▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[646]
■
★雑記/NO.646 【 無明庵の反省点 】
by:
鈴木崩残
2016/11/21(Mon)02:49:27
「無明庵の反省点」
「無明庵に欠落していたもの」
欠落といっても、それは主に「私」に欠落していたもの、という意味です。
この投稿は、皆さんへの謝罪、
あるいは懺悔のようなものとなります。
昨年の2015年内に、私が自分の活動と生命を中止して、
ひとつの終わりを迎えよう、と考えていた、
という話は、何度か書きました。
それは私が今回の生で、自分に出来る事をやり尽くした、
という実感もあったので、そろそろ幕引きの時期だろう、
と感じていたこともあった。
しかし、
それと同時に、「自分の限界」と、
自分の非力さ、無能さに、突き当たっていた、という現実もあった。
その自分の限界とは、「自我復元」によって、
もっと沢山の人たちの力になり得たはずの方法が、
当時の私には、分からなかったこと。
私があまりにも無神経すぎて、そして人としての魂の経験が少なすぎたために、
当然に理解しているべき原則を、私が配慮しなかったこと、
配慮出来なかったこと、それが自我復元を失敗した理由だった。
すべての責任は私にあります。
この場を借りて、自我復元をしてきたすべての人たちに、
ここでお詫びをするとともに、どうしてそうなったのか、
説明したいと思います。
*********
結論から言えば、自我復元が、(その全部ではないにしても)
ほとんど失敗に終わった最大の原因は、
私に「優しさ」が欠落しすぎていたからです。
無明庵の運営者が、
何を今更「優しさ」とか甘い事を言っているのだろう?と、
思う人たちも多いかもしれない。
あるいは、
無明庵だって厳しいことを言うその反面、十分に優しさがあった
と感じる人たちもいたかもしれない。
しかし、私自身が深く、心底から反省している事は、
私自身に優しさが欠落しているままで、皆さんのトラウマ問題に
足を踏み込んでしまったことです。
トラウマを掘ることの必要性を強調して、主張したこと、
毒親のやり口を、解析したこと、
ここまでは良かったのです。
しかしそのトラウマ掘りと、特にAC人格の解除の作業には、
この私(の性質)は決して関わってはならないのでした。
その要素の一つに、少し前の投稿で書いたように、
私が喫煙者に特有の独善的な「無神経さ」を持っていたこともありますが、
それ以上に、私が今回の生で選び取った人生のテーマは、
「一石を投じるために、戦う」という作業だったからです。
ここを噛み砕いて説明します。
毒親問題に無明庵が注目したのは、
自我復元が開発されるよりも、少し前です。
また自我復元を進めるうちに、トラウマの原因となっている
毒親問題が持ち上がったとき、
私は、容赦なく、世の中の毒親たちを責め、
毒親たちの醜い本心を暴こうとしました。
皆さんの両親、そしてその両親である祖父母に対して、
「あいつらば、みんな毒親だ、
あいつらは、キチガイだ。
みなさんは被害者だ。
そして負けるんじゃない」
そう私が言い始めたとき、皆さんの中の子供の魂は、
「お兄さんが、怒ってくれた!
