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[572]
■
★分割自我復元★その572●【自我復元の心得】●
by:
鈴木崩残
2016/01/21(Thu)03:27:23
自我復元をなぜやるのかの自問
■以下は、ある判定依頼者の方へ私から返信したメールの一部です。
報告と依頼メール全体を見て、今後、他の判定依頼者に対しても、
あるいは、今日まで、判定依頼や、報告を続けてきた人たちにも、
今一度、自らに自問して欲しいと思いました。
*********
◎◎様
>>◎年振りに自我判定の依頼をしたいと思います。
自我復元を、何の為にするか、
またはしたいと思っているのか、
について、全くの誤解をしているようですので、
判定は、見合わせることにします。
ただし、気が変わり行うかもしれませんが、
いつまでにします、とは申し上げられません。
自我復元は、あなたの外見をどうにかするものでもなく、
それに対する劣等感を克服するものでもなく、
馬鹿にされないか、と怯える気持ちを克服するものでもなく、
恋愛やセックスをするためのものでもなく、
また他人に負けないためのものでもなく、
言いたいことを言えるようにするものでもなく、
親や社会を見返すためのものでもなく、
誰かから優しくされたり、理解されたいと思うためのものでもなく、
ニート生活を抜け出して、自活を出来るようにするためのものでもなく、
つまりは、幸福になるためのものではありません。
また悟るためのものでもありません。
もしも、あなたが、人として自分が不満を感じない
または不満が減る、あるいは喜びが増す、
ということを望んだり、
他人と比較して、そうなりたいと思ったりしているのであれば、
私がここに前述したような、すべての事は、
自我復元に期待するのものではなく、
そうしたあなたの成功を約束したり、
自己実現できますよ、と言っているところが、一般社会に山ほどあるので、
そちらに行くと良いと思います。
*********
それとも、無明庵であれば、
他よりも安上がりだと思っているでしょうか?
無明庵なら他よりも親切にケアをしてくれると思っているでしょうか?
無明庵なら、あなたを見捨てないと思っているでしょうか?
無明庵なら、横柄や態度をしたり、礼儀がなくても、
そういうものを許してくれていると思っているでしょうか?
無明庵なら、自殺願望を肯定してくれていると思っているでしょうか?
無明庵なら、あなたの苦しい話や、AC人格丸出しの
自慢話や、誇張を聞いてくれると思っているでしょうか?
そうしたことへの答えは、ひとつです。
すべて、NOです。
自分のAC人格を殺してもいい、殺したいと、思ってから、
無明庵にかかわってください。
それ以下の方は、お断りします。
それ以下の人は、
あなたを生き生きと、生かします。
あなたを、賢者のように見えるように入れ知恵します。
あなたの知識や能力を引き出します。
あなたに自信を取り戻させます。
あなたは、あるがままに、そのままでいいのです。
そう言っているところが、この世界には山ほどありますので、
安上がりでなくても、そちらに行ってください。
それとも、あれこれと、小さく、こじんまりと
非積極的に、手を出したけど、
うまく行かないから、ワラにもすがる思いで
無明庵の自我復元に手を出したのでしょうか?
桜の間の掲示板やブログを見て、
「自我復元なら、なんとかなりそうだ、なんとかなっている人がいるようだ、
だから、自分も変われるんじゃないか」
と、期待して、やっているのでしょうか?
