読者の自然葬体験談 その1
99年の夏、母は癌で他界しました。生前に母が書き残した遺書の中には、とても 一般的とは思えない自分自身の死後についての希望が書かれており、その中には 「自分の骨は山に散骨して欲しい」と書かれてありました。その母の希望を尊重しよう と考え、散骨について色々調べて行く中で様々な問題に直面しました。大きな問題点は 2点ありました。まず第一に山への散骨について、海への散骨は通常よくありますが、 山は国か個人の持ち物であって、そこへの散骨は不可能ではないかという事。もう一点 は、散骨をする際に遺骨を細かく砕かなければならないという点です。散骨を希望する 故人の遺族の大半が、形ある遺骨を砂状に砕かなければならないという現実を知り、 それを断念すると聴きました。確かに私達家族は抵抗を感じましたが、結果、断念せず、 「やはり散骨しよう」という結論に達しました。なぜそのような結論を出したかの答え は、ただ単純に「本人がそれを希望しているから」です。 海への散骨は全く頭には無く、あくまでも「山」への散骨を第一前提とし、情報収集 をして行く中でこのホームページに出会いました。そこには、散骨を希望する遺族に 対し山を提供して下さる個人の方がいると書かれており、さっそく電話を取り細かい点 をお伺いしました。散骨の為山を提供して下さるAさんには、一つ一つをとても親切 にお答え頂き、Aさんにお任せしようと決断しました。 散骨当日一つだけ心配だった点は、散骨場所を下見する時間が全く無く、そのロケー ションがどうなのか全く解りませんでした。日の当たる眺めのいい場所であって欲しい、 そんな思いでしたが、現地に着きご案内を頂き、その心配はどこかに吹き飛んでしまい ました。そこは大自然の中で、山々が一望出来る素晴らしい場所で感動しました。ここ ならば母もきっと喜んで納得してくれるに違いないと確信できました。 いよいよ遺骨を砕く作業になり、家族、親戚十余名でかわるがわる布に包んだ遺骨を 叩き粉末状にしてゆきます。思っていたほど骨は硬くなくスムーズで驚きました。しか しもっと驚かされたのは、粉末状に姿を変えた遺骨の奇麗さです。まるでどこか南海の きれいな砂浜の砂のようなそんな印象を受け、私には形のある遺骨よりこの姿の方が母 らしいと感じました。その骨を家族、親戚で一掴みずつ母との思い出に自宅へ持ち帰り、 残りの遺骨をAさんの山へ散骨させて頂きました。 散骨後は木陰に茣蓙を引き、Aさんに自家製のりんごジュースやきゅうりなどを ご馳走させて頂きながら母の思い出話に花を咲かせました。とても暑い1日でしたが 木陰はとても涼しく、旅行・ピクニックにはもってこいの場所です。その後は近くの 牧場に案内して頂きました。そこは牛や馬が放し飼いになっており、直接動物に触る事 も出来ます(本当は触ってはいけないかもしれません)。旅行が大好きで山をこよなく 愛した母にはやはりピッタリの場所です。私達にとっても、夏は旅行、冬はスキーがて ら、母の眠るAさんの山へ行く事も出来ます。こんなに素晴らしい環境をプレゼント して下さったAさんには心より感謝しております。 私がここに書かせて頂いている内容について、特に散骨を世の中に浸透させたく進め ているというわけではなく、あくまで故人の意志を尊重し、それを叶えてあげる事が 残された遺族の務めだと思うのです。通常であれば(これが通常かどうかは疑問です が)、お墓を用意し遺骨はお墓の中へという世の中の常識がありますが、お墓に入る 全ての亡くなられた方がそれを希望しているとは思えないからです。少なくとも私自身 はそれを希望しません。将来私自身が他界した際には、母が眠っている場所ような 大自然の中で自然に帰りたいと考えております。 以上さて、以下に、今回散骨をされましたご遺族のご好意により、 生前から自然葬を希望されていた、ご本人の意向が示されていた『遺言』を、 ここに掲載させて戴く事が出来ました。 こうしたメモを残す必要のある方は、ひとつの参考にして下さい。 このような遺言がある事は、残されたご遺族の方が自然葬を行なうにあたって、 時には大変に重要な場合があります。 ですから自分自身の死後に自然葬を望むという場合には、 家族や知人にこうした遺言を生前から残しておく事が大切です。 99 8/14 方斬記お願い
1.延命のために余分な治療を行なわない。 1.通夜、葬儀、告別式、法事などは、一切行わない。 1.お別れ会は近親者(家族と私の妹弟)のみで行い、 生花(ピンク)と音楽葬とする。 1.散骨にし(出来れば山を希望)、戒名、お墓は不要。 1.すべて平服で行い、全部終わってから近所、友人、世話になった人達 に通知し、供物、霊前などは本人の遺志として丁重に辞退する。 以上、よろしくお願いします。 平成11年1月1日 ●●●●自然葬体験談/2
母の自然葬の体験記ではありますが、 もしかしたら、同じような境遇にいらっしゃる方の参考になることもあるかと思い、 母が死んだ時の状況と、私見を少し、前置きとして書くことにします。私たちの母
ほぼ3年半前の出血を発端として母の癌は発見されました。 癌が進行しだすと腰のだるさなど身体の変調が伴う場合が多いのですが、 母は特別感じなかったといいます。明るく元気な人でした。 2度目の入院まで、私と弟が止めるのも聞かず、我々の身の回りの世話や 家事に手を抜かず、尽くしてくれました。 病気について隠しだてをしないという、かねてからの母の願いどおり、 当初から癌であるということは、私の口から知らせてありました。 ですから、癌の転移による2度目の入院の時は、死を覚悟していたようです。 病院ではたまにメソメソ泣いていることはありましたが、人にあたることもなく、 辛い検査や抗癌剤の投与によく耐え、模範的な患者であったと思います。 また、自分の下着の洗濯は最後まで、男である我々息子たちにはさせず、 近所の奥さんにしてもらっていました。我々の前でも明るく気丈に振舞って いましたが、最後に病院で会った日、 初めて涙を浮かべて私の目を見つめていたのが、思い出されます。 母が逝ったのは、その二日後…1998年7月21日の早朝でした。 69歳でした。笑みをたたえ、安らかな死に顔でした。母の願ったとおりの葬送で
母は離婚していて、うちの墓がなく、祖母と祖父のお墓に入れて頂くよう 事前に親戚に承諾して頂いておりましたが、母は生前、 「できればきれいな所に散灰してもらいたい」と言っていました。 通夜と葬式は密葬ですましせ、とにかく、主に我々兄弟のお金の都合で、 一年ぐらい遺骨を手元に置くことになりました。 正直言って、癌の治療薬は保険外だったので高額であり、私はあらゆる手を 尽くしましたが、当時、母の体力と私の気力はまさにギリギリのところでした。 その年の冬、本屋さんで自然葬の案内書を見つけ、手元に保管しておきました。 今年の春になり、将来を約束する恋人が現れ、弟も同意し、親戚の了解を経て、 いよいよ自然葬をすることになりました。 母方の親戚は浄土真宗であり、母と私は無信仰でしたが、 理解のある叔父さんがおり、たいした反対も無く、ことはスムーズに運びました。 私自身は、散骨というのは、本人の生前の意志と残った者の趣味の問題であると 思っています。信仰のない私にとって、何とか宗の坊さんにお経を唱えてもらって、 お墓に入れるより、自然に帰すほうが、それこそ自然なことでした。 また、黒縁の写真に仏壇、お墓には暗いイメージがつきまといますので、 あまり、母にはそぐわないと感じていました。 けれども、もし母に強い信仰があれば、その宗教のやり方で弔ったと思います。 死に方までは自分で決められないまでも、 「自分の骨の処分を生前に決めること」ができるというのは、 個人の尊厳にとって大事な事のように思うのです。 また、病気や年老いたため、生きるのが重荷になった人々に安楽死を選ぶ権利を 与えるという必要性を痛感しました。 母は看護日誌の裏に日記を書き残していましたが、死ぬ数日前、「もう嫌だ 、 死にたい。」と記していました。母の場合、意識ははっきりしていましたし、 お医者さんや看護婦さんにあたたかく見守られ、死を迎えるよい時節を得たと思います。 けれども、人が「死にたい。」と漏らすまでに、精神的・肉体的苦痛をもって、 追いこんではいけないとも思うのです。私は母のように強くありません。 我が身に置き換えて考えると、もし、それが許される状況ならば、 自分で逝く時を選びたいのです。 霊魂については、私は何も知りません。ただ、母の場合は、前述の日記を読んでも、 感謝こそあれ、ネガティヴな思いは感じられず、何よりも死に顔が穏やかだったので、 彼女の希望どおり散骨することに迷いはありませんでした。自然葬体験記
