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自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[4025]
■
■「カルマの法則」を無視することの薦め
by:
崩残
2009/04/17(Fri)16:13:31
■しかし、これまた、スピリチュアリズムの「ビギナー」の
西洋人には、理解するのが難しい概念ですね。
しかし分かろうが分かるまいが、
無理やりビデオ用の文にしてみました。
↓
●あなたは次の事実を知らないかもしれない。
カルマの作用または法則を信じる者たちは、
必ず非常に自己中心的になる。
その理由をあなたは分かるだろうか?
彼らは自分の言動に対してくだらない帳簿を想像するからだ。
何か良い事をすれば、何か良い褒美が自分にやってくるという「見返り」を彼らは期待する。
そして「悪い事が起きない予防策」、
その為に彼らは悪い事をしないように注意する。
しかしよく考えてみなさい。
これはすべて自分の「損得」を数えながら行う行為だ。
その行為はとても醜悪だ。
その行為の動機は常に彼らに与えられる
「報酬と罰」という考え方に依存している。
これをあなたは非常に利己的な姿勢だと思わないか?
私はカルマを信じているような馬鹿な女性と絶対にデートをしたくない。
なぜならばその女は結局は自分の事しか考えていないからだ。
本当に美しい人間の行動はやってくる結果について全く頓着しない。
正しく生きる人々においては、
彼らが恋愛をしたり、または重要な決断する時に自分の利害など考えない。
しかし自分に帰ってくる報酬を考えて行動する者は醜い。
そしてもっと重要な問題がある。
カルマを軽はずみに叫ぶ人々を見なさい。
ある特定の行動を正しいか正しくないかを知らない人間はカルマや善悪について解説できはしない。
にもかかわらず、
彼らは人間の本当の行動指針を知らないのに他人を脅迫する。
彼らは「あなたに罰が下る」とあなたを脅迫する。
むろん彼らの言うことは全くのでたらめである。
あなたが幸運を得るか不幸を得るかは、
単にあなたの「状況判断」によって決まる。
それは善悪によってではない。
また人間が死ぬことは必ずしも不幸ではない。
むしろ幸福な死がこの世界には多く存在する。
何が良いか悪いかについては、
あなたは死んでから知りなさい。
ところで、あなた自身の望みがかなわない場合には、
そこには明確な理由はたったひとつしかない。
それはその愚か者が「自分の本当の望み」を知らないだけ。
私はこの50年の人生の中で私が望んだ事が実現出来なかったことは一度もない。
その理由は、私は自分の望みの中に決して矛盾した別の望みを持たなかったからだ。
最後に、
そもそもカルマの法則を信じる人々は転生を信じている必要がある。
それは「単なる因果応報の概念」とは違う。
「異なる生の間の因果関係」についての説明がカルマの本質である。
しかしキリスト教は生物が転生を繰り返すという概念を持っていない。
本当のキリスト教徒が持つのは天国と地獄と復活の概念だけだ。
それを混同するな。
ちなみに、私個人は転生というものを現時的に実感している。
しかしカルマの法則は存在しないものとして無視している。
もしあなたがカルマについて正しい知識が欲しいならば次のビデオを見なさい。
むろん私の持つ知恵を信じるかどうかはあなたの自由だ。
「カルマという妄想に汚された人々への教え Part-1」
*********
補足説明。
サンスクリット語を乱用するな____
■カルマの概念には2種類ある。
ひとつは単なる「因果応報」を意味する。
そこには特に転生という概念は混合されていない。
カルマの語源には作用と反作用という意味だけがある。
それは物理法則のようなものである。
つまり物理法則には善悪は存在しない。
■しかしその場合には、サンスクリット語を使う必要はない。
それぞれの国には物事の「因果関係」を表現する言葉があるからだ。
しかしサンスクリット語を使った場合には因果思想と結合する。
つまり死後も失なわれずに次の生に影響する記録という意味に変化する。
従って、もし因果応報という事を言いたい場合には、
あなたの国にある適切な言葉を使いなさい。
あなたが不要にサンスクリット語を使うと概念の混乱を作り出すから。
■しかしカルマを語る場合に、
「良いカルマと悪いカルマという区別」をする者たちがいる。
今回私が批判しているのはこの人間たちである。
たとえば、カルマの一例は次のような現象だ。
あなたが前世で他人の目を火で焼いた。
すると次の人生であなたは盲目として生まれる。
これが一般的なカルマの通念である。
しかし私はそれを否定する。
一方で、
あなたが数百年前に人生を共にした伴侶と、
再び現在の人生で出会う現象の場合。
これは単なる時間を越えた因果関係である。
日本ではこれを「縁」または宿縁と呼ぶ。
決してカルマとは呼ばない。
つまり善悪の関係しない因果関係に善悪を関係させる
愚かさ物たちを見なさい。
時空を超えた因果関係は存在するだろう。
しかしそこに善悪の基準は存在しない。
*********
ところで転生という主題において、
必ず論議になるテーマが存在する。
それは「なぜ人口が増えるか?」という疑問だ。
もし同じ魂が地球上で転生をしていると仮定すると、人口はあまり増えない筈だ。
しかし私の知る範囲では約550年前に画期的な技術が発明された。
それは「人間の自我を4つあるいは8つに分割して品質の悪い人間の魂を作る技術」である。
私はこの種類の人間を希釈された自我の人間と呼ぶ。
これは私独自の造語である。
さらには「動物の魂をたくさん混合する事によって
一人の人間の魂を合成する技術」もそれに加わった。
この二つの新技術によって、
1600年代から地球の人口は急激に増加した。
それは奇しくも、イギリスで産業革命の起きた時代と符合する。
それまでは一個の完成された自我が一人の与えられていた。
しかし現在では8分の一の自我しか持たない人間が多く存在する。
だから約550年前の人たちのほうが現在の人間よりも
自我の状態が成熟をしていた。
それまでは、地球に生まれるのが初めて魂というものは、
常に他の惑星からこの地球に移転していたので、
人口の増加は非常に少なかった。
それ以外の地上の魂は、
この地球で転生を続けていたわけである。
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