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[1095]
■
■「忍者刀」は、実在した形跡がない。
by:
鈴木崩残
2010/04/27(Tue)15:26:32
>4/30 8:20文末に「忍者刀・考」を追加しました。
忍者刀に対する伊賀の博物館の見解
Formal view from Iga Ryu Ninja museum
"Ninjato doesn't exist"
About the exchanges between Iga ninja museum and me.
●実は、約一年ほど前から、忍者刀についての疑惑を
日本の人たちが、日光の江戸村や、伊賀の博物館などに問い合わせました。
きっかけは、朝鮮忍者が、市販のチープなオモチャの忍者刀を
「先祖代々我が家に伝わる忍者刀だ」と、トンデモな嘘を言ったためです。
その詐欺師の動画に対する「代表的な反論動画」が以下の二つです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=iHXHjJghIWA
http://www.youtube.com/watch?v=tRUSEPhzVWU
________________________________
●さて、私は二つの点について、
伊賀の博物館に質問と要望を伝えました。
返信は以下の通りです。
鈴木崩残様
このたびはメールを送信いただきまして、誠にありがとうございます。
早速、拝読いたしました。
簡単に、当館の見解を述べさせていただきたいと思います。
【1―「忍者刀はフィクションである」という明記、
または展示品からの破棄について】
当館に展示中の忍者刀についてですが、
キャプションには「流行したのが幕末ということから、
実際に使っていたというより、シンボル的なものだった。」と、
記しております。
こちらは当館顧問の説をベースにして10年以上前に作成したものですが、
その後研究が進み、時代に合わなくなっているのが現状で、
当館でも見直しを行っている途中です。
お聞かせいただいた鈴木様のご意見も考慮いたしまして、
慎重に検討したいと思います。
【2―「中国から日本へ伝来したものは、兵法であって忍術ではない。
忍術は日本の風土の中で出来た文化である」という点について】
私共はこれまで、忍術研究家の方々の意見を中心にご紹介してまいりましたが、
最近では、歴史研究家の中でも忍びの類について述べる方が増えてきており、
今後は、より様々な観点から忍者・忍術について、
研究していかなければと考えております。
当館の見解といたしましては、
兵法が忍術に変化したという解釈について、
現在は「過去」に語られた説として、受けとめております。
当館ホームページをご覧いただくとお分かりになると思いますが、
兵法については全く触れず、忍術は日本独自のものとして、
既に紹介させていただいております。
これからの課題といたしましては、今まで語られてきた歴史について、
どのように誤解を解いていくかであると思います。
先述いたしましたが、より多角的に忍者・忍術を見ることで
真実なのか、それとも想像であるかの判別が可能になるかもしれません。
それは、兵法の解釈の問題だけでなく、先の忍者刀の件も含めて
忍者・忍術に関するすべてにおいて、あてはまることであると思います。
以上が送信内容となります。
よろしくご査収下さいませ。
☆☆☆ ――――――――――――――
伊賀流忍者博物館 幸田知春
____________________________
なお、前述の回答は、次の私からのメールに対する返信でした。
↓
伊賀流忍者博物館 御中
真田 様
前略
突然のメールで、大変に失礼いたします。
さて、まず用件を簡潔に最初に述べさせて戴きまして、
のちに、長文となりますが、
前提となります説明を、させて戴きたく存じます。
*********
●現在、日本の各地にございます「忍術に関する資料」の中より、
下記の二点につきまして、訂正または修正をお願いしたく存じます。
1−「忍者刀はフィクションである」という明記、
または展示品からの破棄。
2−「中国から日本へ伝来したものは、兵法であって忍術ではない。
忍術は日本の風土の中で出来た、文化である」という点。
*********
●こうした要請を申し上げるに至った理由は、以下の通りです。
戦後、日本の文化が欧米に知られるようになりましたが、
古武術や、現代競技である日本武道に対する誤解は、
さほど、ひどくはありません。
しかし、こと「忍術・忍者」という領域にとなりますと、
