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竹の間 : 記録室
▲竹の間へようこそ▲ 家主=黒間玄元:bv
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島流しリンク
松と梅の間の番外論議の部屋でしたが
今は「お笑い道場」になってます。
楽しいジョークやギャグ、粋なアスキーアート、
諧謔味のある書き込みをどうぞ。
島流しリンクは近々改装致します。
家主は当サイトの開設&管理者もやっております。
「性と死のホームページ」
http://www.mumyouan.com/index.html
★ 投稿記録室です。ここでは新しい投稿が下になっています。★
[1952]
■
■調理とは魔術的なワークだと思います■
by:
ほ う ざん
2002/02/07(Thu)07:02
tokyo-tc062-p42.alpha-net.ne.jp:210.229.71.170:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
●ところで、ケーキとか料理の話って、
実は「精神世界」だと、私は思っています。
(^ο)(ο^))
☆料理をするということは、
風、火、水、地、という基本的な元素を使う
一種の「魔術」であると同時に、
男女ともに、人間という生き物の人生の中では、
人間に特有の、とても大切な経験であり、
いつまでも、続けてゆくといいと思います。
●たとえば子供も、自分で料理をすると、
早く、精神的にも、親離れするみたいですよ。
そりゃ、そうですよね。
「自分で食べるモノを自分で作る」って自立するのに大切なことですから。
☆それと、料理は人間の5感を「フルに活用する」ので、
一人の人間としても、感覚のバランスが取れます。
1/焼けたり、煮えたりする、その{音}を聴くことで耳を使い、
温度で変化してゆく素材の色加減をみたり、
盛りつけでも、目を使い、
2/むろん、味覚と臭覚をフルに使いますし、
3/モノを切ったり、練ったりすることで、手の触感を使い、
そして、台所で手際よく動くことで、
全身の神経を使います。
こうしてみると、料理というのは、
つくづく立派な、「ワーク」だと思います。
●だから、いろんなセラピーとか、精神的な治療の現場でも、
「調理」を「遊びを通したリハビリ」として、
取り入れるのも、いいでしょうね。
・・・まー、庖丁とかも使うので、
精神的な症状によっては、時には危険性もありますが・・・
●
☆
ところで、魔術で思い出しましたが、
隣の「梅の間」
http://www.mumyouan.com/k/?U675
の投稿【675】に、「性魔術」の事を具体的に書きました。
EOイズムとは、何の関係もありませんが、
こういう魔術に興味があったり、
「願望実現法マニア」の方も、いらっしゃるかもしれませんので。
■
★
[1957]
■
●瞑想体系というもの。
by:
ほ う ざん
2002/02/09(Sat)10:32
tokyo-tc072-p9.alpha-net.ne.jp:210.229.72.137:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
●宗教と「体系」は違う。
体系というのは、精神「化学的(科学ではない)」なもので、
本来、瞑想体系もここに属する。
●瞑想は宗教ではない。
しかし、多くの場合にそれは宗教と直結してしまっている。
まともな「体系」とは、
少なくとも次のことぐらいクリアーすべき。
1●崇拝対象(宗教的絵画、彫刻や人物像)を持たない。
2●茶道のように、「作法」はあってもよいが、
くだらない祭壇への礼拝形式を持たない。
3●そのような意味では、
グルを崇拝するすべてのカルトは私のいうところの
まともな「体系」ではないし、
宗教絵画や、建築の宗教的装飾も必要ない。
(単にそれらは歴史的な美術遺産であるか、
さもなければ、くだらん除霊補助にしか使えない。逆に、
よくそういう絵画や彫刻には、
人間の勝手な願望が逆に多く付着してしまっていて、
とんでもない邪気を放っている寺院も多い)
■ところで、禅寺では、礼拝のいくつかは、
ワークとしての意味を持つが、
それらは、心身の「動作ワークの体系」であればいいのであって、
そこには、たとえ釈迦像といえども、仏像へ礼拝も読経も必要ない。
(発声という事はワークになり、また
その発声の特殊な倍音によっては、それは瞑想のサポートにはなるが)
4●特定の衣装、ユニホームは必要ない。
5●瞑想技法とその補足的な指針のみを指導すればいいのであって、
その他、瞑想には関係しない生活における戒律は一切必要ない。
6●瞑想とは精神というフラスコの中の化学であって、
宗教でもなく、また世界観でもないので、
瞑想の実践にあたっては、一切の、論理的考察は必要ない。
論理とは、その瞑想体系が生まれた背景程度でいいのである。
