO師の写真を見たいという要望があった場合、
どうしますか?」
と私が尋ねた時、師はこう言いました。
EO「猫の顔写真でも載せるか、
さもなければ、顔が判別できないようにして、
君の写真でも、のっけておけばいいさ。」
ということで、
現在EO師の著者紹介のところに画像処理してあるのは、
実は、私方斬の、知人の男性の顔です。
今まで黙っていてすみませんでした。いないとは思いますが、
万一にも、あれを拝んでしまった方にはごめんなさい(笑)
ただし、「虚無宇宙からの伝言」にある、
(黒間注:以前このページの上にあった)
木の下で坐っている写真は師の姿です。
ただし、顔は判別不能に処理されています。