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[472]
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★分割自我復元★その472■報告からの引用です■
by:
鈴木崩残
2015/07/06(Mon)19:14:32
自己分析の報告のメールより
私がずっと心配をしていた人のお一人から報告をいただきました。
心が何度も転びながらも、地道に続けてきたトラウマ堀りが、
何かの磁力を与えられて、はじめて、自己分析といえる視点を持ったことを
私は嬉しく思います。
むろんまだ先がありますが、現時点で、めいっぱい、私は、
この方のしてきた自分への向き合い方を、今回は賞賛したいと思います。
トラウマ堀りや、AC人格に気づくには、本当に長い時間がかかります。
私も心配はしますが、あまり干渉しないように注意しています。
でも、最近は、いつもそうなのですが、
その人自身があきらめていようが、私があきらめていようが、
どちらにしても、そういうことは忘れて、
その人自身の自我を信じて、ただ待つのが一番いいのだと実感しました。
*********
崩残様
桜の間「466」「477」を読んで、
自分がいかに鈍く麻痺しているかを痛感して焦りました。
ご指摘を参考にトラウマをもう一度掘り返す目的で、
三連休をとることに事にしました。
妄想を繰り返す事で現実感を刷り込み、
現実に具現化しようと目論んできた。
自己の妄想の連続的な繰り返しによって表面的な事実、誤認した事実を、
元々その様な思考や感情を持っていたかのように、
刷り込むことを生まれてからずっと続けてきた。
そして成果を失い、自我復元を汚してしまった。
私は、親なんかこんなもんだ、結婚なんかこんなもんだ、仕事なんかこんなもんだ、
達観に見せかけた諦め、あらゆるものに対する見下しがある。
それが根底にありながら、表面上は、俺はキチンとやっている、
自己犠牲しながら皆を守り自分は困難を乗り越えてきた、
と思い込みたい、とても苦しい、カッコつけ嘘がある。
誰の為にもやってはいない、自分の為に他者に良くしているふりをして来ただけだ。
大切な感覚や感情や思考を裏切り、自己否定しながら生きてきた。
自己否定し自分を殺しながら生きてきました。
この嘘が通用しなくなった。
本心と行動の一致が無いと苦しみます。
一致がある時、自分を貫けている時は安定感がある。
しかし、引っかかって突き抜けない気持ちの悪さが常にある。
余計なAC人格の思考や感情に負け続けています。
変化しているし不安も減少した、だが不安定です。
家に帰り、原因についてあれこれノートに書いてみた。
過去に掘ったトラウマを掘り返してみると錯綜し混線しているが、
ざっくりとだが原因がつかめそうに思える。
そしてPCに向かい整理し始めると、その内容がどんどん変化して、
曖昧な部分は明確になったり誇張のある部分が抜け落ちたり、
思考はあっちこっちに移動する。自分の気持ちが定まらない。
とにかく思うがまま書こう。
感覚で生きてきた。
今まで、思考してきたと思い込んでいたもの、
それは、他人の経験と云う知識ばかり自分らしい思考なんてなかった。
両親によって思考することを抑制させられたからだ。
父や母は私の願いを打ち崩す時に、理由を説明することは無かった。
だから、「何で?何でなの?」としつこく質問する、父は突然切れる。
「駄目だ、駄目なもんは駄目だ」人殺しの目で怒鳴り恫喝する。
母は「お金がない」とか「もう少し大きくなってからね」と問題を先送りした。
そして、常に心配するフリをして、私の行動を抑制しようとした。
母は私の何に対して、私の何を心配しているかが分からなかった。
私の事を本気で心配しているとは思えなかった。
小学校2年の時学芸会があって、ボウル紙でキノコを沢山作った。
絵は好きだったけれど工作は苦手だったので、
ちゃんと作ろうと決心して作った。
女の子の作ったキノコの方が先生に褒められて悔しかったけれど、
自分のも、セロハンテープで止めたところが絵具を弾いてしまい、
ちょっと不満だったけど後はちゃんと出来ていて気に入っていた。
だから学芸会は楽しみ、だけど人前に出てセリフを言うのは恥ずかしい、
セリフを言えるかどうか心配でドキドキしていた。
当日の朝、発熱していた。
母に具合が悪い事をいい、母は体温計で熱を計った。
心配そうに、これじゃ学校に行けないから休みなさいと言ってくれた。
学芸会に行かないでいいと思うと気が楽になって安心してもう一度寝た。
母が学校に電話している、やり取りは覚えていない。
困っている様子が伝わって来る。
「担任がどうしても来て欲しい」と言っている。