さて、前置きはこれくらいにして、ここから体験記に入ります。 弟の運転で私と恋人の3人で行きました。恋人を連れて行ったのは、 亡き母は私が結婚することを望んでいたので、 それらしき人物に立ち会って欲しかったこと、 また、今後、彼女が母の部屋を使うことになるからです。 A様に連絡をとり、牧場のロッジを予約してもらい(8月20日夜宿泊)、 21日の午前中に散骨ということになりました。 母の命日から、ちょうど1年と―ケ月遅れになります。 Aさん(失礼ながら、「様」はやめます。「さん」の方が親しみやすいので。)は、 とても気さくな方で、横浜からあまり遠出をしたことのない我々の疑問に快く答えて くださいました。 事前に、手書きの地図や宿泊場所のパンフレットまでも送っていただいたのです。 ……… 午前中、仕事を終え、1時頃、弟の車で横浜の自宅を出て、 八王子ICより中央高速を快適に飛ばし、夕方6時半頃、Aさんと持ち合わせ、 翌朝の待ち合わせ場所まで案内して頂きました。 Aさんは、ご親切にも私の携帯電話に連絡をくださり、迎えに来てくださったのです。 宿泊先まで案内してくれそうになったので、それは辞退しましたが、 これが、ちょっとした冒険の引き金になりました。 宿泊先のロッジを目指して、山をどんどん上っていくのですが、 先程、曇っていた空から雨が落ちだし、雷がなって、道は真っ暗、、、 霧なのか、雲なのか、白い靄の中を車は進みます。 2、3台の車とすれちがいますが、彼等は慣れているせいか、曲りくねった山道を 凄いスピードで、上り下りしていきます。 こちらは隅に止まってやりすごします。ヨタヨタと上りながら不安もつのり、 「ここは、天国でないのか?」との会話もでる始末…。 ひとしきり上り詰めると、「群馬県嬬恋」の案内板、 ここへきて間違いを確信し、麓までもどり、再スタート。 ロッジに着いたのは、9時15分前くらいでした。 通常の食事時間を大きく過ぎてしまいましたが、ロッジの方々は嫌な顔もせず、 酒落た料理を運んでいただき、ついお酒も進みます。 露天風呂付きの気のきいた温泉に入り、 朝日覚めると、窓の外は別天地、空は晴れ渡り、緑明るく輝いています。 散歩に出てみると、このロッジに向かってくる様なゲレンデがあり、 夏の今は、牛や子馬が点々と遊び、風景に趣を与えています。 小窓に赤い花をあしらえた可愛いロッジが並び、とても日本とは思えませんでした。 宿泊ロッジのバルコニーでモーニングコーヒーをごちそうになり、 ここで幸せ感極まりました。 「お母様のお陰で、こんなきれいな所に来れた。」と彼女。 ここはAさんお薦めのロッジなのです。 麓に下り、9時半頃、Aさんの車と持合わせ、再び山道に入ります。 先導車の速いこと。この田舎道を60キロぐらいで飛ばして行きます。 10分程上ったでしょうか?、気がつくと右手に高さ10m程の立派な観音様が見えます。 道を挟んで、左側の畑が母の散骨場所でした。土に触れながら、散骨と間接鳥葬
木陰の下にゴザを敷き、腰を下ろして、麻布に母の遺骨をあけ、麻の袋に詰めます。 下にレンガを置き、金づちで袋の上から叩き始めます。 砕骨の始まりです。この後、ふるいにかけ、また袋に戻して叩き、 これを3度程繰り返し、最後に堅い部分をペンチで砕きました。 そして、半分づつ2つのボールに開け、片方には鳥の餌と混ぜ、 もう1つはそのまま水仙の球根と一緒に埋めることにしました。 我々は野良仕事は全然ダメで、なかばAさんにあきれられながら、 慣れぬスコップと鍬を手に、なんとか球根を10センチ程の間隔に10個程並べ、 遣灰をその上にまぶし、土をかぶせました。 もう一つのボールの中は、畑の中に設置された5、6力所の木製の餌台の上に 分けて置きました。 これは間接鳥葬といって、この畑に遊びにきた鳥たちの餌になります。 大昔の人々の風習として、遺体をそのまま自然に風化させる風葬と並んで、 鳥たちが食べやすいように遺体を細かく切断して見晴らしのよい山や丘に置き、 自然への感謝として捧げる「鳥葬」があったようですが、現代人にしてみると、 灰にしてからの方が、あまり抵抗がなく思われるのではないでしょうか? 私には、率直に、母の身体の―部が、身近な生命を育み、やがては全て土に帰るのだ という実感がわきました。けれども、自然を尊ぶ気持ちは、昔の人々の方が強かったに 違いありません。たまには土に触れて、そんな想いにふけるのも良いかもしれません。 そして、ふと、自分の死が頭の隅をよぎり、一瞬、不安におののきました。 もしかすると、砕骨に抵抗を感じる人がいるかも知れません。 彼女は、私と弟が何気なく作業を始めたので、Aさんに促されて叩いていましたが、 後で、「あなたのお母様だと思うと胸が痛んだ。」と言っていました。それぞれの想い