無明庵の過去のいろいろな本を、どう読み、どう都合よく解釈し、
どう、あなたの生活や、頭の中の言葉と、勝手に合成したのか知りませんが、
他の多くの人たちがそうであるように、
根本的な勘違いをしています。
過去の無明庵の本であれ、
現在の自我復元であれ、
一環して、ここでは、
あなたのエゴ(AC人格)に「死ね」と言っているのです。
あなたの中の毒親に、
そして、毒親のせいだけではない
あなた自身のそのあなたの偽人格が、
死ねと言われても、
死ねない、
死にたくない、
自分は、ちゃんと生きたい、
他の人のようにちゃんと楽しみたい、
そのように、生きたい、死にたくないと
中途半端なことを続けるのであれば、
それは「死」を扉として説いてきた無明庵を、
はなから、曲解していたことになります。
そうであるならば、あなた自身がメールに書いたように、
駄目だとわかるまで、社会で生きてみてください。
もうこの人格では、絶対に駄目だ、嫌だ、となるまでは、
自我復元は、助けになりません。
あなたの人格は、99%、AC人格ですし、
自分をどうにかしたいという今のその意志すら、
毒親の考えの延長です。
まずは、自分は、やれる、出来るようになった、
そう思い込んだ事を、実生活で、やりつくし、
いろいろな壁や苦痛に、ぶちあたり続けてください。
感情は掘らねばならないとか、
それが自我復元の課題であるとか、
それを掘ることが必須だから
なのではなくて、
掘らなければ、もう死ぬしかない、
そこまでにならねば、掘れないものです。
そもそも、いろいろな事に自覚がないと思います。
生活をしていて
「駄目だ」「苦痛だ」「不快」だと感じることは
どこの誰でも同じです。
しかし、それをただ書き連ねるだけでは分析にはなりません。
自分のどこが異常なのか、どこが不快なのか?
なぜ、そうなったのか、これらを真剣に自問するまでは、
「ご利益欲しさ」のような自我復元は、失敗に終わります。
自我復元とは、
AC人格が作り出した、(冒頭に記したような)くだらない望みを
助け出そうとしているのではないのですから。
そんなものを助け出したら、
それはAC人格を生かすことになります。
自我復元は、AC人格を抹殺することを目的とするのみです。
それが、自我復元が、
「解毒に始まり、解毒に終わる」と言われる所以である。
崩残
*********
以下が、それに対して頂いた返信です。
●僕が自我復元に求めるものは、2011年の当初には、
がんじがらめの錯乱した状況を打開する事でした。
今後、親から経済的に自立し、
(どの位上がっているか分かりませんが)自我率向上の効果で、
社会に居場所を作れるでしょう。
その時、それでも欠けていると、
切迫感を持って感じる事柄が出て来たならば、
それが本来自我復元に求める事だと思います。
僕はまだ下ごしらえも出来ていない状況なのかも知れません。
勿論、今でも自分に対して他の実践者の方々が報告されるような、
違和感や問題意識はあります。
しかし、実存問題的に、
崖っぷちに立たされている訳ではないのは確かです。
僕は、ただ社会的に追い詰められていただけでした。
それが解決し、欲が満たされれば、それで良いのかも知れません。
社会的に問題なく、経済的にも自立した上で、
尚、自己存在に問題を見出している他の実践者の方々とは、
状況が違うと思います。
今なお、親から経済的に自立しておらず、
社会的にも満たされていない現状の僕では、
自我復元の心構え、覚悟が出来ているか判断できません。
これから自活できるだけの給料の出る職を見つけ、
肩代わりして貰っている家賃や光熱費などを、
契約が親名義なのは変えられなくとも、実費を送金するなどして、
完全に親から経済的に隔絶できた時、
改めて判定の依頼をしたいと思います。
真摯なご指摘、どうも有り難うございました。
*********
以上のような返信を、私にするであろう人は、
今までの自我復元者の中にすら、多くいると思います。
また、再度、私が冒頭に記した質問について、
なぜ、自我復元を始めたのかを、
今こそ「自問」して欲しいと思っています。
今回の私からの質問は、
この依頼者の方だけに対するものではありません。
自我率だけが全自我になっただけで、何も変わっていない人も何人もいます。
明確な自我復元完了の3名以外は、すべてそうです。
*********
●そこで、そもそも、自我復元というものが、
当初から、何を目指していたのかを、明確に体験している言葉を、
メールから引用しておきます。
*********
_________
・・・
崩残 様
中略
私が理解したことは、
本当に私が望んでいたことは、
「満たされることでも」
「幸せであることでも」
なく、
私は、人生を通じて、
「私はどこにいるか?」
という自問を忘れないでいられること、
これこそが、「自分のために、生きている」ということであって、
それがそこに、今ここにないのなら、この生は「生」ではない。
私は、幸せなんだよ、という洗脳のなかで、「我慢」を覚えました。
私は気づきました。
「我慢できる」
これが、私は、リアルなたった一つの声でした。
こうやって生きていけてるじゃないか・・・と。
しかし、自我復元でたどり着いた事実は、
私は、「生きてすらいなかった」という事実。
生きていけてるじゃないか・・・という、
実はその「毒父の声」の裏に、
それが真に伝えていた、
毒親から、子どもへの脅迫メッセージは、
「お前を、殺さないでいて、やってるじゃないか!」
という、証拠の残らない恫喝であったし、
私は、それを怖がり、
身体的な痛み、身体的な死、それを避けたくて、
私は、父に従い、「我慢できる」自分を作ってきてしまったのです。
「平気だ」というAC人格です。
これが恐怖に根付いていることにも気づかずに。
私は、わかりました。
私は、ただの一度も満たされたことなどなく、
ただの一度も幸せだったこともなく、
そして、本当の私は、そんなことを求めたり叫んだりもしたりせず、
ただただ、訴えていたことは、
「誰のための人生か」
という自問を、なぜ、あなた(私)は、忘れているのか?