情報が曖昧であること、正しい情報が発信されていないのを良いことに、
海外では、詐欺が横行しております。
一例ですが、あきらかな市販品の模造刀である「忍者刀」を、
「これは私が、先祖代々より受け継いだ、忍者刀だ」とまで言い出す、
外人(韓国人)がおりました。
またそれを本気で信じる欧米の人たちにも頭が痛くなりました。
●こと、忍術に対しては、欧米人の無知につけこんで、でたらめをやり放題で、
しかも日本の忍術団体(一例として武神館)から盗んだものを、
「これは韓国に昔からある独自の忍術だ」と、言い始める者もおります。
この「欧米人が知らないことに付け込む」という、
彼らの悪意と悪用が、私は許せないとともに、
曖昧な情報を流してしまった、私たち日本人としての責任も
大変に大きく、感じております。
古伝の忍術の「技」や「道具」についても、
欧米では情報が不足していることをいいことに、
海外でインチキ詐欺をやっている「自称・忍術指導者」は、そこにつけこみ、
日本の忍術の資料にすら「ありもしない道具」まで自作しては、
これは歴史があるのだといい、生徒さんたちを詐欺にかけています。
こうしたことは、忍術という、
一種の日本のブランドである文化を取り巻く環境の中でも、
今後、どんどん悪化すると思います。
●こうした懸念と日本人としての反省を持ちまして、
下記のようなやりとりを、昨年、日光の江戸村と行いました。
★次のFAXを、江戸村に送りました。
_________________________________
江戸ワンダーランド 日光江戸村 御中
拝 啓
早速の用件となりますが、
御社アトラクションにあります忍術の史料に関して
「重大な間違い」がありますので、削除をお願いいたします。
現在、この件では大使館や外務省などにも、連絡を取っております。
御存知ないかと思われますが、現在インターネットやYou-Tubeにおいて、
日本の忍術を「韓国起源と偽って」詐欺商法を行っている者がおります。
そして、その詐欺商法の案件が、先月も、日本の政治的な書籍
(撃論ムック)の中で「記事」として書かれ、
大きな問題にまで発展しつつあります。
仮に中国から伝来した文化があっても、
それは兵法であって「忍術」と定義されるものではありません。
「忍術」という言葉、そして「忍者という近代の造語」、
それらは、現実面と、小説や漫画などの虚実の双方を合わせて、
明確な日本の「大衆文化」です。
韓国が、剣道、柔道、空手、盆栽、折り紙、寿司に至るまで、
すべて、日本が韓国から「盗んだ」というとんでもない主張をしており、
これは現在政治と経済、著作権等の問題での衝突にまで、発展しております。
従いまして、御社アトラクションの史料の中から、
「朝鮮半島」に関連づけている言葉の部分を、
すべて削除していただきたいと存じます。
またさらには、中国という言葉も必要ありません。
なぜならば、当の中国の人たちは、
「日本の忍術と彼らの武術文化が関係あるとは決して思われたくない」
というのが、国際的な現実の現状だからです。
従いまして、資料の文言は次のものが正確であり、
また今後、面倒な外交問題に発展したり、
御社がそれに巻き込まれない得策と思われます。
*************************************
忍者と呼ばれる人たちは、外来の兵法技術とは別に、
日本の風土の中で自然発生したものであり、主に戦国時代に発達し、
ある種類は、日本の山岳信仰と結びつきながら、
その独自の戦術、道具、文化を形成した。
泰平の江戸時代には衰退したが、同時期に多くの忍術書が書かれ、
その後にそれらが元となり、虚実が入り混じり、
小説、映画、ドラマ、アニメなどの「素材」となり、
現在世界で知られる形となった「日本の忍術という文化」が出来上がるに
至ったものである。
*************************************
なお、余談ですが、韓国によって、
でたらめな「韓国起源」が主張されているものの一部が以下です。
↓
日本編。
剣道、剣術、侍、武士道、日本刀、居合道、抜刀術、柔道、合気道、
道の精神、空手、相撲、忍術、忍者
茶道、華道、万葉集、万葉仮名、東洲斎写楽、和歌、折り紙、
歌舞伎、祭り、神輿、わっしょい、至る、神社、熊本城、
じゃんけん、うどん、豆腐、蕎麦、日本酒、寿司、刺身、醤油、海苔、
しゃぶしゃぶ、和牛、日本(国家)、日本(国号)、
日本語、くだらない、敬語、天照大神、卑弥呼、
琉球(沖縄)、竹島(名称)、釜石、島根、九州、対馬、大和政権、
古事記、生態系、ソメイヨシノ、(桜全般)、秋田犬、錦鯉、