行ける訳がないし、母はさっき休んでいいといった。
母と担任が言っていることが理解で出来なかった。
何故、担任の言いなりなのかが分からなかった。
当然、嫌だといったし、強引に着替えさせるときにも抵抗した。
母は「担任が来いって言っているのよ、仕方ないでしょ、頑張って行きましよう」
と何度も言い訳していた。悔しかったし、悲しかった。
タクシーが家の外で待っていた、本当に行くとは思えない現実感がない。
タクシーに乗ると母と担任に対する怒りをどうしていいか解らなかった。
その怒りで、学校にいった。
熱で朦朧としているから、担任や皆が言っていることなど聞こえない。
立っているだけ、持ちこたえているだけで精一杯だった。
熱で変な冷静さと高揚感を感じて「僕ってえらいなぁ〜」と、
他人事のように思っていた。
父も母もやりたいことに対する否定の「明確な理由」を説明してくれた事は無い。
ただ否定、問題先送り、または他人の仕業、
誰それがこういっていたとか、他所様に見られて恥ずかしいとか。
だから納得もできないし我慢できない。
だから、感情の塊になってしまい思考は混乱する。
ただ不快感だけになる。
理由が分からない、だから理解できない。
これほど気持ちの悪い事は無い。
だから感情を強く出して抵抗する、拒否される、また、抵抗する。
そして、冷静さを失い、何が何だか分からなくなる。
何でやりたかったのか理由が分からなくなる。
やりたかったことなど、もうどうでもよくなった。
「ただ、抵抗する事」が目的となってしまった。
父や母に対する抵抗は「反発」という行動に繋がる。
放置され否定されて怒り、恫喝されて恐れ、拒否を受け入れる。
恫喝によって否定された事を受けいれた自分が許せない。
だから自己犠牲して陶酔するか、反発して見返そうとした。
勉強にしても、料理にしても、スポーツにしてもそうだった。
父や母の様になりたくない。
僕は、僕の理想を目指す。何でも出来る万能選手。
万能選手になる事で母や父に褒めてもらい認めて貰いたかった。
意気地がない弱い自分を自覚していた。嫌いでした。
だから万能選手に憧れ無敵になりたい。
それが、全能の存在に対する憧れに繋がった。
自分を克服す為にビクビクしながら始めます。
現状に対する不満があって、その現状が許せなくなります。
その現状の原因となる人や環境を憎みます。
その現状を何ともできない自分を追い詰めます。
それを克服すればいいと恐々挑戦しました。
でも、本当にやりたいことではなかった。
やりたかったことかもしれないけど、
動機も意志にも無理がありました。
嫌いなのは、父と母でした。そして、自分です。(好きでもありました)
その矛盾が嫌でした。
好きなら全部好きで居たかった。
だから好きな部分を見たい、でも、嫌いになる。
父や母に嫌なことをされて許せなくなります。
やりたいことがあって許可を求めます。
でも、母に否定されます。
感情は母に対して断固拒否しています。
母は父に言いつけ、父は恫喝します。
恫喝された心は潰れました。
そして、母や父の否定を受け入れました。
そうすると自分が嫌いになりました。
自分を嫌いになると生きている心地がしませんでした。
ここに居られない、でも、どこにも行くところがない。
どこかに行く勇気もない。
こんな気持ちは早く過ぎ去ってほしいし、
こんな気持ちに二度となりたくない、
こんな気持ちにさせた両親を恨み、
持っていく場の無い怒りを自分に向けて恨みました。
自分をギュッと押し殺し震えていました。
不安で生きている感覚が、現実感がなくなります。
嘘に嘘を重ねて行けば本当の自分から離れてしまいます。
どんどん離れて見失ってしまいます。
だから、夢も妄想も現実も区別が曖昧になり現実が見えなくなります。
母に本当のことをいって理解されないで悔しい思いをして、心は傷つき、
父の恫喝によって心を殺される。
それを想像するだけで怖い。
だから誤魔化して自分を押し殺す事を選びました。
本当のことを言おうとした本当の自分を押し殺し、
嘘をついた自分を押し殺しました。
早く忘れたくて、
その上に何にもなかったフリをする自分を作りました。
これは父と母の夫婦喧嘩の構図にそっくりです。
父はアル中で、時に訳の分からない怒りを発していました。
それに対して、母も抵抗して父の酒癖を批判します。
子供心で観ていても非は、父にあります。
でも、正当な指摘でブチ切れた父は暴力を伴って恫喝します。
母は恐怖から自分を曲げて屈服し謝ります。
それを見ているだけで苦しい思いをしました。
正義なんてありませんでした。
母は自分に嘘をつき屈服し自分を責めた。
父は母の指摘を受け入れられず、指摘を恐れました。
指摘を受け入れられない自分に腹を立てて母に八つ当たりしています。