その背景を、実習者に長々と口で説明してもしかたない。
そういう説明は、各自で、本からの情報で得ればいいのである。
そして、重要なことは、
7●瞑想指導は、その指導において、
本来は、いかなる金銭も取ってはならない。
たとえば、教材などの必要経費というものはあるだろうが、
指導そのものに、ビジネスを干渉させてはならない。
(こういうと、すぐに、お馬鹿な組織や個人は、すぐに必要経費の
項目を増やして、高額な教材費を請求してぽったくるのだろうが・・笑)
●従って、瞑想の全ての指導は、本来はタダで行うべきある。
もしも、それが不当にタダであったのなら、
指導を受けた者は、いずれ、どこかで、
それをどこかの誰かに返さなくてはならなくなる
というだけの話である。
何も指導をした者が、その指導料を受け取る必要はない。
●その理由としては、
いわゆる「物々交換」される「物質」の代用品が、
もともとは貨幣というもののルーツである。
しかし、物質または物質操作の技術を売るのではない瞑想においては、
それは、もともと物質とは次元的にも関係がないものである。
物質的操作とは、たとえば、セックス技法は、これは物質操作である。
しかし、瞑想というものは、身体に対するワークではない。
身体的ワークとは単なるトリガーであって、
瞑想は身体の次元のものではない。
●同じように、元々、
精神的カウンセリングにおいても、
医療器具を使って検査して、
脳を薬で治療するのでないかぎりは、
相談料など、本来は無料であるべきもの。
ただし、まー、精神科の場合は、
相手にしているのが、人間の「記憶という一種の物質的なもの」
であるので、
その点は、瞑想と違うので、
ビジネス化してもしかたない面はある。
が、本来ならば、カウンセリングなど無料でしかるべきだと
私個人は思っているが、まー、現実には、そうもいかないだろう。
●しかし瞑想が扱うのは、
人の「記憶」ではない。前世の「記憶」でもない。
瞑想が扱うのは、「記憶を超えたもの」である。
それは、実際、指導にあたって、
カロリー以外の何かを消費するわけではない。
●だから、瞑想指導で支払われる唯一の金は、
その指導をした人の人件費ぐらいである。
その人件費とは、せいぜい、一人あたり1時間の
「お喋り労働」に対して1000円〜多くても2000円程度だ。
(風俗やマッサージなら、肉体労働なので話は別だが)
●それ以外の付加価値など、支払うに値しない。
教義やらの内容では価格は設定などされない。
●今後、いかなる形であれ、
霊能者だの(除霊とか気功師は、一種の肉体労働なので別としても)、
瞑想指導だの、
つまりは「口で精神世界の商売をする者」は、
それの本来の姿のように・・・、
小さな原始的な村社会の「相談役の長老」がそうであったように・・・、
最低限の人件費または無償で行うべきである。
●こういう看板を掲げている人達は、
てめーの飯代などは、別の仕事で稼ぎ、
瞑想指導料は、最低限の必要経費にすべきものである。
決して、瞑想ワークなどを仕事にしてはならない。
●ほとんど大抵の瞑想指導者や、組織が、
まず最初に「おかしくなる」きっかけは、
そこに、布施だの、高額な指導料だのの、
瞑想修業には、何の必要もない金銭の往来が発生してからなのである。
●
★
[1964]
■
●歳の離れた夫婦について●
by:
ほ う ざん
2002/02/13(Wed)11:01
tokyo-tc071-p43.alpha-net.ne.jp:210.229.72.43:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
●年齢が離れた夫婦でも、うまくやっている人達はいますが、
一般的には、トラブルが多くなるものです。
●NHKの連ドラの「ほんまもん」の中のセリフで、
「夫婦は10年かかれば、なんとかなる」というのがありましたが、
あながち根拠がないわけではありません。
●理解し合うためには、10年に限らずとも、ある年数がかかるようです。
そして、その年数というのは、
二人の{年齢差}に関係することも、しばしばあります。
●この掲示板を見ている方で、歳の離れた夫婦の方も
いらっしゃると思います。
決して、その全員に言えることではないのですが、
歳が離れていて、一番大きなすれ違いを起こすのは、
「人生観」の違い、つまり経験の違いです。
●たとえば、10歳違う夫婦がいたとします。
この場合、男女のどちらが10歳上でもいいです。
その10歳の違いというのは、
たとえば、もしも30歳の男性が、20歳の妻に、
自分の「それまでの人生」について話したとします。
(お互いを知るためという名目でですね)。
●すると、30歳の男性は、たとえば、
自分の過去10年を語るとなると、
彼が20歳〜30歳までの10年間について語ります。
●ところが、それを聞く彼女の方は、20歳です。
では、彼女の方の過去10年とは、一体いかなる人生でしょう?