カメラ付き携帯電話、長崎ちゃんぽん、
中田英寿、イチロー 、ガンダム、
世界編。
メソポタミア文明、黄河文明、古代東アジア文明、
殷、易学、八卦、河図洛書、科学、数学、現代文明、漢字、
唐辛子、ビッグバン、漢方医、鍼施術、孔子、チンギス・ハン、
端午の節句、サンタクロース、中秋節、太極図、羅針盤、風水、
囲碁、印刷、兎と亀、パンダ、紙、飛行機、孫悟空、
キリスト、孫文、毛沢東
__________________________
●なお、もしも当該部分を、削除、訂正されました場合には、
関係者各位に連絡をする必要がありますので、
必ず当方まで、FAXにて、訂正の事実と、その訂正内容を、御送信ください。
2009年 ●月●日 記
敬 具
___________________
また、以下は、
別の方が、日光江戸村に、質問の電話をしたときの報告です。
___________________
■日光江戸村から、電話が来ました。
結論は、展示された記述内容は「想像」のよるものだそうです。
私「そちらの忍者屋敷の説明に、
忍者は朝鮮半島から来たと書いてありますが、
どの史料にのってますか?」
江戸村「え〜とですね,万川集海です。」
私「万川集海ですか?読みましたけど書いてありませんよ。」
江戸村「忍者というかですね、兵法がそちらから来たと。」
私「万川集海にある兵法って孫子の兵法ですよね?中国ですよね?
朝鮮の兵法じゃないですよね?」
江戸村「ええですからその兵法が朝鮮から来たと。」
私「孫子の兵法は遣唐使が、中国から持ち帰ったものですけど。」
江戸村「まあそういうこともありますね。」
私「それって所謂、文化の伝播のことじゃないですか?」
江戸村「そういうことも含めて、
朝鮮から来たということにしています。」
私「それでは、忍者と関係ないじゃないですか。」
江戸村「それも含めてと言う事ですね。」
私「え?忍者も朝鮮半島から来たということですか?」
江戸村「これといった証拠ってないんですよ。
忍者に関しては。なのでいろいろと、
想像して書いてあります。」
私「根拠は想像なんですか?」
江戸村「ハハハ」
私「根拠がないならば、展示物に、書かないでおいてください。」
江戸村「わかりました。」
だいたいこんな感じでした。
全体で9分ぐらいの会話です。
__________________
●また、別件ですが、
「忍者刀」がフィクションであったり、
幕末時の、単なる団結のシンボルとしてあったものという説もあり、
俗に言う、「忍者刀」を展示物から、削除するという動きもあるようです。
___________________
以上、長文となりましたが、
「忍術資料館」となりますと、年間に外人さんも多く
来館されることとお察しいたします。
従いまして、外国の方は、フィクションと史実を区別せず、
忍術に関する資料館を「権威あるもの」とすら
勘違いをすることが、しばしばございます。
(国立博物館との区別が彼らには出来ない事すらあるようです)
こうした事により、忍術を含む、日本文化への誤解が、
「国際社会の中」で生じないように、
ぜひとも、冒頭の二点のみは、訂正を戴きたく存じます。
なおこのメールに類似する内容は、
伊賀・甲賀・戸隠・日光、各所へ送信(または一部予定)されております。
敬具
なお、私個人のスタンスは、
武芸家の方々との個人的な、お付き合いはありますが、
武神館や日本のいかなる忍術団体とも全く関係ありませんし、
また、愛国主義的な団体とも、一切、利害関係のない「個人」
の立場であります。
■また、(いわゆる俗に言う)忍者刀の機能につきましては、
実際に、検証などをしますと、定説とは、かなりの矛盾が出ます。
1●たとえばシュノーケルとしては使えません。
鞘を左手で支えてシュノーケルとした場合、
「抜かれた刀身」は右手で持っているということになります。
こうなりますと、足が下に着く程度の深さの池などでしか、使用できません。
つまり、
「両手がふさがったままで、水深のある水中を泳ぐ事」は不可能です。
2●壁を登るためには、それ専用の道具が忍術には存在したはずですから、
わざわざ鍔の構造を痛めてまで、
その上、不安定な、刀を踏み台として使ったとは、思われません。
実際にやってみますと、
数人で組織的に「竹と縄で出来た、携帯用の梯子」をかけた方が
遥かに速いと思われます。
3●その他、狭い室内での戦闘では、脇差で充分かと思われます。
「刺しの動作」も、また下げ緒を使うといった、
よく知られた応用も、脇差その他の刀類で、全く問題ありませんので。
4●左右どちらかの肩越しに抜くために、