そして母を屈服させたものの、翌朝酔いから覚め、自分の非に気付き自分を責めた。
朝、父は無表情で人間らしさがありません。
父も母もなかったことにしようと忘れたフリをしました。
その白々しい嫌な雰囲気の朝の食卓で、家族全員が息を凝らしていました。
嘘をつく人格、それを罰する人格、忘れたフリをする人格です。
母のAC人格、父のAC人格、家族全員で生んだAC人格です。
母や祖母に「お前は癇が強くて強情だ」と言われていた。
3歳の時に祖母の家から引っ越した先の家で、
夜に何か気に入らないことがあった。それが何かは思い出せない。
強く拒否したい気持ち、裏切られた感覚がある。それで泣いた。
母は困って私をおんぶして家の外に出た。
そうすれば気持ちが変わって泣きやむと考えたのだろう。
何か言っていた気がするが、思い出せない。
投げやりな気持ちが感じられる。
母の「面倒くさい」という気持ちが感じられる。
いつも感じられる事、心がこもって居ない。
本気で何かを思ったことは無いんじゃないか、母は。
本気で心配してくれなかった。本気で思ってくれなかった。
だから、それが悔しくて嫌で泣いた。
ずうっと泣いてようと、思った。分かってくれるまで泣いてよう。
ほんの短い時間でいいから本気で心配してくれたなら安心した。
強情じゃない。
心から本気で母の愛情を求めていたに過ぎない。
だから感情を思いっきり出して泣いて求めていた。
安心したいだけだ。
心から思ってくれるだけ、それだけを求めているのに、
本気で心配してくれるだけで良かったのに、
何も大変な事を求めているんじゃない。
母の本気は相手を否定するときだけだ。
母は求める事を素直に受け入れることが出来なかった。
本物の心を発揮する事が出来なかった。
理由は祖母から、それを与えられなかったからではないのか?
祖母は大人になっていなかった。子供のまま自閉していて、
母親らしい事はあまりしていない。
母がにこやかに少女時代を話すのは、義理の曾祖父との思い出だけだ。
下町にあった家に遊びに行き街で洋服を買ってもらい、
ご馳走を食べたという思い出。その楽しさは伝わって来た。
それに反して祖母との想い出は、戦争を挟んでいるとはいえ苦労話ばかり。
その苦労を振り切ろうとするかのように、
「あたしは頑張って皆の世話をした」という強がりを言う。嘘だ。
子供の様な寂しい表情を見せて、祖母の子供の様な自閉ぶりを話す。
祖父が家族を連れた楽しいはずの外食は、祖母はいかないで留守番していた話。
日用品の買い出しは、ほとんどが人通りの絶えた夕方か夜だった話。
母は祖母が自閉していたとは感じてはいたとは思うが、
認めないで誤魔化している。
「何だか寂しい話だね」と水を差す事を言ってみると、
「そんなことないよ、皆で出かけて楽しかったよ」と反発してきた。
これも嘘だ。
祖父の人物像が母の話から伝わってこない。
祖父は私が生まれる前に他界しているので、私には分からない。
だから家族団らんの話を聞いても、
毎晩酒を飲んでから帰宅するので、姿はない。
人柄は温厚で怒られたことが無いと言う。
空気みたいに存在感の無い人だったのか?
祖父の話を、もっと聞いてみた。
外交的で仕事は出来たらしい。
「稼ぎは良かったよ」と言って話を続けた。
「もっと長生きしてくれたら生活が楽になったし財産も増えたのにねぇ〜」
興味は金か、気持ちが沈む。
「お婆ちゃんは、どんな料理していたの?」と聞いてみたが、
投げやりに「魚とか焼いていたね」と答える。
祖母はあまり料理をしない。
得意料理はなんだと思い返しても、何も出てこない。しいて言えば糠漬け。
母は6人兄妹の一番上だ。
早くから、母親代わりをさせられたと言っていた。
子供の頃、祖母の家に行くとまだ独立していない叔父や叔母が居て、
母は、いつも指図していた。あ〜しろ、こ〜しろって言っていた。
この指示は、私もよくやられた「うるさいなぁ黙ってよ」言い返した。
その度に、気持ちを削がれて嫌な気分になり気持ちがブレた。
居間の卓袱台でわら半紙にお絵かきしていると、
片付け物を終わった母が宿題やったの?と聞いてくる。
「宿題」というキーワードが頭にガツンと入り一瞬ドキッとする。
宿題なんてないよ、宿題ないの知ってんだろう。
普通に思えた記憶だが違う。
母は家事を片づけながら、
お絵かきに没頭しているのを見てムカついていたんだ。
そのうっぷんを晴らそうと宿題なんてないのを知って居ながら、
これが一番気分を害するだろうという言葉を探していたんだ。
あたしが家事で苦労しているのに、お前が楽しそうにしているは許せない。
だから、お前が一番嫌な気持ちになる言葉を浴びせて、
その楽しさを台無しにしてやる。そういう意図があったんだ。
なぜ、こんな単純な母の心理に気づかなかったのか!
