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★雑 記★NO.622【 迷路との折り合い 】●
by:
鈴木崩残
2016/08/11(Thu)10:16:35
>最後に少しだけ追記しました。
結局は迷路
なのですが、その迷路と折り合いをつけようとしてきた、
長い歴史(または一瞬の炸裂)が、宇宙というものなのかもしれません。
◆世界との折り合い・・・・
そもそもからして、世界との折り合いをつけなければならない、
その理由、動機とは何だろう。
折り合いなどつけなくても良い、と無理に考えることも出来るが、
そういう無理はすぐに祟るので、
結局は折り合いをつけようと奮闘するハメになります。
で、このとき何をどう折り合いをつけねばならないと
私たちが思い込んでいるかというと、いくつかの種類があります。
何かの道具を作ったが、不便さによるイライラを感じた。
なので、イライラを感じないようにその道具を改良した。
たとえば、それは古い時代ならば狩猟の道具など。
で、結局は、その道具は効率が良かろうが悪かろうが、
使っている人が不満を感じないレベルになった時点で、
そこで折り合いがついたことになる。
◆たとえば、起床して、排泄して、食べて、そして夜に眠る、
そのような環境は、病院への入院などでも経験できるものであり、
また労働がなければ刑務所の独房でも似たような環境であろう。
そこにいる人間がもしもその環境以外のところから
その環境に入れられたらば、それは苦痛や不満を感じるだろうが、
もしも、生まれつき、そのほとんど何もしないで生きている環境にいたらば、
その者はさしたる不満も不便さも退屈さも感じないであろう。
◆人間に限らず、生物が何かのアクションを起こす最大の動機は
主に2つのみであり、
ひとつは、死活問題が発生した場合。
この場合の死活問題とは、社会が複雑化すると、まだ起きてもいない、
予測上の死活問題が脅迫材料(または現実的な懸念材料)になる場合もあるが、
ここは単純化して、空腹と飢え、寒暖差による身体ダメージ、
捕食されるなどの危機がその生物に感じられた場合の話とします。
次に、死活問題「以外の」行動の動機には「好奇心」がある。
しかし、そもそも、好奇心とは何であるのか?
退屈から生まれた産物なのか?
見たり聞いたことのないものについて関心を持つのは、
新しく見たものについては、それを認識して覚えておいて、
対処法を考えおいたほうが生存に有利だから、
ということが、その好奇心と呼ばれる心理の原因かもしれない。
危険なものと判断したら避けて、利益になると思ったら関わるといった具合に。
野生の動物のみならず、ペットでさえも、初めて見るものに、
何かの好奇心を示すのも、それが敵かどうかを知って、
生存率を上げるためであろうと思われる。
そのために、好奇心というものは、人間であっても動物であっても、
警戒心と親近感(または好感)の二つが交差していることが多い。
◆世界との折り合いをつけようとするアクションを引き起こす
もっとも一般的な引き金になるものは、「苦痛」である。
苦痛の回避法、または苦痛の緩和法を求める衝動を、
その行動や思惟の原因とするものである。
ただし、この苦痛の中には、空腹や、寒暖や、怪我、病以外に、
「世界から自分が否定されている感覚」が含まれる。
この否定されている感覚は、多くの場合には、
幼少期の家庭環境に始まるのであるが、
実のところ、人間が、世界から否定されている感覚は、
具体的な事象としては、それが家庭環境での親子間に生じたものであっても、
その根幹を探ってゆくと、人間や生物と、それを作った側の何者か、
その関係の中において、すでに「否定」が刷り込まれているケースが
あるようである。
このことについては、
CDの「足元の宇宙風景(見捨てられた宇宙)」の中でも触れました。
結局、私たちを作ったり、改造した存在は、
一種の毒親なんだろうと思います。
というか、
「足元の宇宙風景」で言ったことの要約になりますが、
そもそも、この宇宙に存在する全次元の全生物が、
宇宙の誕生時か、またはその後の途中のどこかで、
もれなく、トラウマを背負っているという前提で眺めたほうが、
整合性があるような気がします。
でなかったら、万象それ自体が、存在なんかしていないのかもしれない。
◆この「否定(自己否定または自己制限)」の刷り込みが、親からのものであっても、
造物主(的)のような存在からのものであっても、どちらにしても、
周囲の世界から自分が否定されている、
またはひどく分離してしまい、安心感が欠如しているという状態は、
「自分の中の何かが、あるべき状態とは、大きく違っているのではないか?」
と思えるような感覚(または錯覚)をその生き物の中に想起します。
◆場合によっては、この「何かがおかしい」という感覚は、
それがその「漠然さ」を極めてくると、
そもそも、自分が今現在知覚している、「これ」 は 「何」 なんだ?
