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掲示板
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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[983]
■
【性と死の夜】 〓第3回〓
by:
ほ う ざん
2003/07/15(Tue)07:34:51
fe098060.fl.FreeBit.NE.JP:219.112.98.60:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
■前回の補足です。
>◆余談ですが、これ以外には、
>男性が「相手の女性に子供を作りたい」とか、
>女性が、「相手の子供を受胎したい」という思考が作動した時にも、
>性欲は、普段と異なる異常な高まりを見せることがあります。
>ただし、これは、単純に、本能のレベルが突き動かされたものと
>解釈してよいでしょう。
前回は、さらりと書いて、解説を省きましたが、この問題も奥が深い。
どんな時に、性欲が盛りあがるか?
という質問を何人かの男女にした事があります。
すると大別して2種です。
ひとつは、男女ともに、生理的に「溜まった」時、
または女性の場合には生理周期との兼ね合いもあります。
そしてもうひとつは、
「自分の性別を意識した時」です。
■これについては、おそらく、
私自身の体験を書く方が分かりやすいと思います。
私もむろん中学の思春期という体の生理的変化の中では、
いわゆる性欲の処理(自炊)をしていたわけですが、
高校に入った時点のころから、既に自分の性別というものを
全く意識できなくなっていた。
この傾向は、25年近くも前の当時の時代だと、珍しいのかもしれませんが、
今の時代では、多くの人が自分のこととして、理解すると思い、
この時代になってやっと書いているわけです。
人が性的に盛りあがる要因の一つが、
自分を男であると感じる瞬間や、自分を女として感じる瞬間です。
精神的なレベルでそう感じることも原因となりますし、
また、肉体、つまりセックスの時に、改めて自分が
雄、または雌であることを意識するかもしれません。
■私の場合には、高校のときには、すでに
自分の性別を意識できなかった。
私は、意識を持った人間という種の生物である、
という事が第一次的な事であって、
肉体上の性別は、ほとんど何の意味も持たなかった。
何の意味も持たなかったということは、
つまり、その後も、私は、性別の違いを原因にした、
恋愛も、「ほとんど」、しなかったということです。
私が女性に関心を持ったのは、
その美形、スタイル、つまり、男性とは異なるその美しさにです。
私は、性器映像とか、性交映像とか、そういうものには興奮できなかった。
今思い出しても、写真としての芸術性の高いものや、
とにかく、映像として美しいと感じるグラビアにしか興奮をしなかった。
同年代の学生は、どうもそうではないようで、
かなりエゲツない週刊誌を授業中に回しては見ていた。
■で、そんなわけで、女性といっても、
自分の男としての心理状態から、「女」を見る
という事が全くなかったので、
大学へ進んだ時の私も、性的な目で女性を見た覚えがほとんどない。
私は女性を見るときに、常に
外見上の性別が異なるという「面白さを持つ、人間」として
興味を持っていたのである。
■当時していた片思いの恋愛なども、
そのほとんどすべてが、相手のメンタルな部分、
つまり、性格や仕草、その個性に、惚れていたと断言してもよい。
私は、女性ではなく、人間観察のコレクションとして
女性に興味を持っていたのであった。
だから、当時、というより、その後も、そして今も、
私は女性から、全く警戒されない、という性質を持っています。
のちにEO師と話したところ、師もそうだったようです。
また、不思議なことに、数は少ないですが、
今まで無明庵に関係した人たちのうちの何人かも、
そのような傾向(性別意識希薄?症?)を持っていました。
■さて、当時も今も、私は、女性をメスとか、
女性器を持ったモノとしては見ていませんし、
また、「女心」のある生物、とも見ていません。
あくまでも、総合的な「人間」として見ています。
その一人の中に、男女両方の要素の配分比率があるだけ、
という目で。
だから、男は女を見たら性欲の対象としてしか見ていない、
という一般的な女性の言い分が、
当時の私には、全く信じられなかった。
そのせいで、私の中には、これまた、
どうしても、文中で使うことに抵抗のある言葉がある。
それは「女」という言葉です。
「おんな」とか「おとこ」という響きが大嫌いなのです。
だから、女性とか男性と書きます。
たまたま、その「性」をやっているだけですから。
■で、話を戻しますが、
自分の性別をあまり意識しない、
という世代が、最近は増えているはずです。
既に現在20代の男女にも多いはずです。
(ここで言っているのは、
性同一性障害の事ではなく、単に性別意識の希薄な人たちのこと)
私の育った時期には、未だ、男女という区分がはっきりしていて、
何かにつけては、「男だから」「女だから」「男なら」「女」なら、
という差別的な事がまかり通っていた時代です。
■そんな時代風潮にも、全く動じもせず、
私は、ひたすら、私の「中性」を生きていた。
むろん、その間も、生理的な性欲はあり、勃起もするし、射精もする。