相当な毒で麻痺していた。
自転車で遠出したとき
「怪我しないでね、心配してるよ」と言っていた言葉も、
実は、お前が勝手に行くんだから迷惑かけるなよ、
そういう意味があったし、
心配しているふりをして、私の積極性を削ぎ生命力を奪っていた。
弱い否定を浴びせて消極性を植え付けて心から楽しめない様にした。
私がしたかった体験を奪っていた。
この頃すでに心は不安によって深く麻痺していたと思う。
何故なら、この体験を私は冒険だと認識(誤認)しているからだ。
グーグルで調べると距離にして1、5キロ先の湿地帯だ。
小学校二年生とはいえここに行くのが冒険なのか?
前記の夜泣きのことで、
後に母は「本当にお前は強情で参ったよ」
この言葉を言われた時、恥ずかしい気持ち罪悪感があった。
同時に、何を言ってんだという怒りがあった。
これは夜泣きの時の再現に他ならない。母の復讐戦。
この恥ずかしいと云気持ちは、母に負けた事に対する恥ずかしさ、
自分を責める気持、自分に対する弱い罪悪感です。
母の保護が無くては生きられない私に本気の気持ちを、安心を与えないで、
何年も前の不平を言って、仕返しをするとは、本当に図々しい。
そうか、母は負けたと思っている。
三歳の私を憎んでいたということか?
お前の相手は疲れるし、お前は厄介な存在だと言っているのと同じだ。
母は私をどうやって育てようとしたのか?
怠け者の母だから当然手間はかけたくない。
最小限の手間で済ませたいと考えたはずだ。
夜泣きの記憶と同時期、
近所の家にあった池の淵の石の上で遊んでいた。
母はその家の縁側でおしゃべりに夢中、
そこから危ないよと声をかけてきた。
何が危ないのかわからないが、
行きたいからその先の高い石によじ登る。
また、危ないよと声が聞こえる、
見ると近所のおばさん達もこっちを見て手招きしている。
だが何が危ないかが分からない。でも、危ないと言われ不安になる。
頭が朦朧としてきた。
何度も危ないと言われてしまいに怖くなった。
石の上から降りよう!
石の上から降りようとして滑った。
スローモーションで逆さに落ちてゆく、痛みが走った。
びっくりして大泣きした。
母が大騒ぎしている。
何が危ないのか、教えって欲しかった!
さっきまで楽しかったのに、なんだ!
肩を脱臼して整骨院に連れて行かれて、また痛い思いをして肩を入れて貰った。
それで、やっと安心した。
母は自由を奪って、
問題が起きても責任逃れするだけ対処するだけだ。
母にとって、手間のかかる存在は、口で指示を出すだけで手はなるべく出さない。
子供だから感情だけは思いっきり出せるが、
動きも思考もぎこちなく自分を上手にコントロール出来ない。
だから自然と感情に頼る。私が感情を強く出し続けると、
心の弱い母は私が歯向かったと感じ怒りはじめる。
その母が怖くなって更に感情を出す。
強い感情を浴びた母は怒りが沸騰し殺意さえ抱く。
だから、母自身が父から受けた恫喝、殺意。
その恐怖を、告げ口によって与えても平気だった。
表面の意識では私を健全に元気に育てていると思っていた。
だが意識の底では、うるさいから弱らせたいと思っていた。
ただし、大きな病気をしたり死んだら、
母にとって一番大切な他者評価は下がる。監督不行き届き。
それは、絶対に避けたかったはずだ。
石の上から落ちた時の最初の言葉は、
「だから、言ったでしょ」
ハッキリ覚えている。言い訳、責任回避。
あまりに元気なのは抵抗され困るので日々心配させ弱らせる。
疑問を疑問のまま放置して混乱させ、
思考力が育たない様にして自立心を変形させる。
ただし、生きる希望を根絶やしにしない為に、
欲しがるものは、ほんの少しだけ与える。
少しの安心と偽の自立心と達成感、生かさず、殺さず。
毎日毎日小言をいって毒を与え弱らせる。
心配しているという問い、この言葉は万能な毒だ、
どんな場面でも使える。
その母の心配で、私は、怒るし、不安だし、悲しいし、安心だし、嬉しかった。
心のありようでどうにでも変化して感情を殺す万能毒。
言うことを聞かないと父に告げ口して、恫喝させ屈服させた、猛毒だった。
社会に出て仕事をして恋人も出来たが何か満たされなかった。
帰るべきところがない寂しさを感じていた。
実家に帰ると、ホッとしたがあれこれ言われると鬱陶しい。
愚だ愚だ言われない様に、彼らの望む事や物を渡した。
これを親孝行と誤認していた。
物を差し出す事で自肯定感を得て指示に従い迎合し保身し依存していた。
同時に、両親を見下していた。
不安を与え脅し、言うことに逆らえば殺意をもって恫喝する。