といった抽象的な問いとなったり、
「いったい、自分や人間や、他の生物も、
結局は、ここで何をしているんだ?」
「この世界も宇宙も何のためにあるんだ?」
「仮に見ているものが全部幻想だったとしても、
なぜその幻想宇宙が、生まれたのだ?」
「いったい、何をどうしろと言うのだ?」
「それとも、誰も何も期待も指示もしておらず、
宇宙は、誰も制御していない、ただの機械なのではないか?」
といった思考による問いになる場合も多い。
◆こうした疑問や不安を、自ら忘却するのによく使われる言葉、
または、他者に忘却させるのに使われる言葉が、
「まー、とにかくだ・・・
難しいことは考えずに、
何か君が面白い、と思えることを見つけ出して、
好きに生きてゆけばいいのさ。
そうじゃないかね?
だって宇宙人だって、みんな、そうしているんだから」
である。
うっかり聞き流すとも、しごくもっともらしく聞こえるが、
これは、サラリーマンが酒場で交わすこんな会話と似ている。
「先輩・・・私たちの会社は本当に必要なんでしょうか?」
「君は、そんなことは考えずに、働いて、生きて、
帰宅したら、ビールをひっかけて、君の好きな趣味を楽しんで、
それでいいじゃないか?
いったい、何の問題があるんだね?」
という、これとほとんど同じ。
前文の回答が、仮に、
「それは、意識が、正常な状態に回帰するためさ」
と言われようが、
「意識というのは、無限に進化するものだからさ」
と言われようが、それで「なるほど、そうですか、分かりました」と
納得する方が、どうかしている。
あるいは、もう少し、気の利いた言い方(ごまかし方)ならば、
「いやね、そもそも、宇宙はいろいろと不便で不愉快なことだらけなので、
みんなして、何とかして、自分たちにとっての”快適空間”を、
こさえようと、しているんだよ。
見てみろよ。
それ以外に、宇宙の生物たちが、何をしているように見えるかね?」
とかも、言い出しかねないのであるが、
これらの言葉を耳にするたびに、
「まー、そういうふうに、決まっているんだから、
しょうがないじゃないかね」
といった、いいかげんさ、曖昧さ、怠惰さを、その言葉に感じることを
私は禁じえない。
「決まっているから、しかたない」って、
そりゃどこの独裁政権だよ??みたいな。
そういうわけで、ずっと世界や宇宙に、
文句、不平、問いかけをしている生き物もいると思います。
それが、もはや、生きがいの一部のようになっている生き物たち。
たぶん私の中にも、その不平不満の愚痴癖と質問癖の血が入っている。
◆そんな中で、
他人が言った「何か」を体験すれば、
自分の感じている問題=イライラと、不満が解決して、
あれこれ悩まなくて済むのかもしれないし、
何かが分かれば、それだけ生存に有利になるかもしれないし、
とか思い立って、
神秘体験ではなくとも、何らかの不思議体験、霊的体験をすれば、
自分の問題の一部でも解決するのではないか、
そう思い込む人たちが出てくる。
(高校生の時の私もその一人でした)
この人たちにとっては、精神世界に氾濫する、
各種の「興味をそそる話」は、まさに鼻の先のニンジンとして機能する。
一方で、不思議体験ではなくて、悟り系の神秘体験となると、
「問題というもの、それ自体がなくなる」
「そもそも問題など、最初からなかったと知る」
「問題を生み出していた者が消える」
とか、またまた、そういう「面倒なこと」を、言い出した人たちがいるが、
「それを本当に知るには、体験するしかないのだろう、
よし、ならば、体験してみたい」
と、思う人たちが当然にして、沢山出てくる。
この人たちの全員が、必ずしも、幼少期の劣等感や親との関係でなった
不安症候群のために、そうした「一発逆転」的なもくろみをするわけではなく、
それこそ、前の投稿の動画のダイジが言っていたように、
「何か、打つ手立てはないのか?」ということを、
必死に渇望する探求者も多くいるだろう。
すると、その次には、
「えーと、どうやって、
その体験的な知見を得るための、手順を踏むんだ?」
と方法を探していると、
「まず、求めないことを学べ」とか言われる始末である。
「求める者こそが障害だ」と、ごもっともなのであるが、
絶対に、われわれの思考が満足しないこと、
出来ないことを突きつけられる。