あなた(私)はどこにいるのか?
なぜ、その自問を思い出せないのか?
そう、私は私に、助けの声を、どれだけ、あげてきたでしょうか。
私は、今回の旅でも、
ギリギリの淵にくるまで、その声に気づかず、
私は、自分が経験した、今回の「満ちた思い」に酔っていました。
酔う、とは、
「私はどこにいるのか」という自問を見失った者のことです。
中略
やるなら、徹底しないとダメです。
AC解除と同じです。
徹底できないのが、ACだと思います。
私は、幸せになりたいのでも、満たされたいのでもない。
私は、ずっと、40年の監獄の中で、
「自分の生を生きることが許されなかった」のです。
だから、私が今、見据える一点は、
「自分の生」
その一点なのです。
あび
*********
あびさんへ
たぶん、多くの人がまだ自我復元が、
それまでに満たされなかった不幸(不満)な人生の挽回方法だ、
と勘違いをしています。
原主体が、
本当に、親や環境に「毒される前のそれ」であるならば、
それは、幸も不幸も知らないのが、当然だからです。
それはただ生きる、見る、その現存のみです。
それが原主体であるという意味において、
あびさんは、今その中にいます。
あるいは、
常に、そこから転げ落ちない注意を日々の中でしています。
一方で、自我復元や、トラウマ掘りや、感情開放や、中心に留まることが、
それが、
満ち足りたり、安心や、
自分が生きる力になる、楽しめるようになるはずだ、
そう期待している人が、いまだに、います。
そういう「精神世間」は、他で、いくらでも売っているのです。
(中身はほとんどインチキでしょうが)
あまり良い喩えではありませんが、
自我復元で復元される自我の基本構造は、
悟りの「民生品」のようなものです。
やはり、たとえが、よくありませんね。
しかし、
悟りとは、その軍事用の巨大な核兵器並みの破壊力を、
人間が作り出す、あらゆる全ての妄想と思考に対して持つものである、と、
そう喩えることは出来ます。
その、駆逐効果・破壊能力が、悟りの場合には、
霊性、多層の高次元身体までをも含み、
それまでの、認識世界が
「ほぼ再起不能の壊滅、完全なる荒廃」に至るのに比較すると
その軍事技術が、民間技術、つまり民生用に調整されたぐらいの、
現実的な利用価値が、自我復元にはあります。
本来は、壊滅的なまでに駆逐するための抹殺兵器であっても、
調整された形になれば、
個人が使用できる、家庭用のゴミ処理機にはなるわけです。
結局、
無明庵が20年以上やってきたことは、
「ゴミ処理」です。
ただ、問題だったのは、
それを「どうやるか?」の模索だけでした。
●ほとんどの世間の精神世界は、「加算」を強います。
こういう能力は身につけた方がいいですよ、
こういう理解があれば、大きな次元に接続できますよ、
こういう理解や学習や、体験を重ねれば、
夢見ているような異次元体験が出来ますよ、
そうすれば、なぜ生きているのかの理由もわかりますよ、
などと、
すべて、「あーしろ、こうしろ、そうすれば得られる」の世界です。
しかし、私の長年の知見では、
本来のものは、すべて、
「余計なものがなくなったところ」にあります。
それは全自我の原主体でも同じです。
むろんそのあとに、おのずと再構成されるものはありますが、
それは、いったん、崩壊してみてからの話です。
そういう「徹底的な 減算」の原則・原理を重んじた無明庵でも、
自我復元では、唯一、加算するものがありました。
それが、希釈によって奪われた、あるいは失った、自我の回収でした。
しかしそれ以外のことについては、
能力を獲得するのではなく、
もともとの能力、感性、意識を取り戻すだけでいいのです。
だから、今の、あびさんが放つ、いろいろな言葉は、
真の意味で、格言です。
>本当に私が望んでいたことは、
>「満たされることでも」
>「幸せであることでも」 なく、・・・・
そう、これが「目的」ではないのです。
*********
そういえば、昔、
「幸せになりたーい」とか、マヌケ面して言っていた、
自我復元者もどき、がいました。
人生を、楽しめようなりたいから、自我復元をする、
トラウマを掘る、感情を開放した、、」
あるいは、「何かの境地に至って、根本的な解決をしたい」
そんな、性根の腐った者は、やめちまえ。
そんなAC人格まるだしの、奴は、ここに、いなくていい。
なぜならば、そもそも、
幸せ、不幸、 あるいは 、安心、不安、
そういうことを、あなたが言うときに、イメージするときに、
そもそも、何が幸福で、何が不幸か、
それ自体を、毒親によって、
「解らなくさせられた」のがAC人格であるのに、
そのAC人格が、同じその無知な口で、
これは自分でも行けそうだと、飛びついたり、
こうあるはずだ、または、こんなはずじゃない、と妄想する、
そんな壊れた頭では、
何かをまともにイメージしたり推察できるわけがないのです。
自我復元というのは、そもそも、
幸福、不幸、不安、安心、
これらを、まず「正しく認識できる感覚」を取り戻すのである。
その認識能力、識別能力そのものを毒親によって壊されたのが、
みなさんのAC人格だからです。
ちょうど、本当は、何を恐怖すべきかを、
「誤認」させられて、麻痺したのと同じです。
少し前の投稿で、「感情の八正道」に書いたように、
「正しく恐れる」ことの出来る神経が必要です。
だから、
今の、あなたの壊れた人格が判断するような、期待しているような、
そんな幸福も、不幸も、安心も、不安も、
最初から、すべてが、疑わしいものばかりです。
あなたが妄想できる程度の幸福や、絶対的な境地や、別次元世界などは、
あなたの毒親の持つ理想と同じ程度のものにすぎません。
その毒親に「反抗するため」に、あちこちから仕入れた、
精神世界もどきの、幸福論や、覚者たちの言葉を、
「悪用や引用」しているだけで、
あなたの、その姿勢そのものが、
毒親が、使い物にならないような、世俗的な格言を、
子供の前で振り回すのと同じです。
●そのように、そもそも、
幸福と不幸を、毒親の理想が感染していたり、
毒精神世界に、信じられるものをすがっただけ、夢見ただけ、
そのような、何もかもを「最初から誤認している状態」のままで、
今もなお、誤認したままで、自我復元をしていたり、
または、自我復元が停滞している、そんな人が多い。
真に形而上学的なもの、
真に、精神世界的なもの、
真に、探求といわれる分野が、
そのAC人格者の妄想するような幸福や安心を、
ほいほいと安売りして、あなたに提供するわけがないじゃないですか?