暴力団と同じだ。
暴力団の目的、結局は金。唯一確かな信頼の証は金。
もめ事の処理は最終的には金。
母や父は「世の中は金だ」と言っていた。同じだ。
母も父も、自分の心が汚れているのを知っていたし信用できなかった。
いつも自分も人も裏切っていたから、だから、信用するものは金だ。
以前のトラウマ堀で小学校2年の時にも詐欺にあっていたのを思い出した。
お年玉を貯金しましょうと言われて、貯金したら返してもらえなかった。
母の理由は、お前の為に使ってしまった。
お前のノート代や洋服代になったというのだ。
善意を装いながら奪う。
母は口ばかりでイザ問題に直面すると何も実行しない。
指図するだけだ。口だけで何もしない。
指図してやらせて搾取する事で成り立っているのが母だ。
やり口が、分かった。
分かった。
祖母は疎開を口実に、酒飲みの夫と、別居生活したかっただけだ、
夫婦仲は最悪だったんだ。
だとしたら、母の家族体験の構図は部分的には違いがあるが、
私の小学校の頃の体験、
「年中留守のアル中の父親」と「育児放棄の母」、
そして夫婦仲の悪さという構図は同じ。
私に同じ体験をさせた。
母に、その様な認識はないだろう。だが、事実だ。
無意識だろうが、なんだろうが、結果は代理復讐。
母は求めに対して、ほぼ一貫して拒絶してきた。
何故、ほぼとしたかと云う、求める勉強や習い事のたぐいは否定しなかった。
今思い返すと、さほどやりたくもない、学習塾やそろばんやオルガンをやろうと思ったのは、
仲間外れになりたくなったから疎外されることを恐れたのと、
友達に後れを取りたくなかった優位に立ちたかったから、対抗心だ。
同時に母に認められたい気持ちからだった。
本当にやりたかった日常の小さな事は、
「心配だ」とか「お金がない」とかで常に抑制された。
しかし、不安から発した友達に対する対抗心言い換えれば、
屈折した向上心には抑制を加えなかった。
小さな頃から母はよく、
父の家系の自慢話を私達兄弟に言って聞かせていた。
古くから続く**の家系であることと叔父達の実業界での活躍だ。
その叔父の一人が出版した本に戦後の天皇巡幸の際に父の郷里で、
陛下をご案内している写真があって、
それを見せられ「凄い叔父さんでしょ」と言っていた。
言われた私は**の家系と天皇家を結び付けて深淵な気持ちに浸っていた。
その後一人でその写真を持ち出し眺めながら、
過去の時代を想像しながら何か特別な意味を感じようとしていた。
宗教を意識したのではないが永遠性とか崇高さを感じ高揚していた。
うちの家系は凄いんだ。
そして、先祖とは何だ?を考える様になった。
その頃、怪談話も好きになって祖母や叔父に話をせがんでいた。
親戚が集まるお盆は、
夜になると酒に酔った叔父が私達に怪談話をしてくれた。
自然に、先祖の霊の話になる。
ホレ、そこにおじいちゃん霊が居ると、からかわれ、脅かされた。
あの頃は、本気で驚いたし、怖かった。
もっと小さい頃は、ただ怖いだけだったが、
小学生頃には、好奇心が強くなり、その恐怖を克服したくなった。
怖いもは、解明したい心理が働く。
先祖の霊と云うものは一体何だ?霊とは何だ?霊の事を想像する。
特定の誰かに言われた訳では無い、
テレビの心霊特集を見ていたからその影響もある。
とにかく先祖の霊を大事にすれば自分は守られると言われて、
怖くもあるが何か遠いところある崇高なものに守られる感覚になった。
高みに登った様な清々しさ解き放たれたような感覚、永遠の安心があった。
お盆で集まった親戚の人達や従兄妹達の中で、
普段あまりないご馳走を食べ皆に優しくされ、
血縁集団の安心や楽しさを満喫していたし、
色々な昔話を聞いて、思いは遠い過去を見ていた。
現実から思いっきり逃避出来て、とても楽しかった。
だから、この集団に愛着が沸き、叔父や叔母が言っていることは、
無条件で受け入れたいし受け入れる。
自然と家系に対する愛着や誇りが定着していった。
確証がないものに、思いを馳せ自分で実感を妄想し、
得られると想定した安心に憧れる。
だから、困ったことがあると、先祖の霊に思いを馳せる。
助けてください。でも危機が過ぎ去ると、疑問が残る。
本当かな?信じていいのか?迷う。
だが、危機がやってくると、また同じことをやってしまう。
すでに侵されていた、妄想と現実の境目が曖昧になる心理状態になって、
根拠や証拠もないのに実感を持ってしまった。
そして、これが精神世界にはまって行く切掛けになった。
同時に精神世界に依存する癖を発生させた。
自分が抱える苦と云う矛盾や理解不能な不安を、