背中に刀を背負ったかどうか?、これには、諸説ありますが、
この場合にも、直刀よりも、通常の「反りのある脇差程度の長さ」が
抜きやすいのが、現実だと思います。
仮に鞘を下に引いたとしても、直刀は扱いづらいものです。
従いまして、通常の「太刀と脇差」という展示物のほうが、
忍術の存在を肯定した上でも、より「リアル」であると私個人は思います。
むろん他の暗器、隠し武器については、展示に問題はないと思います。
●以上、私見ではありますが、貴博物館が、よりリアリティーに近いものとして、
日本の誇れる、「文化的な観光名所」となることを、
心より望んでおります。
______________________________
■補足■
この博物館の方が言われている、
>その後研究が進み、時代に合わなくなっているのが現状で、
というのは、つまり、
たとえば、幕末に作られたはずの忍者刀の現物が、
骨董品としてすら残っていないという現状から、
そもそも、作られたことすらなかったと推測できるということだと
私は判断しています。
仮に、シンボル的なものであったとしても、
その後すぐに明治となったわけですから、
もしも実際に造られて、実在したならば、
それは、刀剣類の品質としては価値がなくても、
かなり「珍しいもの(形状)」として、
「骨董商」の間で取引されても、全く不自然ではありません。
それがたったの「一振り」すらも発見されていないという点で、
「製造されたかどうかすら疑わしい」わけです。
実は、明治以後に、小説にでも登場したのかもしれないとすら
思われてしまいます。
■また、かつては、日本人の観光客を主たるお客さんだった
忍者博物館や、忍術に関する施設が各地にありますが、
ここ数年の、動画サイトの普及により、
間違いが映像や写真として世界中に広がるという事態は、
10年前には、想定していなかったと思います。
つまり日本人であれば、特に、忍者刀や、黒装束などについては、
ある程度フィクションとして差し引いて見ていますが、
外人さんは、本気にして写真などに撮り、動画サイトで、
「伊賀に展示されていたんだから、本物だ」とかやってしまうわけです。
そういう意味でも「時代に合わなくなった」と館長さんが
判断しているものと、私は解釈しました。
_____________________________
■なお、以下は、別の方が同博物館に質問したときの
博物館からの回答です。
このたびはお問い合わせのメールをいただき、ありがとうございました。
早速お返事をさせていただきます。
今回ご依頼いただきました、
「忍術とは泥棒術である」という記述について。
江戸中期に伊賀者の間で、
忍術伝書『萬川集海』の貸し借りが行われていたという
証拠となる起請文が残っているのですが、そこに
「盗賊をはたらくために忍術や忍器を使わない」
と書かれている項目があり、
まるで盗賊が忍術を使っていたかのような記述がなされています。
近年、鈴鹿山脈の山賊が忍者のルーツであるという研究家もおりますし、
忍術伝書の忍器をみると、確かに錠を外したり、
忍び込んだりするための道具も多いので
泥棒術というように、かつて解釈されて書かれても
仕方のないことであると思います。
伊賀忍者とされている人々について述べますと、
戦国時代、伊賀の忍び(記録では伊賀衆と書かれることが多い)は
大名に従って大和や紀伊、伊勢などで放火や夜襲を行ったと記録にありますが、
はっきりとした行動については記されておらず、
実際のところはわかりません。
ただ、他の地域にいた忍びの類の人々を記録したものと比較することで
新しいことが判明するかもしれません。
江戸時代にまとめられた忍術伝書とされるものが、
様々な武術を含んでいるのは
その時代の編著者が、忍術をより大きく捉えていたからか、
もしくは忍術をより高めたかったからではないでしょうか。
また、先に述べたような広義の忍術は、
江戸中期以降の伝書にみられるものであり、
江戸初期の伝書については、
ほとんどが火術書のような内容となっています。
そのため、実際のところの忍術とは、
戦国時代の忍びが行っていたような、火を使った戦術や
敵軍に潜行するための術を指すのではないかと思います。
自分たちが受け継いできたものを、
より素晴らしく見せたい気持ちは
恐らくいつの時代も変わることはありません。
江戸時代以降、実戦がほとんどなくなった武術は、
書物にまとめられ、「秘伝」の文字が
多く表れるようになりますが、忍術もそれらと同様だったのではないでしょうか。
私共はこれまで、忍術研究家の方々の意見を中心に
ご紹介してまいりましたが
今後は、それ以外の様々な観点から忍者・忍術について