ただし、それによって自分を男と感じることはなかった。
ただ、そういう性器がついている生物なのだというだけで。
ただし、のちに男性たちと話してみて分かったのは、
相当に私は、普通の男性よりも、性的に興奮しないということだった。
別に、エロっぽいものを見たところで、なんともない。
たとえば、風呂から上がった裸の女性が横にいたところで、
セックスという目的がそこにないのであれば、
何の性的反応もしない、という点において、私はどうも、
他の男性とは違っていたようだ。
最初からセックスを前提にしている、ということであれば、
きちんと勃起もするし、挿入での持続もするものの、
その要もないときに、勝手に勃起するということは、
精子が溜まりすぎたときぐらいしかなかった。
■そんな私が、20代の後半にある女性と付き合ったときに、
はじめて、自分の「男性」としての意識を刺激されたことがあった。
つまり、自分が男であること、「雄」の意識です。
もともと、自分の妹のような女性と付き合いたい、
自分の子分みたいな女性と付き合いたい、
というような、ちょっとそれまでの私とは違う、
封建的な意識を持ってみようかな、と思っていたころでした。
また、その前に3年ほど付き合っていた女性とは、
ほとんどセックスレスだったので、
そろそろ、自分の体のケアもしようかと思っていた矢先でした。
■意識的に注文した通りのその、かわいい女性、
本当に、ただただかわいい、という女性と出会って、
少しだけ、私の中の「男性意識」が刺激されました。
男性意識が刺激されると面白いもので、
それまで、ほとんどなかったような感情が出るものです。
嫉妬深くなったり、所有欲が出たり、命令的になってみたり、
何かを教えようとしたり、好戦的に戦ったりと。
それで、そんな面のある自分を再発見して、面白がりながらも
付き合っていったわけですが、
以前として、生まれつき、どうも性別の意識の希薄な私には、
そこまで、外見のかわいい女性といても、
自分を男と強く感じる瞬間は稀だった。
■そんな私が、自分を男と感じたのは、
ホテルでセックスをしていたときに、
ふと、天井の鏡や、ベッドの横の鏡に映った自分と
彼女のセックスの姿を見たときでした。
そのときは、「あ〜、自分は男をやっているよな」と感じました。
筋肉のしまった自分の体と、
まるで、ちっちゃな天使みたいな、その彼女のかわいい肉体が
戯れている姿を鏡の中に見たときは、さすがに、エロティックだと
思いました。
■そんなとき、自分にも、瞬間的にですから、
性的な意味での男意識が生まれ、
それなりの盛りあがりも見せました。
ただし、のちに、何度かそれを観察するうちに、
それが自分には、基本的には「不快」なもの、
不自然なものだと分かりました。
私は、やはり、男という性をやっている人間であるし、
相手も、女という性をやっている人間である、
ここに、私の基本認識は、戻ってゆくのであった。
■そして、何度か、自分の中に起きる、
いわゆる性欲のテンションが上がる時の条件を観察するうちに、
それには、単純な要因があって、
ようは、男女どちらも、自分の性別を強く意識したときに、
性欲は出るという単純な事でした。(少なくとも当時の認識では。)
相手の中に自分の子供を作りたいとか、
相手の子供を産みたいという事を思ったときに、
性欲が高まるのも当然といえます。
これ以外の要素は、もっと単純に生理的な「溜まり」によるものです。
■しかし、私には、そうした「遊戯」を続ける気はなかった。
そもそも、生来から、男女の性別を認識するのが困難な状態で、
無理に、自分を男とか女という枠の中に閉じ込めようとしたり、
制圧してみて、そこから出てくる面白さを追及する気にはなれなかった。
余談ながら、同じことは、今の時代の多くの男女に起きている。
精力の衰え以前に、性欲の衰えがあるのである。
しかし、これは竹の間の人口問題にも書いたが、自然なことでもある。
■また、もっと本質的なところでは、
いまどき、自分を男と感じたり、女と感じるということが、
流行らない時代になったということでもある。
いろいろな時代に、性別の差別や区別が曖昧になるものである。
こうしたことは、古来から多く起きてきたことでもある。
同性愛が流行った時代や、土地や環境もあるだろう。
(ただし、今回問題にしているのは、同性愛ではなく、性同一性障害でもなく、
性別意識の希薄化という社会現象である。)
■そのために、いちおう「女やっている」とか
いちおう、「男」やっているだけで、
大して、性別を意識しないでも済む、良い社会になったとも言える。
その恩恵としては、いちいち、やれ男だの女だのという
「単細胞的な仕分け方は、ダサい」という風潮が、とりあえずは、
うまく、世の中に、蔓延したということ。
ただし、そうは言っても、未だに、性別意識の強い人はいるし、
また、性別意識が弱いのではなく、
実際に逆転した性の性意識が強かったり、
さらには、単にだらしなくて、軟弱なだけで、
別に女性化しているのでもない男性もいるし、
単に、男みたいに突っ張っているだけの
「単なる女性」も未だに多くいる。
■そういう中で、男女のコントラストの意識があいまいな私は、
性別の意識を性欲のエンジンとして使うという発想や方法が、
あまりも面白くなくて、別の道を探し始めたのである。
■まず一番最初にやったことは、
性別とかそういう問題ではなく、
純粋に、ただ、性器への刺激によって、
性欲はどのように変化するかであった。
写真とかビデオを見ずに、ただ刺激を与えること。
これによって、ある程度は、性欲や性機能は維持されることは分かった。
ただし、やはり、自炊の「ネタ」は、あった方がやりやすかった。
しかし私が選んだ自炊ネタというのは、
やはり、高校生のときにそうであったような
美しさのある写真に限られた。
そのときに、よく自分の思考を観察していたら、
私は女性のある特定の身体部分に性的にやや興奮している事がわかった。
それは、性器とか、乳房よりも、
私は、写真の中の、子宮部分を見ていたのである。
だから、腰のくびれとか、上腹部にやや浮き出る肋骨とか、
そのお腹のラインに性的に興奮しやすかったのである。
■その心理を観察するうちに、
私の性欲というのは、子宮に対してペニスのエネルギーを注ぐこと
という意志の作動に関係あると思った。
そう、お尻とかバストとか、性器ではなく、
私は、女性が女性たる根源的な部分である子宮とコンタクトしようと
していたのであった。
これがのちに、私がポルチオオーガズムを重視した理由である。
■しかし、このときの認識は甘かった。
誤りであった。
このときには、単純に、私の性欲とは、
「受胎行為」を意識したときに誘発されるものだと思っていた。
だが、それからまもなくして、
ある実験を繰り返したとき、性欲の引きがねを引く、全く違う条件を
発見した。
私が子宮とか、女性の上腹部のラインにこだわっていたのは、
ほんの序曲にすぎなかった。
■その事を確認したのは、その後実験した事というのが、
全く自分の好みの体形ではない女性と、わどと
セックスをしたということである。
その時にも、私は、その前にやっていたような、
性妄想をほとんど使わない自炊(自慰)で、
性器はどこまで機能するか?という事も、持続して実験していた。
こうして、私は、
自分から、性の妄想を排除して、「性的刺激だけ」のセックスをして
さらには、自分が「性格的にも好みではない」女性を選ぶことで、
「心理的な自分の餓えを満たす」という要素を排除し、
自分がスタイルとしても好みでない女性を選ぶことで、
「外見から来る要素」を排除した。
むろん、「子宮を意識することによる性欲」も排除してみた。
■すると、それらのセックスには、
かなりの困難が伴うことは確かだった。
純粋に性的な刺激を作り出すためには、
自分の呼吸法やローションの使用によって、
かなり、「強引に」性欲や性感を作り出す必要があった。
■それは、それまでのセックスとはまるで違っていた。
それまでは、相手の外見が好きだから、
相手の性格が好きだから、とか、
相手が女性の身体だから、という事で、
ある程度は、自動的に作動していた性欲も、
ここまでくると、私の側で自主的に「作り出す」以外にないのである。
■だが、まさにそのおかげで、
心理的に興奮しなくても、勃起させられ、それを維持し、
終始冷静にセックスをすることが出来るという事は鍛えられた。
余談ながら、多くのホストさんや、風俗で働く女性も、
同じような冷静さを保っていることが多いだろう。
この期間は、全く無駄なく、いろいろなテクニックを試すことが出来た。
しかし、それで女性のオーガズムが簡単に得られるようになると、
早々に、私は、セックスに飽きてしまったのである。
■何か、この先はないのか?次は?
という限界に来たときに、
ふと、何気なく、試したのが、EO師が言っていた手法である。
その手法自体は、その相手と付き合う前に、
別の女性と、何気なく、試したことがあったが、
何か、違う気持ち良さがあるなー、というのと、
相手の女性が気絶する、という以外には、
その当時は、その真価をまだ認識していなかった。
だから、神秘学の技法の「原型」は、
そのまま何年も何年も、使われずに、放置されていたのである。
■それがふとしたときに、使ってみたところ、
全く違う意味での性欲、というより、性欲とは別の何かが作動した。
しかし、結果として起きることは、
肉体の性欲も、回復または、増進するということだった。
ただし、それは男意識や女意識を必要としない「変わった衝動」だった。
それが完成したとき、私はそのパートナーと離れた。
■そして、今のパートナーは、
神秘学の技法も出来るし、
普通の男女の区別意識をやや作動することも出来る、
という意味で、
このふたつの方向の双方を比較したり、
双方を、楽しんで使い分けることが出来る幅があることから、
私のセックスの実践と理屈にも、バリエーションが増えたのである。
「性のレシピ」は、現在のパートナーのおかげで完成したといえる。
■で、強引にまとめてしまいますと、
性欲とか、精力といったものを誘発する理由は、
いくつかの種類があり、自分もそれを経験しましたが、
現時点で言えることは、
性別意識を持たなくとも、
性妄想なしでも、
それはもっと根源的な部分での
作動の仕方をすることがあるということです。
これは男女のセックスというより、
人間同士のセックスという面を持っています。
ただし、やはり、身体的には、
ハード面の構造が、せっかく凹凸になっているので、
男性と女性という組み合わせの方がいいようです。
続く
■なお、この男女の性別の問題については、
隣の「竹の間」にも、「男女具有性」というタイトルで
少しコメントしておきましたので、ご参照下さい。
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