◆それで、結局、見渡すと、実際に、この惑星で流行っているのは、
つまり「繁殖している」のは、そんな根幹的な意識ではなく、
そういう意識について語る他人の境涯に憧れたり、誤解したり、
それをきっかけとして生ずる戦争や、商売に夢中になっていたりで、
何かの意識体験をした人が出没しても、
のちには、それが「騒動のネタ」「紛争のネタ」「論議のネタ」に
使われるだけに終わってきた。
しかも、そのネタは、決して体験を通じて以外には理解されないので、
頭でそれを理解したい人にとっては、
言葉としては、聞き飽きることは出来ても、心底から飽きることは出来ずに、
結果として、その、人々の羨望と好奇心の的となる、
いろいろな人たちの体験談の効果の賞味期限は、
とても「長続き」する。
「自分は、それを知らない、それを体験していない」という不満を、
定期的に想起させる、悪質な禁断症状みたいなものです。
◆ところで、これも当たり前のことですが、
この地球の今までの歴史(表向きで、残っている歴史は物凄く短い)で
過去も近代も含めて存在した、いわゆる悟り人は、
全てが、この地球の、しかも人間の形をした人たちだったことを
忘れてはならないと思います。
つまり、人間の形をしていて、別の次元の身体もパターンの制約を受けていて、
物理的な脳の構造も人間のそれだったこと。
(太古の時代のタイプの人類は今とは違っていたと多くの人が推測しています)
そういう現代の人間という「機械」を通じて経験した、
意識とか宇宙とかについての体験は、
あくまでも、同じこの時代に、同じような身体と脳を持つ生き物しか
共有できない部分が多いであろうこと。
より高次になると、別の存在や生物との共有部分が増えるという定説もあるが、
たとえば私たちが見たこともないような形をした、
別の世界の生物が体験する神秘体験(その生物にとっての上位次元の体験)は、
私たちの想像の及ぶものではない可能性のほうが大きいだろう。
たぶん言っていることの単語の意味すら分からないし、
その悟りについては、まったくイメージも想像も出来ないと思います。
だから、ここで人間が経験する悟りの体験には、
個性的なフィルターを通りつつも、一部には「共通性」がどこかにあるが、
もしも、これが人間ではない者や、この世界ならざる者が、
しかも、この惑星ではないところで体験する悟りがあれば、
それは、全然私たちにとっては「受け入れがたいもの」になっても
何も不思議ではありません。
なので、ずっと前に、トーク動画で話したように、
価値観というものが、
「最高の価値観はどれなんだ、的な、パワーインフレ」に陥ってしまうと、
「そもそも、あの神秘体験は、普遍的なのか、限定的なのか」
という論議や論戦になってしまい、
それが自分たちにとって有用なのか?、応用可能なのか?
という視点からはズレてしまうのですが、
もともと、哲学とか価値観探し、価値観比較というのは、
現実的な有用性を求めることを動機とするのではなくて、
何の有用性もないことについて、
延々と、いつまでも、あーではないか、こうではないかと、思考めぐらせること自体が、
その哲学行為が延命できる手段なので、そうしているだけであろう。
◆にしても、とにかく、人間が、とことん切羽詰まると、
何万人か、何百万人に一人ぐらいの確率で、
>前回の投稿の最後に動画をリンクしたような人たちが出来上がるようですが、
しかし、どう考えて、あれは「量産」を目的とした品種ではないです。
量産を目的とした品種ではなくて、
周囲の植物をイライラさせたり、考え込ませたりすることで
農地が肥えるために投入されたり、
または自然発生する「希少植物」という感じがする。
なので、できれば、そんなことに関わったり、関心を持つよりも、
その分の時間と労力は、別のことに使ったほうがいいと私は思います。
が、しかし、その「別のこと」によって、
自分の感じてる、世界、宇宙、知覚、と、
本当に、折り合いがつくのか?
それとも、一時的に折り合いのつく方法を、
次から次へと「はしご」して行けばいいのか?
それとも、一気に折り合いをつける方法があるのかどうか?
そして、それは、その神秘体験をした者が「普遍的だ」と言ったから
そうだと思い込むのではなくて、
本当に、何らかの視点から普遍性の尺度で見ても、折り合いがついているのかどうか?