家へ帰り、母の2つのボールに入った遣灰と彼女の立ち姿が一緒に写った 写真をみて、「この写真は両親に見せられない。」と言っていました。 彼女の両親と彼女はカトリック教徒なのです。 「あなたは、どうして、あのような方法でお母様の散骨をしたの?」と彼女。 「まず、母が望んでいた。それと仏陀は自分の葬式を村人たちに任せた。 心がこもっていれば、方法はどうでも構わないと(私は)考えた。」と答えます。 私は無信仰ですが、仏陀のファンなのです。 そういえば、カトリック教徒どうしでないと結婚は出来ません。 私は「結婚式は構わない。イエス・キリストも好きなのだ。 その時だけはキリスト教徒になる。」と言うと、二人で笑ってしまいました。 ……… 自然葬に必要な道具と場所は、Aさんがすべて用意してくださいました。 我々はただ、汚れてもよい服装でいけばよかったのです。 慣れない作業のため、私は一つ一つを確実にこなすのに腐心し、 あとで親戚にみせようと、作業、散灰場所、周りの風景を写真に納めてきました。 そして、小瓶に母の遺灰の一部を持ち帰りました。 親戚が望むなら分骨もできます。必要がなければ、海に流すつもりです。 作業の後、Aさんのお気遣いで、スイカとトウモロコシをご馳走になり、 夏休みらしいリラックスした時間を楽しみました。 隣りの土地に立つ観音像は自然葬のためではありませんが、土地の村人が 建てたものだそうです。背景には、北信五岳がそびえ立っています。 私はとても満足しました。 自宅には、母の小さなコーナーをつくり、 気が向いたら好きだった花を少し飾るつもりです。 もう、母と対話はできませんが、自分なりの祈りのスペースになるかもしれません。 そして、Aさんにおしやっていただいたように、自分の田舎が長野にできたと思って、 また、遊びに行きましょう。 ・・・・・・・・・ これを読んで、いろいろな事情があって、悩んでいらっしゃる方も、 Aさんにおもいきって相談してみたらいかがでしょう。 現地へ行けない方も、事情によっては、砕骨、散灰、写真撮影などをやっていただける かもしれません。(弟など、仕事の時間が不規則で、私が連絡をとるのも一苦労でした。 今の時代、このような方も多いと思います。) きっと、何よりも、 他ならぬ、今、生きているあなたの、 人生の良い節目、思い出になることでしょう。 以上。 1999年9月 杉本(43歳)/横浜市在住嬉しい報告…です。
by 鈴木方斬 最近、Aさんのところに、自然葬の予約をされていた方から、 「遠い親戚のおばうちゃんが、散骨の話を聞きつけて、 昔、世話になったから、自分の山をぜひ散骨に使ってください、と言ってくれたので、 急遽、そのお祖母さんの山で散骨をすることになりました」、との連絡が入ったそうです。 これは、自然葬の形として、一番理想的なことです。 本当に身内の協力だけで自然葬が出来たら、それに越したことはありません。 ですから、皆さんも、もしも自分自身や家族に自然葬の予定がある場合には、 ぜひ一度、それぞれの田舎の親戚などに話をしてみてください。 お年寄りや、または地方ですと、まだまだ古い風習の考えが強くて、 自然葬には、なかなか理解が得られないかもしれませんが、 だんだん、これから、このおばあちゃんのように、理解ある人も増えてくると思います。 1999 9/14自然葬体験談 / 3
「お墓には入らない」