研究していかなければと考えています。
ですが、意見を今すぐ変えるということは難しく、
現在はその土台作りをしている途中です。
今回お伝えしたものは、
まだまだ発展途上とお考えいただけたらと思います。
もしかすると、他の観点から見た場合、
もっと違ったものが見えてくるかもしれません。
最近では、歴史研究家の中でも忍びの類について述べる方も
増えてきたように思います。
この分野は、今後もっと発展する余地があると私共では考えております。
この度は、お問い合わせをいただきまして、誠にありがとうございました。
以上が返答内容となります。どうぞご査収くださいませ。
_____________________________
やはり、日本の伝統文化にあらず
●私が忍術を日本の「伝統文化」と呼びたくない理由は、
以前にもこの松の間に書きました。
一定期間の、多数の人々による練磨の歴史、
つまり「洗練の歴史」がないからです。
●しかし、もうひとつ、私が忍術を「日本の」伝統と言いたくない理由があります。
忍術とは別に、「武士道」といったものがありますが、
それも、その言葉自体も、当時の日本の政治的な背景に基づく流布
であった形跡もあり、またその定義も怪しいようですが、
「忍術」の場合には、
史実以前の話として、「日本」に固有の「わびさび」の世界観がありません。
日本文化の特徴といえば、このわびさびです。
一般的には、それは、「枯れた味わい」といわれていますが、
翠月庵の市村氏は、「侘び、寂び」について、
日本人に特有の「死生観」と並べて説明をしておりました。
いわば、ある種の潔さや「死」といった背景が、
侘び寂びの、下地としてあるように私も思います。
●ところが、忍術の基礎でもある、
「手段を選ばす勝つ、逃げる、生き延びる」というもの、
これらはある意味で、極めて西洋的な発想と感性ですらあり、
とても、「日本文化」に固有の「枯れた、侘び寂びの文化」には
該当しないと私は思います。
■余談ですが、「侘び」の文化を、のちに利休らが広めたその
「原点」にあったのは、一休宗純の死生観だったという話もあります。
しかしその一休が最後に残した詩は、
「誰も私の禅を、理解はできない」というものでした。
くしくも、J・クリシュナムルティーの最後の言葉、
「誰一人も、私の言うことを、理解できた者はいなかった」と同じですね。
●ということで、史実や「洗練された歴史」を明確に持たない、
という事以外にも「質」の問題として、
私は、「忍術」を日本の伝統とは呼べません。
武神館の初見氏が、アメリカでウケた理由のひとつも、
それは、西洋人に特有の「合理主義」に合致したり、
勘違い系の「オリエンタルはエキゾチックでミステリアス」という
彼らのツボにハマったことが原因でしょう。
しかし実際に、日本文化の「死生観」に基づく「侘び寂び」に、
西洋人が理解を示したり、憧れるかとなったら、
それは、難しいと思います。
だから、「忍術」は、「サバイバル」でしょうが、
「潔い日本人の散り方」としての「侘び寂び」とは、全く合致しないので、
「日本の伝統文化」とは私は呼びたくありません。
ちなみに「忍術そのものの実在の有無」について、
ヤフーで、なかなかの模範解答を見つけました。
↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1334783623
私個人の「実在の忍術に対する」意見は、下記のリンクの通りです。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?M1088
http://www.mumyouan.com/k/?M1089
____________________________
「忍者」へのリンク
■なお、ウィキペディアの「忍者」「忍術」の検索で辿ると、
いろいろな「諸説」に行き着きます。
たとえば、
●現在の忍術の伝承者とされる名簿●
>(記述に「称している」「継承している」と曖昧な表現があることに注意。)
****************************
* 藤田西湖 - 甲賀流忍術の継承者で甲賀流忍術14世。
「最後の忍者」と呼ばれ、昭和中期まで生きていた。
* 川上仁一 - 甲賀流忍術の伴家忍之伝の継承者で甲賀流伴党21代目を称している。
* 高松寿嗣 - 戸隠流忍術33代目継承者とされる。
* 初見良昭 - 戸隠流忍術34代目継承者を称している。
* 島津兼治 - 伊達黒脛巾組忍術継承者を称している。
* 星徳一 - 伊達黒脛巾組忍術の技を継承している。
* 佐藤永一 - 伊達黒脛巾組忍術の技を継承している。
