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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
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[799]
■
◆手裏剣術の「最短上達法」の基本◆
by:
崩残
2006/08/12(Sat)07:36:17
◆今回は、無冥流手裏剣術における、基礎技術の最短上達法を
紹介します。
この方法に従えば、超重量剣などでないかぎりは、
重量190g以下の手裏剣であれば、流派に関係なく、
最も速く打剣技術が上達するようになります。
今までの古来からの常識を覆す部分もある方法ですが、
実際に行えば、その効果を歴然と実感することが出来ます。
この「最短上達方法」は、全くの初心者の人が行うと良い他、
利き手でない手での練習にも最適です。
私はこの自分の方法で、利き手でない左手を使えるようにしてきました。
その方法。
■あぐらをかいて、距離は2間半から。
この距離を絶対に厳守してください。
どんな初心者でも、これ以下の距離で開始してはなりません。
これは、剣の跳ね返りを危惧しての距離ではありません。
まず最初に刺さる感覚を覚えさせようとするあまり、
多くの流派が、1間〜2間の距離から打剣練習をさせますが、
私の理論によれば、それは上達を遅らせる結果となります。
たとえ全く刺さらなくとも、いきなりまず2間半から開始すること。
それを刺そうとすることによって、急速な上達が起きるのですから。
ごくごく一部の流派を除くほとんどの流派が、
初心者に対しては、立打ちから
練習をさせますが、無冥流では、まず一番最初が「あぐら(胡座)」からです。
以下にざっと、基礎練習のプロセスを簡単に図解しますが、
これらが最短の上達法である「根拠」は、後述します。
●あぐらからの打剣・距離2間半
(この図解では省略していますが、両手とも交互に稽古します)
●右の「入り身」の「居打ち」で右手で打剣(必ず3間から)。
ただし「利き手でない手」の場合には、
この「居打ち」は、「2間半」の距離からでも良い。
図のように、構えたときには、前足が垂直になることに注意。
また、後ろ足は「踵を立てず、足の甲を地につける」こと。
このようにつま先で立ってはいけない。
そして、構えたときに前膝が出すぎてはいけない。
↓
●左の「入り身」の「居打ち」で左手で打剣(必ず3間から)
ここも利き手でない手の場合には、2間半からでも良い。
●最後に、左右の、「入り身」の「立打ち」で、3間から。
踏み出しを入れると実質距離は約2間半強となる。
●なお、住宅事情や的の設置の高さの都合などで、
床にあぐらをかけない場合には、椅子の上であぐらをかいてもよい。
ただし、この椅子上からの打剣では、絶対に足を地につけてはならない。
足の力を、ほぼ殺した状態でないと「効果的な練習」になりません。
■この「基礎稽古」のあとで、普通に「脇構え」での立打ちをしたり、
飛距離をもっと伸ばしたり、
または、逆に3間未満の至近距離に縮めたりと、
各種の座打ちや変化打ちの稽古をすればよい。
●以上の説明の参考用の動画です。
↓
距離3間からの居打ちと胡坐(あぐら)打ち(剣は130g)
↓
http://www.mumyouan.com/shuriken/video/206_0642.avi
距離3間からの入り身打ち(剣は130g)
↓
http://www.mumyouan.com/shuriken/video/206_0660.avi
以下は、関係ないオマケです
距離4間からの尺的狙い(剣は130g)
(「全部命中と言ってしまっていますが」一本、外しています)
↓
http://www.mumyouan.com/shuriken/video/206_0645.avi
距離5間からのサイドスロー(剣は130g)
(3間程度の至近距離でしたら、サイドスローは簡単なのですが、
5間以上から剣を、水平から30度ぐらいの角度で飛び立たせるのは、
わりと手の内の操作が微妙で困難です。
実はもっと低く、アンダースローのように5間から打てるのですが、
コントロールがまだ安定しないので、今回は出していません。)
↓
http://www.mumyouan.com/shuriken/video/206_0669.avi
_______________________________________________________________
●以上が、無冥流で編み出された、
手裏剣術の「基礎の」最短上達法である。
なぜ、どんな初心者にも、いきなり2間半から開始するのか。
それは、剣を投げ打って、刺す感覚を覚えさせることが目的ではないからである。
あぐらをかいている事で、下半身が完全に制限を受けている状態ですから、
投げた剣は、初心者であったり、
また、利き手でない手ではじめて打ったりすれば、
当然「ひょろひょろ」の飛び方になります。
しかし、刺さる事よりも、「それが大切なこと」なのです。
その剣が、どういう姿勢で飛んでいくのかを、しっかりと黙視で確認しつつ、
自分の腕をどう振ったらいいのか、手の内をどうしたらいいのか、
剣の重心をどう押したらいいのか、スナップ癖をどう抑制するのか、
こうしたことを、まず腕の動きだけを取り出して学ぶのです。
あぐらという姿勢は、下半身が普通の打剣に比べれば大きく削がれます。
また腰の回転も制限されますので、必然的に「ほとんど腕だけ」で打つことに
なりますが、そうやって、「動きの各部を分解しながら学習する」のが
無冥流の特徴です。
●全くの余談ですが、「座打ち訓練法」に対して、
よく知られた「小型軽量剣」の流派の師範などは、
その思慮のなさと、その研究不足、そして無知から、
恐ろしく的外れで不当な批判をしたようであり、
あげくには、他者に対して、
「あなたは、術自体の見直しをせざるを得ない・・・。
「それとも、ご自身が、よほど手裏剣術に向いておられないか、
どちらかでしかないでしょう。」
とまで、傲慢で失礼な暴言を、名も明かさずに、
「匿名で」吐いていたようであるが、
私に言わせれば、
皮膚の露出した部分以外には、
ほとんど人体に何もダメージも与えられず、
当たっても、「威嚇にすらもならない」ような小型軽量剣を、さも
「優れた剣だ」と言って、一門を作ってしまったその流派の宗家の言い分と
それを盲信する方が、よっぽど、愚の骨頂であり、
その流派の理論の誤りや、何よりも、使用している剣自体を
「見直した方が」よっぽど良かろう、と言うものである。
剣術や体術がその流派の母体の基盤にあって、
その上に、「相手のスキを作るため」の手裏剣であるならば、
軽量であっても良いだろうが、
「珍しく、手裏剣術を専門に行う」「実戦的手裏剣の流派」
などと名打つからには、
そんなダーツより少しマシな程度の手裏剣では、とても「実戦的」
だの「実用的」などと言えるシロモノではないのだ。
実際に、私は、衣服を着て、その流派の初段の人間の剣に、
2間の距離からまっこうから当たってみた結果なのであるから、
「非弱な剣である」というその事実・・・「その現実」は、
どうにもならないのである。
■さて、余談は、さておいて、
2間半から、あぐらをかいた状態の打剣を、
左右の手で、共に50本ほど打ち込んだら、
それが刺さろうが、刺さるまいが、次へ行きます。
次は「居打ち」ですが、前述の写真のように、
「入り身」で構えます。後ろ足は必ず足の甲を地につけます。
藤田西湖氏の本などでは、通常の「居打ち」は、
これとは足が「逆」であり、また、後ろ足も踵が立っていますが、
無冥流では、そのような座打ちでは、
剣に威力がなくなると判断しています。
(剣術の振り方を、そのまま手裏剣に応用しすぎなのです。)
そこで写真のように、「入り身」で打ちます。
後ろ足の踵をどうして立てないのか、といいますと、
後ろ足のつま先で、地を蹴って力を得ることをせずに、
膝を立てた、「前足の重心の移動」の様子を「意識的に感じ取ること」が、
「ここでの稽古の最大の目的」だからです。
■この居打ちを、3間(利き手でない場合には2間半)から、
左右の手で50本したあと、
いよいよ、立打ちにしますが、この時は、距離は3間です。
左右とも入り身で、各50本です。
こうした、「あぐら」「居打ち」「立打ち」での左右での打剣稽古を
ワンセットとして、合計300本も打ち込めば充分です。
■この稽古方法が、どうして最短の上達法になるかというと、
それは、動作のブロックが、3つに分解されているからです。
通常は、初心者でも、稽古の最初から、立打ちをさせてしまいますが、
そうなると、3つのブロックの各部が、
どこがどういけないのかも分からなく、教えられないままに、
ただ無駄に稽古時間を使うことになります。
また、仮に、打剣フォームの修正を、師範が教授したとしても、
断片的に、あちこちを、こまごまと、修正しなければなりません。
しかし、
1/ まず2間半から「あぐら」で打ち、その中にある問題点を指摘し、
2/ 次に3間から「居打ち」で、その中にある問題点を指摘し、
3/ 最後に3間から「立打ち」で、その中にある問題を指摘する、
というこの「順序」を経ると、普通は、立ち位置から、なんとなく、
ただ雑に、無意識的に打ってしまっている事も多い動作が、
すべて「分解されて、意識化される」ために、上達が早いのです。
何事も、上達の秘訣は「自覚」なのです。つまり、モニタリング。
実際に、やれば分かりますが、
どんな流派が、どんな剣を使うのであれ、
あぐらで2間半を、なんとか、まがりなりにも刺せた段階で、
3間(または2間半)からの、入り身の居打ちをすれば、
かなり楽に刺さるはずです。
さらにそこから立打ちに移行すれば、もっと楽に刺さるはずです。
●なお、利き手でない手の、効率のいい上達方法は、既に
「中級手裏剣術(改訂版)」で、詳しく解説しました。
書籍化されたために、当掲示板からは、その内容は削除してあります。
●
■無明流では、「急がばまわれ」ではなく、
「とにかく急げ。だが、打剣量は、少なく!」をモットーにしています。
人間、明日か、明後日か、
いつ死ぬかもわかりませんので、
可能なかぎり、基礎部分には時間をかけずに、
なるべく早く、次のステップに行こうとするのです。
無冥流は、
剣術や他の手裏剣術、あるいは世の中にある武術とは異なり、
苦行的に、長い年数の修業を積むのが良いとか、
結果的に優れているという考え方が全くありません。
その最も大きな理由のひとつは、
そういう意味での精神修養というものならば、
何千年も人類は、武術にかぎらず、いろいろな分野で、
散々に繰り返してきたことであり、それは下手をすると
ランナーズハイのように、意識がぼーっとしたり、
稽古そのものの行為に価値観を偏らせたり、
稽古そのものに、自己陶酔しかねません。
一方で、努力の量と、
その努力量の結果として出る「技量」で物事を推し量ることも、
無冥流では一切ありません。
逆に、「どれだけ短期間に上達したか?」だけが、評価されます。
通常の、単細胞的で、既に多くの人がその効果の証明を
終えてしまっている「稽古量が必要である」という信念とは
全く逆行する理念となっているのです。
無冥流では、手裏剣術を、いわゆる、年数をかけて行う
精神や肉体の「修業」とは考えていません。
どうして、結果としてそのようになったかといいますと、
可能なかぎり、ぎりぎりまで、打剣という現象を、
合理化し、そのための「打法」や「剣の設計」や「稽古法」を
開発する事に主眼がありますので、必然的に、優れた方法だと
認められたものだけを、厳選して、
いろいろな流派から抽出しようとしたり、
独自に開発しようとしたからです。
■しかし、もしも無冥流が、本当に年数をかけて、
そこに一生の時間をかけても、やらねばならないものがあるとしたら、
それは、自分の意志で打剣するのではなく、
無為自然に、打剣が起きるという「無心剣」と「無無心剣」のみです。
すなわち、「悟りの一打」を打てるかどうかです。
●
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