お兄さんが、自分の言いたかったことを、言ってくれた!」
そう感じて、心の底から、喜んだ人たちも沢山いると思います。
言いたいことを言ってくれた、と。
もやもやしていたことを、はっきり説明してくれた、と。
トラウマや毒親問題とは別に、ちょうど、これは無明庵が精神世界について、
誰もがおかしいと思っていたことを、率直に言い続けたことにも似ています。
だから、トラウマを背負っていた人たちの気持ちは、
毒親を徹底的に断罪する私の言葉に、
その当時は、ほっとしたり、嬉しかったと思う。
この私個人の性質は、そもそも「一石を投じるために戦う」
という形で、短期戦のために準備した、私のパソナリティーや人生の予定図と、
何事も遊びに変えようとする、という私の子供っぽい性質が合わさって、
生じたものだったが、
それは、さらに例の喫煙による、
強制的な、過剰なドーパミン放出の性質とも上手く組み合わさった。
だからこそ、精神世界についてであれ、毒親問題についてであれ、
尋常ではないほど、容赦なく、正論と、時には屁理屈で
違和感を感じたものに対して責めることが可能だった。
そこまでは、読者の人たち、そして自我復元者の人たちは、
共感できた部分もあるかもしれないし、また、
トラウマを解決しようという意欲を持つきっかけとなったと思う。
しかし問題は、その先だった。
毒親、トラウマ、AC人格、この問題を、表に引きずり出し、
問題視する、という「社会的作業」には意味があっても、
その厳しさを、皆さん一人一人に対して向けてしまったのが
私の大きな間違いでした。
「お兄さんが、毒親たちに向かって、あんなに本気で怒ってくれた!」
ここまではいいのですが、このあとは、
「おかあさんが」必要だったのです。
戦うのはお兄さんや(あるいは、お父さん)の役目でも、
トラウマの傷を癒し、根気良く治療し、
何よりも、そこから先の道では、
「底なしに深い、優しさ」こそが必要でした。
どんなに小さな進展でも「よく出来ましたね」と褒め、
うまくいかなくても「心配しないで、焦らないで」と優しく接すること
これこそが必要でした。
トラウマを受けた心は病人のそれなのですから、病人を鞭打つようなことは
決してしてはならないのに、
私は無神経に、何人もの、自我復元者の人たちに、それをしてしまった。
「毒親との戦い方」ならば、私には力になれたのだろうが、
しかし、感情や心身を治してゆく道では、戦う力や方法ではなくて、
優しさこそが、必要だった。
なぜならば、
「子供を育てる」のは、母性なのだから。
AC人格ではない、人間の中の元主体である「子供」を育てるには、
母親のような存在こそが、その先に必要であったのに、
私は、戦う父性のような性質だけを振り回してしまい、
その勢いだけで、その先にある世界に対しても、
強引に皆さんの背中を押すような間違いをしてしまった。
*********
客観的な分析というものは、
他人の目を気にしない無神経さと表裏一体であり、
また好戦的な意識が得意とする力の一つでもあります。
またそれはニコチン脳とも合体して、とにかく、
違和感のあるものを、言葉と論理で斬りまくる。そういう性質がある。
その舞台のシーンは、自分とは関係のない他人事のショーとして、
見世物として観る分には、娯楽性があるものです。
楽しく見ることが出来るものです。
私は、喧嘩好きでしたので、その性質が
世の中の毒親に対して向かったときには、
一定の効果を生じて、一石を投じる結果となったのかもしれない。
でも、それだけでは、トラウマを背負った人たちの中で、
傷ついていた子供を助け出すことは出来なかった。
それを出来るのは、戦うお兄さんや父性ではなく、
優しい、おかあさん。
でも、その要素は、無明庵(特に私)にはなかった。
何よりも、今回の私の生に装備した性質の中にはなかった。
私の中にあったのは、
戦う性質のほかは、面白くしようとする性質、
あとは、かわいいものを好むという性質ぐらいだった。
そして私自身が、機能不全家族の出身者の人たちとは、
少しだけ違う中で育ったので、相談者の人たちの心の傷を、
きちんと理解できるような経験基盤を持っていなかった。
だから、私のカウンセリングは、
分析という意味での切れ味は、悪くなかったかもしれないが、
これから再生する、子供のような感情や心を扱っている、
という事実認識に、欠けすぎていた。
だから大人を相手にしているかのような調子でやってしまうが故に、
とても乱雑で、横柄で、大雑把で、しかも押し付けがましく、