私の母が「自然葬」について考えるようになったのは、 嫁いだ家を「おいとま」して、娘である私の元に来る前後の事でした。 やはり、自分自身に万一の事があった場合の事も気になっていたのでしょう。 母は夫に先立たれた後、寂しさもつのり、 歳と共に私と生活を共にすることを強く望むようになりました。 そんな母を私の主人も、気持ち良く受け入れてくれました。 その結果、しばらく私の子供たちの面倒を見てくれたり、小さいながらも、 庭に菜園を作り、子供達と一緒に季節の野菜作り楽しんだりして、 すっかり良いおばあちゃんぶりを発揮してくれていました。 そんな母も、数年前からは病気がちになり、 特別老人ホームに身を置くようになりました。 ところで、母を受け入れるにあたっては、 もともと、母の死後の事は母本人と事前に相談をしていました。 「どこのお墓にも入らない」というのが母の望みなのでした。 「海か山にでも遺灰をまいて欲しい」というのが本人の願いでした。 そんな母が、いざ実際に他界したとき、私たち家族は、最初は海への散骨を 考えたのですが、手続き面倒な上に費用が多額なために、断念をしました。 そんな時、知人が、「完全自然葬マニュアル」の小冊子を持ってきてくれました。 私たち家族は、なんの躊躇もなく、山への散灰を決めました。 古い考え方の私の親戚の者たちは、「どこどこのお寺がいい」とか、 「お墓を新しく作るべし」とか「戒名がないと寂しい」とか、 母の死後、数ヶ月の間は、ああでもない、こうでもないと言われました。 ●自然葬の実際● さて、私たち遺族は、自然葬のために一泊二日の予定を立てて、 向かいました。両日とも好天に恵まれて、地元の観光地も2個所ほど 訪れました。紅葉に色づき始めた信州の山々には、とても感動しました。 そして、近くの温泉では、久しぶりに疲れた心身をゆっくりと休めることも 出来ました。 翌日の早朝、まだ濃い霧がたち込める山間の歩道を、散歩しながら、 私たちは、散灰の場所へと向かいました。 生まれて初めての「散灰」という行事に、誰もが身が引き締まる思いでした。 作業が始まるころには、霧もすっかり晴れ渡りました。 用意して戴いていたコタツで、ひとまずお茶を戴き、 その後で、いよいよ「自然葬」の作業に取りかかりました。 「砕骨」…何もかもが初めてのことで、戸惑っている私たちに、 Aさんは、あっけらかんとした様子で、 実に手際よく、作業の仕方を手ほどきしてくれました。 その瞬間「骨を細かくする作業は、一大事」という緊張感が私たちの中から 一気に取れてしまい、一番不安で、気がかりだった「砕骨」の作業が、 いとも簡単に出来てしまいました。 細かくなった骨は、まるで海の砂のような輝きをしていました。 こうして、母は、 黒姫山、飯網山、妙高山などの山々が見渡せて、 北アルプスのも遠望できる素晴らしい土地に、 長い間大切にしていた樹木と一緒に落ちつくことが出来ました。 きっと、母も、どんなにか、喜んでくれていると思います。 帰りには、Aさんの思いがけないお誘いを受けて、 私も一度はしてみたい、と思っていた「リンゴ狩り」までさせて戴きました。 本当に、まるでピクニック気分の散灰でしたので、 お寺のような堅苦しさもなく、また、本当の身内だけで、 「精一杯の心のこもった葬送」が出来て嬉しく思いました。 そして、私たち遺族としては、 「母本人が望んでいた方法」で葬送が出来たことを、 何にもまして良かったと思い、全員が、深い安心感に満たされました。 自然葬の土地を提供して戴き、 そしてその方法までもを親切に教えて戴きまして、 本当に、ありがとうございました。 【平成11年11月記す】 東京在住●自然葬体験談/4
■{あんずの木の下に散骨}
丁野さん(山口県) 2001年 9/12 快晴 前日、台風が来襲し、上信越道が土砂崩れで不通となり、 出発が危ぶまれましたが、当日は一転して快晴。 予定どおり出発。(しかし結局、12日午前中まで不通だったので、 迂回することになりました。) インターを降りて、Aさんと合流し、現地へ向かう。 どんな山奥へ連れて行かれるかと思いきや、 それほど遠くなかったので、今後もお参りしやすい距離だと思う。 日差しが強かったので、砕骨(遺骨を細かく)するのに日陰を求めて 栗林に移動。まわりに栗が落ちていたので、 栗を拾いながら骨を細かく砕いてゆく。 後日、この栗は栗ご飯にして食べた。美味!! 粉にした骨を、あんずの木の下へ埋葬(自然葬)。 これがいずれ、土となりあんずを育てるかと思うと感慨深い。 埋葬後、Aさんにリンゴを頂く。 Aさんが素手でリンゴを割ったのにはビックリ。 Aさんが明るい方だったので、 こちらも気持ちが沈むことなく過ごせた。 感謝!
★自然葬体験談/5
●「自然葬にして、本当によかった」●
◆平成12年の冬、父が突然亡くなりました。 私は生前、父から「遺言状」を受けとっていました。 それには、「戒名・葬儀・墓は不要。骨は散骨とする」 と書いてありました。 散骨に関しては、生前に父自身が、法事など事あるごとに、 親類全員にその旨を話していたために、反対者もなく、 意外なほどスムースに決まりました。 散骨場所については情報収集を始めると、 条件に合う所(山)が何箇所かありました。 しかし、土地の持ち主と連絡が取れなかったり、 場所の下見をさせてくれない所もありました。 結局は、下見OKな、Aさんの所へ下見に行く事にしました。 ◆Aさんの案内で、散骨場所へ行ってみると、 そこには、とても素晴らしい景色が広がっていました。 小高い丘のような所で、遠く信州の山々が見渡せ、 日当たりも良く、「雄大な自然のふところ」という感じでした。 1/高速道路を使えば、我が家から3時間ぐらいで来られる。 2/好きな木や、花を自由に植えられる。 3/ロケーションが素晴らしい。 4/Aさんの人柄が良い。 以上の4点で、この場所に決めました。 ◆砕骨作業は、送って頂いた「完全自然葬マニュアル」に 従って、自宅で行いました。 マニュアルには「ほんの40分・・」「思っていたほど骨は 硬くなく」と書いてありましたが、父の骨は丈夫だったらしく、 休息を入れてトータルで4時間ほどかかりました。 作業を通じて感じたことは、 1/金づちは、小さな物が良い(大きい物だと腕が疲れる) 2/砕く骨を入れる袋は丈夫な物が良い。 (何箇所か穴があいてしまったので) の以上2点です。 ◆私の家族は、車で現地へ行くため、 当日出発すると、集合時間に遅れる心配がありました。 そのため、前日からAさんに紹介された宿に泊まる事にしました。 料理がとても美味しく、温泉もあり、とても良い宿でした。 ●「すずらんの苗木を植えて・・・・」● ◆散骨当日は、前日までの雨が嘘のような晴天になりました。 梅雨の最中だったので、天気の事を心配していたのですが、 「散骨の日に、雨で中止になったことはないですよ」という Aさんの言葉どおりになりました。 ◆現地に着くと、まず「あんず」の木を目印に、 私と弟でクワを使い、土を耕しました。 そこへ粉のように細かくなった父の骨を親類一同で、 少しずつ、まきました。 その上にAさんから頂いた「すずらん」の苗を植え、 最後に土をかけました。 ◆Aさんの人柄のおかげで、しんみりと暗い雰囲気にもならず、 一同楽しく自然葬を行うことが出来ました。 また、このような素晴らしい場所を提供して下さり、 本当に感謝しております。 ◆後日、夏休みの旅行を兼ねて、散骨場所を訪れました。 子供が近くの草むらでキリギリスやコオロギをAさんに 採ってもらい、大ハシャギでした。 父にも、元気で楽しそうな孫の姿を見せることが出来て、 本当に良かったと思います。 ● ★えーっと、「完全自然葬マニュアル」に書きましたけど、 遺骨が40分で粉に出来たというのは、 私の場合、遺族ら3人がかりででしたので、 一人だと、丁寧に粉状にまですると、 2時間ぐらいはかかるかもしれませんね。 ・・・ほ う ざん記・・・★自然葬体験談/6
●「桜とともに」
4月21日、村は遅い春の最中。 桜が満開でした。 昨年末、早すぎる別れをした夫の希望を叶えるため見つけた散骨の地です。 インターネットや、お送りいただいた冊子から想像していたのとは異なり、 人の手が加えられ、きれいに整理された場所でした。 皆で桜の若木を植え、その根元に、子供と一生懸命細かく砕いて持参してきた お骨を撒きました。 初めてお会いしたAさんは、電話での印象のまま、 とても気さくで温かい方で、私の母とすっかり仲良くなってしまいました。 その時、Aさんにごちそうになった「リンゴ」と「トマトジュース」 どちらも自家製で本当に美味しかったです。 8月に再訪した時は、この場所だったかなと思う程に 向日葵が生い茂り、周りにはリンゴや桃の木がたわわに美をつけ、 様変わりしていました。 散骨するにあたり、やはり身内などからは「なぜ?」「お墓もあるのに」 などと言われましたが、本人の意志であるということで、 何とか納得してもらうことが出来ました。 実際に散骨してみて、本当に良かったと思います。 暗いお墓の中よりも、太陽の日差しや、木立を渡る風を感じられる土の中で、 自然に還ることが出来るのですから。 関西で暮らしている関係で、度々やってくることは難しいとは思いますが、 お墓参りとは違い、「夫」に会いに行くんだという気持ちになります。 何十年後になるのかわかりませんが、 私も必ず夫の傍らに散骨してくれるように、 もうすでに子供たちに頼んでいます。 京井彰子さんより