安易に放り込んで、全く理解できないのに勝手に解釈をして、
具現化して体験しようと模索し続けた。
精神世界を汚しまくった。
また、無いものを求めて、あると信じようとする行為の芯になっている。
母から与えられなかった安心を、
先祖の霊によって求め得ようとしていた。
先祖だけではなく背後霊や守護霊も、とにかく、安心を得るためなら貪欲だった。
それが高校生になる頃には、どうも霊を信じるのは無理があり難しい、
霊の話をし過ぎると皆に馬鹿にされる、となった。
だから、当時はあった、ヒッピームーブメントの考えがベースになった。
自然に帰る、超自然、ただ在る、というニューエイジの考え方に刷り変えた。
カスタネダであり、Osho(バクワン)です。
それを後押したのが、
母仕込んだ、醜いプライドで「自分は特別だ」という意識だ。
だから信じ理解すればいつか現象として現れる。
それによって安心を得られると云う妄想だ。
しかも、その現象はやって来ると急速に満ち永遠に続くと信じた。
現世の天国に住む。
苦から逃れたくて信じようとして、信じる。
でも、どうっても得ることは出来ない。
母が与えなかった安心を私は外に求めた。
だから、手当たり次第に安心を求める。常に不安だからだ。
その対象は、母や父や弟や友人や教師や社会や精神世界や自然だった。
外にある存在。現実に見えるもの感じるもの、
現実に見えない感じることが出来ないものも含めて全部。
人や社会は不条理で相互に利用しで信用できる時もあるが、
かなりの頻度で裏切られるし裏切った。
だから観察し続ける。予測できることもあるが、出来ないこともある。
だから、とても不安定。
外に安心を求め価値観を外に置き、
外に基軸を置いては振り回されるので常に緊張する事になる。
結果、社会の中で実効性を感じるものに憧れる。
権力や権威やお金を信じたくなった。
だが、私は父や母の姿に反感と嫌悪感を持っていたので、
表向きは「反権力のポーズ」をとっていた。
実態は私は「権威や利権にドップリと浸かり」麻痺していた。
自分の人生の基礎を全く掘り下げて考えてきたことが無かった。
自己の矛盾を感じ苦しんではいたが、自問自答して考えてこなかった。
権力や権威やお金は他者からの評価の結果で移譲され与えられるもの、
自己評価ではないし自己信頼ではない。
他者から評価されれば嬉しいが、
内部にあるもではないし、
内部にあると感じても、それは妄想だ。
そこから感じた安心は安心ではない。
他者の視点から見た安心を、自分の安心だと刷り込んで来た。
相手の視点優先、そこが基軸。
それを自己に投影して行動指針とし価値観とした。
それしか味わったことが無いからだ。
安心だと思って来たものは「優越感、見下し」だった。
人を思いやると思って来たものは、所詮「見下し」だった。
そして、他者の幸せは自分に「還って来るはずだ」と考えた。
「親孝行という偽善」をやってきたのはこの為だ。
話を子供の頃に戻します。
その後、叔父達から先祖の話を聞いた。
先祖の話に興味津々だった。何故なら、弱さを自覚していたからだ。
そうでない強さ、特別な存在だと感じることで、
普段感じている劣等感を払しょくできたし、
同時に対抗心を変形させた醜い向上心を感じることが出来たからだ。
醜いプライドを形成して、それほど興味の無いことやりたくないことをする。
母の世間体を満足させる為に勉強や習い事に通い、
母の手間を省くために過剰に弟の世話をして母に褒められた。
そのことによって自己肯定感と云うご褒美を受けとっていた。
本当は嫌いな母や父に対する反発心が変化した対抗心で、
芸術分野を目指すようになって、
母や父の人生に対するいい加減さを見下して優越感を覚える、
「どうだ、俺は凄いだろう」が本心。
社会人になり世間体の良く収入の良い現在の職業に就いたが、
常に理由の分からない不安を感じていた。
それを解消させる為に面倒見の良い自分を演じた。
本当は醜さを十分に自覚していた。
自覚しながら、そこから逃げ回り他者を騙し自分を騙した。
それだけでは無く、
美術や音楽や料理やスポーツあらゆるものを悪用して、
本当の感情や思考や感覚を見ない様に感じない様にした。
物心ついた頃から描いていた絵は、自分を発揮する唯一のものだった。
欲しいもの、なりたいもの、理想の世界を描いた。
唯一制限なく思っていることを具現化できる場だった。
時間を忘れ楽しかった、スッキリした。
全てを、吐きだした感覚があって高揚する。
描くものは強くて大きいもの電車だったりバスだったり飛行機だったり、