断定口調で、何よりも私において駄目だったのは、
あまりにも、皆さんに対して、傲慢すぎたことです。
救いがたいほどの慢心をもってして、自分の専門分野ではない、
トラウマ問題とAC問題の領域に踏み込んでしまったこと。
なので、トラウマ問題を扱った掲示板の記事の内容やその表現法、
そして、個々の読者の人たちのトラウマの報告に対して、
私がキツすぎた場合には、それに砂手が意見をして、ずいぶん喧嘩に
なったこともありました。
毒親が、世間の常識を大上段に振りかざして、子供を虐待していた事について、
問題提起したところまでは、そう悪くないだろう。
その問題提起には、激しい怒りで戦う性質も必要だった。
しかし、救い出したその子供が必死にしている自己再生、
トラウマ掘り、その他の努力に対して、
厳しすぎる基準で、駄目出しを繰り返したり、
どうして分からないのだと、無神経なことを言い続けたら、
私自身が、毒親そのものになってしまうし、
実際に、私が毒親のようになってしまったことを、
心底、その人たちに謝りたいのです。
毒親から他人を助け出そうとする者それ自身が、
その気持ちとは裏腹に、
結果として毒親のようなことをしてしまったら、
それは、AC問題を解決しようと長年努力してきた、
その人たちの分野に対する冒涜でもあると痛感しました。
毒親の所有物だった畑(人の中のAC人格)を耕し、
その毒の土をひっくり返すには、トラクターが必要だろう。
そのためには、がんがん、土を掘り返して整備するのに農耕器具は必要である。
しかし種が植えられたあとにまで、
これでもかと、土を掘り返すようなことをしてはならなかった。
種が植えられたら、あとは優しく、水と光をあたえ、
そっとその生育を見守るべきだった。
*********
そもそも「優しさ」というのは何だろうか?
この問題は、私自身がまだまだ経験と学びが足りないので
何ひとつもここで大きなこと、分かったようなことは言えません。
ただ、世の中には「優しさ名人」と私が呼ぶ人たち、
または「存在たち」、がたまにいます。
思い出すと、私が人生の中で出会った人たちの中にも、
少数ですが、そういう人たちがいました。
優しさとは、本当に、繊細な「気遣い」を伴うもので、
たぶん、その人自身が積み重ねた沢山の「辛い経験」の中から
生み出された「慈愛のようなもの」だと思っています。
しかもその人たちは、優しくしようとか、自分が優しいなどとは
微塵も思っていない。
ただ、そうすることが気持ちいい、またはそうしないことが
気持ち悪いからという感覚で、その人たちは優しさを育ててきた。
決して数は多くはないけど、そういう人たちを私は、
自分の人生の「視界の隅」で見てきた。
その人たちの、その優しい在り様は、
今回自分が選びとった生の筋書きや、主たる目的とは違っていたので、
深くまで思慮することはなかった。
しかし、その彼らの存在そのものが、時々、バランスを欠いて、
行き過ぎた事をしてしまいがちな私に対して、
いつも、どこかでバランスを修正してくれていたのだと思う。
特別に私に対して何かを教授してくれるというのではないが、
彼らの存在そのものを認識することが、私のバランスには不可欠だった。
*********
しかし残念なことに、私があまりにも未熟者だったので、
AC人格から正常人格に移行する際には、
やさしさ以外の何も役に立たない、
という歴然たる事実への認識がなさすぎたのです。
優しさの欠落によって、自我復元の詰めの作業を私が失敗してきた
ということに気づいたのは、呆れることに、ごく最近のことだった。
博士君のおかあさんの所作や、振舞い方を見て、私はそれを、
「優しさ名人」と名づけた。
母親が子供にする当たり前の行為で、しかも深淵な愛情のようなもの。
それがあの、おっとりとした博士君を育てあげたこと。
その主軸は、彼の母親が作り出して死守してきたものであり、
博士君の中には、彼の母親が作り出した安心という支えが、絶え間なくあったこと。
しかし、私にはその「優しさ」の素養があまりにも欠落していた。
自我復元のうち、とくにトラウマ問題に関しては、
私は理詰めで、あれこれと言うよりも、
長い目で見守るほうがいい、じっと本人の力を信じたほうがいい、
ということを、2014年ごろのある時期から感じていたものの、
本当に必要なのは、そんな消極的なことではなくて、
毒親ではない、まっとうな母親のような母性を持ったような存在が、
その人たちの中の無垢な子供を、育て直すことだった。
では、その母親の代理となるのはどんな存在なのか?