★自然葬体験談/7
◆「 祖 父 の 散 骨 を 終 え て 」◆
松戸市のTさんご一家 ■4月26日(土)、出かけるまでは激しく降っていた雨も、 車中にいる間に、次第に上がり、 この季節にしては珍しく汗ばんだこの日、 私は祖母、母、親類の叔父、叔母らの11人で祖父の散骨をしました。 事前には場所、散骨の様子を詳しくは聞かされていなかったので、 不安と興味が入り交ざった気持ちで現地に向かいました。 駅から迎えに来て下さったAさんの車に揺られ、 東京ではもう散ってしまった、桜、リンゴ、アンズなどの花が咲き、 今年は3度も花見が出来て、とっても得をした気分でした。 車が止まった所は、何と素晴らしい景色でしょう。 すぐそばには、観音様が建てられ、後ろには山々が連なり、 足元には東京ではほとんど見かけなくなった土筆(つくし)が沢山。 足元の草を刈り、土を掘って、まず祖父の育てていた小さめの サツキを3本植え、根元に真っ白いさらさらになった骨粉を みんなで順番に蒔き、再び土をかぶせました。 その周りに水仙の球根、花の種を蒔き、水をあげて終り。 作業を終え、再度周りを見渡すと、この地に、大好きだった祖父を 独り置いていく寂しさはあるけれど、 こんなに広く豊かな自然の中に戻れる祖父は、人間としても幸せだと思いました。 私達が生きている間、沢山の自然に恩恵を受けています。 死後、この自然の一部分に戻れたら幸福なのではないでしょうか。 帰り際、Aさんからの『もうひとつの田舎』という言葉を胸に修め、 再び紅葉の頃、祖父に会いに来たいと山々に誓いました。 ・・・・・・・・ ■ 姉から「遺骨を樹木葬にする」と言われたとき、 「エッ?樹木葬?」どこかで小耳に挟んだ気もするという程度で、 私としては小高い山などに墓石の代わりに木を植えて そこへ遺骨を納める位に思っていました。 ところが、この度行った散骨は、文字通り所有者の畑地の 適当な1画に、穴を掘り、そこへ灰状に砕いた骨粉を散し入れ、 故人の好みの木を植えて、供養としました。 妻や子供が直接故人を偲んで、散骨し、 形式だけのお葬式とは、およそかけ離れたものでしたが、 人は、死して土に還ると言いますが、この場合は、死してなお、 大地を肥やし、生前に受けた大地の恵みへの感謝とも取れました。 海中や空中の散骨が宇宙の汚染云々?との声も聞きます。 Aさんがたの樹木葬は暗いイメージもなく、 山々の素晴らしい景色と清浄な空気に満ち溢れた、 明るい場所で、故人も大満足ではないかと思いました。 ・・・・・・・・ ■ 「他家に嫁いだ娘達に墓の負担をかけたくない」と思い、 「安息の地は…」と、たびたび話合っておりました。 主人は、サツキを40才代より趣味としてやっておりましたので、 樹木葬にしました。 四季折々の素晴らしい風景が広がり、振り返れば、 遠くの山々に囲まれ、このような世界に溶け込んで安らぎを覚え、 永遠の眠りにつくこ事が出来た主人は幸せです。 希望をかなえてあげられて良かったと思っています。 また、私自身も、もちろん自然葬を希望します。 ************* ●鈴木 ほうざん 記 現在のページの最後のパノラマ写真にあるように、 その場所は、山に囲まれた、明るく広々としたところです。 思えば、私の母の散骨が、その地での最初の自然葬でした。 これまでに掲載された方々と同様に、 私も、最初は「場所」に不安と期待がありました。 しかし、現場に着いて、大満足でした。 四方は山々に囲まれ、散骨する畑は広く、 適度に農作業で人が立ち入るとともに、 適度に手がつけられていない一角が点在しているのです。 これが全く人の気配もない山奥のうっそうと 木が茂った場所では、寂しいですし、 かといって、本当にいわゆる「農家の畑」では、 まるで、ただの肥料みたいに感じてしまう。 しかし、この散骨のための土地は、 大自然に囲まれているが、人が世話をしていて、 見晴らしがよくて、四季折々、山の色合いが変化します。 山に囲まれているといっても、遠くの山なので 圧迫感がありません。 私有地ならどこでもいいから散骨出来るだろうと思う人は 多いかもしれませんが、実際に、自分の好きだった人を そこに留める、そこの自然の中に還すとなると、 気に入った場所を見つけるのは、想像以上に難しいのです。 