戦車、戦闘機、軍艦を描いた。
でも、人は殆ど描かなかった。人は苦手だった、恥ずかしいから、
人が怖かったから自己存在を認めていなかったからだ。
幼稚園の時に大きな模造紙に描いた大きなバスの絵、
先生に大きな紙に描いていいよと言われた時、凄く嬉しい、
初めて大きな紙に描くドキドキしたが、世界が広がる感じがする。
この時は、自分も描いたし友達も描いた。
いつまでも描いていたかった。
引っ越す事になっていたので、その絵とは途中で別れることになった。
別れた友達の顔はハッキリとしないが、その絵はハッキリと思い出す。
幼稚園最後の日に、
母に「もう、行くよ、いい加減にしなさい」と手を引っ張られるまで描いていた。
絵は自分の逃げ場所。
絵はなり得ない自分を描き武装するために描いた。
母や父によって絵に自分を押しこめていた。
だから、大きな絵を描くことに世界が広がりを感じて高揚感した。
絵があったからこそ保てた部分がある。
だから、その延長線上の仕事に就いた。
絵の仕事に携わることが、自分を感じられる確かなことでした。
でも「原点」が、父や母によって「追い詰められての逃避」です。
妄想によって理想を描き、自分を守るもの、
両親の誘導によるものなど、幸せを生まないものだと分かった。
母が与えてくれなかった安心、私に対する本気の心配。
安心が無い為に、価値観、視点を、外に求め続けていた。
存在を誰かに認めてほしくて、人生を使った。
毎日描いていた絵は、高揚感に依存する原因になり、
ワーカホリックの種になっている。
結論や結果を毎日出さないと落ち着かない。
内部にない理想を外に追い求め続ける原因。
三歳の頃の記憶には、明晰さがあった。
祖母の家で、テレビで観た人形劇の楽しさを伝えたくて、
そのまま皆に話した。
嬉しさが溢れて話したくて聞いてもらいたかった。
おもしろいことや驚いたこと、
嬉しいこと、怒ったこと、悲しいことを、苦しいことを、発揮したかった。
日記です。
自己否定の妄想が止まらなくなり苦しい。
肉体は疲れ何もしたくない。
ソファーに座り自己否定と何処までも闘う事にした。
呼吸を整え、父や母が植え込んだ恐れと闘う。
一つ一つの妄想は結論が出ていることばかり、
何故こうも、しつこく、自己の正当性を検証し続けなければならないのか?
意味がない、無駄だ。
母の小言のしつこさを思い出した。
本当にしつこかった、もう分かっていることを何度も何度も、うんざりした。
もう、いい加減に止めてほしい。
私は私の非を認めている、でも、母にも非がある。
何故、それを認めない。
母は、私の為に小言を言っているのではない。
自分の不満を私にぶつけて、気を晴らそうとしているだけ。
私はその事に気が付いていた。
怒りが沸いてくる、本当に自分勝手なヤツだ。
自分のことしか考えていない。
こんなヤツと一緒にはいられない。自由になりたい。
どうでもいいことなんて無い。
どうでもいいと思って受け入れたら駄目だ。
小さな事が大切なんだ。そこから始める。
少し気持ちが楽になり意識がなくなった。
そして目覚めて、日記を書いている。
恐れの種子がまだあって、それが膨らみそうになる。
自分を見つめて書き留めることで、自分を保つ。
未来に対する不安を植え付けたのは母。
その解決方法を否定し続けたのも母。
そして、わずかに残っていた、自分を信じる心を踏みつぶしたのは、父。
それを、画策したのは、母だった。
父と母の存在を私の中から消去する。
彼らの存在を受け入れた自分を消去する。
子供頃から、毎日描き続けた絵は、自分を守るのに必要だった。
理想を描くことで。何とか生き延びてきた。
でも、もう、理想は描きたくない。
今の自分を感じてノートに書きたいし、書く。
自分の正しさを検証するのは止めたいし、止める。
言い訳だからだ。
自分を感じ、発揮したい。
その過程で間違えはある、でも、間違えを恐れたくない。
間違えがないと思うことが変だ。
それは、誤差だし、許容範囲をどこまで認めるかだ。
それは、人それぞれ違う。
心は私の家だ。独り住む家だ。
それが汚れていたり、狭いのは、嫌だ。
きれいにしたいし、風通し良くしたいし、頑丈にしたい。
朝目覚めて、遮るものが無いと感じた。
それが、すぐにぐらついた。
ノートを書くことで自分を取り戻した。
子供の頃覚えた、自転車に似ている。
恐いと思ったら、ドブに落ちるし、塀をこする。
あの時、怖いと思って、諦め自分を手放してしまったからドブに落ちたし、
塀をこすった。
だから、もう自分を手放さない。
自転車を乗りこなしたくて夢中で乗った。