* 林邦四郎 - 日本、琉球(忍者の記載文献無し)の忍者の技を
NHK大河ドラマなどに取り入れている。
* 顧正瑞 - 中国忍術の技を継承している。
* 布川金良 - 中国忍術の技を継承している。
***************************
■なお、今回ご回答を戴きました博物館と、その名誉顧問の方の
ホームページです。
↓
伊賀忍者博物館
http://iganinja.jp/
伴家忍之傳研修所
http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/
全国の忍術流派
↓
http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/ryugi.html
_____________________________
忍者刀・考
また、忍術や秘武器などに詳しい方からの意見(私見)を
伺ってみました。以下がそれです。
10年ぐらい前に試した感想を記します。
(私が忍者刀と言う場合は四角い鍔の直刀の方を指します)
◆忍者刀について
・斬るためには勝手が悪すぎます。
少なくとも古流体術を駆使してでは使えません。
・直刀の必要性が理解できません。
日本の武芸の動きは中国のそれとは異なり、
直刀を用いるようにはできていないのです。
・下げ緒が長い、これはあり得るかもしれません。
ただし不要に長すぎるのは、異常です。
ちなみに普通の武器として使うのであれば通常の長さでも十分です。
・鞘が尖っている。全く刺すという用を為さない気がいたします。
・鞘が少し長目で中に目潰しを入れる。
これは絶対に虚構です。まず刀身が悪くなります。
しかも目潰しは長期保存が利きません。それは油で固まってしまいます。
・密書などを入れる。これも嘘です。
刀身の油で密書がすぐに駄目になります。
また正式な密書がそんなところに収まるとも思いません。
・鞘が多少頑丈。
これはあり得ますが、戦国時代の刀も頑丈なものは多いです。
・忍者刀は日本刀のように引き斬りではなく、
押し斬りにできているとのことですが、
実際に古流体術の稽古をしていれば分かりますが、
それですと全く使い物になりません。
・鍔が広くて大きめ。これも嘘です。
全く使えません。壁に登るためであれば、実際普通の刀でも用を為します。
また先端が尖っていたら地中に沈んでしまうものと思われます。
地面が固ければ普通の刀でもできます。
◆私の考察
・下げ緒が長い、鞘が硬い、刀身がやや短い、この3点に限っては
忍者が使用した刀の特性としては現実的かつあり得そうな気がします。
ただしそれは忍者が使用したと考えられる刀の特性であって、
それが全部合致しても「忍者刀」と言えるかどうかは分かりません。
普通の武者が使用した武器でも、それらの特性を備えたものはあると
思います。
それ以外の部分は虚飾と見られます。
・忍者が忍者専用の武器を製造、使用したと言うこと自体が信憑性が低い。
忍者はそうした特殊性がありすぎる奇妙な武器製造に、
余計な労力を費やしたとは思えません。
せいぜい製造しても手裏剣や暗器や、使い捨てにしたり、
民具にも使えるようなものだったと思われます。
しかしながら、逆に普通の武器を特殊に使う、これならばあり得ます。
古流武術による道具・武器の使い方としては、後者が主流だと思われます。
ですから、多くの人たちが忍者刀に関する疑問を持たない事が
私には不思議に思えます。
・忍者は作戦内容によって武器を使い分けたと思われますが
(別にそれは忍者でなくとも同じことですが)、
少なくとも潜入するのにいびつな忍者刀を持参することはあり得ません。
しかも背負うことはそれ以上に絶対にあり得ません。
その理由は簡単です。もしも、刀を背負ってしまったら、
古流武術に伝承する多くの「受身」ができなくなります。
武器を持参するにしてもせいぜい短刀とか脇差しなど、
そのぐらいのものでしたらカスタマイズした事もあり得たと思います。
・そもそも、普通の刀を持ってはならない状況が私には思い浮かびません。
普通の刀ではいけない理由は江戸時代に、暇に任せて書かれた
忍者の書物に、勢い余って武芸を嗜まない者が書いた公算が大でしょう。
もしかしますと、忍者達が、例えば戦国時代末期に試作で、
そんなようなものを造ったかも知れません。
それは大東亜戦争末期に日本軍がいびつな兵器(まともな兵器も
もちろんありましたが)を造り出すのと同じような気がしました。
★
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