と、こうしたことの答えが、見つからず、または見つかったと思っても、
また根底から、ひっくり返ったりして、
生き物という経験は、どこまで行っても、不安と不満が尽きないのであろう。
いつまで経っても、宇宙の果ての縁をどこまで行っても、
不安と不満と苦痛の発生を、維持し続けて。
(あるいはそのトラブルは「存在の属性」として自然に維持されている)
******************
しかし、何のために?そんなことを維持しているのか?
何のための宇宙なのか?
何のための宇宙と言う幻想または実像なのか?
何のための知覚内容や、認識現象や、経験の記憶なのか?
そして、そう問うと、いつでも、どこかの生物が口からこぼした、
「宇宙には、何のためというような理由はない」
という、どうみても「苦しい言い訳」のような、
あるいは、
それが真実のようにも見えてしまう曖昧で無責任な「標語」が、
いつも宇宙には、漂っている。
意識や、宇宙に対する、究極の問い、
つまり、難しい問いではなく、もっともシンプルで、
かつ、それが問われることは、しごく正当な問いである、
「なぜ(理由・原因)」と「何のために(目的とする状態)」
の答えは、
いつも、
「突っ込みどころ満載」のままに終わる。
*********
個人的な話ですが、
どうも私は、3つの周期をうろうろすることが多いです。
ひとつは、何の疑問もほとんど持たずに、快楽主義に走る時期。
ひとつは、疑問だらけになって、厭世的に閉じこもる時期。
最後のひとつは、その二つが統合されている時期。
この過去24年ほどは、統合されていた時期でしたが、
今年に入ってからは、
めっきり「厭世的」な性質と無関心さが増大しました。
(厭世的というのは、世の中に関心があるからこそ、そうなるので、
無関心と厭世的は、両立はしないので、
実際には、無関心の性質のほうが今は強いです。)
周期的なものなので、避けて通ろうとするよりは、
いよいよ精神や身体が駄目になっても、
そのまま浸りきっていたほうがよさそうに感じています。
*********
それにしても、
3月からの脳内物質の不足のせいと、
昨年から継続してきたアンプラグ状態のダブル効果と、
これに、+ 燃え尽き症候群、も手伝って、
私の性格は、
マメでなくなった。親切でなくなった。行動が早くなくなり、物凄くトロい。
娯楽性とか、変化とかを、全く追及しなくなった、のですが、
たまには、こういうのも、いい。
というより、もともと、
ずっとこういう時間が続くのが、好きな面が私の中には確実にある。
_____________________________
>同日 15:40更新
◆ 追 記 ◆
ところで、
ロバートモンローの「体外への旅」の抄訳ではないほう、
ハート出版から発行されている完訳された書籍の、
「341P・第二十章」から数ページに渡って、
「地球」という惑星とその地上の生物に対して、
非人類の「研究班」の研究員が、どのような所見を持ち、
実験動物以上のものとしては、人類に関心を持っていない、
という、「特定の視点」から語られる部分があります。
私たちは、人間あるいは、何かの思考力を持つ生物が、
惑星からその外へと進出してゆくプロセスを、
知的なプロセスまたは、自然物ではない、何らか人工的な作業として
考える癖がありますが、
生物が、鉱物や植物を利用した機械を作り出して、
それを使用して惑星上または惑星外へと進出するそのプロセスそのものを、
私たちが普通に見る植物の生育や、農園の様相として見る視点があります。
つまり、文化的とか知的とか精神的と呼ばれる動きそのものが、
極めて自動的で、ときには、何かの管理下にあったりなかったりする、
ただの「植物の生育現象」としてみる視点です。
これは簡単に言うと、惑星や恒星の生き物が、何かの進化または変化をして、
その天体の外へと動き出すことを、知的な発達としてみるのではなく、
単に植物の枝や根が伸びる様子そのものとして観察していたり、
昆虫が、孵化したり、幼虫になったり、成虫になる様子としてみているだけ、
というものです。
これは地球を見る側、そこの生物を実験用動物としてみる側の視点ですが、
その「研究班」なるものたちが、われわれに何を求めているのか、ということによって、
我々の歴史や、身体や、感覚や知覚が、どれほど影響されている可能性があるのかと?
想像をめぐらせることは、悪くは無い娯楽だと思います。
やり方によっては、とても悪趣味な娯楽だとは思いますが。
仮に、あの視点をひとつの真実味のある情報だと仮定しての話ですが。
_____________________________
★
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