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★分割自我復元★その467■投稿への感想■
by:
鈴木崩残
2015/06/15(Mon)18:11:55
報告(感想)より
■投稿を読んでの感想を掲載します。
******************
桜の間掲示板投稿その466を読み思った事です。
>人間は、「なぜ、自分が、そう考えるのか? その理由は何か?」
この言葉を読んだ時、未だ私が見過ごしているものが残っていると思いました。
●私にとってはあたりまえ過ぎて、そこに意識が向いたとしても、
問題意識の希薄さから、
次の瞬間から別のことを考え初めてしまっていることを、
安易に許している部分でした。
強い違和感があったのは、
具体的に仕事での出来事について考えている最中に、
「なぜ、自分がそう考えるのか?その理由は何か?」
この問いを自分に向ける前に、私は、
「なぜ、他人はそう考えるのか?その理由は何か?」
について答えを探そうとしていた点です。
そこでは、他人の立場に立って物事を考えてみたりはするのですが、
この、私の行為の着地点はほぼ、すべて、
「私が承認されるか?されないか?」で終わっています。
最初は他人の立場に立っていたつもりですが、最後はそんなことは微塵もなく、
完全に自分本位になっていました。
そして、私が承認されると思えたときは、それ以上考えることを止め、
私が承認されないと思えたときは、どうすれば承認を得られるかと
考え始めようとしていました。
この時点で、私が考えるという行為の動機は、事の最初から、
「他者からの承認の為」
だったのだと思えました。
動機がこのようなものなので、その先で、
私がとる行動は他者からの承認の為の行動になっていることは間違い無いと思えます。
何かをしようと行動を始めるとき、している最中、体験し終わってから、
私が体験するべきだった不安や迷い、喜びや怒りなどはそっちのけで、
私は他者からの承認の為にそれらを台無しにしてきたのだなと今、思えました。
●間違いたくない、正しくありたいという思いもありました。
しかし、私の中では「他者からの承認」を得られることだけを正解としてきたので、
承認を提供する相手が代われば、それに合わせて私の意見も変えるか、
表面上は迎合しているフリをしてその場をやり過ごすなどのテクニックを
覚えていったのだと思えます。
私の正しい、間違いの定義は完全に、
正しい=他者からの承認を得られる。
間違い=他者からの承認を得られない。
になっています。
それが、正しいのか?間違っているのか?ということは
結果を体験しなければ分からないものだったり、
時間と供に変化するものだと、頭では判ったつもりでしたが、
ここも間違いでした。
正しい、間違いを選別する思考そのもの、動機から間違っているので、
決して私自身の糧となる選択をすることは無く、
まさしく私の足を引っ張っていると思えます。
◆もう一つの大きな間違いは、この思考の求める「承認」は、
すべて「事前承認」だということです。
こうすればきっと承認されるだろうという目論みの元で
思考を開始したり、行動します。
その結果は承認されるはずだと考えるので、
行動の結果、本当に承認されたかは確認をしないまま、
「承認された!」とにやにやしているだけ。
なせ、確認しないのか?
あやふやな事実を確認をしなければ、自分の都合の良いように解釈し、
きっと承認を得られたということにしておけるから。
時に承認を得られないと明確に知ると、
不満を持ったり、怒ったりする。
そこでも不平不満をストレートに口にすることはしない。
なぜか?
当事者にそれを向けると、またもや承認を得れなくなるのではないか
という恐怖から、口にできない。
若しくは、自分の実力不足という現実を見たくない為。
そこで、別の安易に承認を得られそうなものを探し始める。
ここで意識が別の事に向くので、
未対処の問題や課題がいつまでも残り続ける。
「事前承認」から始まる思考と行動は、完全に妄想で使い物にならない。
それどころか汚染しかもたらしていない。
このことが、私の人生の中で実証されていたと今更ながら実感しました。
◆文章を書いていて、これまで、
私の「経験」としてきたものはいったい何だったのだろうと思え
愕然としました。
●私はなぜ、ここまでして承認を必要としているのか?
正確には、仮想の「事前承認」を得られることを前提に
思考が始まっているのか?
そしてそれに無自覚だったのか?
このことについて考えると、
一つは、私自身が、
今の瞬間の思考に意識を十分に向けることができずにいた為だと思えます。
正直な所、これまで自我復元をしてきたから、
いまさらここには問題は無いだろうと、見過ごしていました。
そのほか、過去に仕事や家庭の中で、
明確に言葉で肯定や否定をされた記憶が残っていない為だとも思えます。
他人、父、母が明確に言葉や行動に出さずとも、
それ以外の言葉や行動を、幾度と無く受けている内に、
私の中で出来上がっていった人格。
この人格の言動を野放しにしていました。
さらに、父、母の言動、そして私の当時の記憶から、
人格が出来上がっていった経緯を再体験する必要があると考えます。
でなければ、決して殺すことはできないと思います。
また後日、報告させていただきます。
黒九
******************
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