またここは畑の周囲の人たちの理解がありますから、 堂々と出来ますが、「散骨」と聞いただけで、眉をひそめる といった土地の方が遥かに多いことでしょう。 この散骨の土地は、私の感覚では、大地というよりは、 天高く「空」へと繋がっているような気がしてなれません。 同じ「大地」とか「山々」と一言にいっても、 みずみすしい山とか、火山のような山とか、 いかにも「土」という感じの重い雰囲気の土地もありますが、 この土地は、「風」と「光」と「空」の土地です。 夜、誰もいない時に、UFOが上空を通過しても おかしくないような、そんな、ちょっとどこか 星空に通じるような感じのある空気の土地です。 リンゴ畑も近くですから、眺めもどこか完全に 自然だけではないところが、またいいのです。 開発の手が加わる可能性のない土地であることも 重要です。 いくら地方の山奥とは言え、いろいろな公共事業の計画で 突然に売却されたり、何かの施設になってしまうということも ありますから、自然の豊かな土地でも、安心は出来ません。 その点でも、この土地は、ひっそりとした、静かな土地です。 ところで、今回のTさん御一家の文中に、「汚染という声」という 言葉がありましたが、このようなごく微量の骨粉が海を汚染する という事は断じてあり得ません。 それよりも、タンカーが一隻通過するだけで、 大量の有害な「船底の塗料」で海が汚染されることは よく知られたことです。 いわんや、宇宙での汚染など、寿命が尽きた人工衛星に 比べれば論外です。 この土地での散骨には、 普通に、土中や土の上に骨灰をまく方法、 今回のように、樹木を植える方法、 遺灰を、小麦粉や、そば粉などに練り込んで、野鳥の餌にする方法、 などがあります。 自然葬をされる方達は、とうぜん、 遺族の手で、故人の骨を丁寧に粉のようになるまで 砕いてゆくのですが、その作業が、 本当の最後の最後まで遺族達が故人に「触れていた」 という実感があるのです。 普通ですと、ただ形式的に、火葬場で遺族が 二人で箸で骨を拾う、「骨あげ」をするだけで、あとは、 納骨も何もかも、「坊主まかせ」です。 しかし、故人の骨灰で手を白くし、 自分の手で、砕き、自然の中に蒔くという作業は、 故人にとっても、本当の最後まで、 まさに「家族の手」で供養されたということになります。 自然葬のすばらしいところは、 人の死のみならず、その後の遺骨というものを 家族自身が「自分の手で扱う」ということから感じる、 いろいろな心理的な側面なのです。 実際に故人を自然葬をした、ほとんどの人達は、 どんなに高額な経費をかけた葬儀や、 どんな立派な墓への納骨よりも、 人の死を「最後まで見送った」という実感があると思います。 ですから、誰もが、散骨を終えると、 「こうして良かった」と思うのです。 ホームページにはアップしていない感想の声にも、 たくさんの人達から、「本当によかった」という 声を聞きます。 それには、むろん、「場所」が素晴らしいという事もありますが、 やはり、人間は、これだけ自然のあらゆる資源を食って、 その生涯を生きてきたのですから、せめて感謝の気持ちをこめて、 自然の中に自分の骨粉を還すことぐらいしても、バチは当たらないと 思いますから、故人の一部が自然に戻る「自然葬」は、 今後も、多くの人達にとって、葬送の方法の一つとして 浸透することでしょう。 むろん、今までのような葬儀をしたい人は、 それはそれでいいのです。それぞれの問題ですから。 ところで、「竹の間掲示板」に、 「本格的に土に返還されるために土葬に出来ないか」 という投稿がありましたが、現行の日本の法律では、火葬許可が必要になると 思います。ですから、たとえば、建設現場などで出てきた昔の土葬のとき の骨などは、もう一度、火葬をし直すそうです。 自分の体の一部を、微生物たちによって分解還元される形で、 自然に還すという方法は、いまのところありませんが、 微生物によって土を肥やせなくとも、 火葬で、大半が油煙やガスとなって、自由な空気中に旅立つと考えれば、 いいのではないでしょうか? 空気中なら、気流に乗って、地球中に対流するのだし。 海中への散骨や、外国でよくあるような空からの散骨に比べると、 土への散骨というのは、こじんまりとしていますが、 日本人という民族の性格には合っているような気がします。 ハデに、潔く、広範囲の自然の中に、ばーっと、ばらまくのではなく、 かといって、骨壷に入って暗い墓穴に、しんみりと納骨されるのではなく、 ちょうど、その「中間」に位置する、 とても、バランスのとれた葬送の方法なのかもしれません。 6月9日 記