その「支払い」は、高くつきます。
金銭的な支払いではなく、
その支払い代金は、
あなたのAC人格の「屍」です。
これがわからない人は、
顔を洗って、出直してきてください。
自我復元完了者3名以外は、全員そうです。
私信になりますが、
出直すまでは、しなくいいので、
でも、自問をすることによって、顔だけは、洗ってみて欲しい人がいます。
基幹房さん、
朱いはがねさん、
十記丸さん。
もう一度、次の言葉をかみ締めてください。
自我復元とは、
幸福になるため、安心するため、を目的にするのではない。
それまで楽しめなかった事を、
楽しめるようになることを目的にするのでもない。
「それ以前」の問題として、
麻 痺、
これからあなたを助け出すことに、まずその目的がある。
麻痺が解かれたら、
当然、痛みは戻ってくる。
ただし、その痛みは、「本物の傷み」だ。
いままでのは、偽物の安心「麻痺による安心」に過ぎなかったのだから。
だから、自我復元とは、
幸福になる能力を得るのではなく、
「正しく不幸を感じる」その正常な神経を取り戻すことにある。
その正常な神経を取り戻さない人間は、
安心も、楽しさも、幸福も、不幸も、不安も、
その全部を誤認する。
「麻 痺」から目を覚ますこと。
それが自我復元の目的です。
だから、幸福にはなりません。
「正しく不幸になる」 のみです。
なぜならば、
麻痺した、間違った幸福よりも、
「正しい不幸」のほうが、本当に「生きている」ことなのだから。
本当に、苦しみから解放されたいのであれば、
まず、正しく苦しむこと が出来るようになれること。
なぜならば、人の苦しみ方にも、
正しい苦しみ方と、間違った苦しみ方があるからだ。
正しい、安心と、麻痺にすぎない安心があるのと同じである。
*********
こう書いていて、私は、ある言葉を思い出した。
ずっと昔、無明庵では、
「まともに、苦しめもしないような者が、覚醒など出来るわけがない。
まず苦の認識だ、と仏典に書いてあるのに、そんなことも分からないのか?」
そうある者が、問いかけたときに、
「その苦が、わかりません、感じ取れません、
どうしたら、苦を感じられるのでしょうか?」といった。
そういう夢遊病のような者たちがたくさんいた。
だから、今、そういう、人間の最低ラインにも至っていない人たち、
苦しむことすら、正しく出来ない人たち、
その人たちのために、自我復元が開発された、ということ。
これでも、まだ、「正しく」苦しめなかったらば、
もう、そういう人は、生きていないほうがいいです。
何度も言いますが、
ただ苦しめばいいというのではない。
そんな馬鹿な苦行者は、過去にゴミのような多くいた。
また、ただ、楽ならいい、あるがままでいい、というのではない。
そんな馬鹿者も、過去に、ゴミのように、たくさんいた。
問題は、
幸福か、不幸かではない。
どちらかが重要なのではなく、
その最中に、あなたが、「生きているのかどうか」だ。
「あびさん」がやっていること、
それこそが、真の「自己想起」である。
世の中のグルジェフ信者の、誰一人として出来なかったこと。
それは、自分のその瞬間の状態のいかんに関係なく、
そこに、ちゃんと自分が「いるのかどうか」だ。
そこに、いないなら、そもそも、生きていない。
そんな生きていない者には、
幸福どころか、不幸すらも、ちゃんとわかるはずもない。
だから、その人は、何かの選択も、すべて誤る。
危険を危険と分からずに、手を出し、墓穴を掘り、
(たとえば、異性の選択で失敗してしまい)
安全を安全と分からずに、警戒して、墓穴を掘る。
(たとえば、助けになる人を敵視してしまい)
こういう基本的な「生存能力」を奪ったのが、毒親だからだ。
あなたをそこまで「麻痺」させたもの、
それが、毒親であり、
アルコールやドラッグであり、
精神世界であり、
AC人格である。
それらがあなたの魂に対して犯した最大の犯罪とは、
あなたを「麻痺」させたことだ。
真に立ち向かうべき不幸をわからなくさせ、
敵を誤認させ、
正しく不幸や危険を認識する能力、
つまりは、自立的な生存能力すらも、
あなたから奪って、
あなたを「麻痺」させたこと。
それが毒親だったし、また宗教や、精神世界でもあった。