存在するこの世界の中には、その母性にも、何種類かの代表的な形があって、
これこそが世界の母性の根源だ、と言えるものは断定は出来ないにしても、
もしも現在の人間の中に、そのプロトタイプがない場合には、
神話や象徴の中に、それはあると思う。
だだし、とかく、そうしたイメージに助け求めることは
妄想に終わりやすいので、それぞれの人の内部のどこかに、
きっと、「優しさの母性に触れた記憶」があるはずですので、
それを掘り出すのがいいと思います。
*********
・ 補 足 ・
ところで、トラウマ掘りと、AC人格解除をするに当たっては、
すでに言いましたように、
私のような、無神経で無知で、優しくない乱暴者と関わってはならず、
真逆の母性的な世界に接するのがいいのですが、
方法論としては、
喫煙者は、可能ならば喫煙者のまま作業を進めてください。
下手に途中で禁煙とかすると、作業が頓挫します。
禁煙は全自我になったあとでも十分です。
そして現時点で、自我復元をしている「非喫煙者」の人たちで、
トラウマ掘りやAC人格解除が滞ってしまった、と感じた人たちは、
最も「オーソドックスな方法」を試してください。
「ドーパミンの放出を増やす方法」で検索すれば、
かならず、どこにも、ほぼ同じことが書いてあります。
規則的な軽運動や、チロシンなどのサプリの種類、
それに発声も効果的のようです。
私自身が、ドーパミンの自己生産を怠け続けた者なので
これについては、何一つも助言など出来た立場ではないのですが、
統計的に見ると、自我復元をしてきた人たちで、
「非喫煙者の人たち」の複数の報告の中に、
「ヴォイス・トレーニングをはじめた」
「カラオケによくいく」
「運動をしている/またはダンスを始めた」
「楽器演奏をしている=音を聴き、同時に音を出す」
こうしたことをはじめた人たちが、トラウマ掘りやAC人格の解除が
そこから進むことがとても多かったのです。
つまり、トラウマ掘りやAC人格解除には、
「かなりのドーパミン放出」が必要になるらしいということです。
喫煙者の毒親や、非喫煙者の毒親でも、
子供が彼らの圧力に屈しないためには、
毒親以上のドーパミンが必要なのだろうと推測されます。
何しろ、生きる気力と、生きる能力そのものの根源に関わるものですので、
この際、「手段は、なんでもいい」ので、
喫煙者ならば、今後もニコチンに依存してもいいので、
ドーパミン放出を切らさないようにし、
一方で非喫煙者は、喫煙には踏み込まず、自然にアセチルコリンを生産して、
その受容体からドーパミンを出す、これでいいと思います。
自我復元は、自我の回収作業まではオカルトっぽいのですが、
トラウマ掘りとAC人格解除の部分は、
オーソドックスな「認知療法」とそう変わりません。
そうしたごく普通の知識の中に、
ドーパミン不足が深刻な機能不全を引き起こすという事例があるので、
ドーパミンを増やす手立てを講じれば、復元作業も進みやすいと思います。
ただし私自身は、長年、ニコチンとの二人三脚によって異常な量のドーパミンを
「強制放出」してきた脳に、すっかり適応してしまってきたのと、
そこから、ちっとも脱してはいないし、いまさら脱する気も薄い、
というところが大きいので、
私は、非喫煙者の自我復元者の人たちの力にはなれません。
このあたりについては、禁煙成功者の人たちや、うつ病を克服した人たちが、
どうやってニコチンや向精神薬によらない自然な形で、
ドーパミン放出の回復をしたかを参考にしてください。
ドーパミンは、通常の生活でも、外圧やストレスに対抗が出来る物質ですから、
きっと自我復元の完成に役立つような気がします。
*********
自我復元については、以上のことも踏まえて、
愛美さんのブログが、多くの事を示唆してくれています。
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/
*********
★
.
返信 [646]
<<-- これ以前の投稿 10件
(646 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -