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★分割自我復元★その471■自我復元ブログからの引用です■
by:
鈴木崩残
2015/07/05(Sun)11:48:26
自我復元ブログからの引用
●Abyさんが、ひとつ前の投稿の動画の中のひとつを
気に入っていただけて、良かったです。
ああした非日常的な話の中には、
AC人格が、ほいほいと、喜んで共感してしまうものだけではなく、
「自分なら、絶対に経験したくない」と思うものや、
分類ができない不思議さを持つものがあります。
さて、そのAbyさんのブログから、私が何かを感じた部分を
引用しました。
・・・・・・・・・
「何が正しいのか、何が間違っているのかわからない。
完璧などない、正解などない」などと、私の父はよく言っていたし、
私もまた、父以上に、その考えを「妄信」していた。
自分の頭で考える、という経験をすることで、
そういう妄信は、何が原因かがわかった。
それこそ、自分で考えていないことが原因だった。
ああ言えば、いや、こういう考えもある、だとか、
別の視点もあるからそれがすべてじゃないとか、
こういうことを熱く語る人がいる。
父しかり、そして、私こそ、そういうタイプの人間だった。
そして、こういうタイプの人間は、結局、何が正しくて、
何が間違っているのか、を、実は、一番気にしていながら、
いかに自分は間違っていない「可能性が高いか」だけを自慢する。
そういう人生をずっとずっと送り続けている。
・・・・・・・・・
職場の上司だが、ある時、動物保護の問題についての雑談で、
「イルカを大事にしたい、っていうのなら、サバは?鮭は?どうなのよ。
殺人者はどうなの?そこまで、そういう人は考えてるわけ?そこまで考えても
いないでしょ。ただ、自分の好みでイルカだけを大事にしたいんじゃないの?」
みたいなことを熱く語っていたことがあった。そのことを思い出した。
私がまさにこういう人間をずっとやっていたから、
何を言っているのかはわかる。
だけれど、この異常さに気づいたのは、本当に最近になってからなのだ。
「自分の考え」
が、「ゼロ」なのだ。
自分の考え、というか、「自分で考えようとする姿勢が」無いのだ。
一見、いろいろな視点でいろいろ考えている「ように」見える、が、
実は、何一つ、「自分で」など考えていないのだ。
これは、おそらく、本人は、自覚することができない。
なぜなら、自分で考えたことがないからだ。
やっと最近になって、自分で、というのはどういうことか、
それは、まったくゼロから考えることなのだ、ということ。
かつては、私は、「それはありえない」と思っていた。
既存の知識の組み合わせでしかない、と思っていたからだ。
・・・・・・・・・
AC人格に飲み込まれているときというのは、
なんとか、「ある考え」や、ある特定の何か、に固執し、
そこにいることを正当化しようとし続けるから、
「別のように考えてもいい」という自由を、自分で、拒絶してしまう。
言い換えると、別のように考える勇気を持てない。
それを持とうとすれば、生体反応を失っていき、
たとえば、それは眠くなる、とか、そういう生理的な妨害も
当然のように容赦なくAC人格は仕掛けてくる。
・・・・・・・・・
ここ数ヶ月を振り返ってみると、
その訓練を、本当に少しずつ、私は毎日きついのだけれど
それでも、やっている「日記」が、私にとって貴重な訓練となっている。
さっき、稽古から帰ってきて思ったけれど、やっと日記というのが
少しずつ、書けるようになってきた。
「今日は何をした。これをしてあれをした」
くらいの内容なのだけれど、これが、私には書けなかった。
なぜ書けなかったかが、今になってわかる。
なぜ、私は日記を書いたことがなく、嫌いだったのか、も。
それは、驚愕すべきことだが、
私は、自分で何かをしたことがなかった。
「自分で」何かをしたことがない場合、
日記に書けることなど、あるはずがないのだ。
・・・・・・・・・
ただ思うのは、ここで「これでいいや」としたら、
そこまでだなって。
それでいいって、自分で言ってしまったのと同じだって。
嫌なら、あがこうって思うようになってきた。
恥ずかしいとか思わずに。
・・・・・・・・・
一つ覚悟が決まったのは、
私は、この関係を、「見届けよう」と思った。
見届けるとは、最後まで、それはその行く末をどんなに残酷でも
見届けようということ。これは、自我復元を完結するためにも、必要だと思った。
けじめ、といってもいいかもしれない。
なんとなく別れるとか、なんとなく別れない、とかでなく、
そうではなく、自我復元が必然的に至る結末を、
ちゃんと見据え、見届けること、
どのような事象も見逃さないで、その終わりまで見ることが必要だと感じた。
なぜなら、それが「事実」だから。
おそらく、それ以外に、私自身が納得できないと思うから。
・・・・・・・・・
これもそうだけれど、「私」というものが、
「直視したくないこと」など何もないと思えるとき、清々とする。
どれも、すべて体験したい、という時ともいえる。
正直、AC人格の挙動すら、見届けたい、と思える時がある。
それすらも、「私」にとっては、「体験」に思えるから。
・・・・・・・・・
自我復元について。
そう、これも今月思ったことだが、
私はずっと、「変わらない」と思っていた。
私は、自分が変わった、と思わなければ、次回の判定依頼もしない、と決めていた。
では、その「変わらない」というものが、何なのか、を見てみると、
様々な分析の「気づき」といった言葉も含め、そういった「自分以外の何か」、
いわゆる「他者」が、「私を変えてくれる」と思いこんでいるようだ。
何かが、私を変えてくれる、と。
「なんで変わらないのだろう」
という疑問自体、おかしいのだ。
誰に、何に、変えてもらおうと思っているのか?