それが、面白かったし嬉しかったし怖くもあった。
そして気がついたら乗りこなせるようになって、
自由に、行きたいと思うところに、
自分のたどりたい道を走る様になっていた。
今朝、意志を感じた。
とても弱く不安定であったが、主体に繋がっていると感じた。
その感覚は満たされている感覚だった。
意志を感じることを選択したいです。
意志の感じられないものは苦しいと感じますし、
私の中に何も感じるものがありません。
やり通す自信も感じず、意義も感じないからです。
但し、興味がなくてもやらなくてはならない事があります。
処理することです。
自分が恰好をつけ自分に嘘をつき背負ってきてしまったものです。
皆に認められたい、愛されたい願望です。
昼食の時間が近づくとソワソワします。
昼食を摂りながら気の向くまま対話を楽しみたいという動機と、
寂しさから逃げたい誰かに優しくしてもらいたい動機です。
でも仲間と行けば、寂しく苦しい自分を愚痴りたくなってしまいます。
愚痴ると、必ず嫌なものが残ります。
会話しているとき、話す事がなくなってしまいます。
興味がなくなるのです。
話題がないなら、興味が沸くまでそのままで居ればいいのです。
その場から去ればいいのです。
無理に会話を繋げようとするから苦しくなります。
沈黙が怖いのです。孤独が怖いのです。
そこから逃げようとして、
自分の苦しい話や他者の苦しい話をして更に苦しみます。
自慢話や苦労話や悪口です。
相手の話を大げさに感じたフリをします。
その積み重ねが余計なもの背負いこむ原因で、
原因を生まない為に昼食は一人で摂ることにしました。
余計なことをしないで済んで落ち着きを感じます。
今まで劣等感から、他人と同じレベルを目指していました。
他人に負けない仕事をすること、
他人の様に行きたい店に行くこと、
他人に見下されない様にきちんとしたものを着ること、
あらゆることが「他人に負けない事が目標」でした。
でも、これは違うと思いました。
食べ物も、少しで十分と感じています。
自分で選んだ新鮮で安心できる食材で作った食事はホッとします。
身近で流産や早産や疾患を持って生まれてくるお子さんの話を、
親から直接聞く機会が増えています。
親の苦悩とお子さんの苦悩を感じます。
放射能汚染の影響だと思います。
気付いてはいませんが自分の体にも影響はあるはずです。
たまに行くとんかつ屋さんは家族経営で対応も柔らか、
キャベツもその都度刻んでくれて丁寧です。
そこのカツ丼が旨くて好きなのですが、
お米が茨城米だと知り残念です。外食が恐くなってきました。
先日、職場で20代から30代の人と対話していて気が付きました。
彼らは、私と同じ世代の諦めに毒されてはいません。
きちんとした危機意識を持ち将来を諦めていませんし、
自己に対して過剰な自信は持ってはいないと思いました。
同世代の様に酷く麻痺した図々しさはなくて、
思考や感情が直線的で熱い部分から可能性を感じます。
私は彼らに対して面倒を見る、教育する、という見方をして来ました。
彼らの意志を、私の見下しで汚染していた。
もう汚染したくありません。
自分の可能性を探り、それが彼らの可能性に繋がれば嬉しいです。
同じ世代で地味に仕事をしている人がいます。
会社から放置されながら淡々と頑張っている人です。
その方と何度か対話する機会がありました。
最初は体調が悪くて検査する為に仕事を調整する相談です。
今週その結果が出ました。原因は癌です。
その告知を受けて治療で入院することになりました。
その方は、発病の原因や仕事の責任を、会社や他者に押し付けることなく、
自分で引き受けようとしていました。
病状も仕事も問題点はじっくり時間をかけて修正しようと決意していて、
自分自身だけでは解決できない部分を理解してもらい、
他者に助けを求めています。
私は今まで、その方が耐え忍んで我慢しているだけでだけで、
肝心なところは主張できない「駄目な人だ」と思い込んできました。
それは間違っていました。
その方は諦めていません。その人の人格に潔さを感じました。
真実を捉えると恥ずかしい自分がいます。
同時に私でいる感覚があります。
孤独を必死に避けてきました。
避けようとして味わう孤独は辛くて苦しく寂しいです。
意志の力で選択した孤独は充実と感じます。
読んで頂き感謝し、
崩残さんからの復元の援助に深くお礼申し上げます。
これからも引き続き、よろしくお願いいたします。
敬具
澄
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -