せっかくですから、自然葬の失敗例でも書きたかったのですが、 なんと、今回のトラブルというのは、同じ自然葬をやっているはずの、 「葬送の自由?をすすめる会」から、Aさんに持ち込まれたものです。 ご存じのように、Aさんは、個人的に散骨の場を提供していて、 どこの会に属しているわけでもありません。ただ、以前に前記の「会」に1年 ほど在籍しており、その間に「葬送の自由をすすめる会」からの依頼で、 ご自分のリンゴ畑を提供していました。 そして脱会後も、誰にでも自由に使って欲しいとの善意から、 「葬送の自由をすすめる会」にも別け隔て無く、散骨の場を提供してきました。 ・・・・・・・・・ ところが、会のつてで散骨に来客された方に、Aさんが 『完全自然葬マニュアル』を配布したいと言ったのに対して、 「葬送の自由をすすめる会」の会長の安田氏は、「それは困る」、 「あなたは商売をする気か」、 「自然葬というのは、会のオリジナルの言葉だ(つまり勝手に使うな)」 「信じていたのに、あなたは会を裏切った」 「そんな事は、自然葬の規制の原因になる」などの言葉を電話で浴びせたのである。 これで一体、どこが「葬送の『自由』をすすめる会」なのだろうか???? 皆さんは、よくご存じのように、『完全自然葬マニュアル』は、 あれ一冊あれば、「誰かの死の現場」で本当に役立つように作りました。 その中には、役所の手続きの方法などや、遺言メモのこと、そして身寄りがない 場合の事、そしてお金がない場合など、あらゆるケースを想定しました。 『完全自然葬マニュアル』は単なる自然葬の冊子ではなく、 いざという時の、葬儀のマニュアルでもあります。 また散骨で絶対に気をつける点も、長々と宗教論などを持ち出すことなく、 若い人にも、分かるように、端的に、凝縮して書いてあります。 そして、その中では、むろん「葬送の自由をすすめる会」の事は、 今までのその実績を十分に評価した上で『献体』と並んで紹介してある。 また、私も個人的に複数のテレビ局に、自分のHPと並んで、 「葬送の自由をすすめる会」の事も紹介した事がある。 ・・・・・・・・・ 以前に、私は世界的に著名な、あるエコロジストの言葉を借りて、 『私は、私の活動が一般化することにより、自分の活動が必要なくなる事を 何よりも望んでいる』というのが、本来のあらゆる分野のパイオニアたちの 「謙虚な姿勢」であると、安田氏にFAXで説いた。 それに対して、彼は「自分だってそうだぞ」という内容の返答をしたが、 しかし、その実態は、いつまで経っても「自然葬は自分たちの活動の成果だ」 「個人では、自然葬を行うな。必ず会に相談しろ」という態度なのである。 そして、その結末は、Aさんが『完全自然葬マニュアル』を配布するのを 嫌がったり、(単に個人的に嫌がるならばともかく)、前記のような全くもっ てして『失礼な言葉』を放ったのである。 ・・・・・・・・・ 平素は、のんびりと暮らしている私であるが、 さすがに、このような子供じみた会長には、黙っておれず、 以下のように一筆し、FAXを送った。 結局、人間というものは、『自分たちの枠』だの『自分たちの成果』だの、 『自分たちの専門分野』などいう、『自分のだ』という縄張りを意識した時点 から、どんどんと頭が狂って行くのである。 安田氏は、こうした率直な批判文を会誌に載せるほどには、心が広いわけも ないので、今回の私の意見書は、自分のHPに掲載する事にした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葬送の自由をすすめる会御中
無明庵禅道場 鈴木方斬 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎
安田会長殿前略
A様と貴会との「電話でのやりとり」に関しての連絡を、 A様より戴きました。 無料配布している『自然葬マニュアル』の著者として、 そしてA様の活動の協力者として、簡単にコメントしておきます。 1/▲▲▲▲▲▲▲▲▲ まず「自然葬」という名称が貴会のオリジナルのものであると言われるので あれば、まず特許庁に提出した『商標登録』をこちらに提示して下さい。 また、単なる「名称や表題」に関しては、文化庁の著作権法の保護対象とも なりません。 2/▲▲▲▲▲▲▲▲▲ Aさんは商売などはしておりません。事実、何人かは、全くの善意で、 無料で散骨を行ってもらいました。 半日、あるいはまる一日を費やして、行ってくれるですから、 下限として、1万円ぐらいのお礼は礼儀として当たり前の事です。 当方の小冊子に、お礼の金額を明記したのは、曖昧にして提示しないと、 かえって利用者の方々が、「いくら渡したらよいのか」と、いろいろと余計な 思案をされてしまうという点を配慮して、 あえて逆に「上限」を設定したわけです。 3/▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 「Aさんを信じていたのに、会を裏切った・・・」かのようにA様の事を 言われているようですが、まず、前回、明確に文面に明記したように、 『Aさんも私も、貴会の会員ではありません』。 にもかかわらず、脱会後も『今までと変わらずに貴会に散骨の土地を提供する のは、逆に、むしろ、こちらが貴会の「本来の理念」を信じていた』からです。 実際、私は、いくつかのテレビ局にも貴会を紹介しました。 結果的に、そちらにも取材の申し込みが行ったはずです。 (今後は、こうした紹介は、2度といたしませんが) にもかかわらず、あなたの方は、一方的に、こちらの理念や行為を、まるで 「自然葬規制の原因になる」かのように言われるのは、はなはだ侵害である。 そのような『心の狭い会長』の主催する散骨活動には、A様としても、 「自分の土地を、もう提供したくない」とはっきりと申しておりました。 4/▲▲▲▲▲▲▲▲▲ A様の側は、貴会も、あるいは私のような個人での自然葬も、 あるいは、たとえ、今後、別社の「シースケープ」(カジヤ商事)からの依頼 があっても、貴会とは違って「別け隔てなく」、土地を提供する方針です。 ただし、それらの善意を行っているその『背景である基本理念を伝えるための 小冊子』を配布するのは、Aさんの全く自由であり、その個人活動に、 そちらが関与したり、拒否する権利は全くありません。 違いますか? それでも『完全自然葬マニュアル』の配布を「困る」とあなたが言われるので したら、他のところを、どうぞお探し下さい。 ・・・・・・・・・・ 「あんたは商売をする気か」とか「自然葬は、うちのオリジナルな言葉だ」 とか「自然葬にマイナスになる」などと、あなたがどれだけ失礼な事をA さんに言っているのか、そして、どれだけ『葬送の自由』という言葉に反する 筋の通らない事をしているのか、 禅寺にでも行って、真夜中に、お独りで、何時間も座って、目を閉じて、 よくよく内省される事をお勧めいたします。 以上 1999 4/9安田 会長 殿
無明庵禅道場 鈴木方斬 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽追伸
さて、当方では、今回の会(会長とA様および私)とのやりとりを インターネット上で、包み隠さずに、 読者の皆様の為に掲載する予定でおります。 もしも、何か『ご反論』がありましたら、早めに私充てに書面かFAXで お送り下さい。なお、こちらからの書面は、原文に訂正削除をしないかぎり においては、そちらで、どこへ掲載しても構いません。 また、いずれは、前回のそちらのFAXや、こちらのFAXにおける論議も 掲載する予定でおります。お忘れかと思いますが、私は「国が規制するなら、 やってみろ。それこそを逆手に取って、チャンスとして使って、自然葬問題 を波及させよ」という姿勢でやっておりますので。 ・・・・・・・・・ 今回、貴会の見解と、それに対する私やAさんの反論を、当方のHPで 公開する作業は、何も貴会の足を引っ張ろうとしているのではなく、 散骨に関する『自由な論議』と『実施』を活性化するためであります。 実際、こちらでは、別のいくつかの社の理念なども中立的に分析しております。 ある別社の言い分を分析すると、多分に商魂逞しい面はありましたが。 当方は以前に明記したように、貴会の底辺(にあった)理念には共感して おりますが、「この会こそが先駆者だ。だから分化して余計な事はするな」 というその「独断的な仕切り方」や、今回の貴殿の非論理的な言動などには、 はなはだ疑問を感じております。 以上 1999年4/9現在、「葬送の自由をすすめる会」からの返答も反論もない。総論
「葬送の自由をすすめる会」の会員の方もこれを読まれる事があると思うので、 総論として、今までの経過を記しておく。 とうぜん、こうした話は、皆さんの会誌や会合では絶対に表面化しないからだ。 私は、「葬送の自由をすすめる会」の過去の活動に関しては評価をしている。 また、現在の活動についても、会そのものや、会員については、なんらの反感もない。 そしてその事は、はっきりと安田氏にも以前から言ってある。 これは、以前、私から安田氏にあてた言葉だが、 『組織には組織にしか出来ないことがある』。 たとえば、ネットワーク的な情報の広がりや、会員同士の協力関係である。 また、生前契約というものも組織にしか出来ない。 組織であれば、仮に会長が死んだり、あるいは退陣しても、 会としてはそれ以後も責任をもって自然葬が継続される可能性があるからだ。 それに比べると、個人と個人との自然葬の約束は、多少不安定な部分はある。 ただし、個人自然葬は、それぞれの自己責任において行われるので、 全く誰にも規制されず、形式や場所も自由に出来るという最大の利点がある。 また、会に依頼すれば、少なからず何十万円かのお金がかかるが、 個人で行うには、ほとんど費用はいらない。 このように、「組織的自然葬」と『個人自然葬』では、 それぞれが一長一短の側面がある。 これついて私は、『それは平行線のままで、あるいは時には協力しつつ、 それぞれに、のびのびと分岐してゆけばいいものだ』と思っている。 このような「何も問題がないはず」の中での今回のトラブルの最大の問題点 は次の点だ。 ・・・・・・・・・ こちらは「組織的な自然葬の利点」を十分に尊重し、評価しつつ、 その上で、最大限の注意を払って『個人自然葬』を勧めている。 したがって、私は自分の著書には、自然葬を第3者へ委託したい者の為に、 「葬送の自由をすすめる会」の連絡先も書いてある。 ただし、自然葬に携わる者であるならば、『個人自然葬』もまた、 同じように尊重し、評価するのが当たり前の姿勢である。 ・・・・・・・・・ 私は母の遺骨を自分たちだけで自然葬にしたが、その理由は次の通りだ。 私は母が他界した時点では、まだ「葬送の自由をすすめる会」の会員であっ た。そこで、母が他界した時に、私は会に自然葬を委託するかどうかを考えた。 ところが、何をどこからどう考えても、(私のケースに限ればだが)、 費用を払って「第3者に委託する理由と必要性」が見当たらなかったのである。 散骨の土地所有者は私の知人である。では、何を他人に委託すればいいのか?。 全く何もない。私と土地所有者の双方の同意があればいいだけだった。 つまり、ここには、会が入る必要性が全くなかったのである。 後で、「参考までに」と私の個人自然葬のレポートを会に提出した時、 安田氏は「会を通じて行わなかった事」にえらく文句を言っていたようだ。 しかし、この点について、私は、 『会員が必ず会を通じて自然葬を行う必要はないはずだ』との意見を言った。 というのも、入会する者は、すべての人達が自然葬を実施する為に入る のではないからだ。中には自然葬についての勉強の場として会を利用したり、 会誌などをただ読み、情報を得るだけの目的で会に入る人もいる。 もしも、「会員になったら必ず自然葬を会に委託せよ」、というのであれば、 それでは市民団体というよりは、どこぞかの新興宗教団体に近くなってしまう ではないか。「入信したら、仏壇を買え」じゃあるまいし。 ・・・・・・・・・ 会を通じて行わなかった自然葬のレポートに関しては、むろん会誌に載せる 必要はない。しかし、私に言わせれば、自然葬の会合とは、 会員たちが学んだ事を元に、それぞれに自立して、個人で自然葬を出来るよう に教授するのが本当のボランティアというものだ。 やがては、会員すべてが、個人で自然葬を出来るようにと望み、指導し、 かつ暖かく見守るのが、会の本来の姿である。 なぜならば、会が目指しているものは「自然葬に」より大きな市民権を与える ことである「はず」だからだ。 ところが、(私が見る限り)、安田氏は、自然葬というグローバルな次元を 考えているのではなく、単に「自分の会に」市民権を持たせようとしている だけなのだ。その結果として、会員が会の「管理」から外れる事をすると、 反射的に嫌悪感をあらわにするのである。 むろん彼は口先では「自然葬全体の普及のためにやっている」と言う事だろう。 しかし、ならば、冒頭に述べたような彼の、Aさんに対する 「まったくもってして失礼な言動」は一体なんであるのか? 結局、彼の焦点は『広い意味での自然葬の普及』にあるのではないようだ。 ・・・・・・・・・ 私がもしも会に属しながら冊子を出したら、 それには多少の問題もあったかもしれない。 否・・・それでも元来何も問題はないのである。 しかし私は、特定の会に属することは自分の表現に制限が加わると考えた。 また、会に属することは、もしも自分の著作物についての反論やトラブルが あった場合に、責任が会に及ぶ可能性を考慮した。 だからこそ、会に脱会届けを出してから、自分の経験と責任において 『完全自然葬マニュアル』を書いたのである。 ・・・・・・・・・ こころみに、私は「葬送の自由をすすめる会」の会員の方に尋ねるが、 当サイトの『完全自然葬マニュアル』の一体どこに、 『自然葬の理念』に反するものがあるのか? 自然葬の理念に反するものなどは、何一つもないと私は自負している。 ならば、一体何が原因で、安田氏個人は、私やAさんに嫌悪をあらわに しているのだろう。それは、論理的な思慮のない、ただの感情によるものだ。 「個人で自然葬などを行ったら無秩序になり、法規制されるから、 必ず、我が会を通せ」などと、ずっと今まで言い続けているのだ。 しかし、再度言うように、 第一に、私もAさんも会員ではないのだ。この時点で、Aさんや私は、 安田氏に何かを言われる筋合いはないのである。 来訪される方にAさん個人の『理念』を表した小冊子を配布する事を、 拒否される理由もない。 第2にAさんの土地は、言うまでもなく「会専用」の所有物ではない。 第3に、世の中には、自然葬の団体組織や企業は他にもある。 第4に、過去にも、そしてこれからも、個人で自然葬を行う人は多くいる。 確かに、会が発行している本を書店で買って、そこから学ぶことはあった。 しかし、学んだその結果、いざ自分の身内の自然葬を行うという時には、 自然葬を他者に代行してもらう必要が、私には何もなかったのである。 その事が理解されたために、私は次世代の若者のために、 『個人でも自然葬を出来るように』と願って、マニュアルを書いた。 そして、そのマニュアルは全く非営利的なものだ。 なぜならば、定価は表示されておらず、無料で配布しているからである。 既に述べたように、私は組織的な自然葬の利点も評価している。 だから、組織に依頼した方が安心だという人には組織的な会を勧める。 しかし、誰にも頼りたくない人たちや、あるいは金銭的に困窮している人の ためのマニュアルも必要だと感じて、自然葬マニュアルを書いた。 ・・・・・・・・・ 私は、「葬送の自由をすすめる会そのもの」と、 その「会員の皆さん」については、何も批判するつもりはない。 むしろ、今まで、陰ながら支援をしてきたつもりだし、今後もそうだろう。 しかし、安田会長という『個人』の、今までのいろいろな言動に対しては、 その人格そのものに、大きな疑問を私は持っている。 会の誰もが、自然葬について学んだ事に対しては、会に感謝はしつつも、 これから自然葬を、国内で、今より当たり前のものにするために必要な事は、 それぞれが「自己責任において自然葬を行えるようになる事」ではなかろうか。 会という集団が自然葬の主導権を取ったり管理を強める事ではなく・・。 実際「葬送の自由をすすめる会」が10年以上かかって築き上げた社会的信頼 よりも、遥かに効率よく、素早く自然葬を普及させる方法というものがある。 たった一人の売れっ子のアイドルやミュージシャンや俳優や政治家が、 特定団体などとは無関係に、個人自然葬を行えば、それだけで、自然葬は、 個人のものであれ、団体のものであれ、 あっと言う間に社会的な市民権を得てしまうものだ。 報道の効果とは、そういうものなのである。 1999 4/10 鈴木方斬
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