この問いの最も不可解なのは、
「どう変わりたいのか?」に答えられないことなのだ。
それも当然だと思った。
なぜなら、このなんだかモヤモヤしている自分を、誰かや何かが
きっと「変えてくれる」と、ただ、そう思っているだけだからだ。
自我復元もまた、まるでカルトのように、
「自我復元が変えてくれる」と思ったりもする始末。
変えてくれる、誰かが私のために、なんとかしてくれる。
この考え方こそ、抹殺しなければならないだろう。
それは、表裏の関係で、先ほども書いたが、
「お前のためにオレはやってやっているんだ」という
歪んだ利他精神を殺すことでもある。
だから、「お前もオレのためにやるのは当然だ」と思っているわけだから。
お前のために、の、この「お前」とは誰か?
元をたどれば、父の母親、「ババ」なのだ。
私にとっては、Pという存在だ。
Pに対してもよく抱いた感情だ。
どうして、お前の幸せを考えてやっているのに、
お前は私の幸せを考えないんだ?考えてくれないんだよ、というものがある。
こうやって最後に、子どものようにだだをこねるのは、
私であり、父なのだ。
父がよく言っていた格言。
「自分の幸せは、自分が決める」
もっとも、彼が実行してこなかった言葉だ。
私もまた、他人とは、常に、
「してあげるか、してもらうか」の関係しか知らず、
今に至っている。
でも、これは、変えていける、と思っている。
・・・・・・・・・
正直、私は、ろくな対人関係を作れているとは思わないし、
ずっとやってきてこなかったから、たぶん、私のほうが、客観的に見たら問題だ、
と思われる部分は多いとは思う。
それでも、それでも私は、今、では、どこに問題があるのか、
この現実の対人関係の中で、実際に体験し、
多少いじめられてもいいから、その中で知りたいのだ。
・・・・・・・・・
仕事場での機会、
それは、本当の現実でAC人格が出てくるのと格闘するのによい場だと思っている。
悠長なことは言っていられないが、
AC人格を殺す場面は買ってでも出る必要があると、今、思っている。
現実の場で、現実に殺すことが大事だと思っている。
社会で通用しなければ、当然ながら、死後も通用しないのは当然だ。
・・・・・・・・・
私はぜんぜん平気で、楽しく仕事しています、と演じようとしてしまう。
でも、これは、相手の思うつぼでもあって、こういう人は今までもある時点で
うってかわって、「Abyさんが頼り」と言いながら、利用してくるのだ。
そうすると、こっちは「利用されまい」とまたやっきになる。
これはまだこれから実地で経験し、
刺激されるACを殺していく必要があると思っているが、
ただ、それに対して思うのは、当然、妄想をたくましくして対応することではない、
と思っている。
わからないが、ここでもまた、「自分の意志」を表明していくしかない。
今までの経験から、こういう人に対して私がやってこなかったのは、
完全に自分の感情を閉ざしてきた、そして、「平然」を装ってきた、ということだ。
そして、本当は感じてもいないことを、その人に話してしまうのだ。
こんな感じだから、本当に、嫌な職場だな、と以前なら思ったろうし、
やめていたかもしれない。でも、今は、やめたいとなど思わない。
ここで掘っていくぞ、と思う。せっかく、ACが顔を出してきているのだから。
殺すチャンスである。
・・・・・・・・・
私が気づいたこと、それが言語化されたものを「忘れてはならない」と
思ってそれにとりつかれてしまうのは、決して、その言葉が、大事だとか、
価値があってそれを忘れたらもう手に入らない、とか、全自我になれないとか、
そういうことではまったくない。
強迫観念なのだ。
そして思う。この言葉という狭い空間に「おっちめられ」、
制限の中、私は何を失ったか、何を奪われたか、といえば、
「体験すること」
を、完全に奪われたのだ。
むろん、それのほうが楽だ、と怠惰な精神が選んだのは、
私自身であり、私の責任である。
言葉の世界に、まったく無かったのが、
今、ようやく生まれて初めて体験しつつある「体験」という体験。
・・・・・・・・・
ブログを書きながら、つねに抱き続けてきた違和感でもある。
でもだんだんとわかってきたのは、体験というものを、私自身がめんどうで、
毛嫌いしてきたことであり、それを、言葉でなんとか、
別のものに取り繕うとしてきたからなのだ。
体験したから、だから何がわかったのか?
それでどういう価値があると知ったのか?
それを、「言葉」で何とか言うしかなかったから。
でも、自分ではどこかでずっとわかっている。
とりあえず、それでしのいでいるだけだ、と。
これが苦しかった。
ブログを書き始めて、ちょうど二年になる。
この二年の間、私は一日もこれに悩まなかった日はなかった。
ブログをなぜ書いているのか?
書いていて、苦しかった。
何が苦しいかというと、しかたなく書いているからだ。
いや違う、いやそうだ、その葛藤から逃れられることは
たったの一日もなかった。
・・・・・・・・・
私は、15年前、無明庵の書籍にとびついた。
精神世界だけに関心があったわけではなく、むしろ、
精神世界という分野は、そのとびついた前後含めて
おそらく数年間だっただろうが、私は分野をこえて、
十分に精神世界のカルトのおかされていて、
無明庵の書籍と出会ったとき、私は、まさにそこの「言葉」に魅せられた。
つまり、都合よく、解釈し、自己陶酔していた、というだけなのだが、
その当時は、最高の言葉に出会った、と思った。
そして、もう、私は、これ以上、探すものはない、とすら思った。
そしてやり残したことを後はやろうと、そこでやったのが、
Pとの関係作りという、あのままでは墓場となったところを作ったわけだが、
15年を経て、サイトの存在はほとんど知らずに、そういえば、と思って
死人禅をまだやっていないことが気になり、サイトを知ったのが、
2012年の頃だった。そして、2012年夏、死人禅を開始し、翌年、
2013年に入って、自我復元を開始することになる。
そして、2013年の夏、大きな事件が起きる。
私は、とんでもない暴走を無自覚にしてしまったのだ。
それがちょうど、今から二年前のことだった。
・・・・・・・・・
AC人格とは、万のうち、1の逃げ道を許せば
それで生きのびてゆき、そのたった「1」に見えることが、
その人間を全支配し、AC人格のゾンビとして生きることになる。
自我率のことは私はわからないが、
たとえ99.99%だとしても、0.01%でも逃げ道があれば、
AC人格からすれば、それで、十分、その人間をゾンビにできると思うからだ。
99%なら、あと、1%、ならば、その1%を100倍の力でAC人格はあがき、
残りの99%も全面支配してくるだろう。
99.9%なら、1000倍、99.99%なら、10000倍の力で、
私を殺してくるだろう。
極端かもしれないが、こういうAC人格の抵抗力を
私は感じている。力とはパワーだけでなく、狡猾さや麻痺の力もある。
格闘をしてきた中で、AC人格の抵抗の手口は、
あまりに多岐に渡ることを経験してきた。
しかし、もしもそこに一切の容赦なく、その逃げ道を許さなかったら、
AC人格の出番はない。全面逃走しか、AC人格が生き延びる術はないのだ。
その崖っぷちの局面で、私自身、崖っぷちだ、と気づく。
そこで、私は、二通りの選択がある。
全面逃走するか、しないか、だ。
これは、まったく、「自分の意志」でしかない。
私はその時、今から二年前のその時、
逃げない決意をしたのだ。
この決意は、「崩残さんが怖いから」で出来る決意などではないのだ。
この決意は、唯一、自分自身が発しないと、出来ない決意だった。
私は、自分で、自我復元をしよう、と決めたのだ。
今から二年前の今、そう決めたのだ。
そして、自我復元ブログを書こう、と、自分で、決めたのだ。
自分で、そう、決めたことを、
私は二年越しに思い出すことができた。
「命がけの自我復元」とタイトルとしたが、
まったく、その通り、私は命がけだった。
もう後がなかったし、その崖っぷちを目のあたりに、
「どうするか」を問われた。
崩残さんに問われたのではない。
私が、この日、この40年、ずっと無視し続けてきたもの、
そこから「目をそらさなかった初めての日」がその日だった。
自分を裏切らない、これ以上、もう裏切ってはならない、
「そのために」はじめたのが、自我復元であり、復元ブログだったのだ。
それだけ、なのだ。
何のためでも何でもない。
もう、これ以上、自分を裏切るまい、そう思って、それではじめたもの、
そして続けてきたもの、それが、自我復元であり、復元ブログだったのだ。
命がけの、というのは、まったく誇張ではない。
これを命がけと言わずして、他に命をかける場面などない。
私は、この6月、最後の最後に、これを思い出せて
本当によかった、と思っている。
本当に嬉しかった。
この二年、ずっと苦しかったことの原因。
それは、自分の意志を見失ってきたこと、
しかし、一度も失わなかったものだった。
AC人格に支配され続けた二年。
怖いから、しかたがないから、
だからやってきたと思うしかなかった二年だった。
でも、それは違う。
恐怖心が掘り続けてきたのは確かだが、
恐怖心が自我復元を進めてきたのではない、ということ。
たった一つの、「やろう」と決めた意志、
自分を取り戻そう、と、自分で、決めた、
それだけが、推進力だったのだと、
それをその当時も自覚できなかった記憶を
今、思い出すことができたのだ。
・・・・・・・・・
Aby さんのブログ
http://mmjhb11.exblog.jp/
・・・・・・・・・
■朱いはがねさん
「父親との激突」が「ガチ」です。
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/blog-entry-74.html
全国の毒父親に読ませてやりたい内容でした。
・・・・・・・・・
★
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