そして、ここへ来て、ようやく、ラジネーシの言葉が生きてくる。
本当に、長い、20年以上の歳月だったが、
ここへ来て、やっとここへ、ようやく戻ってくる。
彼は言った。
「偽りの笑顔より、本物の怒りのほうがずっといい。
なぜならば、少なくとも、それは本物だからだ」
同じことが、自我復元にも言える。
「偽物の充実感や安心感よりも、本物の不幸の方がずっといい。
なぜならば、少なくとも、それは本物だからだ」
どちらにしても、それが本物であるためには、
そこに、あなたは、生きていなければならない。
そこで、麻痺していてはならない。
私に言わせれば、覚醒とは、理解ではない。
まず、ずっと麻痺していた、苦痛があったことに目覚める、
それを覚醒と呼ぶ。
そこから、本当の探求の道が始まる。
だから、探求者以前の人たちを、探求者にすること、
それが自我復元なのであるから、
それは、楽しめたり、幸福になるためのものであろうはずがない。
駆除すべきものをまず見出すこと、
駆逐すべきものを正しく認識すること、
そのための神経を取り戻したならば、
その人は、
たとえ、無様に、もがき、苦しんでいてさえも、美しい。
その人の苦しみすら、美しいものになるのだ。
そうでない人は、
その苦しみすら、醜い。
むろん、その楽しさすらも、醜い。
その醜さのすべては、麻痺に由来する。
無意識であることに由来する。
だが、意識化された途端に、つまり原主体に戻った瞬間に、
それは、苦しんでいるその人の姿さえも、美になる。
●私には、あびさんや、マディアさんや、お姫ちゃんが、
これから、どう生きて、どう死に、どういう旅をしてゆくのかは
全くわからないし、知るつもりもない。
ただ私に分かることは、
この人たちは、いつの日か、
それが、いつかはわからないが、
いつの日か、
壁に向かっている達磨を、唯一、振り返らせることの出来る、
そういう者になるポテンシャルを持つことになると予測している。
振り返る価値のある者、
達磨が振り返る意味のある者、
それは、唯一、「真剣に、生きてきた者」だけだからだ。
妥協を許さずに、真剣に生きた者だけが、探求者になる資質を持つ。
だが、このように書くと、
かならず、次のように言う「愚か者」が発生するのだ。
「まずは、探求者になれるために、自我復元をしています」
こういうのは、目的すら、自分で設定できない、最低のゾンビです。
「この世界を苦であると理解できる神経のために、自我復元をしています」
という馬鹿と同じです。
じゃー、その神経を取り戻したら、どうするんだね?
というと、
「悟れる資格を得たことになるので、瞑想でもします」と、くる。
もう、これほどの麻痺も、ゾンビも、醜い人たちも、
私は、金輪際、二度と見たくありません。
*********
事実を言えば、
人間には「本来であれば」、足りないものは何もない。
足りないものがあるとしたら、
全自我の中で、成熟した人生を経験するということ。
それが唯一、探求者になる基礎です。
足りないのは、成熟だけです。
成熟した果実は、自然に地に落ちます。
それを、無理に、もぎ取る必要はどこにもない。
その成熟した人生を経験するには、
正しく不幸を感じることの出来る神経が、生きていなければならない。
あるいは、長く死んでいた、その神経を再生するということ。
●自我復元に出てくる作業の、「不快年表」とは、
その苦しむ神経、実は苦しんでいた、という神経を、
思い出すためにある。
幼少期の「トラウマ」を掘るのも、
ずっと事実に、蓋をして麻痺したふりをしていただけの、
その神経を取り戻すことにある。
それ以外の方法で、その神経を取り戻せる方法はないのだから。
それに、それを無視して、先に進むことは絶対に出来ないのだから。
●苦しみを、
「あるがままに、それを苦しむのだ」と、
そんな余裕をこいて、自己肯定している暇があったら、
こんな、格好悪い、醜いことを口走っている暇があったら、
そんな一瞬も許さないほど、まっこうから、苦しめ。
そのほうが、 ずっと、
醜くない。
_________
★
.
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