そのほとんどが、学生時代です。
部活とか、学生生活の経験だけです。
自活の経験もありません。
●つまりここにあるのは、
「相手と自分が、それぞれの過去の世代や時代を共有できない」という事です。
歳の大きい方は、自分の「過去の人生」というときには、
20代、30代、主に「社会での経験」から語ります。
しかし、歳の小さい方は、10代とか、
時には10歳以前の自分の経験などを
自分の過去としてクローズアップします。
●こうなると、たいがいの場合は、
「年上の言うことを歳下は理解できない」という事になります。
歳下の方には、それを理解する経験自体がまだないからです。
そして、結果として起きる状態は、ケンカか無視です。
●つまり、歳の離れた夫婦は、
その「世代」が違うから合わない、というのではありません。
単純に、その「離れている歳の分だけ」、
片方は「自分の語れる過去が少なく、範囲が狭い」のです。
●そんなときには、
「自分だって相手の歳のころには、ガキだったんだな」、
などと思い出したりもするわけですが、
それでは、同年齢のカップルと変わりなくなってしまい、
何の為に年上がそこにいるのかわかりません。
●必ずしも、年上が人生経験を質的に豊富にしているというわけ
ではないのは、当たり前ですが、
歳が10歳前後から、それ以上も離れると、
歳下の方が、少なくとも30歳を超えるようになるまでは、
その夫婦は常にトラブルと誤解が絶えないことが多いと
私は予測してます。
●ですから、年月がすぎて、歳下が30歳になったときには、
歳上は、たとえば40歳になる。
こうなると、二人とも、
20代の10年間という経験を済ませたことになり、
そこに、やっと「共通の理解とか人生観」が生まれる。
●価値観となば、「かりそめの価値観だ」とは言え、
人生観とか、個人の能力が、それなりに結晶になるのは、
私が知っている範囲では、25歳から35歳ぐらいの10年です。
ですから、歳が10歳も20歳も離れた夫婦の場合には、
歳下の方が、30歳〜35歳ぐらいになって、
ようやく、二人の間で、経験的な記憶という
過去の「共存」が可能になるのだと言えます。
●だから、今この掲示板を見ている方で、
夫婦やカップルで歳が8つ以上離れている人達は、
もしも、まだ歳下の方が20代なのでしたら、
いろんな意味で、葛藤、すれ違いが絶えないと思いますよ。
それは、同年代同士のカップルよりも、
遥かに困難な問題をかかえていると思います。
●しかし、いずれ、20代〜35歳ぐらいまでの10年を
二人とも自分の過去を語る上で共有を出来る時期がくれば、
なんとなく、自然にいろいろな事が落ちついてゆくかもしれません。
そのころには、歳上の方は、40〜45歳になっていますがね。
●そういう意味で、歳が離れた夫婦は、
離れた歳分ぐらいの年数を、
理解し合うのには必要とするのかもしれませんね。
●不倫で、10以上年下と付き合うとかいうなら、
別れるのも簡単かもしれませんが、
これが結婚して夫婦になったり、同棲とかなると話は全く別。
また、10歳以上年下の妻と結婚した男性は、
それは、最初のうちは、少女のように初々しい肌や、髪の毛、
あるいは、若若しいプロポーションを自分が一人占めに出来て、
それは、嬉しくてしかたないのでしょうね。
(いや、27歳のときに、19歳の女性と付き合ったことが
ありますが、ほんと、肌も少女のように無垢で、
まるで子供のように、さらさの髪の毛で、
ベッドでは、うっとりと、至福感にひたりましたです。)
●しかし、まー、そんなもんは、ものの数ヶ月か数年でおしまい\(゚v゚)/
あとは、お互いの「好みや価値観のすれ違い」に苦しむことになるでしょうね。
(笑・・・私も、常に歳下とばかり付き合ったので、
けっこうこの問題で苦しんだ経験が多いのです(^ο)
最高で17歳差、一番差が少なくとも4歳差でした。
●以上、私の個人的な経験からの私見でしたので、
これが当てはまらないで、歳が離れていても、最初から最後まで、
うまくやっている夫婦もいると思います。
●今は女性が自己主張する時代ですし、
おまけに、情報も多い世の中だから、
それだけ夫婦のすれ違いも大きいのでしょうが、
江戸時代以前のように、14歳ぐらいの女性が、
30代の武家に嫁に行っていたような昔の時代だと、
歳の差などというものは、関係なかったのだろうと思います。
●
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